第19話 再会

 部屋が準備出来ていないとのことで、案内されたのは居間らしい部屋だった。応接室ではないだろう。資産家らしく気取った雰囲気はここにもあったものの、どこか、他の部屋と比べるとくつろいだ雰囲気がある。


 それでも、日本でもこちらでも、平々凡々な生活レベルでしかなかったわたしにとって、ちょっとお高め感のある部屋なのは間違いない。数えるほどにしか入ったことのない、取引先の社長室よりもここのインテリアは上品に感じる。


 ソファーはスプリングというより、何かがみっちり詰まった感じの座り心地で、布はゴブラン織りに似ていた。揃いのクッションがいくつかあって………やっぱり高級感がすごいです。

 ………これ、どうやって寛げと………? 使い慣れれば慣れられるものなの………?


 激しく戸惑いながら、わたしはケイレブとお茶をいただいている。紅茶や緑茶というよりは、ハーブティーなのだろう。薄めの色合いのお茶からは、なにかの花の香りがした。ふくよかな薫りとはこういうものなのかと、わたしはゆっくり、温かい薫りを吸い込んだ。


 味もおいしい。ほのかに渋みはあるけれど、どちらかといえば、緑茶に近い甘味を感じた。ここまでの移動中に飲んでいたのは麦茶に似た風味の飲み物で、それなりにおいしかったけれど、断然このお茶がわたしは好きだ。これはよそ行きのお茶なのだろうか、普段使いのお茶なのだろうか。


 茶器は紅茶用のものとほぼ変わらない。お茶を堪能して、ソーサーにカップを置くまで、かなり時間をかけてしまった自覚がある。


「ここは、俺の拠点のひとつなんだ」


 わたしが話を聞ける程度に落ち着いた事を見てとったのだろう。ケイレブはそう言って、キラキラしい笑顔を浮かべた。何度見たってこの男はやたらとキラキラしい。どんなエフェクトが発生しているのか、といつも思う。


「本当はヤレヨイの屋敷に連れていってあげたいけど、そうすると余計な奴らの目に留まってしまうだろうし、あの屋敷では君も落ち着かないだろうからね。どうか君にはここで穏やかに俺を待っていてほしい」


 わたしをここに置いて、出かけるつもりなのだろうか。いや、それ、いろいろと無理があるのでは………? とわたしは思う。なんたって、忌まわしいこの腕輪がある。物理的に距離が離れるだけで、わたしは苦痛を味わう羽目になるのだ。これがある以上、わたしはどこまでも彼に着いていくしかない筈だ。


「腕輪の設定も変更して、この街の内では君も自由に移動できるようにしようと思う。この街の中で、君には僕の妻として振る舞ってもらうからね」


 なるほど、設定変更が出来るものだったのか。どうせならさっくりとこの非人道的で物騒な腕輪なんて解除していただきたいものだ。


「早急に離婚してくださいね」

「どうしようかなぁ、まだ結婚出来てないし、それは嫌だなぁ」


 からからと笑われましても。わたしに、出会って即誰かと結婚するような情熱はない。特にこんなキラキラしいイケメンと夫婦になんて、なりたくはないのだ。なぜ自分が妻に望まれているのかだって、わからない。

 あれか、『何故かわたしがやたらと魅力的に見える』とかいう謎のバグみたいなあれだろうか。やめた方がいいよ、きっといつか、わたしがどこにでもいる平凡顔でアラフォーに片足を引っかけた女だっていつか気づくだろうから。きっとものすごくがっかりするだろうから。


「書類が整い次第、婚姻は成立するからね。夜にはきっと、俺と結婚して良かったと思わせてあげるよ」


 ぞわっときた。

 ヤバい、切実に《袋》が欲しい。何とかしてここから逃げられないものか………と思ったけれど、あの苦痛を味わうのはもう嫌だ。月のものが来てるってことにして、何日かだけでも夫婦的なあれこれから逃れられないだろうか。悪徳代官に連れ去られた茶屋の看板娘の気持ちを今、ひしひしとわたしは感じている。


「子供は何人いたっていいからね、安心していい。大事にするよ」


 手を取られ、親指で手の甲をなぞられる。ぞわぞわした。どれだけキラキラしいイケメンだろうが、こいつの中身はセクハラ親父よりタチが悪い。なんたって、拉致監禁だ。いや、そもそもは拉致じゃなくて、魔物の群れから助けてもらった訳ですけども。


 わたしの部屋とやらの準備が出来たそうで、わたしはそちらに案内された。


『夫婦の部屋』ではなく、『わたしの部屋』というところにだけは非常に安心した。

 ケイレブはこれからお仕事があるそうだ。移動中はそんな素振りをほぼ匂わせなかったくせに、わたしを己のテリトリーに連れ込んだからか。さも恋人同士か新婚の夫婦がするように、挨拶のキスを要求された。

 わたしの故郷では婚姻するまでそういう行為は厳禁なのだと言い張っておいた。ヤバい。話が上手いからって、好感度上げてる場合じゃなかった。ケイレブは真面目に気持ち悪い。


「それでは奥様、こちらへどうぞ」


 ムンフとナランに連れられて、部屋を移動する。

 ………あれ?奥様って言った?婚約者じゃなくて?


 首を傾げつつ、案内された部屋へと足を踏み入れる。


 途端、世界ががらりと変わった。


 そこは、静かな、静かな、ひたすら青いだけの空間。懐かしさを感じたことが激しく悔しい。


 先に部屋に入った筈のムンフの姿も、わたしの背後にいた筈のナランの姿も消えていた。


 いる。


 目の前に、いる。


 あの男だ。

 何もない空間に見えるけれど、おそらく彼はソファーかなにかに寝そべっているらしい。もしかしたらベッドなのかもしれない。あの男が流し目でこちらを見ている。ケイレブはやたらとキラキラしいが、こいつは尋常じゃなく美しい。

 彼が身に纏うのは、何やら水面を思わせる、ゆらゆらと印象の変わる不思議な一枚布。ギリシャ風とかじゃなくて、大きなシーツを体に巻つけただけの感じに近い。重要箇所は隠れているけれど、肩とか、太ももが大胆に見えているのはどうかと思う。破廉恥だ。


「忘れ物だぞ」


 言って、彼は布をずらした。

 お胸の上に、わたしがもらった筈の、そして無くしてしまった、あの、なんでも出てくる不思議な《袋》があった。


 セクハラか………っ!!


 大切な場所は隠れている。けれど、かなり際どい。ぎりっとわたしは奥歯を噛み締めてしまった。だって、いくら、芸術的に優れていたとしても、なんだか悔しいしムカつくし、目のやり場に困る。目のやり場に困るっていうのに、美しすぎて目が離せないのだ。


 けれど、そんなことより、あの《袋》はやっぱり欲しい。今まであんまり使ってこなかったけど。でも、あの《袋》さえあれば。


 だって、あの《袋》からは『何でも』出せるのだ。この不愉快な腕輪をなんとかできるアイテムだって、出せるかもしれない。ケイレブという、セクハラ変態監禁野郎から己の身を守れるかもしれない。


 いやいやながら、わたしは彼に近寄り、《袋》を取った。間違っても腹には触れないように細心の注意は払わせていただいた。だって、彼の引き締まった腹ったら、なで回したくなるもち肌なのだ。知ってしまっている自分が悲しい。


 幸いなことに、手首を掴まれるとか、彼からわたしに触れるようなことはなかった。


 わたしがじりじりと近寄り、ぱっと離れる。その間じゅう、彼はじっとわたしを観察するように目で追っている。その目をわたしは見てしまった。


 キラキラというか、ギラギラと言いたくなるほどに強く光を宿す瞳はなぜか、少し優しい。まるで、プールの底で寝そべりながら見上げた太陽だ。


「ねえ、」

「はい、何でございましょう」


 わたしの質問に対し、すぐに返ってきたのは女性の声だった。


 薔薇の花びらのようにしっとりとしていて、磨きあげられた宝石のように艶やかで、蜂蜜のようにまとわりつく、優雅で甘い男性の声ではない。


 ………そこは、ちょっと高級感のある、でもあの不思議な空間と比べたらごくごく一般的に豪華な貴族の家。というかなにをもってわたしは『一般的』だなんて言葉を使ったのだろう。そこは高級ホテルも真っ青なくらい、豪華な貴族のお部屋だ。

『あいつ』との再開は本当に、わずかな時間でしかなかった。


「………えっと、家具の入れ替えってできるんですか?」


 それでも、わたしの手の中に、しっかりと《袋》は返ってきていた。

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