第29話 移動
サバンナさんと、もう一人の獣人が部屋を出ていき、わたしはしっかりと扉に施錠した。
わたしがなぜ、こんなにびくびくしているかというと、今は誰も信用できないからだ。
素直にキツムの街に帰ることができていれば、何の心配もいらなかった。
けれど、わたしに奴隷契約を結ばせるような相手は国内だけでなく、国外にまで強い影響力を持つ貴族だ。
のこのことキツムに帰った場合、わたしの知り合いだけでなく、魔物の大暴走により被害を受けたキツムの街がどうなってしまうのか、想像できないというか、わからない。
わたしにでもすぐ思い付くのは、物流を止められてしまうことだ。そうなったらきっとみんなはとても困る。もしかしたらケイレブの関心なんてすぐに薄れるかもしれないし、彼が逆上する可能性もある。
キツムの街の領主様がどのくらいの権力を持っているのかを、わたしは知らない。あの『ラダマ』に抵抗できるだけの権力者ならいいと願っておき、距離を置くしかわたしがキツムの街と大切な友達、それに『大鷲亭』のみんなにできることはない。……たぶん。
サバンナさんから受け取った小瓶を、台の上に置く。今、自由になるためにわたしがやるべきことはなにかあるのかもしれないけれど、何をしたらいいんだろう。
あのまま、逃げ出さなかったとしてだ。
今までは放置されていたけれど、ケイレブさんがギラウサに帰って来た時、わたしがどういう扱いになるのかはわからない。
出会ってしばらくは紳士だった。わたしには触れないでいてくれた。
でも、今は、どうなのだろう。
『あいつ』から受けた仕打ちよりマシであればいい。けれど、とにかく閉じ込めておこうという思考がケイレブの頭の中にはありそうだ。良くて今まで通りの緩やかな軟禁、悪いと手かせ足かせまでありそうな予感がひしひしとしている。なんたって『あいつ』からの思考誘導を受けた相手だ。関わり合いになりたくない。
とにかく『あいつ』がお仲間さんからのアドバイスでケイレブさんとわたしの繁殖を諦めてくれた今、わたしは自由にのほほんと面白おかしく生きたい。
きっと多大な権力を持つケイレブさんの、今のわたしに対する執着がどの程度かわからない。その上『あいつ』のせいで狙われ易く、か弱いわたしはいつ、どこの誰に誘拐されるかわかったものじゃない。周囲を下手に信用してはいけない。
夜になって、わたしが一階で夕食である謎肉と豆の煮込みを食べていると、ドミニクさんがやってきた。
飲み屋としては繁盛していないのだろう。わたしの他には昨日も見かけた獣人がいるだけだった。サバンナさんはさっきまでわたしの隣で同じものを食べていたけれど、さっき大きな荷物を持って、宿屋の外に出ていった。宿屋を移動するというよりは、何か商品を届けに行くような感じだった。
「まずは謝らせてくれ」
ドミニクさんはそう言って深く頭を下げてくる。
「ケイレブさんに見つかっちゃったんですか?」
でなければ、逃げられそうに無いとかだろうか。わたしは残り少なくなった料理を食べながら、どうしたものかとちょっと悩む。とりあえず、部屋に籠城すれば時間をかせげるだろうか。『絶対に逃げられるアイテム』……はダメだ、どう考えても『あいつ』のところに繋がるだろう。
わたしの言葉に、ドミニクさんは苦笑いを浮かべた。
「いや、それは問題ない。そうじゃなくて、俺があんたを連れ出さなければ、ケイレブ様と出会うことは無かっただろうと思ってな」
よくわからなくて、わたしは首を傾げる。
「あの日、モンスターの群れに押し流されていたソフィーを助け、馬車に乗せたのは俺だ。ケイレブ様と出会うきっかけは俺だったんだ。まさか、ケイレブ様がダンジョン品の腕輪を使うだなんて思わなかった」
「つまり、わたしがあんな訳のわからない扱いを受けたのは、ドミニクさんのせいだと……?」
ドミニクさんはゆっくりとうなずいた。とても反省しているというか、落ち込んでいるように見える。
……全部『あいつ』のせいだったんだよって教えてあげたい。
でも、説明のしようがない。だいたい……わたしは『あいつ』が一体何なのか、名前すら知らないのだ、実際は。
「ドミニクさんには助けられたと思うことにします。ありがとう」
ドミニクさんはとても困ったような顔をしていた。
それから、わたしは店内にいた三人の獣人を紹介された。別々に過ごしていたから別客だと思っていたけれど、そうではなかったらしい。
昼間にわたしをからかってきたのがヘイスティングズ、ドアの近くにいたのがイグネシャス、窓際にいたのはジルだと教えられたけれど、ヘイスティングズさんの身長が三人の中で一番大きなこと以外、わたしには見分けがつかなかった。
「俺がソフィーについていくと役人たちに疑われる。だからコイツらと街を出てくれ。彼らは護衛だ。目的地であるウネ村に行くにはスモウ門が最も近いが、ヤレヨイに向かったと思わせるため、あえてイーモウ門を使い、途中で森に隠れる」
ウネ村からはドミニクさんの息子さんが迎えに来てくれるそう。落ち合う場所はヘイスティングズさんが知っているそうだ。なんだろう、そのふわっとした計画。不安しかない。
不安しかないけれど、ウネ村に行くためには彼らに連れていってもらうしかない。せいぜい、途中で何かされたりしないか気を張っていることにしよう。 対麻痺とか、対即死とか、対睡眠の何かを用意しておこう。
出発は翌朝早朝だった。
まだ薄暗い時間だというのに、あちこちの商店は開店準備をしているのだろう、明かりが灯っていて、馬車の周りで人々が忙しそうだ。
ただ、寝ている住人も多いからだろう、とても音は控えめだ。
わたしは『気配を殺す黒いマント』のフードを被り、同じようなマントを着たヘイスティングズ、イグネシャス、ジルと四人でイーモウ門を抜けた。
イーモウ門は首都であるヤレヨイに向かう時に使われる門のため、こんな時間でもそれなりに通行人がいた。入っていくときはともかく、出ていくときにチェックが入ることは無いそうで、わたしたちはすんなりと街道へと出る。
しばらく歩き、人目が無くなったところで、わたしたちはささっと森に分け入った。
「しばらく走る。抱き上げるが声は出すなよ」
ヘイスティングズに言われたわたしは無言でうなずき、口を押さえた。
ぐいっと持ち上げられる。縦抱っこを想像してほしい。
口を押さえてなかったら、うひゃあとか何か声を出していたと思う。
猛烈に彼らは走り出した。
枝が顔に当たりそうでめちゃくちゃ怖い。獣の習性だかなんだかは知らないけれど、ほとんど音をたてずに彼らはものすごい早さで森を駆けていき、やっと下ろされたとき、なにもしていなかった筈のわたしはヘロヘロになっていた。口を押さえていたわたし、とても偉い。
「さすが狼だなぁ。待ち合わせなんてしてなくてもすぐに見つけてくれる」
大地のありがたみにどこへ向けたらいいのかわからない感謝を捧げていたところで、草むらのむこうから、陽気な声をかけられた。
「匂いでわかるからな」
そこは、目印になるようなものなんて見当たらない、なんてことない林の中だった。草すら踏み荒らされた様子もなく、というかこの中を歩くのだろうか。これはきっとものすごく大変だろうな、とうんざりしたくなる。
ひょい、と草の足元から、男性が顔を出す。
「毛がある」
ぜいぜいしながら、わたしが思わず言ってしまった言葉に、四人の男たちは同時に吹き出し、大笑いした。
やがて、草むらから現れた、ドミニクさんにそっくりな男性はわたしに向かって握手を求めてきた。
「初めまして。おれは『毛のあるドミニク』」
「ぷっ………」
「ぶふぉっ」
「ぶふっ」
「くっ………」
つい、笑ってしまった。他のみんなだって吹き出しているし、当の本人も笑顔だから問題ないと判断しておく。
「改めまして、俺はドミニクの息子のダニーだ」
「ソフィーです。お世話になります」
そこからウネ村は近いということで、少しの休憩のあとで移動することになった。
「ところでソフィー、ひとつだけ確認しておかないといけないことがあるんだ」
相変わらず、ヘイスティングズさんに抱きかかえられたままのわたしに、ダニーさんが質問してくる。わたしも歩こうとしたけれど、どうしてもダメだと押しきられてしまったのだ。
でっかいもふもふだと思えばなんてことはないけれど、男性だと思うと微妙だ。とても微妙だ。
「親父からは女の子を一人預かってほしいとしか言われてないんだ。それで失礼かもしれないが、いくつか質問がある。ソフィーに恋人はいるのか? 」
「いえ、いません」
「なら、ウネ村で誰かに求愛されたとして、受けるつもりは? つまり、俺たちみたいなウサギの獣人になる予定はあるのか?」
「いえ、そういう予定もないです」
「そうか。じゃあ、俺の家に同居した方が安心かもしれないな。……ソフィー、ウネ村で暮らしていく為のルールをひとつ、言っておく。獣人から贈り物をされたら、はっきりいらないと断っても失礼にはならないってことだけ、覚えておいて欲しい。あとは、食べ物にも気をつけてほしい」
もしかして『大鷲亭』のときみたいに受け取ったらお相手をしないといけないルールでもあるのだろうか。ならば、絶対受け取らないほうがいいだろう。ささやかなプレゼントや、お裾分けのようなものさえできなくなるのは困りものだけれど、そういう風習があるのなら、仕方ない。
「わかりました」
村までは本当にすぐだった。
ただ、村の入り口の前で、なかなかヘイスティングズさんがわたしを下ろしてくれなくなった。もふもふ。
もふもふとしたヘイステングズさんの毛並みはとても素晴らしく良いけれど、そろそろ下ろしてはいただけないものだろうか。
「………ソフィー、ケイレブとかいうヤツから隠れたいなら、今から俺たちの村に行こう。その方が見つからない。そして俺と結婚してほしい」
……はい?
大きな狼の耳がペタンと寝て、くぅん、と甘えるような鳴き声がヘイスティングズさんの喉から聞こえてくる。すり、と頬をすり付けられればちょっと、いや、かなり心が揺らいでしまう。
おっきなわんわんに甘えられてる気分だ。ふかふかの毛並み、くぅん、と甘える声、これは……ものすごい破壊力。
「ソフィー……」
「はいはい、ヘイスティングズ、諦めろって」
「確かにソフィーさんはいい雌になってくれそうだけど、グレイソンにどやされるぞ」
すかさず、二組の腕が伸びてきてわたしとヘイスティングズさんを引き離してくれた。ありがとう。とても助かります。
「獣人の求愛にはほとんどの人間が押し負けるんだ。兎も毛並みは良いからな。気をつけろよ」
ポンポン、とわたしの頭を軽く叩いたのはイグネシャスさん。
「俺たち、二十日にいっぺんは商品の護衛でこの村に顔を出すから、もしも気が変わって兎よりも犬科が良くなった時は、いつでも言ってくれよ 」
に、と牙を見せるように笑ってくれたのは、三人の中でいちばん小柄でやたらと声のいいジルさんだった。そういう予定は皆無です。
村の入り口で三人と別れ、わたしはダニーさんに連れられて、けっこう大きな家に向かった。その途中、かなりのうさみみ男性から、ものすごい目で見られた。この感じ、どうやらわたしはモテ期に入ったらしい。
……『あいつ』の残り香のせいかっ!!!!!!
わたしは『あいつ』とそのお仲間さんに奴隷拘束の腕輪を外して貰っていた。その時の『スキンシップ』のせいだとわたしは『あいつ』への恨みを更に百枚……いや、千枚くらい重ねておく。
なんか、何かをものすごく殴りたい気持ちになった。
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