第三十六話〈残滓惨状〉

森だった。

闇が続く、延々と森林が伸び続ける森。

此処が、犬の厭穢が展開する幽世の世界だった。

八峡義弥は木の枝に引っ掛かっていた。

幽世の穴から落ちて、そのまま木に引っ掛かったらしく。

体を吊るす原因である木の枝。

先端に自らの服が引っ掛かってハンガーの様になっていた。


「クソッ」


木の枝に士柄武物を向けて刃物を振る。

すぱり、と簡単に切れると八峡義弥は落下した。

何とか地面に着地して、周囲を見渡す。

辺りは暗い。夜中を体現しているのだろう、この幽世は。

空には星も雲も無いが、紅い月だけが光輝いていた。

それが、唯一の明かりだった。


「おいッ!ワン子ッ」


八峡義弥は声を荒げる。

早々に彼女を見つけてこの幽世から脱出をしなければならない。

しかし、もしも彼女が既に殺されていれば……。

八峡義弥の決心など、無駄に終わってしまう。


(考えるな、そんな事)


最悪な事態。

それを見ようとせず、彼女が生存している可能性だけを浮上させる。

ある種の現実逃避にすら思えるだろうその心理。

そうでも考えなければ、八峡義弥は自分自身を呪い、後悔してしまいそうだった。


「何処に居るッ」

「返事をしろッ!」


八峡義弥は声高らかに叫び出す。

彼女をいち早く見つける為には、彼女の方からも反応してもらう他ない。

この声が届いて、彼女の方からも声を出してくれれば。

この迷宮の中ならば、そう時間もかからずに見つける事が出来る。


だが、そのやり方は得策ではない。

既にこの幽世は、厭穢の胎の中であり。

胎の中に違和感があり、更に振動しているのだと思えば。

嫌でもその場所に異物がある事は簡単に察知出来るから。


「っワン子」


がさり、と草木を掻き分ける音に喜んだ。

この声を掛けつけて、永犬丸士織がやって来たのだと思った。

だが違う。それは妄想に過ぎず、八峡義弥の希望を打ち砕く存在。


「……空気読めよ」

「クソ犬どもがよ」


草木から現れたのは、黒い毛並みをした眼球の無い犬たち。

それは、犬の厭穢の胎内を守る為に生まれた防衛機能。

残滓と呼ばれる生物であり、それらは、異物を抹消する為に存在する細胞だった。


八峡義弥という存在を認識した残滓は。

牙を剥いてだらしなく涎を垂らしている。

噛み殺す気なのだろう。異物を処分する為に生まれたのだから。

当たり前と言えば当たり前の事だ。


「躾けのなってねぇ犬がよ」

「触んなよ、病気が移るだろうが」


そう八峡義弥は侮蔑の言葉を吐いて。

逆手に士柄武物を握り締めて残滓に立ち向かう。

その結果は惨状であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る