第28話 体質改善薬と坑体質改善薬
朝になり、わたしは勇気を出して、階下に降りていくことにした。昨日の夕飯はともかく、朝食まで食べないのは不信がられる原因でしかないだろう。それに、部屋に水道はなかったので、水差しに新しい水を貰わないといけない。
本当は水くらい、ペットボトルでいくらでも《袋》から出すことができる。けれど《袋》の存在を隠しておくためには、なるべく『普通』な行動が必要だ。
わたしの腕力で、あんな便利アイテムを持っていることが他人に知られたら、どんな目に会うかわかったものじゃない。更にはケイレブに見つかったら、便利に使われること請け合いだ。
ケイレブは金と権力を持っているし、『ラダマ』の支店はかなり多い。警戒しすぎるってことはない筈だ。
一階のカウンターには昨日と同じ狼頭、その他に二人の獣人がいた。二人とも犬科であることまではわかるけれど、詳しい種類はわからない。………ポメラニアンでないことだけは、確かだと思う。
「朝食、食うか」
「お願いします」
狼頭の前の席に座る。隅っこの席でも良かったのだろうけれど、ここの方が安全な気がした。
「ほらよ」
出てきたのは温かなポリッジで、ポットに入ったお茶らしい飲み物と、別の皿にはカットされたフルーツも添えられている。
思っていたよりもまともな食事に、少しだけほっとした。ただ、これで半シルブはぼったくりもいいところだ。この代金を払うのは、わたしなのだろうか、ドミニクさんなのだろうか。
まぁ、払えるけど。払えるけど、わたし、そんなに金を持っていると思われているのだろうか。
食べ初めてからしばらくした頃、階段を降りてくる音が聞こえて、何とはなしにそちらを見る。階段を降りてきたのは猫科っぽい耳と、長い尻尾を持つ女性だった。
「………あら、人科のお客様。なんて珍しい」
その女性にじっと見られて、ちょっと居づらい。愛想笑いをしておいた。
「ここ、良いかしら」
彼女はわたしの隣にやってきて、許可を出す前に座る。とてもしなやかで、猫らしい動きだなと思う。猫らしい動きがどうとは上手く表現できないけれど、とにかく猫っぽく、しなやかで優美。それでいてかわいらしい。
「わたし、サバンナっていうの」
そこまで言うと、ん? とサバンナさんは首を傾げる。わたしの名前を知りたいらしい。
「………ソフィー、です」
本名じゃないけれど、もう使いなれた偽名をわたしは名乗る。狼頭とサバンナさんは無言でお金をやり取りし、サバンナさんの前にもわたしと同じ、ポリッジが置かれた。
「この宿で人間の女の子なんて本当に珍しい」
サバンナさんはさっきと似たようなことを繰り返した。
「おい、サバンナ。そいつはドミニクからの預かりもんだ。あんまりあれこれ聞いてやんな」
カウンターの奥で、狼頭が険しい表情になった。眉間に皺が寄り、剣呑な雰囲気がする。
「いいじゃない、グレイソン。この子が騙されたりしないか、同じ女として心配なの」
「捕まるほうが悪い」
グレイソンさんはカウンターから調理場のほうに引っ込んでしまった。店内にいた二人の男たちも、それにわたしたちから離れた席に移動していく。
それを見て、サバンナさんは肩をすくめた。
「見ないふりをしてくれる、今のうちにとっても大事なお話をしちゃいましょうね」
そう言って、にっこりと笑ったサバンナさんは、服のポケットから二つの小瓶を出した。ラベルはない。ひとつは液体が、ひとつには錠剤が入っていた。
「このお薬のことを知ってる?」
見たことも、聞いたこともないお薬だ。だから素直にわたしは首を横に振った。
「そうなのね。じゃあ、教えてあげるわ。人間の女の子なら知っておいたほうがよいお話だから。………食べながらで結構よ。これはね、『体質改善薬』と『抗体質改善薬』っていうの」
わたしもサバンナさんも、ふうふうとあつあつのポリッジを冷ましては口に運んでいる。ここのポリッジは、なんだかとても美味しいのだ。おかわりは可能だろうか。でも、追加に半シルブ………と思うと、部屋に戻って何かを《袋》から取り出して食べたほうが良さそうだ。
「『体質改善薬』はね、異種族間の結婚を可能とするお薬なの。使い方は簡単。毎日、ほんのちょっとの量を相手に飲ませるだけ」
話しながら、ゆらゆらと猫の尻尾が揺れている。
「時間はかかるけど、それだけで人科の人間を獣属にすることができちゃうの。結果が出るまでは早くても一年、長くて三年。無味無臭のこの薬を意中の相手に飲ませ続ける必要があるけど、手間はそれだけ、効果は一生。惚れ薬の効果もあるから、そのうち二人は絶対結ばれる。子供だって作れるようになれる、獣人たちにとってはありがたーい、神秘の魔法薬なのよ」
わたしの手から、スプーンが落ちた。
食欲が失せた。
サバンナさんは、ふうふう、パクパクとポリッジを食べ続けている。
「このお薬を使うには手順があるの、まずは『体質改善薬』に男性の体液を一滴」
今から吐いて、間に合うだろうかとわたしは口を押さえた。ふと目があった、店内にいた獣人がおどけたように肩をすくめている。しかも残念そうに首を振っている。
………え、間に合わないの!?
青ざめたわたしに、ふふふとサバンナさんは笑った。ペロリと唇を舐めるところまで、猫らしい。
「一度じゃ効果は出ないし、一度に大量に摂取したら昏睡するような劇薬だから、そんなに心配はいらないの。でも、もしもあなたが獣人と遊びのつもりでお付き合いするときは気をつけたほうがいいわ」
悲鳴でも上げておけばいいんだろうか。獣人、怖い。
わたしの食べかけのポリッジを取られたけれど、文句を言う気は起きなかった。
そしてわたしをからかった獣人は軽く睨んでおいた。笑われただけだった。
「そしてね、『体質改善薬』に対抗できるのがこの『抗体質改善薬』。十日に一度、これを一錠飲むだけで、十日分の『体質改善薬』の効果をリセットしてくれる。とっても苦くて辛くてお高い薬だけど、効果は万全………いかがかしら?」
「買います」
「一瓶十シルブ」
高い。ものすごく高い。瓶中にあるのはせいぜい、十粒かそこらだろう。じゃあ一粒一シルブだ。わたしは《袋》があるから薬自体をあとでそこから出してしまえるし、資金に困ることはない。けれど、一般的な女性にこれは払えないだろう。一回ならともかく、一生はとても無理だ。
世界に獣人が溢れておらず、差別も冷遇も弾圧も受けていないのは、きっと彼らが良心的だからだと信じたい。イヤなタイミングでからわれたけど。
わたしはポケットから取り出した風にして、《袋》からシルブを一枚取り出した。
「残りはあとで支払います」
常に大金を持ち歩いているとは思われたくない。部屋に置いていると思われて部屋を荒らされるかもしれないけれど、どうせ盗られたら困るものなんて、わたしには《袋》とその中身しかない。
「あとで部屋に伺うわ」
食後のお茶も飲む気が起きなくて、わたしは部屋へと帰った。会計を、と思ったら、食事代はこの宿を取ったドミニクさん持ちになると狼頭から言われた。 ドミニクさん、太っ腹。
「俺はここでの食事にはぜってぇ、変なもんは入れねぇ。毒物が怖ぇなら毎食ここに降りてこい」
グレイソンさんと言われていた狼頭からはじっと目を見つめられ、念を押すように言われた。
この世界に催眠だとか、洗脳だとかがあるのであれば、わたしはきっと簡単に毒をくらうことになりそうだ。意識操作や毒に抗える何かを《袋》から取り出せないものか、ひとりになったら試しておこう。
部屋に戻ってしばらくして、さっきわたしをからかってきた獣人を連れ、サバンナさんがやってきた。
「こういうところではね、互いに簡単に相手を信用しないほうがいいのよ。彼は立ち会いとわたしの護衛代わりに連れてきたの」
なるほど、確かに、わたしが今サバンナさんに襲われたとして、目撃者がひとりも居ないことになってしまう。食堂でやり取りするべきだったとは思えないけれど、二人きりも不味かったかもしれない。
「これ、残りの代金です」
「確かに受け取ったわ。はい、お薬」
渡されたものは、先ほどと同じ小瓶だった。
「疑えっていうのなら、疑いますけど、これの中身がすり変わっていて、効果がないとか逆効果だったりはありませんよね?」
「そんなことをしたらわたしのお薬、誰も買ってくれなくなっちゃうわね」
「サバンナは信用できる。安心しろ」
もしもここが嘘つき村だったら、二人とも嘘をついていることになるじゃないか。しかも、嘘つき村じゃないから二人ぐるみでわたしを騙すことだってできる。プラセボであっても獣人になるお薬の効果を打ち消してくれるのならいいけれど、毒薬だったら大問題だ。
これは飲まずに、言われた効果のあるお薬を《袋》から取り出してそっちを使おうとわたしは心に決めた。
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