混ぜてください。

糸川まる

混ぜてください。


①りんごは皮を剥いて芯をとったら5㎜厚のいちょう切りにする。②フライパンにバターを入れて焦がさないようにとかし、りんごを入れて炒める。しんなりと柔らかくなったら取り出す。③続いて■肉を包丁で筋切りし、塩、こしょうをふって下味をつける。小麦粉を茶こしに入れ、両面に振りかける。④りんごを炒めたあとのフライパンに脂を熱し、豚肉を並べて強火で焼き色をつける。裏返して反対側もしっかりと焼き色がつくまで火を通す。⑤最後に肉の上にりんごを乗せ、あらかじめ溶かしておいた万能調味料Aを加えて蓋をし、弱めの中火で25~30分煮る。りんごがトローッとしてきたら火を止め、かるく混ぜる。



 そこまで読んで、「あらかじめ溶かしておいた万能調味料Aって何だっけ」と、私は注釈を探した。

 ページの下段に小さく枠で囲われた注釈によれば、「万能調味料A」は最初のほうにまとめてある「万能あわせ調味料一覧」に書いてあるそうで、なるほど、便利だ。私はぱらぱらとぺージを繰っては目当ての「万能あわせ調味料一覧」を探す。けれどその途中で、「ぱりぱり大根サラダ」に目を奪われて、ついページを繰る手が止まった。仕方がない、美味しそうだったから。均等に切りそろえられた細い大根に、ひらひらとしたかつおぶしのようなものがまぶされ、全体に油のドレッシングがかかっている。細切りの大根は、それはそれは可憐である。



①大根は5~6㎝程度にカットし、縦にできるだけ薄く切る。※横に切らないよう注意。繊維を断ち切らないことでパリパリした食感になります。②大根をトランプのようにずらして並べ、端から繊維に沿って千切りにする。③切った端から氷水に浸ける。浸けているあいだに万能ねぎを小口ぎりにしておく。全部残さず殺したら氷水から上げて水分を切り、器に盛ってあらかじめ溶かしておいた万能調味料Aをふりかける。



 ここにも「あらかじめ溶かしておいた万能調味料A」だ。私はそこで本来の目的を思い出し、ページをめくり始める。途中、古本だからか、くっついてしまったページを見つけ、破らないようにそうっと剥す。染みは残ってしまったけれど、十分きれいに剥せた。染みは茶色く、たぶん前の持ち主が調理中に飛ばしてしまったのであろうソースか何かに見えた。くっついてしまったページは「ふろふき大根」のページだった。私はまた、ついそれに見入る。何しろ、空腹なのだ。古い本であるし、写真の色合いや構図はちょっと古くさいけれど、それでもつやつやとしたみそだれや、ほんのり透けるような大根の白い肌は十二分に魅力的で、ごくりと喉が鳴る。



①大根は太いものを用意してください。四等分の輪切りにして、角を削ぎ取ってください。※威嚇音に注意してください。②鍋にさっと洗った■■を敷いてください。大根を並べてください。大根が浸るくらいの水を加えて蓋をしてください。③1㎝程度の泡が立ち始めたら弱火にしてください。そのまま竹串でつついても血が出なくなるまで40~60分煮てください。



 染みで汚れて、一部分が読めない。爪でこすってみる。ぽろりと染みが剥がれ、――なんだ、染みではなくゴミだったのか、と安堵した。ゴミの下からは、「瘤」という言葉が出てくる。瘤? 料理本に似つかわしくない言葉に、私は少し首を傾げる。ゴミが爪の間に挟まって取れない。まあ、いい。私は続きに目を向ける。



④鍋の中を見ずでさっとぬらして、あらかじめ溶かしておいた万能調味料Aを入れ、、、る。木べらで鍋底をかき混ぜながらシッ化り火を通す。⑤■■の皮を少しすりおろして混ぜてたれを作る。繰り返し木べらで混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。だんだん重くもったりとしてくる。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。混ぜてください。木べらを押し返す力が赤子ほどになる。そうなったらもう全部終わりにしてください。器にあつあつの大根を盛ってください。●上からたれをかけてください。仕上げに■■の皮を少し散らしてtttttttttt飾ってください。



 また、「あらかじめ溶かしておいた万能調味料A」だ。私は苛々し始めていた。ページをめくれどもめくれども、巻頭にあるという「万能あわせ調味料一覧」に辿り着かないからだ。空腹を極めた私には、鮮やかな写真たちさえ、ちかちかと煩わしいものたちに映っていた。どれもこれも、つやつやとして、ふっくらとして、匂い立つようですらあった。指を差し入れたら触れられそうですらあった。受け入れてくれるような気がした。私の気をよそに、それらは絶えず微笑みかける。その本は、メインディッシュ、サイドメニュー、朝食と大項目に分かれている。今私は「サイドメニュー」の大項目に入ったところだったから、次の「朝食」の大項目に入れば巻頭まではあと少しだ。ちなみに中項目は、和風、洋風、中華風、そのほか、と方向性で分けてある。その中をさらにそれぞれ食材別の小項目に分け、野菜、肉、主食系。肉の中には鳥。豚。牛。丸い。高い。優しい。鋼鉄でできている。背が高い。あれのことを知っている。歌がうまい。活発。おとなしい。勉強ができる。頭痛。足が速い。五体満足である・ない。歯は? ない。つま先は? 好きな色は? 黄色。溺れる。積み上げるのは好きか。どこまで。空まで。小項目を目で追っているうちに、文字が蟻の脚に見えてきて、目が痒くなった。眼球を、そのわずらわしい爪が掻いている。


 果たして、「万能あわせ調味料一覧」のページは巻頭3ページ目という前半も前半にぽつねんと有った。残念ながら、しっかりと塗りつぶされて読めない。黒々と、黒いボールペンか何かで繰り返し繰り返し、でもきっと紙を破らないようにやさしい筆圧で、細い線を縦・横と組み合わせて塗りつぶされている。触ればざらっとしている。よく見れば、それは隙間なく張り付けられた髪の毛だった。爪でカリカリと引っ掻けば容易く剥がれる。よかった。一本、また一本と剥していけば、「万能あわせ調味料一覧」に辿り着ける。一本、また一本と丁寧に剥す。捨てる場所がないのでそのあたりに放るしかなく、剥された髪の毛は私の足元に積もっていく。いく本も積もっていく。はだしの足の甲に、捨てた髪の毛が触れてくすぐったい。どのくらい剥したか分からないが、いっこうに「万能あわせ調味料一覧」は見えてこない。ページには血がにじみ始めていた。やめにしたほうがいいかもしれない、と思った。血が出るのはよくない。本を閉じようとしたが、本の開こうとする力は恐ろしく強く、とても私ではかないそうもなかった。しかたなく、髪の毛を剥す作業に戻る。ふろふき大根のみそだれに混ぜるの、何の皮だっけ。私はふとそんなことを思った。何の、皮だったっけ。髪の毛を剥したところから、とうとうたらたらと血が流れはじめる。私の腕を伝って、今度は血が降り積もっていく。でも、どうしてもAの中身を知らないといけない気がしている。Aが何と何と何を合わせて溶かして作るものなのか、私はそれを知らないといけない気がしている。


 しばらく続けて、気づいたら髪の毛の向こうに地の色が見えた。ようやくこの作業も終わりだ。終わりが見えたことに気が逸って、私は髪の毛をまとめて掴むと、思い切り剥した。びり、と破れるような音とともに、しかし想像したよりはずっと軽い感触で、それは剥がれた。剥がれたページから、しぶきが散った。腐った肉のにおいがした。乱暴に剥してしまったせいで、ページには生臭い裂けめができていた。せっかく丁寧にむしったのに、最後の最後で台無しにしてしまった。後悔のため息をついたちょうどそのとき、裂けめからぬっと腕が突き出して、私は思わず本を取り落とした。これは聞いていない、と思った。古本を買うにあたってはそれなりに覚悟をするものだけれど、さすがにここまでのことは想定外だった。突き出した腕は私のはだしの脚を掴んだ。足首の骨を容易く折るほどの力で、腕は私を掴んで引っ張る。踏ん張りはしたが、床が血で濡れていて滑る。ずるずると引っ張られて、とうとう胸まで飲まれた。見れば、裂けめではないところから、よく火の通った大根のような白い腕が何本も突き出して、ふよふよと手を振っている。そのたくさんの手は、招いているのか、もがいているのかわからないが、私は逃れたい。なんとしてでも這い出ようと伸ばした私の腕もまた、透けるように白く柔らかくなっている。


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