第四十一話〈主従犬人〉

八峡義弥は言うべき事を云い切った。

彼女が気付くべき事を、彼女が理解しなければならない事。

それを言い終えて、八峡義弥は厭穢の方を見る。

永犬丸統志郎が手数で厭穢を翻弄している。

この言葉は、永犬丸統志郎が言う事は出来なかっただろう。


(俺にだけ、こんな事言わせやがってよ)

(良いトコどりはさせねぇからな、イヌ丸)


そして八峡義弥は、地面に蹲り、静かに泣く永犬丸士織に近づき。

その頭に手を置いて、ゆっくりと撫ぜた。


「……それでも、苦しかったら」

「哀しかったら、恐ろしかったら」

「俺が、イヌ丸が、お前が立てるまで」

「前に進むまで、支えてやる」

「だから、後悔を、責任を、背負う事を、諦めんな」


例え祓ヰ師になる運命だとしても。

八峡個人的には。

こんな少女にそんな責任を負わせる事は間違っていると思っている。

気付かせなければならない言葉を言い終えた八峡義弥は。

彼女が立ち上がるまでの補助をしなければらないと。

永犬丸統志郎ならば、そう言うのだろうと。

想像して、彼女に優しい言葉を掛けた。


「…………せん、ぱい」

「わたし、私、あの、私は………」


顔を上げて、八峡義弥の顔を見る。

涙で潤った瞳には、生気が宿っていた。


「本当に、苦しかったんです」

「辛くて……怖くて…………」


その小さな体で責任を背負い。

背負い切れずに、苦しみ続けた。

八峡義弥はその気持ち、感情を汲んだ。


「誰もがそうさ」

「逃げ出したい現実なんざ何処にでもある」

「俺だってそうさ」

「本当はな、お前が幽世に向かった時」

「逃げる選択を取ろうとした」


素直に八峡義弥は永犬丸士織に言う。

脳裏では死ぬ方が高いと思っていた。

助けた所で、脱出できるかすら分からない。

そもそも、死んでいる可能性すらある。

そんな八峡義弥の感情を押し殺して。

助ける道を、八峡義弥は選んだ。


「でもな、それじゃあ」

「誰も救われねぇ」

「何度も後悔してるから」

「懺悔を幾度もしてるから」

「二度とこんな苦しいのはゴメンなんだって」

「そう思ったから、俺は、お前を救いに来たんだ」

「……ま、結果はこの様だけどよ」


頬肉が削れた怪我から血が流れる。

苦笑するだけでも、一苦労な八峡義弥だったが。

その八峡義弥の言葉を、永犬丸士織は心に染み込んだ。

彼女の中にある、八峡義弥という人物像。

その八峡義弥ですら、先輩らしくない行動を取るのだと。

それでも、自分自身を律し、行動に移した事を。

彼女は八峡義弥の、その姿に尊敬を抱いた。


「………先輩」

「私は……この、後悔を、あの子を、捨てたい、なんて思いました」

「そんな、私でも、再び、背負う事は、出来ますか?」

「今度は、ちゃんと、背負い続けるから」

「もう一度だけ……私に、あの子を背負う選択は、ありますか?」


イヌの厭穢を背負うと言う事は。

とても、辛い選択をする、という事。

再び、地獄の様な毎日が待ち続けている。

更に言えば、怨霊から厭穢に昇華した禍憑。

前回よりか非では無い事は明白だ。

それでも、永犬丸士織はその責任を背負うと言う気概を見せた。

辛くても、苦しくても、悶えても、後悔しても。

絶対に、手放さないと言う意志を。


「…………最後まで、背負うってのなら」

「なんとかしてやるよ」

「あぁ」

「可愛い後輩の願いだ」

「聞いてやらねぇと、バチが当たらァ」


その言葉を最後に、八峡義弥は立ち上がる。

死に掛けの体に最後の気力を振り絞り。


「つーワケだ」

「イヌ丸ゥ!!」


八峡義弥は親友の名を口にする。

同時に、永犬丸統志郎が飛んで八峡義弥の隣に立った。


「話は終わったかい?」


「あぁ」

「あれを、もう一度」

「ワン子の禍憑にする」


その選択を選んだ八峡義弥に。

永犬丸統志郎は少し、暗い表情を見せた。


「我が友」

「ボクはね」

「アレを我が妹に近づけるのは」

「反対なんだ」

「辛い事を、苦しい事を」

「我が妹に与えてやる、なんて」

「そんな事を考える兄は居ない」


大切だから。

苦しい思いはさせたくない、と。

永犬丸統志郎はそう思った。

それは、八峡義弥も知っていた。


「だろうな」

「お前には出せない選択だ」

「だから、俺に頼んだんだろ?」

「優しい顔して、案外腹黒だな、お前は」


弄る様に言う。

永犬丸士織が選んだ、背負うと言う選択は。

永犬丸統志郎には出せない選択だった。

八峡義弥だからこそ、永犬丸士織はその選択を選んだのだ。

最悪、絶縁になるかも知れない選択を。

永犬丸統志郎は、八峡義弥に押し付けた。


「勿論、我が友に任せると言う事は」

「そういう可能性になる事も考慮したさ」

「けど、そんな損得抜きに」

「我が友だから、ボクは妹を任せたんだ」


きっと八峡義弥ならば。

永犬丸士織の心を溶かしてくれるだろう。

そう思い、そう願い、そう託し。

永犬丸統志郎は、八峡義弥に、永犬丸士織を預けた。


「其処まで語んなよ」

「恥ずかし過ぎてその気になっちまうぜ」


八峡義弥は笑みを浮かべて士柄武物を構える。

イヌの厭穢が八峡義弥たちを睨み出す。

それに負けぬ様に、八峡義弥は柔和な笑みを浮かべた。

それはまるで、人を馬鹿にする様な。

それはまるで、人を化かす様な。

嘲笑するかの様な挑発的な目を向けて。


「来いよ負け犬」

「遠吠えさせてやる」

「それがお前の命乞いだ」

「腹ァ一杯泣き叫べや」


そうして、永犬丸統志郎と八峡義弥が。

犬の厭穢に立ち向かう。



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