第21話 支店長

 ラダマ商会、ギラウサ支店。

 わたしが住んでいる建物の一階には、上品な飾り文字でそういうことの書かれたお洒落な看板がついている。

 商会、というよりもわたしの感性だと百貨店と呼びたくなる。そんな商会のワンフロアの大きさは………まぁ、これはあくまでわたしの感覚だけれども、個人宅にしてはやたらと広い。

 よって、居住スペースである五階もそれなりに広い。


 わたしの身の回りの世話を主に行うのは、女性使用人であるナランだ。彼女は中肉中背、日本にいたときのわたしよりは年下に見えるけれど、今のわたしよりは年上に見える。年齢は二十代後半くらいなのだろう、と勝手に思っている。

 でしゃばらず、かといってわたしを放置することもなく、痒いところに手が届く、を体現したようなよくできた人だ。


 ナランに連れられて応接室に入る。応接室には少したるんだ体型の、どこにでもいそうな普通のおじさんと、控えめながらもかなり高そうな装飾品をじゃらじゃらと身に付けた、少しふくよかなおばさんが、立った状態でこちらに頭を下げて待っていた。


「お初にお目にかかります。『ラダマ』ギラウサ支店の支店長を勤めさせております、フランクリンと申します」

「妻の、エリザベトと申します」


 フランクリンさんと、エリザベトさんはわたしに向かって、深々と頭を下げてきた。


 なんというか、営業のサラリーマン夫妻という印象を受けた。さしづめわたしは系列会社の会長の愛人といった立場だろうか。………うわ、嫌な立場だ、わたし。


 ナランに促されるまま、わたしはフランクリン夫妻を無視して上座らしい席に座った。わたしが座った席の斜め後ろに彼女が控えるのが、振り返らなくても衣擦れの音と気配でなんとなくわかる。

 もう一人の女性使用人であるムンフの手で、わたしと夫妻の前に茶器が並べられていく。


 そのままムンフから茶に口をつけるようにと合図をされたので、わたしは青い色をしたお茶らしい飲み物を一口いただく。まだ挨拶前なんだけど。挨拶まだなんだけど。めちゃくちゃ目の前のお客様立たせたまんまで待たせてるんだけど。


 ところでなんで、お茶の色が青いんだろう。………なんで、普段飲んでいる茶色のお茶を出さないんだろう。香りは良いけど。おいしいけど。………えっと、確か、マロウかなにかのお茶が青いんだったっけか。マロウティー、飲んだことないからこれがそうなのかはわからないけど。で、マロウティーはレモンを入れると色が変わるとかなんとか………だっけ?

 飲んだことないからよく知らないんだけど。こちらではそういう楽しみかたはしないのかな。


「こちらのお方がソフィー様です。フランクリン、どうぞ、楽にしてください」


 どうしたらいいのか、さっぱりわからないでいるまま、わたしはゆっくりと茶器をテーブルに置いた。そのタイミングで口を開いたのは、この屋敷の執事的な立場であるエドガーさんだ。彼の役職名を正確には知らないけれど、この屋敷の管理をしていて、なんとなく雰囲気が執事っぽいのでわたしはエドガーさんを執事だと認識している。


 ありがとうございます、と言いながら、フランクリンさんとエリザベトさんは頭を下げた体勢のままに体の向きを直し、わたしが座ったソファーの対面に腰を下ろした。

 

 頭を上げてわたしを見た彼らが、はっきりと息を飲んだのがわかる。


 けれど、それは一瞬のことだった。さっと下を向き、再び顔を上げてこちらを向いた顔は穏やかに営業スマイルを浮かべている。ちょっとだけ、なんだよ、と思わなくはない。

 わたしの顔がどうしたというのだ。


「とてもお美しい方で驚きました。化粧品や装飾品について、新しい商品をすぐにでも取り寄せたいところです」


 フランクリンさんの言葉に、はいはい、お世辞お世辞、とわたしは内心で呟く。………そりゃ、褒められたんだから、ちょっとだけ、ホントにちょっとだけは嬉しくはあるものの、どうせ営業トークだとわかりきっている。セールスマンなんて、そんなものなのだ。


「ありがとう」


 だからわたしは一言だけでそう返す。


 こちらに来てから、どうやらわたしは見た目が若返っている。認めるけれど、そんなにわたしの造形は変わっていない筈だ。若い頃、そんなに容姿のことで褒められたことはなかったし、モテた記憶もない。これがお世辞や社交辞令でないのなら、フランクリンさんの美意識がおかしいってことになるだけの話だ。さすがに初対面だから、嫌味とまでは思わないけれど。


「フランクリン、それで、ソフィー様のお探しになっている商品は見つかりましたか?」


 できる男、エドガーさんが本題を切り出してくれる。そう。今必要なのはお世辞じゃない。お香だ。わたしはお香が欲しいのだ、あれこれ考えたけれどやっぱりお香がいちばんしっくりくる。時間も計れるし、良い香りだってする。立ち上る煙を眺めてぼーっとするのもありだ。わたしはお香が欲しい。


「お問い合わせのあった商品ですが、今のところ、『ラダマ』での取り扱いはございません。全支店に通達を出し、国内外問わず、どこかに扱いがないかを調査中でございます」

「ギラウサで手がかりが無いということは、余程珍しい商品なのですか?」


 エドガーさんがフランクリンさんに質問をしておる様子を見つつ、わたしは内心で首を傾げる。


 この世界にも、燻製肉はある。日本だって縄文時代には燻製料理があったらしいと何かで聞いたような気がする。燻製のチップを変えることで燻製肉の香りを楽しむことはなかったのだろうか。あるいはモンスターや人同士の戦闘の前に、興奮作用のある植物を燻して意識を高揚させる文化はなかったのだろうか。興奮作用のある煙や香りを見いだしていたとしたら、鎮静効果のある煙でリラックスする文化は絶対あるはずだ。


 物語にありがちな『魔物避けの香』だって、きっとどこかにある筈だとわたしは考えている。キツムの街からここに来るまでに、商団がそういうものを使っていた様子はなかったし、今まで見たことはないけれど、絶対、どこかにはあると思う。


 結局、フランクリンは最高品質だとかいう、なにやら繊細そうな小瓶に入った香油を数種類置いて帰っていった。


「こういったものではないのですよね?」


 フランクリン夫婦が帰り、置いていった小瓶を並べながらのエドガーさんの言葉に、わたしはうななずく。


「この辺りには、香りの良い木を室内で燃やして、香りを楽しんだりする文化は無いんですか?」

「あんまり、聞いたことの無いお話ですねぇ」


 ムンフが頬に片手を当て、首を傾げている。エドガーさんはうなずいてるけれど、これはきっと『わからない』に対する同意だろう。


「わたしも初めて耳にいたしました」


 ナランも同じ仕草をした。ムンフとナラン、二人の首の角度が一緒でちょっと、面白い。


 香水は汚物臭を誤魔化すためだとか、お風呂にあまり入らなかったから体臭を誤魔化すためだとか、本当か嘘かはわからない、そんな説がまことしやかに語られていた元の世界とこちらとでは、そもそもの香りの文化が違うのかもしれない。少なくともこちらの世界のお手洗いは基本的に、すべて水洗だ。

 どういう仕掛けかまではさっぱりわからないけれど

 、確かギリシャ文明とかでも水洗トイレ的な仕組みがあっただとか、日本だって川を利用して肥溜めシステムではないトイレがあったらしいのだから、なんの不思議もない。


 ちなみに、香水は汚物臭を誤魔化す説は嘘だという設もあるらしい。本当のところをわたしはやはり、知らないのだ。


 わたしは小さく切った布を何枚かテーブルに並べ、それぞれに香油を数滴ずつ垂らしていく。こちらの世界にも紙は普通にあるけれど、なぜか布と紙では布のほうが安いときがあるのだ。それらを一枚ずつ、パタパタさせては空中に漂う香りを確認していった。


「わたしが欲しいのは、植物を蒸したり練ったり乾燥させたりして粉にしたあと、更に練ってからスティック状にしたものです。火をつければゆっくりと、長い時間をかけて灰になっていく品物で、燃える時に煙を出して、良い香りを楽しんだり、香りの組み合わせによっては虫を追い払ったりする効果があったみたいなんです」

「虫を?」


 別に、調香の趣味があったわけじゃないし、何かの香りに拘りを持ったことがある訳じゃない。けれど、わたしにだって香りの好き嫌いはある。

 理想はこの香油をブレンドして、わたし好みの香りを身にまとうことだけれど、今の目的はそうじゃないし、欲しいのは時間を計れて香りも楽しめちゃうお香だ。服に香を焚き染める、みたいなお洒落を一回だけでいいからやってみたいような気もしている。煤がついたらいやだから、やらなくてもいいけど。


 『お香』に関する捜索だとか開発だとかの作業は、外注すべき案件だろう。わたし詳しくないし。


 貴族の妻の一人として、わたしにはかなりの予算があるらしい。そのお金を管理しているのはわたしでは無いけれど、使いきったところでわたしにはあの『袋』がある。


 自室に戻ってから、わたしは気に入った香りを数滴、細い、乾燥させた木の棒に垂らしてみた。この棒を用意したのはナランだ。火を着けてみる。


 ………なんか、違うけど、とりあえずはこれでいいかな。


 要はそれっぽければいいのだから。

 とりあえず、わたしはわたしが欲しいものを手に入れることが出来たのだろう。

 エドガーさんたちから、わたしの想像していた『お香』や『蚊取り線香』について詳しく聞かれたので、知っている限りの説明はしておいた。きっと、どこかの誰かが、わたしの曖昧な記憶に振り回されるのかもしれない。


 ………ふと、砂時計でも良かったのでは?と思ってみたけれど、それは考えなかったことにした。














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