第四十話〈悔恨境地〉
八峡義弥の言葉に。
永犬丸士織は狼狽した。
「え、あ、せ、せん、ぱい?」
冷めた目で、永犬丸士織を見詰める八峡義弥。
この時、甘えを捨てた八峡義弥は。
少女にトラウマを植え付ける勢いで一変した態度を取る。
「なぁワン子ォ」
「お前さぁ」
「自分が悪いって言ってるけどよォ」
「何が悪いのか、本当に分かってんのか?」
「ぇ―――」
その言葉は、今まで泣いていた彼女の思考を止めるものだった。
こんな状況に陥ったのは、自分の責任だ。
だが、何故この状況に陥ってしまったのか、彼女は理解できているのか?
八峡義弥が聞いたのはつまりそれだった。
「何が悪いんだよ、言ってみろ」
「わ、私が……殺した、から」
永犬丸士織の中では。
彼女が、愛犬を殺してしまった事。
それが原因で、今回の事件に発展したのだと思っている。
しかし八峡義弥は彼女の言葉を一蹴して、答えた。
「違う」
「お前が殺して」
「その罪を放棄しようとした事だ」
「何もかも忘れて」
「その責任から逃れようとした事だ」
罪。
それは、彼女が愛犬を殺した事。
その大罪を、彼女は捨てたいと思った事だ。
「そりゃそうだろ」
「厭穢ん側にすりゃあ」
「意味も無く殺されて」
「本当は殺したくなかった」
「後悔してる、なんて」
「お前が殺されて」
「殺した奴がそんな台詞言ったらどう思うよ?」
「俺なら殺してぇよ」
「そんな生温い覚悟で命を奪った奴なんざ」
「ぶっ殺してぇって思うだろ」
八峡義弥の鋭利な言葉は彼女の心に深く傷つける。
そうだ、彼女が被害者だと思っていたが、実際の所。
被害者は愛犬の方であり、彼女はただの加害者でしかない。
命を奪った相手が、殺したくなかったなんて言ってしまえば。
誰だって、反感を買うだろう。
ならば、殺さなければ良かったと。
「我が友」
八峡義弥の言葉に、永犬丸統志郎が近づく。
しかし、友人である彼に対しても、八峡義弥は牙を剥いた。
「口出すなイヌ丸」
「テメェは暫く厭穢の相手をしてろ」
冷たい言葉だ。
しかし永犬丸統志郎にはわかっている。
その言葉の意味を理解して、むしろ。
彼にその役目を授けてしまった事にバツが悪い表情を浮かべた。
「………すまない」
そう言葉を残して。
永犬丸統志郎は犬の厭穢討伐へと向かい出す。
残された八峡義弥と永犬丸士織。
八峡義弥を見上げる彼女の目には混乱と涙で溢れていた。
「じゃ、ぁ、先輩は」
「ずっと、この苦しみを、痛みを、辛さを」
「味わって、生きろと、言うんですか?」
禍憑による呪いは精神を犯す。
日々、呪詛が吐かれて、心を砕こうとする。
精神に異常をきたし、狂ってしまう者が居れば。
性格や人格がねじ曲がり、狂暴になってしまう事すらある。
あの苦痛を、毎日味わい続ける事は。
彼女には拷問以上の苦しみでしかない。
八峡義弥は同情する。
彼もまた、禍憑を得た者。
彼女の痛みは身を以て知っている。
だからこそ、知っているからこそ。
八峡義弥が伝えなければならない。
「お前はその覚悟をしたんだろうが」
「良いか?ワン子」
「どんな偉い奴でも、完璧な奴でも」
「後悔するし、間違った選択をする」
「一度やった過ちはもう元には戻せない」
「俺たちは前ん向いて生きてるからだ」
現在から未来に向けて生きている。
過去にしでかした事は、もう取り返しの付かない事。
だから、人は後悔をする。
失態を悔やみ、失った物に未練を持つ。
「戻る事は出来ねぇから、歯ァ食い縛って」
「痛ェ事も、辛い事も、罪も責任も全て背負って」
「墓場ァ行くまで、背負い続けるしかねぇんだよ」
それでも生きている限り。
その苦しみは味わい続けるもの。
逃げたいと思うだろう。投げ出したいと思うだろう。
けれど、どう足掻いても。
逃げた先には、希望など何処にも無い。
「俺だってそうだ」
「何度も後悔してる。何度も過ちを犯す」
「それでも、生きてる限り」
「進み続かなくちゃならねぇ」
「後ろ指差されても」
「過去が引き留めようとも」
「後悔と懺悔を繰り返して」
「踏ん張って歩くしかねぇんだ」
「それが、その選択を選んだ人間の責務だ」
「それが、生きるって事なんだ」
八峡義弥の犯した選択。
命の恩人を見捨てて自分の命を優先した事。
責任を嫌う彼が、背負わなければならない重荷。
それを背負い、八峡義弥は生き続ける。
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