第三十五話〈言訳選択〉

八峡義弥はホルダーから士柄武物を抜く。

脇腹に噛み付く厭穢の残滓に向けて思い切り刺し込んだ。


「痛ェ、んだよッ!」

「ら、あぁッ!」


叫び、思い切り刃物を残滓に向けて食い込ませる。

生首になった犬の様な残滓。

ぐちゃぐちゃと頭部や顎の筋肉に向けて突き刺して無理矢理その頭を剥ぎ取る。


「は、ァっ」


腹部から血が溢れ出る。

針の様な鋭い牙が皮膚を貫いて穴を開けていた。

冷たい雨の中、自らの血が暖かくて、熱くて、たまらなかった。


「ぐ、っ」

(厭穢って冗談だろ)


八峡義弥は尻を地面に付きながら空間に歪んだ穴を見ていた。

あの穴は厭穢の胎へと繋がっている幽世だ。

実力がある者で無ければ、迷宮を攻略するのは難しい。


(電話……)

(誰か、呼ぶしかねぇ)


そうして八峡義弥は携帯電話を取り出す。

画面を開けば、降り注ぐ雨の水滴に濡れて、画面がうまく見えなかった。


「は……は、……っ?!」


八十枉津学園の電話番号を押して、連絡を入れようとした時だった。

八峡義弥は、目の前にある穴が、次第に小さくなっていくのが見えた。


(ずっと開いたままじゃねぇのかよっ)


狼狽する。

八峡義弥は厭穢は複数相手にしても。

厭穢が展開した幽世にどう対応するのかは分からない。

これが初めての事であった。


(閉じたらどうなる?)

(もう幽世には入れねぇか)

(ワン子はどうなる?)


八峡義弥は彼女の事を思い浮かべた。

犬の厭穢に連れ去られた永犬丸士織。

本来ならば、幽世に入ったモノは死亡者として扱われる。


(……待て)

(何を考えてる、俺は)


今ならまだ間に合う。

急げば、彼女を救う事が出来る。

八峡義弥の脳裏に浮かぶ、甘い言葉。

想像の中ならば、無双など簡単だ。

だが、現実は厳しい。

想像を絶する答えが、その先に広がっている事もある。


(馬鹿か)

(俺は、その道は選ばない)

(誰かの為に)

(命を捨てる真似はしねぇ)

(なによりも考えてみろ)

(幽世だぞ)

(雑魚の俺が向かった所で)

(死体が二つに増えるだけだ)

(むしろ)

(ここで救援を待った方が)

(ワン子が助かる可能性が高いかも知れないだろうが)


そうして。

八峡義弥は自分が幽世の中に入らない理由を淡々と述べていく。

粗方、その行かない内容を揃えて、向かわない決意を固めようとするが。


「………」


穴は次第に小さくなっていく。

何時まで経っても学園に繋がらない携帯電話。

そして、八峡義弥の脳裏に過る、永犬丸士織の顔。


「………あぁ、クソが」

「だから無価値クズなんだよ、俺は」


携帯電話を投げ捨てる。

脇腹を抑えながら八峡義弥は穴に向かって走り出す。


「後輩を」

「見捨てる先輩が」

「何処に居るってんだッ!」


叫び、決心をして。

八峡義弥は穴の中へと突っ込んでいく。

幽世へと、彼女の元へと。

八峡義弥は、落ちていった。

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