第三十七話〈厭穢邂逅〉

「………ぁ」


うっすらと目を開く。

気絶していた彼女は、自分が今、何処に居るのか理解出来なかった。

体を動かす。肉体はどうやら、五体満足で済んでいるらしい。

指や足を動かして、感覚がある事にホッと息を吐いた。


服は濡れていた。

そのまま地面に横たわっていたから、土が付着して気味が悪かった。

永犬丸士織は体を起こす。此処は一体どこなのだろうと辺りを見渡す。


「……せん、ぱい」


か細く声を漏らした。

つい先程まで其処にいた筈の八峡義弥の姿が見当たらず心細く感じてしまっている。

周りは森で、空は闇。血の様な赤い月以外は、何も見当たらない。

そう思っていた。かさり、と草木の奥から音が聞こえて。

彼女は驚き、振り向いて、その姿を視認した。


「え?……わ、たし?」


其処に居たのは永犬丸士織だった。

黒い影を纏う、生気の無い目をした少女が立ち尽くしている。

見た目も身長も、同じ様子だが、何処か違和感を覚えるものがある。

それは耳だ。彼女の耳は、禍憑で犯されたかの様に、頭の天辺に犬耳が生えていた。


『ねぇ』


犬耳の生えた永犬丸士織は、土だらけの永犬丸士織に語り掛ける。

永犬丸士織は恐怖で動けなかった。蛇に睨まれた蛙と言うのだろうか。

その視線から逃れる事が出来ない。いや、その視線を外してしまえば死が迫る。

それだけは確信出来ていた。


『なんで殺したの?』


そう彼女に問いかける影。

その言葉で、永犬丸士織はその影が何者なのか、理解出来た。


「マロ、………なの?」


永犬丸士織が飼っていた犬の名前で呼ぶ。

影は、……マロと呼ばれた犬の厭穢はゆっくりと近づいて。


『私は、悪い事をしたの?』

『ごめんなさいをすれば、許してくれたの?』

『ねぇ、なんで?』

『なんで、なんで?』


冷静な口調で、犬の厭穢は永犬丸士織を詰める。

呼吸が乱れ出す永犬丸士織は、彼女が詰め寄った分、後退った。


『私を殺して』

『そして、忘れようとしたの?』

『私を殺しておいて』

『幸せになろうとしたの?』

『ずるい、ずるい』

『私は、生きたかった』

『もっともっと、一緒に居たかったのに……』


永犬丸士織は泣きたそうな表情をしていた。


「ご、ごめん、なさい」

「私は……貴方を、殺したく無かった」


本当は彼女も。

ずっとずっと、一緒に居たかった。

幸せを噛み締めて欲しかった。

全ては、永犬丸家として。

祓ヰ師として生まれたが故の宿命。

しかし、それは。

人間以外の生命には到底理解出来ない事。


『ならッ!!』

『なんデ殺したアァ!!』


彼女の言葉は犬の厭穢の逆鱗に触れた。

肉体は膨張して、鋭い牙を生やし、鋭利な爪を地面に突き立てて。

怒りの形相を向けた、狼の様な厭穢が彼女に牙を剥く。

恐怖した。永犬丸士織は体を強張らせた。


「た、たすけッ」


その言葉を遮る様に、犬の厭穢が永犬丸士織に向かい出す。

彼女の脳裏に死が過る。このまま、誰にもお別れをせずに死ぬのだと。

だが、そうはならなかった。


「―――おいッ」

「後輩、泣かせてんじゃ、ねぇよ」


満身創痍の声だ。

ボロボロの姿が彼女の前に現れる。

左眼窩から眼球が崩れ落ちて頬肉は裂けて歯は剥き出し。

右腕前腕は見事に抉れて骨が見えて脇腹からは血が滴る。

既に死に体の様な男が、永犬丸士織の前に現れた。


「せん、ぱい……」


その姿は、どれ程壊れてようが。

不屈の意志で立ち上がる、質の悪い姿が其処にあった。


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