第22話 貴族の衣装はカラフルです
わたしは一人きりの部屋で、窓のカーテンを閉める。明るい日射しが遮られたので当然、室内は薄暗くなった。《袋》から、わたしは電池式のLEDランタンと『魔法のお香』を取り出す。
このお香から煙が上がっている間、わたしの行動は外部には絶対悟られないはずだ。………たぶん。『あいつ』のその辺だけは一応信頼をしている。効果が無かったら、次に会った時はどこにとは言わないけれど噛みついてやろうと思う。
「キツムの街の、みんなの安否を知ることのできる道具が欲しい」
声に出した方がより効果がありそうで、声に出して祈りながら、わたしは《袋》にそっと手を入れる。指が何か、硬いものに触れた。
「うわぁ………」
台無しだよっ!と叫びたくなった。
出てきたのはなんと、スマホだ。なるほど、これさえあれば、アプリ次第であれこれできてしまいそうだ。
でも、だ。けれど、でもいい。
魔法の存在はまだはっきりと確認できていないけれど、魔物がいて、剣で戦うようなファンタジーな世界なのにスマホ。それっぽく、水晶玉とか何かの魔法道具をわたしは期待していた。水晶や宝石の埋め込まれた、金の表紙の羊皮紙本だとか、月長石と蛋白石の埋め込まれた鏡なんていうのもどうだろう。とても『らしい』ではないか。
………なのに、スマホ。スマートフォン。モバイルフォン。携帯電話!風情というものをわかっていないぞ、あの男め。この世界で、わたし以外の誰がスマホを持っているというのだろう、とてもとても通話機能が意味を為さないじゃないか、と嘆きたくなる。
それでもやはり、文明の利器。きっと役に立つはずだ。
いきなりこちらに来てしまったわたしだけれど、元の地球の日本での生活を完全に忘れたわけではない。便利な道具は使い倒させていただこう。
電源を入れてみる。起動の画面がとても懐かしい。
「………これ」
待ち受け画面になる。見たことのある画像………これ、わたしが使ってたスマホだ。
こちらの世界に、わたしは身一つで来た。あの青い空間にいるときはまだ着ていた服さえ、キツムの街にいるときは地球のものではなくなっていた。
望めば《袋》から使い慣れたわたし所有だった道具類を取り出せるなんて、それは想像していなかった。
でも、これで、どうやってキツムの街にいる住人の安否を調べろというのだろう。メールやメッセージアプリ、SNSは繋がるわけがない。ニュースサイトや住人名簿みたいなものにアクセスできるわけもない。
あれでもない、これでもないとしばらくいじっているうちに、魔法のお香は燃え尽きてしまった。危険はおかしたくない。諦めて、わたしはスマホを《袋》にしまい、さらに《袋》は指輪に収納した。
ちょうどそこで扉がノックされる。
「お茶をお持ちいたしました」
部屋に入ってきたのは予想通りナランで、どうやらお茶の時間らしかった。
よく冷やされた、金色っぽいお茶。ふわりと花の香りが鼻に抜けた。わたしが知っているものでは金木犀に近い。秋口の、あんなに甘ったるいものではなく、ほのかな香りはとても上品だ。
この部屋に時計はない。さっきのスマホの時計からするに、ナランがティーカップを並べたころはちょうど、地球における午後三時くらいなのだろう。………こちらが一日二十四時間かさえ、実はまだ確認が取れていないのだけれど。
添えられていたのは、シュークリームに似た、かなり小さい一口サイズの焼き菓子。皮はしっとりとサクサクの間で、中にはとろりとした、カスタードクリームというよりはプリンに似たものが入っていた。
「ソフィー様、毎日退屈でございましょう」
いえ、別に、退屈ではないです。お菓子を食べてしまったわたしの手を、塗れ布巾でナランが綺麗にしてくれる。今のお菓子なら、フォークを添えてくれても良かったのに、と今さらちょっとだけ思う。
「今からですと、明日になってしまいますけれど、仕立屋など呼んでみるのはいかがでしょう?」
「………結構な枚数の服があったよね?」
急いで揃えたもので申し訳ないけれど、と言われて見せられた衣装部屋をわたしは思い出す。かなりの枚数の衣類があそこにはあった。毎日違う服を着ても、二十日以上は過ごせそうだ。………現在、わたしは一日四、五回、多いときにはもっとの着替えを要求されているので、その上での二十日以上、という辺りに何かを察して欲しい。
それでも、ナランはわたしの言葉に首を振る。
「あれは、ソフィー様に合わせて仕立てた服ではございませんから」
なるほど。どうやらプレタポルテではなく、オートクチュールの服やらドレスやらを、ナランはわたしに買わせたいらしい。『プレタポルテ』なんて言葉、初めて使ったかもしれない、わたし。
どうせ、わたしの予算はたくさんあるらしいのだ。土地無し貴族だというケイレブの収入はきっと、ほぼ『ラダマ』からだろう。それならば遠慮することはない。せいぜい使って経済を回してやればいい。
オートクチュールの服なんて、初めてだし。
高校入学時の制服採寸のような気持ちでいたわたしは、ちょっとだけめんどくさいと思いつつも、うなずいておいた。
その結果、わたしは翌朝、かなり早い時間に起こされる事になった。ジネヴラのところにいたときよりも早い。
早くに起こされ、朝から風呂に入れられ、完璧にドレスアップさせられた。普段ならこの時間は締め付けもなく動き易いデザインの朝用ドレスなのに、これはたぶん夜向けか、昼向けの正装か、なにかそれに近いものだ。
普段、エドガーさんとムンフとナランしか見かけない家の中には四人程の女性使用人がいつの間にか増えていて、支度一連はなんだか嵐のようだった。嵐というか、もはやこれは洗濯機に押し込まれた洗濯物になった気分だ。
もうやだ………帰りたい………ここが今の家だけど………ベッドの中に帰りたい………とわたしがやさぐれかけた頃に、やっとの朝食。
ドレスを汚さないようにだろう。食事は全て小さな一口サイズに切り分けられ、ソースやスープは存在していなかった。水分は女性使用人がグラスを口元まで運んでくれる。なんだろうこの介護されてる感じ。いたたまれない。もうやだお家に帰りたい。ここが今のわたしの家だけど。
『ラダマ』開店の鐘が鳴る頃、仕立屋というか、『ラダマ』の仕立屋部門の人間がやってきた、沢山の手伝いらしき人間を連れて。
あんなに頑張って来たドレスを脱がされ、採寸される。採寸自体はスムーズだったし、早かった。
でも、そのあと、何着も試着をさせられたのはいけない。なんで、オーダーメイドだってのに、こんなに試着をさせられるんだ。まずはデザイン画じゃないのか(わたしの想像)。
もう、これらの試着ドレスをお買い上げでいいじゃないだろうか………朝食着と昼食着まではそれで行けるって………。来客用でさえなければいいって………。
疲れきったわたしがそう思い始めた頃、やっと試着の嵐は収まった。嵐はひとつでけっこうですのよ、地盤が弛みますからね………。
やっと、やっと休める。そう思ったわたしは、ぐったりとソファに身を預けた。ちょっと目を閉じて、ため息と思われないよう、ゆっくりと息を吐く。
部屋の中には台が持ち込まれ、そこに各種布、宝石、鎖、リボン、紙束などがどんどんと並べられている。次の台風が発生した模様。被災地の方々はお気をつけください………。もう、もう、もうやだ、わたし、帰る!
コトリ。
かすかな音に目を開いたら、ジャスミンティーに似た香りのするお茶が置かれていた。添えてあるのはグミみたいなお菓子だ。わたしは斜め横を見上げる。
「ねぇ、ナラン」
「なんでございましょう」
この部屋の中で、わたしが名前を知っているのはナランだけだ。今日はムンフも、エドガーさんもいない。頼れるのはナラン、あなただけ!
一応、わたしは貴族の妻ということになっているのだから、きっとたぶんおそらくちょっとくらいのわがままは許される筈だ。というか、許してほしい。
「疲れちゃったの、続きはまた今度にできない?」
「まぁ………もうお疲れになってしまわれたのですか? ここからが楽しいのですよ?」
そう言ったナランの目は輝いている。キラキラしている。彼女にとっては楽しいのだろう、けれどわたしは全くもって楽しくない。
三着目までは良かった。それは一応認めよう。けど、きっと、二十回は着替えさせられた。やっていられない!とわたしが思うのは仕方のないことだろう。
「せめて、しっかり休憩させて」
茶器に触れた指がじんわり、温かくなってくる。
部屋に帰りたい。寝たい。ゆっくり良い香りのするぬるま湯で体をほぐして、良い香りのお茶をいただいて、ふかふかのお布団で休みたい。
グミに似たお菓子を口に運べば、ほわりとフルーティーな香りが広がる。これはライチの香りだろうか、こちらではなんと言う名前の食べ物なのだろう。
わたしだって、ちょっとは楽しみにしていた。けれど、オーダーメイドで服を作るということが、こんなに疲れるものとは微塵も思っていなかった。………いや、絶対現代地球だったら、ここまで大変な訳がない。一度にたくさん注文しようとするのがいけないんだ、絶対。
そう思いながら、二つ目のグミに似たお菓子を口に運ぶ。こちらはリンゴの香りがした。
「今注文したら、絶対変な趣味の服ばっかり注文しそうだし………あと、背中のマッサージもお願い」
背中がバキバキ言いそう。
しぶしぶながら、ナランは仕立屋部門の方々を帰してくれた。わたしは使用人に背中のマッサージをしてもらい、そのまま昼食も取らずに夜まで寝てしまった。お陰で夜、なかなか寝られなくなって大変だった。
翌朝、さすがに昨日のようにフルでドレスアップさせられることはなく、普通に昼間のプライベートドレス姿でわたしは仕立屋部門の人間と向き合わされた。さっきまでは『ラダマ』の支店長、フランクリンも一緒に来ていて、昨日は失礼があって申し訳ありませんでしたと謝られた。ごめんなさい、どちらかといえばわたしのワガママです。
ところでわたしの日常は今のところ、ほぼ着替えだけで終わっている。
どうやら貴族というものは、朝食着、午前着、昼食着、午後着、夕食着と数時間おきの着替えを必要とする生き物らしい。そういや近世ヨーロッパ貴族がそれに近い生態だったと何かに書いてあったのを見たことがあるかもしれない。
ただ、わたしが着用しているのは中世や近世ヨーロッパのドレスみたいなものではない。
わたしの衣装、そこまで現代日本の感覚と大きく変わらないんだよ………? ねぇ、何のためにそんなにお着替えが必要なの………? 午前は上品なワンピース、夜はフォーマルなドレスって雰囲気が強いけど、お出かけも来客もあまりないわたしが、何のためにそんなにお着替えするの………? お客様が来たらどうせまた着替えるんだよ………?
実際には午後に昼寝タイムをわたしが要求するため、午後着①、昼寝着、午後着②となっていることも書き加えておく。先程も言ったがわたしの日常はほとんど着替えだけで時間が消費されている。
「昨日ご試着いただいたドレスの中ですと、ソフィー様はこの辺りのデザインがよくお似合いになられるようです」
丁寧な謝罪をしたフランクリンが帰っていくと、今度は仕立屋部門の人間の手により、色とりどりのデザイン画をずらり、と並べられる。デザイン画なんて初めて見るのだから、自分が着たときにどうなるのかがよくわからない。けれどいくつかは『無い』と言いたくなるものがあったので、それはやめておこうと心に誓う。
それから、布をあれやこれやと見せられたのだけれど、やっぱり、出来上がったものを着てみないとわからない。オーダーメイド、手強い………!
「午前中の室内パーティー用と屋外パーティー用、昼食会用にピクニック用、午後のお茶会用に夕食会用、それと晩餐会用に観劇用とお忍び用、室内での来客用のドレスが最低限必要です」
ナランに言われ、今以上にお着替えが必要なのだと知る。………えっと、とにかく、貴族にはドレスが沢山必要なことは理解できた。わたしはデザイン画からいくつかの奇抜過ぎるものを排除にかかる。
「この辺りの派手なものは好みじゃありません」
「でしたらこちらとこちらでは、どちらがよろしいでしょう?」
仕立屋部門の人間は、ムンフくらいの世代の奥様っていう雰囲気の女性で、わたしとナランの会話をじっと聞いている。わたしと会話をしてもいいのはナランだけ、ということらしい。
「あんまり違いが………あ、ここのレース? は無いほうが好きかも。でも、ここのひだはお腹のぽっこり誤魔化せそうで素敵」
チラリ、とナランがわたしの腹部をチェックしたのがわかったので、わたしは腹筋に力を込める。二の腕たぷたぷも誤魔化せそうなデザインがいいです。若返ってからはそんなに二の腕は気にならないけれど、そこまで細いわけでもないので。
布も、どの布が似合うか、よりも、手触りや色合いを重視で良いらしい。わたしはサーモンピンクの布が特に気に入ったので、それを言っただけだった。後日、仮縫いができたらまた試着して、最終調整をするらしい。
そういえば、キツムの街ではアースカラーが人気らしいけれど、ここではそうでも無いらしいな、と室内にズラリと並んだ仕立屋と仕立屋部門関係者、わたしの護衛と称する数人、下働きの控えの数人、ナランの衣装を見て思った。
ところでわたしがグミだと認識していたものは、干し果実らしい。ドライフルーツ、あんな食感だったかな? と疑問に思ったけれど、きっと果物自体が地球とは別物なのだろう。
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