第30話 『森師』『狩人』『百姓』

 わたしはヒースくんと手を繋いで村の道を歩いている。


 季節はまだまだ夏と言ってもいいだろう。

 ただ、耐えられないような、あのうだるような暑さではないのは、ここが森に囲まれているからだろうか、それとも夏に陰りが見えてきたのだろうか。


 ヒースくんというのは十歳の男の子。ダニーさんとヘスティアさん夫婦の長男で、最近人型になったばかりだそうだ。


 ……獣人というものは、どうやら十歳くらいまでを獣姿で過ごすものらしい。

 母乳だとか、離乳食だとか、その辺りをどうしているのか、わたしにはわからない。わたしが(それとなく、ふんわりとした何となくの知識で)知る育児は、人間が人間を育てる形式だけなのだ。


 ほとんど人間の姿をしたヘスティアさんから、兎が産まれてきたということだろうか。……違和感しかない。ヘスティアさんが次の赤ちゃんを出産した暁には、それら出産の謎も育児の謎も、判明すると思う。


 ダニーさんのお家には今、七羽の子兎がいる。単純に、一度の出産で一羽の子兎が増えたのだと思う。ヒースくんと今度産まれてくる赤ちゃんというか子兎を合わせると、子供の数は九人だ。日本であれば、大家族としてテレビが取材に来たっておかしくない。

 子沢山は兎獣人の特徴らしいけれど、子沢山でもなんとかなる秘訣は兎姿にあるのかもしれない。


「ソフィーさん、ディレオネとカボロ、どっちが好き? 」

「うーん、ディレオネを食べたことはないかなぁ………」

「そうなの? おいしいのに」


 無邪気な子供の質問に、雑草じゃん。と言いたくなったのを飲み込む。


 ディレオネ、というのはタンポポそっくりの草のことだ。日本に生えていたものより、ちょっとだけ葉っぱが大きいような気がするけれど、残念ながら野草を食べた経験なんてほとんどない。というか、一度もない。市販されているものは別とする。


 そしてカボロはこちらでのキャベツである。大きさもほぼキャベツ。


「僕ねぇ、僕ねぇ、うーん、ソフィーが好き!」


 わたしの肩より少しだけ低い位置にある、ヒースくんの頭には見事な兎のお耳があった。歩くたび、それが微妙に揺れている。立ち耳なのは、ヘスティアさん似なのだろう。ダニーさんは垂れ耳の兎耳だ。


「そう? ありがとう」


 なかなかの毛並みの良さに、そのお耳を永遠に撫で回したくなるけれど、我慢、がまん。軽く撫でるだけで欲望を押さえているわたしは偉い。


「僕ねぇ、人型になれててよかったなー」


 十歳になったころ、獣人の親は、子供を神殿に連れていくのだそうだ。そうすると、ぽんっ!と人型ケモミミだったり、獣頭人型だったり、着ぐるみタイプ獣型だったりの獣人になる、らしい。


 当然、獣姿から獣人になれない場合も発生する。その場合、野生に放たれるそうだ。

 それでいいのか、と聞いたときには頭を抱えたくなったけれど、獣人たちの感覚では、成人して普通に家を出て自立していったという認識であるらしい。ハムスターみたいに、短命タイプの獣人だとか、水性の獣人がどうしているのか、ちょっとだけ気にならなくもない。


 村の中の道は舗装されておらず、固まりきった泥がむき出しになっている。雨の日はさぞかしぬかるむのだろう。でこぼこしていて、歩きにくい。

 道の真ん中辺りと、両サイドは雑草が生えていて、そちらのほうが歩きやすいかと期待したけれど、そうでもなかった。もちろん、雑草のなかには先ほど話題に上がったディレオネの葉っぱもある。あれを食べる日がそのうち来るのかと思うと、なんだか微妙だ。


 少し前を歩いているのは茶色い着ぐるみみたいなうさぎの獣人で、ダニーさんの弟、ディックさんだ。わたしたちの歩きが遅いからだろう、少し先に行っては振り返り、立ち止まり、待つということを繰り返している。そして、ウサギらしくお鼻は常にヒクヒクヒクヒクしている。正直、可愛い。

 めっちゃウサギ。毛並みはヒースくん以上に艶々していて、油断すると風にそよそよ靡くお髭がですね……。


 しかし、撫で回したり、抱きついたりは厳禁だ。なぜならディックさん、着ぐるみではなく、立派な成人男性だからである。セクハラになってしまう。ヒースくん(十歳)とは違うのだ。


 モヒモヒというか、ヒクヒクしたお鼻、ロップイヤーと呼ばれる垂れ耳の、こちらをじーっと見てくる、人間属人間種よりは表情の少し乏しい愛くるしいウサギさんからわたしはすいっと目を逸らした。体の前でぶらんとさせた前肢に、たまにぴるぴるぴるって動くお耳なんて、愛くるしさの塊でしかない。


 ……ホント、獣人って存在しているだけで素晴らしいわ……。


 道の隣は畑が広がっている。何の葉っぱだろう、背の低い、蔓性植物の葉が風に揺れる様子は、緑色の海に起こる波のようだった。


 村の家々は密集しておらず、ぽつん、ぽつんと浮き島のように、畑の中に点在している。


 ダニーさんのお家のお隣さんまでは、わたしの感覚だと十軒くらい家が挟まっていてもおかしくない距離があった。ちなみに『お隣さん』はパン屋さんだ。いくら近所であっても、二、三日に一回買いに行くくらいだろうか。


 ウネ村ではダーとお芋が主食になるそうだ。昨日の夜と今朝の食事に出てきたお芋はねっとりとした、里芋っぽい食感のものだった。あと、肉も普通に食べていた。うさぎの獣人というものはどうやら、うさぎそのものとは生態が違うらしい。


 三十分は歩いただろう頃。森と、森の前に大きな建物にわたしたちはたどり着いた。

 建物は丸太を組み合わせたようなデザインだけれど、三階建てらしいそれは決して『小屋』という規模ではなかった。


 中に入ると、天井が高い。中はざっくりと三つに区切られていて、入って左にカウンターがあり、正面とこちら側が柵で区切られている。途中に改札のようなものまであって、なんだか駅みたいだと一瞬思ってしまった。駅にこんな広いカウンターないけど。

 一方、カウンターの中はなんだか、役所じみている。窓口があって、奥に机や棚が並んでいる。


「ソフィーさん、こっち!」


 窓口から、ウサ耳男性がわたしに手をぶんぶん振ってきていた。

 ドミニクさんの息子さんの一人で、ダニーさんとディックさんの弟のデールさんだ。ドミニク一家は子沢山、ダニーさんちも子沢山。


「デール、僕はー?」


 わたしの隣で、ヒースくんがぷくっと頬を膨らませた。かわいい。ウサ耳少年かわいい。


「あはは、ヒースも森師組合にようこそだね」


 デールさんは森師組合の職員さんなのだそうだ。ディックさんがデールさんの所に向かったので、わたしたちはデールさんのいる窓口に向かうことにした。


「ソフィーさん、ここに名前書いてくれる? 住所は書いといたから。ヒースは文字が書けないだろ? 全部俺が書いといたから。えっと、もしも身分証があれば出して貰いたいんどけど、無いよね?」


 わたしがケイレブさんのお屋敷から逃げてきたってことは、ダニーさんにすら説明していない。


 キツムの街でモンスターに襲われ、あちこち行っているうちに偶然、ドミニクさんと知り合い、保護されたことになっている。

 わたしのようにキツムの街から逃げてきた住人は、身分証を無くしてしまっていることが多い。再発行にはそれなりの手間と料金、時間がかかってしまうため、新しいものを作ってしまう方が早いと聞いている。


 けれど、わたしには《袋》があった。キツムの街でエルレウムさんに渡されたものではない身分証を用意してあるのだ。悪用しようとすれぱ恐ろしい道具だと、つくづく思う。


「いえ、それだけはなんとか」


 身分証には『ソフィアニーラ』という名前が書いてある。偽名だ。偽名といえば、『ソフィー』ですら偽名でしかないのだけれど、その辺りはもう気にしない方向で。


 出身はキツムということにした。別にキツムの街に詳しい訳じゃないけれど、下手に嘘をつくよりは良いだろう。


「ソフィアニーラ……これがソフィーさんの本名? 素敵な名前だね」

「ソフィーって呼んでくださいね」


 デールさんから、やたらとキラキラとした営業的な笑顔を向けられたけれど、わたしはスルーする。


「じゃあ、森師についての説明をするね」


 森に入るときは、必ず森師組合に組合員として登録し、組合事務所に顔を出してから森に向かうこと。これは、行方不明者などがいないか、管理するためである。


 森に入るときは、必ず青地に赤の縁取りのあるマントを羽織ること。これは、猟師などに獣や魔獣と勘違いされないための印になる。自分用のマントがないときは、組合のものを借りることができる。


 森で採取したものは、小石ひとつ、枯れ葉一枚であっても必ず組合に届け出ること。森は村の共有資産であり、森師以外の者にも恩恵を授ける為である。


「森はみんなの物だからね。採ってきたものを持って帰る方法はきちんとあるから、必ず届け出てね。買い取り価格はあっちに張り出されてる。覚えなくても自由だけど、覚えておくと高価格な物を見逃さないで済むよ」


 他にもあれやこれやと説明してくれながら、デールさんは紙にハンコを押したり、用紙に何かを書き込んだりしている。なんだか、仕事ができる男感がする。さっきの笑顔も素晴らしく好感度が高かった。きっと、保険なんかを売ったら営業成績はそこそこに良さそうだ。……この世界に『保険』なんて制度があるとは思えないけれど、『組合』なんて互助組織があるのなら、保険制度が産まれていても、おかしくはない。


 渡されたのは、運転免許証サイズのカードで、それが森師組合の登録証だった。何かの鉱石でできているのか、ひんやりとしていて、半透明だ。


「じゃあ、行こうか」


 デールさんはカウンターからこっちにぐるっと回って、やってきた。

 お仕事は良いのだろうか?と少し思わなくもない。


 デールさんに連れられて、わたし、わたしと手を繋いだヒースくん、その後ろにディックさんという形で、改札口に似たゲートをくぐり、マントのかけられた一角に向かう。

 わたしたちはそこから一人一枚、マントを借りて、ブローチを使って肩のところで止めた。


 マントは肩を隠すくらいの短いものだった。思っていたより動きにくさはなさそうだ。


「毎日きちんと洗ってあるから、安心していいよ」


 なんだか独特の香りがしたので、鼻を近づけていたところ、デールさんに苦笑いされた。

 でも、ヒースくんもスンスンしている。


「デール、何?この匂い」

「魔物と虫除けだ」


 そこでやっと、ディックさんがしゃべった。低くて渋いおじさまみたいな声が、愛くるしい着ぐるみからしてくるので、ギャップが激しい。


 大きく採光の取れる窓の向こうにあるのはなんというか、普通の森だ、と思う。


 扉から森へと出る。


 まずはちょっとした庭くらいの広場があって、丸太を加工したようなテーブルと椅子がいくつかあった。その近くに猟銃のようなものを肩に担ぎ、腰に剣だか鉈だかよくわからない武器を佩いた兎頭の獣人、デイブさんがいた。


 ダニーさん、ディックさん、デイブさん、デールさんは兄弟で、みんな、ダニーさんのお家というか、ドミニクさんの家に住んでいる。他の兄弟姉妹は結婚して、家を出ていったそうだ。つまり、ここにいる三人は全員独身。


 ……ちょっと嫌な事に気づきそうになったけれど!わたしは全力でスルーすることにした。


「よぉ、登録は終わったか? じゃあ、今日は俺がソフィーの事を守ってやるからな」


 たぶん、兎頭じゃなければ、一瞬だけでもときめけたかもしれないな、とパンダ兎頭の、うさぎらしくひくひくひくひくしているお鼻を見てわたしは思っていた。いや、別の意味でときめきはおおいにありますよ、こんな大きなうさぎしゃん………っ!


 とりあえず、ということで、わたしたちは森の中を歩きはじめた。


 これは何の木で、とか、あの草は何で、とか、デールさんの口から次々と説明されているけれど、覚えられる訳が無いじゃないか、とわたしは諦めている。あとで《袋》から判定眼鏡的ステキアイテムを取り出そうかな、とかわたしは考えている。

 わたしの右手はヒースくん、左手はデールさんに握られていて、とてもじゃないけど採取なんて無理なせいもある。

 小動物系男子デールさん、わたしとほとんど同じくらいの身長(ただし、耳の高さを除く)で、さっきからちょいちょい上目遣いで覗き込んでくるのがあざといというか、かわいい男っていたんだなぁ、とか。


 真面目にふむふむと聞いている右手のヒースくんの方がよっぽどかわいい。そして、周囲を警戒しているらしい兎頭とすぐ後ろについてきてくれている着ぐるみうさぎ(低音ボイス)の可愛らしさにわたしは獣人差別をしそうで理性の存在に激しく感謝している。めっちゃ撫で回したい。さっき触っちゃったディックさんのお手て、とってもふかふかでした………っ!さすが、兎!!


 そのうち、周囲に見たことのある木がちらほらと見えた。

 お茶の木にも、椿にも少し似た、けれどそんなに大きな葉っぱではない木、あれ、榊じゃないだろうか。


「護衛がいない、魔物や獣と戦う能力のない女子供はここまでが一人で来ていいところだ。こっから先には獣や魔物が出てくるから、よく覚えておけよ」


 言いながら、デイブさんは枝を折って、それをわたしとヒースくんにくれる。


「こいつはカミノキという。初めてここまで来られるようになった村人はみんな、カミノキを一枝折って、持って帰って、庭に差しておく。次からは無事に帰れるようにって呪いだ」


 おまじないなんて、あるんだな、とわたしたちは背中にしょった籠に放り込んだ。この籠は、おうちにあったものである。


 そんな扱いでも、カミノキは簡単に根付くらしい。榊の木の増やし方は知らないけれど、そんな雑でも増えるっていうのなら、榊の木とは何か違うのかもしれない。


 今日は、デイブさんが居てくれるというので、わたしたちはもっと森の奥まで進んでいく。

 森はだんだんと深くなり、足元の草の背は低くなる。木と木のあいだもさっきより狭い気がする。ここは、本当に『森』なのだと思った。


 そのうち、広葉樹ばかりだった木に針葉樹が混じり始める。


「この辺りが、ダニーたち、木こりの主な仕事場だな」とワイルド系兎頭人型獣人デイブさん。


「木を切る音がしたら、僕たちみたいにか弱い兎は引き返した方がいいよ」


 と、小動物系ウサ耳人型獣人デールさん。


 しばらく歩く。

 森は深く、暗く、恐ろしいと思う。捻れた木、おどろおどろしく絡まりぶら下がる蔦、岩には苔。


 普通だったら、こんな遠くまで来たりはしないだろう。お腹が空いたし、足も疲れた。


 ……というあたりで、いきなり視界がパッと開けた。

 明るい草原が広がっていた。

 草原の向こうにも薄暗い森があって、こちらとあちらの間には、一面真っ赤な絨毯のように、彼岸花が咲いている。


「ここは、一年中こうなんだ」


 ボソリ、と言って、ディックさんが足を止めた。

 彼は誰よりも、この彼岸花を恐れているかのように、距離を取っている。


「万が一、方向がわからなくなっても、この赤い花を見かけたら、すぐに引き返した方がいい。この花の向こうは、ダンジョンなんだよ」


 デールさんも緊張しているみたいだ。デイブさんはゆっくりと、辺りを警戒するように見回している。ダンジョンということは、モンスターがいるっていうことなのだろう。


 ところで、わたし、向こうの森にいる人と、さっきからめちゃくちゃ目が合ってるんだけど。

 遠目にわかる、金髪長髪男性はわたしに向かって手を振ると、森の中に消えていった。彼は物語に出てくるエルフっぽかった。












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