第27話 脱出

 ケイレブに貰った婚約指輪(のレプリカ)を身につけ続けるのは、やっぱりまずいような気がした。

 じゃあ、今後はどうやって《袋》を持ち歩こう。うんうんとわたしは考える。


「首から下げてても、紐とか切られたりしたら困るし………何かにひっかけて首しまったらもっと困るし………」


 そして、わたしは閃いた。

 タトゥーシール、というものが現代日本にはある。わたしの感覚では、ハロウィンなんかにとってもお役だちなアイテムだ。あれなんか、とてもいいかもしれない。

 

 あの感覚で簡単に貼ることができて、わたしが望まない限り剥がれなくて、《袋》をしまっておける謎空間を持つアイテム。『魔法のタトゥーシール』を強く願えば、期待どおりに《袋》から取り出すことができた。早速手首に張り付けておく。


 パッと見はブレスレット状の、手首をぐるりと回る細い刺青だ。この世界というかこの地方に、奴隷の証としての刺青だったり、罪人の証が刺青だったりという制度がなくて良かったと思う。


 それから、刺青を誤魔化す為のブレスレットをいくつか。純金製のアクセサリーはいざというとき、強盗に投げつけたらいいと、何かで読んだ気がする。いざというときは「純金だぞ!」と叫びながらそれを投げ、強盗がそちらに意識を向けている間に、反対に向けて全力ダッシュすればいいとかなんとか。


 あとは、旅の護衛が必要だろうか。


 当然ながら、わたしに戦う能力なんてものはない。何かの便利グッズはまた出しようがあるのだろうけれど、いざというとき、使える気が全くしなかった。どうにかして、護衛を雇いたい。


『何でも出せる』のだから、護衛を出せたりは………いや、ロボット的なものは世界にそぐわなさそうだし、生命のあるものを取り出すのは、やっちゃいけないような気がする。


 覆面とか、仮装とかで誤魔化して、どこかで護衛を雇うのが一番だろう。それで、どこか、落ち着いた村か、それなりに人混みに紛れられそうな街に逃げるのだ。護衛の雇いかたなんて知らないけれど、きっとどこかに斡旋所かなにかがあるだろう。この前会ったカホトにまた会えればいいんだけど、そこまで世の中甘くはないだろう。


 そのまま逃げた先、どこかの村か、街で暮らしてもいいし、ほとぼりが覚めたらキツムの街に行ってもいい。ジネヴラやイーサンさんをはじめとした『大鷲亭』のみんなには会いたいけれど、エルレウムさんはめんどくさいから会わなくてもいい。


 体力づくりとゲームのレベリング、脱走の準備にわたしは十数日を費やした。途中、疲れもあって何日かを寝て過ごしてしまったので、はっきり十日と言えないのが残念だ。


 窓の外、ケイレブ邸のわたしの部屋は初日とその後はガタガタとやかましかった。けれど、諦めたのか捜索が開始されたのか、ここ数日は時々ナランが掃除に来るだけで、静かなものだ。

 作戦を決行するのは、今だという気がした。

 夜、わたしはそっと、隠れ家から抜け出した。


 そして、わたしは一瞬固まる。


「………」

「………」


 誰もいないと思っていた室内には、ウサギ耳で筋骨隆々とした大男、普段はケイレブの護衛をしているはずの、ドミニクさんがいた。


「こんばんわ」

「………どこから?」


 わたしも驚いているが、彼の驚きはもっとだろう。目は見開かれ、声がかすれていた。


 気を取り直したのはわたしのほうが早かった。固まったままの彼をスルーして、今のうちにと、わたしは窓に手をかける。

 わたしは今、『魔法の靴』を履いている。疲れ軽減、少しくらいの高さなら飛び降りても大丈夫な効果、移動速度が早くなり、靴擦れ防止効果も願って取り出した靴だ。わたしの運動神経でも、窓からの脱出は可能な筈だ。


 いくら身体能力に優れた獣人でも、さすがにこの高さから降りる猛者はいないとわたしは信じている。だって、見たことないもの。窓からぴょんぴょん飛ぶ、鳥以外の生き物を。


「おわっ!?」


 暗闇に身を投げる。背中で驚く声が聞こえた。地面に無事着地し、『気配を殺す黒いマント』のフードを被ったわたしは夜道を颯爽と走り出すことはできませんでした。


 地面に着地するまでは上手くいったのだ。忍者みたいにかっこよく、しゅたっといけた。………ただ、直後、わたしは押し倒されていた。ぐふぅ、と蛙を潰したような音が自分の喉から出た。


 わたしの背中を突き飛ばしたのだか、蹴り飛ばしたのだかはわからない。地面に這いつくばらせ、背中にのし掛かり、腕と首裏を押さえつけてきたのは、さっき会ったばかりのドミニクさんだろう。というか彼しかいない。

 くそう、まさかあの高さから飛び降りるようなやつがいるとは思わなかったぜ。


 やはり、警備責任者に見つかった時点で、わたしの脱出は失敗していたようだ。隙を伺い次の作戦を立てるしかない。ドミニクさんに押さえつけられて痛いので、可能な範囲でじたばたとしてみる。すると、上から重さが退いた。


「えっと………すまん、つい。立てるか?」


 申し訳なさそうなドミニクさんに手を引かれ、埃をパンパンと叩かれる。なんだろう。捕獲されたと思ったけれど、違うっぽい………?


「………逃げたいのか? ここから」


 静かな問いにわたしはうなずく。そんなの、当然だ。

 訳がわからないまま、鎖に繋がれるここの生活は息が詰まる。ケイレブの人柄をわたしはまだよく把握していない。

 ついでにあの執着は生理的に怖い。エルレウムさんの執着もどうかと感じていたけれど、ケイレブはそもそも目が怖い。いくら『あいつ』にそそのかされていたとはいえ、わたしに変な腕輪をつけた、あのやり口はひたすら気に入らなかった。


 本格的に身体も繋がれる前に、逃げ出したい。せめて時間をかけ、説明をして欲しかった。婚姻するのだというのなら、わたしの同意も求めて欲しかった。まぁ、全力で断るけど。


「そうか………その、逃がしてやろうか?」

「え?」


 押さえつけられていたせいでじんじんと、手のひらと、膝と、顎が痛い。きっとすりむいているだろう。ついでに背中も痛い。

 けれど、ドミニクさんの言葉は意外すぎた。意外すぎてそれらの痛みを一瞬、忘れた。


「ここから馬で少し行くと、森の中に俺の出身村がある。まさかそこにあんたがいるとは誰も思わないだろう。兎獣人の村だが、普通の人間も暮らしてる。外との行き来が少ない村なんだ。俺の息子たちが住んでる。………そこで、しばらく暮らしてみないか?」


 どうしよう。


 渡りに船の申し出なのは間違いない。けれど、それに飛び付いて、騙されないという保証はない。ドミニクさんのことだって、わたしはよく知らないのだから。

 エルレウムさんのときは運が良かった。あんな幸運がまたあるとはとても………いや、幸運………?

 幸運さんが、今回もお仕事してくれていることに賭けてみたい。


 どのみちもう、逃げられそうでもないし………と悩んでいたら、ドミニクさんに苦笑された。


「とにかく、夜は門も開かない。金はあるか? 安全な宿を紹介する。明日までの間にどうするか決めてくれ」

「明日までの間に、わたしが逃げたらどうするの?」

「俺の知り合いの、犬獣人の宿なんだ。もしもソフィーが逃げだしたら、匂いを辿って探し出して、ケイレブ様につき出すよ」


 時間が稼げた、と思った。

 匂いさえどうにか出来れば、そこからだって逃げ出せるかもしれない。


 問題は、門だろうか。門のことは考えていなかった。すんなり出られるものかどうか。出るときに必要な手続きについてもわからない。それに、わたしが人を探す立場なら、真っ先に門に知らせを出すだろう。きっと既に手は回っている。


 わたしはフードを深く被る。街はほとんど寝静まっていて、胃が痛くなるような静けさの中を、わたしたちは歩いた。

 こんな時間でも明かりが点いているのは大抵、大きな店舗の裏口のようなところで、飲み屋街のようなところさえ、静まり返っていた。

 時々、酔っぱらいらしき人影が、地面に転がっている。吐瀉物らしきものが、暗闇にぼうっと光った魔法のタイルの明かりと共に消えていった。


 わたしが連れていかれたのは裏路地にある、あんまり繁盛しているようには見えない、おんぼろ宿屋だった。

 一階は飲み屋になっていて、深夜だというのに三人の獣人がそれぞれ別の席で酒を飲んでいた。床にはよくわからない汚れがこびりついていて、ゴキブリがいそうな感じがする。


「ドミニクじゃねぇか」


 犬というより、どう見ても狼にしか見えない頭が男の声でそう言った。


「どうした、こんな時間に」

「悪いがしばらくコイツを預かってくれ」

「………一晩十シルブ、食事はまともなもんなら一回につき半シルブ、食えりゃいいってんなら………まぁ、三十キブだな」

「手付けだ」

「ああ」


 高い。ものすごく高い。こんなところで出てくる食事なんて、ニキブがせいぜいじゃないのだろうか。下手したら一キブだって足りるだろう。それとも隠れた名店なのか。それにしては、時間的なものを差し引いても、繁盛しているようには見えなかった。

 宿代だって、十シルブもするのなら、かなりの高級宿だろう。『大鷲亭』のサービス代込み一泊料金より高い。


「二階の奥から二番目の部屋だ」


 いかにも慣れたやり取りだった。狼頭に鍵を渡され、わたしはドミニクさんと、やたらきしむ、狭い階段を上る。気を付けないと、脛をぶつけそうな階段だ。


 そして、案内された部屋は、ものすごく狭かった。ベッド、テーブルとは言えない小さな台、台の上には一応綺麗っぽい水差しと洗面器。幸いなことに、トイレだけは室内にあってくれた。おまるとかだったら泣いてた。


 古くさくて、どことなく淀んだ空気の部屋だ。

 こんな部屋なら、一シルブも払えば十分だと思う。それが、これで、十シルブ。


「風呂はない。入りたいときはさっきの犬に言えば湯が貰える。食事も同様だ。俺は明日、また来る」


 あんたの安全の為にも逃げるなよ、と念押しして、ドミニクさんは出ていった。


 入り口の鍵が頑丈そうなことだけは、良かったと思う。あと、廊下がきしむせいで、人が通るとすぐにわかる。


 一人になった部屋で、上手くいったのか、それともこれは失敗だったのかと、わたしは悩みながらもため息を吐いた。


 窓は小さいものがいくつか。採光と換気は十分できるし、かけられた、薄汚れているカーテン向こうに外の景色はきちんと見えるけれど、窓を破って人が通るのは無理な大きさだった。


 ベッドは固い。固いけれど、思っていたよりも清潔そうな感じはする。シーツには糊がきいていて、お日様の香りがした。


 わたしが部屋を探検していたら、廊下の軋む音がした。狼頭の声で「メシはいるか?」と聞かれたので「いらない」と答えておいた。どうやら扉と壁は薄そうだ。独り言には気を付けたほうがいいかもしれない。


 ここは、なんだか怖いところだ。部屋に侵入されない限りは安全そうだけれど、人を入れたりはしたくない。


 とりあえず、わたしは《袋》から『安全な隠れ家』を取り出した。その中に入ってしまえばより安心だ。冷蔵庫も電子レンジも、最新の高反発マットレスのベッドにユニットバスもある。


 中に入って冷凍食品を温め夕食を取り、デザートにはコンビニスイーツのプリンを食べた。


 食べながら、これからどうしようかと悩む。


 このまま一人で逃げるか、ドミニクさんの言う村に連れていってもらうか。そもそもこれは状況が悪転しているのか、好転しているのか。


 一応、この世界でわたしは幸運な星の下にあるはずだ。実際にそこまで大変な思いをしたことがないし、本当にどうしようもなくなったら、『あいつ』が何かしらの方法で助けてくれそうな気がする。なんといってもわたしは『あいつの可愛いペット』らしいのだから。


 けれど、ドミニクさんはケイレブ以上にほとんど人柄を知らない男性だ。かよわいわたしとしては、警戒せずにはいられない。


 ………よし、運試しだ。


「どちらにしようかな、天の神様の言うとおり………」


 こういうときこそ神頼み。神様がこの世界にいるとは思えないけど。そして『あいつ』に頼りたくもないけど。


 こっくりさん、ウィジャボード、ダウンジングロッド、あの辺りでどうにかならないだろうか。


「迷ってるときに道を示す道具が欲しい」


 わたしの願いに応えふくり、と『袋』が膨らんだ。中から出てきたのはダウジングチェーンだった。銀色の細い鎖の先に、とても綺麗な深い青色の石がついている。青というか紺色、それとも藍色………とにかくそれ系の、金色の星が瞬くような、キラキラとした輝きが散りばめられた石だ。

 しばらく経ってからラピスラズリだ、とやっと石の名前を思い出した。


 こういうのって、水晶が定番だと思っていたけれど、ラピスラズリもアリなのだろうか。オカルトに詳しい訳じゃないし『あいつ』はともかく《袋》は絶対だ。信じることにしてみよう。


 ………ラピスラズリを見て『あいつ』の目みたいだと思ってしまったのはなんだか悔しかった。


 美しいだけじゃなく、不思議な魅力を持った石だ。部屋にある、あまり明るくはない照明の下では、ずいぶんと神秘的に………


「あれ?」


 透けてる?

 ラピスラズリって、透けない石だったような………?


 ただ、わたしは宝石や貴石の類いには詳しくない。単にわたしが知らないだけで、そういうものもあるのかもしれない、と深く考えないようにした。


 ダウジングチェーンの使い方だって、実はよく知らない。けれど、なんとなくこうだろう、で今まで《袋》から取り出した道具たちの扱いはなんとかなってきた。今回もきっとそうなるだろう、たぶん。


わたしは《袋》から紙とペンを取り出し、yes と no と大きく書く。その上にダウジングチェーンを垂らして、質問を呟いた。


「ドミニクさんを信用しても大丈夫なのかな」


 ぐいんと、先端の青い石が動いた。………こういうものって、よく知らないけれど、だんだんゆらゆらと揺れていくものじゃなかったのだろうか。はっきりと、くっきりと、分かりやすくぶんぶんと青い石が、yesに向かって揺れている。こうまで分かりやすく結果が出るとは思わなかった。わたしが占い師になる日は近い。


 少し怖いと思いつつも、揺れる鎖をもう一方の手で押さえた。今度はピタリと揺れないところが不自然過ぎてすごい。


 次の質問だ。誰かに聞かれないよう、やはり小さな声で質問をわたしは呟いた。


「ドミニクさんの言っている村に着いていくのは安全だと思う?」


 ぐいんとまた、大きくはっきり、分かりやすく青い石が動いた。今度もyesの方向だ。


「うーん………」


 警戒を怠らないほうがいい、けれど、ドミニクさんの言っていた村には着いていったほうがいい、ていうことか。


 わたしは『安全な隠れ家』を畳むと、宿の備え付けの、少し寝心地の悪いベッドで寝ることにした。寝た形跡がないと、あとあと、何か疑われたら厄介だ。



























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