第二十五話 綺麗

 八峡義弥の豹変ぶりに贄波璃々たちは顔をしかめる。

 そんな中、エロメイドの界守綴が八峡義弥の方へと近づくと。


「すんすん」


 と、何かに勘付いた様に八峡義弥の首元に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。

 そして艶美な笑みを浮かべて八峡義弥を見つめて言った。


「ヌきました?」


 その意味はつまり、自慰行動を行ったかどうかの確認だった。

 八峡義弥は親指を立てて言う。


「取り敢えず」

「今日の為に」

「賢者を目指しました」


 八峡義弥はそう言った。

 これでも八峡義弥は友から言われた言葉を引き摺るタイプだった。


「胸を見る女の敵」

「そんな八峡義弥を殺す為に」

「一晩中性を発散させましたよ」


 ははは、と笑う八峡義弥。

 一晩中、八峡義弥は性豪であった。

 無論にして絶倫であり、三日三晩行える程の体力もある。


「まあ一晩中で治まるものじゃないですけど」

「なんで朝一番で花天の家に行って」

「鎮静剤と興奮抑止剤」

「あと色々な薬を打って貰いました」

「これでやっと性欲を抑え込む事が出来たんです」


 余談であるが、花天家は薬師であった。

 合法な薬も非合法な薬も扱う家系。

 八峡義弥は良く厄介になっていた。


「安心してください」

「今日の八峡義弥は」

「安全ですから」


 純粋な瞳で八峡義弥はそう言った。


「さあ!」

「見てごらん!」

「新しく生まれ変わった八峡義弥さんだよ!」

「荷物持ちとして」

「ドンドン扱き下ろしてくれ」


 爽やかに言う八峡義弥。

 それは何処か永犬丸統志郎に似ているが。


「黙りなさい」

「なんでかしら」

「貴方を見ているとムカムカするわ」


 贄波璃々は八峡義弥を睨みながら言う。

 その感情は失望と喪失感。

 うっすらと涙すら浮かべている。


「八峡」

「君はもう」

「何処にも居ないんだね」


 悲しそうな表情をする思川百合千代。

 生前の八峡義弥を思い浮かべて涙が溢れ出す。


「嫌ッ」

「私、前の八峡の方が良かった!」

「ねえ、八峡」

「元に戻ってよぉ!」


 葦北静月はそう叫んだ。

 ボロボロと涙を流して、元の八峡義弥に戻って欲しいと願う。


「界守」


「はい」


「元に戻して来なさいな」


「承知しました」


 贄波璃々がそう界守綴に命令を下し。


「あくまでも」

「元に戻すのよ?」

「本番はダメ」


 と、後に付け加えた為に、界守綴は少し残念そうな表情を浮かべる。


「さあ」

「八峡さま」

「どうぞこちらに」


 八峡義弥を誘い、広場に生える一本木の陰に隠れる。

 其処で誰にも見られない様に、界守綴が八峡義弥の胸に細い指を這わせた。


「ふっ」

「いくらエロい界守さんでも」

「性欲を抑えた俺の前では」

「無意味ですよ」


 八峡義弥は謎の余裕な表情を浮かべて言う。

 界守綴はにこやかな笑みを浮かべて、八峡義弥の耳元に口を近づけると。


「象形術式」

「〈解〉」


 八峡義弥の胸元には、解の字が書かれていた。

 象形術式は神胤で描いた文字の意味を物質に浸透させ、文字通りの事象を実現させる。


「ぐ、あぁああああ!!」


 八峡義弥の体内に漂流する花天家特製の薬に干渉。

 薬の効能と副作用を強制的に解いた。

 すると八峡義弥は苦しみ出して、声を荒げる。

 その声に反応して贄波璃々らが八峡義弥の顔を見た。

 八峡義弥は頭を押さえて苦しんでいる。


「界守」

「これは一体」


 贄波璃々がそう言った。

 界守綴は頬に手を置いて。


「どうやら」

「薬が解けようとしていますが」

「内に眠る」

「邪悪な八峡さまを」

「出させまいと」

「綺麗な八峡さまが」

「抵抗している様子です」


 そう言った。

 八峡義弥は膝を突いて悶え苦しんでいる。


「酒ッ……女ッ……権力ッ………バイオレンスッ……名誉ォ……友達ィ……ッ」

「ぐぅッ……あッ、……ぐぁッ」

「健康ッ………貞淑ッ………ボランティアッ……清掃ッ……友達ィ……ッ」


 善性と悪性がぶつかり合う。

 それぞれの善悪が重要なものと大切なものを揃えて言葉として出て来る。


「邪悪な八峡と」

「綺麗な八峡が」

「心の内で闘ってるッ」


 葦北静月は苦しそうにする八峡義弥を見て胸を苦しめる。

 もう一度、会いたい。あの濁った眼をした八峡義弥に逢いたい。

 だから願い、葦北静月は声を上げる。


「がんばって……頑張って八峡!」

「綺麗な八峡に負けないでッ!!」


 その声援に続く様に、贄波璃々も声を荒げた。


「そうよ!」

「取り戻しなさい!」

「あの醜かった自分を!!」


「お、れは……俺はッ」


 八峡義弥は綺麗な八峡義弥に抵抗する。

 そんな光景を眺める思川百合千代は。


(何をしているんだろうか)

(僕たちは)


 一足先に冷静になっていた。

 とんだ茶番劇だとも思っていた。


「ぐ、うぅうううううう!!」


 八峡義弥が叫ぶ。

 そして天を仰いでそのままの状態で静止する。

 固唾を呑んで見守る彼女たち。


 八峡義弥はゆっくりと立ち上がり。

 そして彼女たちの顔を見た。


「……」

「あぁ」

「人が落とした財布で」

「飯が食いてぇ」


 そんな最悪な発言をする八峡義弥。

 その瞳は、爛々としておらず、死んだ魚の目の様に濁っている。

 綺麗な八峡義弥を打ち斃し、邪悪な八峡義弥が勝利した瞬間だった。


「や、八峡」

「八峡が、元に戻ったぁ!」


 泣きながら葦北静月が八峡義弥に、思わず抱き着く。


「も、もう……」

「心配させて……」

「八峡のバカ」


 贄波璃々はそう呟いて後ろを向いた。

 その頬には一筋の涙が通っている。


「おいおい」

「いいのか葦北ァ」

「胸、当たってんぞ?」


 八峡義弥は邪悪な笑みを浮かべながら葦北静月の胸を見た。


「今日は良い……」

「だって、八峡が」

「帰って来たんだもん」

「……お帰り」

「八峡」


「……あぁ」

「ただいま」


「感動的ですね」

「思わず濡れてしまいました」


 そう優しく抱き締めるが。

 思川百合千代は騙されない。


「いや」

「本来あるべき姿に戻っただけだし」

「なんなら感動的でもないし」

「むしろ」

「世間的には」

「綺麗な八峡の方が良かったと思う」

「今になって思うよ、僕は」


 しかしそれを言っても誰も聞いてない。

 思川百合千代は取り敢えず、この空間に飲み込まれない様に離れるのだった。

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