第九話 百合

 よろめきながら立ち上がる。

 八峡義弥は重い足取りでグランドから離れ、階段を上り永犬丸統志郎が待つ教室へと向かうのだった。

 グラウンドから校舎へと向かう通路には倉庫があった。

 その倉庫は技巧師の為に用意された機材や備品があり、倉庫内には絡繰機巧の部品や材料が取り揃えられている。


 技巧師にとって開発途中や製造中止となった絡繰機巧は宝の山であり、技巧師はそれを目当てに学園に入学する者も多かった。


 その倉庫へと続く道の前に一人背丈の低い男性が立ち尽くしている。

 八峡義弥は見覚えのある顔に手を挙げて挨拶をした。


「よう」

「サルちゃん」


 その声に反応して童顔な顔が八峡義弥の方を向いた。

 疲弊した主人公の表情を見て、サルちゃんと呼ばれた猿鳴さんなぎけいは 同じ様に手を振った。


「やかい」

「だいじょうぶか?」


 心配しているのだろうが、その表情は無であった。

 口調もまるで心の籠っていない様子だが、仕方が無い事であった。


 猿鳴形は全身絡繰機巧であり、声帯や顔面は作られたものだ。

 所謂人造人間であり、臓器と脊髄、脳髄と眼球が猿鳴形の本体だった。


「サルちゃん」

「なにしてんだ」

「こんな所でよ」


 まるで案山子の様に立ち尽くしている猿鳴形。

 普段は倉庫で自らの体を弄っているのだが、今日はなんだか様子が違っていた。

 何か倉庫の方で不味い事でも起こったのだろうか。


 八峡義弥はそのような怪訝さを感じながら猿鳴に伺うと。


「きまずい」


 ただその一言だけを口にした。


「あん?」

「気まずい?」


 八峡は首を傾げながらそう呟く。

 いったい何が気まずいのだろうか。

 ひとまず主人公は猿鳴と共に倉庫へと向かって行く。


「静月」

「予定はどうなってるのかしら?」


「今度の日曜日?」

「うん、大丈夫大丈夫」

「ちゃんと空けとくからね」


「そろそろ新しい服を」

「見繕った方が良いだろうね」


 倉庫には女が三人集まっていた。

 一人は言わずもがな葦北静月。


 もう一人は 髪の毛を三つ編みに纏め、男性用ブレザー服とベストを着込んだ男装の麗人である思川百合千代。


 そしてもう一人は黒い髪の毛を腰元まで伸ばし高飛車な雰囲気を纏う贄波璃々だった。


 八峡義弥がそれを影から眺めて成程と頷いた。

 猿鳴形は女性達との間に入るのが苦手であるらしい。

 最初は葦北と一緒だったのだろうが、後から二人がやって来て猿鳴形が空気を読み、 その場から離れたらしい。


 三人が喋っているところを八峡義弥は聞き耳を立てた。


「貴方は少し」

「身なりを気にしなさいな」


 贄波璃々は葦北静月の格好を見てそう言った。

 葦北の格好は中学校の頃から使用していた体操服であり、肉体が成長した為か明らかにサイズの合ってない体操服を着込んでいるから、服が密着し過ぎてパツパツだった。


「うーん」

「物持ち良いと」

「思うんだけどなぁ」


 と、葦北静月は別段気にする様子では無かった。


「でも」

「その恰好は流石に」

「目に余ると言うか」

「男の注目を」

「引いてしまうと言うか」


 思川百合千代は葦北静月の豊満な胸を凝視しながら言う。

 男装している思川百合千代は、自らの肥大化した胸がコンプレックスであり、男性から性的な目で見られる事を恐れた為に男装をしていた。

 だから、葦北静月の艶めかしい恰好は見ていて羞恥心を煽る様なものだった。


「あー」

「うん」

「確かに胸ね」

「八峡とか」

「朝っぱらから凝視してたもん」


(バレてたわ)

(死ぬか?俺)


 八峡義弥は今朝、葦北静月の胸を凝視していた事を思い出した。


「へぇ」

「そうなの」

「八峡が、ね」


 贄波璃々は少し煩わしそうに眉を顰めて言う。


「あれも男と言うワケね」

「幻滅だわ」


(うっし)

(首を括れそうな木でも)

(探してくるか)


 八峡義弥は周囲を見渡した。

 女性からこういった話を聞くと死にたくなる。


「なあやかい」

「あしきたたちは」

「なんのはなしをしてるんだ?」


 あ、と八峡義弥は咄嗟に猿鳴形の耳を塞ぐ。


「?」


 猿鳴形は性知識を知らない。

 純粋無垢な少年であった。

 単純で純粋で可愛らしい、八峡義弥にとっては弟の様な存在。

 そんな猿鳴形が性知識を持っていると言う事実が耐えられない。

 真っ白なキャンパスに一滴の墨を染み込ませる様な無粋さだ。

 だから八峡義弥は出来る限り、そのままの猿鳴形で居て欲しいから、彼に三大欲求の一つである色欲を教えない様にしていた。


「サルちゃんは」

「知らなくても良い」

「そのままのサルちゃんで居てくれ」


「?」

「きこえないぞやかい」


 耳を塞いだ所で、八峡義弥は再び盗み聞ぎを開始する。


「けど」

「少しだけ羨ましいわ」

「私は」

「其処まで大きくは無いから」


 贄波璃々は二人の胸部を見て言う。

 二人に比べれば、贄波璃々の胸は微々たるものだろうが。

 しかし一般女子高生並みの膨らみである為に、彼女も一概に小さいとは言えない。


「こんなの」

「大きいだけだから」

「それよりも」

「璃々ちゃんぐらいのが」

「綺麗だし」

「カタチが整ってるから」

「逆にそっちの方が羨ましいなぁ」


 葦北静月と贄波璃々は一年生の頃からの付き合いである。

 時稀に贄波の家に訪れてはお泊り会などする程の仲であった。


「そうだよ」

「胸なんて」

「無い方が良いよ」


 心の底から言う思川百合千代。


「でも……」


 二人に言われるが、心変わりまではしない。

 未練がましく贄波璃々は二人の胸を注視するが。


「そんなに胸が大きくしたいのなら」

「古今東西より伝わるバストアップ法を」

「伝授してあげちゃおっか!」


 葦北静月は指先をわきわきとしながら贄波璃々に近づく。


「ちょ……」

「ちょっと」

「何をするつもりなの?」


 後ろに下がる贄波璃々。

 しかし背後には思川百合千代が待機していて、彼女の肩を掴んだ。


「胸が大きくなっても」

「良い事なんてないよ」

「それでも大きくしたいのなら」

「僕はもう何も言わないから」


「じゃあ」

「この掴む手を」

「離してくれないかしらッ!?」


「しゃあー!」

「隙ありぃ!!」


 葦北静月が指先を贄波璃々の胸に這わせた。

 胸の周りを撫ぜる様に指を滑らせて、マッサージをする様に彼女の胸を揉んでいく。


「ちょっと」

「恥ずかっ」

「んっ!」


 顔を赤らめて、贄波璃々は抵抗するが。

 思川百合千代がそれを許さない。

 葦北静月は夢中になって揉み続ける。


 今まさに、女の為の花園が其処にあった。


(な)

(なななッ!)


 その花園を覗く八峡義弥は。

 我慢出来ずに彼女たちの前に姿を現した。


「んんっ」

「んんん!?」

「や、八峡ッ」

「貴方、何をッ!」


 贄波璃々の声に、二人は八峡義弥の方を向く。

 先程のやり取りを見られていたと瞬時に理解した三人。

 贄波璃々が恥ずかしくも、怒りを込み上げて声を荒げようとした最中。


「何してんだお前らァ!」


 先に、八峡義弥の罵声が響く。


「サルちゃんが見ちゃうでしょうがァ!!」


「やかい」

「おれがなんだ?」


 既に八峡義弥は、猿鳴形の耳から移動させて目を覆い隠していた。


「サルちゃんはなぁ!!」

「そういう知識が無いんだよぉ!」

「ピュアッピュアなんだよォ!!」

「お前らの百合劇場を」

「サルちゃんが見たらどうなると思ってんだ!!」


 八峡義弥の問いかけに皆目見当もつかない三人。

 片手を猿鳴から剥がして、親指で自分を指す。


「俺みたいな人間になるぞぉ!」

「………」

(言ってて悲しくなるわ)


 少しテンションの下がった八峡義弥。

 唖然とする思川と贄波。

 ショックを受けているのは葦北だけだった。


「そ、そんな」

「でも、確かに」

「形くん……純粋だから……」

「どうしよ」

「形くんが八峡みたいになっちゃたら!!」


 事の重大さを理解した葦北静月はその場に崩れ落ちた。


「だ、大丈夫よ」

「八峡のクズさは」

「八峡しか体現出来ないからっ」


「そうだよ静月」

「八峡の欲深さは」

「八峡しか出来ない事だからさ」


「お前ら」

「葦北を慰めてるつもりだろ?」

「それ」

「八峡さんの心を傷つけてるから」


 遠回しに罵倒されている八峡義弥は気分が落ちている。


「なんだかわからんが」

「だいじょうぶか?」

「やかい」


 そんな八峡義弥を慰めてくれるのは。

 友である猿鳴形だけだった。


「ありがとな」

「サルちゃん」

「愛してるぜ」


 そう慰めてくれる猿鳴形の頭を撫でて、八峡義弥はそのまま猿鳴形の背中に乗った。


「行こうぜサルちゃん」

「こいつらと居たら」

「サルちゃんが」

「俺になっちまう」


「それ」

「わるいことなのか?」

「まあいいか」

「じゃあな」

「みんな」


 八峡義弥を背負って、猿鳴形が三人に手を振ってトコトコと歩き出す。


「じゃあなお前らァ!」

「女同士」

「百合でも作ってろや!!」


 八峡義弥は意味不明な捨て台詞を吐いて、その場から立ち去る。

 残された三人。贄波と思川は葦北を慰めるのに精いっぱいだった。



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