第三十八話〈生涯之友〉

先に、勘付いたのは犬の厭穢だった。


『何かが侵入した』


幽世の内部へと侵入した異物を認識した。

そして、残滓をその異物の方へと向かわせた。

数秒も待たぬ内に、その男が現れた。


凄惨な姿だった。

先程の犬の厭穢の残滓によって。

八峡義弥の肉体は既に重体に変わっていた。


「折角のハンサム顔がよォ」

「台無しじゃねぇかオイ!」

「責任取って死んでくれや」


当の八峡義弥は大怪我には慣れていた。

多くの傷を受けた事で逆に痛みが緩和していき。

脳内に溢れるアドレナリンによって活発になっていた。


永犬丸士織は、そんな八峡義弥を見て痛ましそうにする。

自分のせいで八峡義弥がこんな悲惨な姿になっているのだ。

責任は重たく、彼女は心が潰れそうになる。

涙を流して、八峡義弥に向けて泣き叫んだ。


「ごめ、ご、んなさいッ」

「こん、こ、こんな、先輩にまで、迷惑を」

「私、わた、が、殺さなかっ、ら」

「こんな、事には、ならなか、ったのにッ」

「ごめんなさい、ごめんなさい、先輩……」


消え入る様に彼女は最後の言葉を口にした。

八峡義弥に取って、この程度の痛みも傷も大したものじゃない。

一番最悪なのは、永犬丸士織が死んでしまう事。

だから、永犬丸士織が生きているだけで。

八峡義弥の目的は達成されている。


『―――――ッ』


対して、犬の厭穢は力を増していく。

彼女の言葉を聞いていたからだろうか。

彼女に対する恨みが、更に跳ね上がった。

見るだけで感じる瘴気の強さ。

八峡義弥は心が挫けそうになるが。


(後輩の手前)

(逃げ出すワケには行かんだろうが)


気合でその瘴気を跳ね返す。

同時に、八峡義弥はその厭穢が何故、今になって力を増したのかを考える。


(俺が戦って来た厭穢でも)

(ここまで強さを帯びる事は無かった)

(ワン子から産まれた厭穢)

(ワン子を恨んでるから、力が跳ね上がってんのか)


八峡義弥はあの日の夜の事を思い出す。

永犬丸士織が言葉にした、彼女の過去の事を。


(自分の犬を殺して)

(禍憑が憑いて………)

(あぁ、成程な)

(そういう事か)


そして、八峡義弥は理解する。

この厭穢の本質を。

永犬丸士織がどうすべきかを。


(けど)

(それを言えば)

(俺は嫌われちまうかもな)

(折角の先輩としての威厳も尊敬も)

(全てが台無しになっちまうだろう)


それでも。

それでも、と八峡義弥は考える。


(誰かが気付かせなきゃならねぇ)

(例え、全ての関係が無くなっても)

(それを伝えんのが……)

(先輩の役目ってもんだろ)


八峡義弥は永犬丸士織に酷い言葉を吐こうとした。

しかし、それを待たずして、犬の厭穢が八峡義弥たちに向けて走り出す。

大きな体。満身創痍の八峡義弥ならば一撃で葬られる。

それでも八峡義弥は、自分が死ぬ寸前など思い描かず冷静に対処しようとした。

明らかに、その結末は見え透いていると言うのに。

吠える声。

しかしそれはその場に居る誰のものでもなった。

月に重なる人影。

その姿は誰もが待ち侘びた親愛なる友人。

犬の厭穢に向けて放つ爪は重圧な毛皮を裂いて傷を与える。


『――――』


獣が揺らぐ。痛みに悶える。

その隙に人の獣は身を翻してその場に到着する。

男が一人、その場に増えた。


「やあ」

「我が妹」

「そして」

「我が友よ」


生涯の友が其処に推参した。

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