商人貴族

第16話 気がついたときは馬車の中

 馬車にも箱馬車だとか、幌馬車だとか、屋根があったり無かったり、二人乗りだったり四人以上乗りだったりと、きっと種類はたくさんあるのだろう。そしてこれはたぶん、荷馬車ってやつなのだろう。


 ものすごく飛ばしているわけではなさそうだ。時速にしたらきっと、五十キロも出てはいないと思う。早さの見積りは適当だ。本当は十キロでしたと言われても、わたしにはわからないのだから。


 そもそもこの馬車が何頭引きなのか、そしてそもそも馬という生き物が時速何十キロで走るものなのかさえ、わたしは知らない。


 わたしがいるのは荷台で、わたしの周囲には箱や樽がある。視線を動かしてみれば、わたしと同じように、荷物の隙間に布を被った人間が何人か座っている。わたしにも布がかけられていたけれど、厚手で衛生的な感じがした。

 だから、これが人道的な扱いなのか、荷物扱いなのか、ちょっと判断がつかないでいる。


 回りには幌というのだろうか。

 天井と、横に布が張られている。後方はカーテンのようになっていて、布は寄せられ、今は開いている。だから、この馬車の速度があまり早くなさそうだ、とか言っているのだが。


 見えるのはどこまでも続く草原。テレビで見た、アンデス辺りの荒野が近いだろうか。

 少々の草、乾いた大地、埃っぽくて、石とかがゴロゴロしている。ときどき、遠くに集落のようなものが見えていた。


 馬車の後ろには馬が何頭も繋がれていて、おとなしく一緒に走っている。その周囲に、馬に乗った人たちがいち、にぃ………四人。あ、六人。だとすると、前方や横にもああいった人間はもっといるのかもしれない。

 そのうちの一人に手を振られたので、なんとなく、振り返しておく。


「街は!?」


 突然、荷台にいたうちの一人が大きな声を出した。彼女もわたしと同じように、今、あの状況から助かったことに気がついたらしい。


「ねぇ、街はどうなったの!?」


 わからない。それこそこちらが知りたいくらいだ。気まずいというよりは答えたくなくて、わたしは視線をずらしてしまった。

 荷台はまた、静かになった。

 ガラガラとか、パカパカとか、ガタガタとか、そんな音ばかりになる。誰かの、押し殺したようなすすり泣く声は、しばらく続いていた。


 休憩なのだろう、森だか林だか、とにかく木がたくさん見える手前にさしかかり、馬車は止まった。


「全員、降りろ」


 馬に乗っていたうちの誰かにそう言われ、わたしたちはのそのそと荷馬車から降りる。待遇はそこまで悪くなさそうだぞ、と思ったのは、踏み台のようなものが設置されたからで、さらには馬に乗っていた屈強な男たちの手を借りることができたからだった。

 わたしの手を支えてくれた男の顔より、つい、腰にあった剣か何かの武器に目が行ってしまったのは、相手にちょっと失礼だったかもしれない。


 狭かった上に、硬い床だったせいで、身体のあちこちが痛かった。大地の上に降りて、なんとなくほっとする。まだ身体が揺れているような、変な感じがすぐには抜けてくれそうにない。


 おおっぴらに自由にしてもいいのかわからなかったので、控えめに身体を伸ばしながら、それとなく周囲を伺う。馬車は五台。一台だけなんだか小さく高級そうで、あとは似たような荷物運搬用っぽい馬車だった。

 連れた馬はとにかくたくさん。

 あのモンスターの海から助けられたらしい人たちは、二十人から三十人くらいだろうか。

 完全武装というか、なんだか強そうな人たちも同じくらい。


 けっこうな人数だ。


 一人が前に出てきた。どこかで見たことがある気がするけど、思い出せない。もしかして『大鷲亭』のお客さんだろうか。


『大鷲亭』を思い出すと、胸が痛んだ。

 みんな、無事なのだろうか。無事でいて欲しい。わたしだけが助かったとか、そんな事はないと思いたい。


「俺はケイレブ。この集団のリーダーだよ」


 わたしのいる位置から、顔つきまではよくわからなかった。ケイレブと名乗ったその男は他のみんなよりも身なりがいい。お金持ちなのだろう。あの高級そうな馬車がよく似合いそうだった。


「俺たちは街を移動する商団でね。あんなことがあって、俺たちも驚いている。助けられる範囲の人間は助けたつもりだ。ここまで来ればもう安心だろう」


 ………いや、近くで見ないとよくわからないけど、やたらとキラキラしい気配を感じる。雰囲気イケメンというやつなのだろうか。


「あんたたちにも、こちらにも生活ってものがある。そこで今、ここで、あんたたちには身の振り方を決めてほしい。………ここから少し行ったところに村がある。そうだな、半日もかからないところにある、小さな村だ。幸い、この辺は魔物も少ない。歩けない距離じゃないから、キツムに戻りたい奴や、自由を求める奴にはそっちを勧めるね。今から向かうといい。水と、三日分の食料くらい、小銭くらいなら俺にも分けてやれる」


 イケメンといえば、ああいう事態になってしまったとき、馬の高さですらを苦手とするエルレウムさんはどうするんだろう。あきらめて、馬に乗るんだろうか。乗るんだろうな。馬くらいなら慣れたって言ってたし。


「申し訳ないが、村までの護衛はしてやれない。だが悪い村じゃないことは保証しよう。しばらくは生活も苦しいだろうが、きっと受け入れてくれる」


 助け出された人たちは、互いに見知らぬ者同士なのだろう。全員が微妙に距離を置いている。わたしもそうしている。怪我のある者、大きな荷物を抱えた者、わたしのように身ひとつの者、老若男女がいて、中には獣人もいた。体格の良いのは、もしかしてカホトなのだろうか。他の街と比べてどうかは知らないけれど、あの街にはカホトが多かった。


「でなければ、俺に雇われることだ。申し訳ないがこちらにも事情がある。奴隷契約とさせてもらう。だけど、安心してほしい。奴隷契約とはいえ、俺の名前と商会に誓って、無体な扱いはしない。雇われたあとはもう、君たちは俺たちの家族も同然だ。護衛もするし、衣食住の保証もしよう。少ないが、真っ当な額の給金を払うつもりもある。それでいつかは自分を買い戻すことだってできるだろう」


 実のところ、わたしはぼんやりとしながら話を聞いていた。


 わたしが意識を取り戻してから、かなりの時間が経っている。けれど、とても現実味が薄いのだ。

 この埃っぽさも、身体の痛みも、草の香りも、頬を撫でる風も、本物だと理解はしている。でも、わたしは今朝までジネブラ達と一緒にいて、イーサンさんと一緒にいて、そこは見慣れてきたキツムという名前の街の筈で、


 ………ここは、どこで、なんでわたし、こんなところに一人でいるんだろう。


 ………《袋》も無くしてしまった。言葉が通じるだけ、まだマシな状況なのだろうか。


 ………どちらかといえば、あのケイレブって人に雇われてしまったほうがいいような気がする。そりゃ、現代日本人として、『奴隷契約』と聞くと嫌なものに思えるけど、でも、でもだ。衣食住の保証があり、いつかは自由になれるのだという。無体なことはしないと言ってる。


 拘束時間とか、有給、病気の時の扱い、もちろん時給についての確認と、それらをはっきりと書面に書いてもらうことはもちろん必要だろう。こっちの世界でまで、ブラック企業に勤めたくはない。


 ジネブラと、イーサンさん。………エルレウムさんにはイーサンさんから伝わるだろう。とにかく、ジネブラとイーサンさんにわたしの無事を伝える方法はないだろうか。


 とりとめなく、あれやこれやと考えているうちにわたし以外のみんなは動き始めていた。

 何人かはどこかにあるという村にこれから行くという。護衛はしないが、案内くらいはしようと向こうの誰かが言っていた。それを聞いて、そちらに向かう人間が何人か増えている。


 それでも、半数以上がケイレブと契約を結ぶらしかった。ケイレブという人は馬車に向かっていき、別の誰かが台を出して、一人ひとりと書面を交わしている風だった。


「あんたは、どうする?」


 護衛のうちの一人なのだろう。近くにいた男がわたしに声をかけてきた。愛想のよさそうな男だ。


「あの、確認したいことがあるんですけど」

「なんだ?」


 顔はちょっと怖そうだけれど、笑顔が板についている。家電量販店とかにいそうな感じ。うさ耳だ。しかもスキンヘッド。付け根が気になって仕方ない。

 ………ごめんなさい、家電量販店でここまで濃い筋肉を見たことはなかったかもしれない。でも、さっきはその笑顔に『家電量販店の店員ぽいな』って思ったんだから仕方ない。


「雇われたときの、待遇です。時給とか、有給があるのかとか、その辺を詳しく書面に起こしていただけるのでしょうか。それを知ってからでないと、契約したくてもできません」


 男は毛のない頭を片手で撫でた。頭に毛が無いのに、ロップイヤーなうさぎの垂れ耳には毛がしっかりとある。他の部分は剃っているのだろうか。


「………ああ、それは………俺よりも代表に確認したほうがいいかもしれないな。でも、俺も同じ形態で雇用されてる。確かに扱いは悪くないぞ。不安になることはない」


 だから、『悪くない』じゃ困るんだって。

 そう思ったのが伝わったのだろう。彼は、わたしの手を引いて集団を掻き分け、ケイレブさんの馬車まで連れていってくれた。


「代表、こちらの方、質問があるそうなんです。少し時間をいただいてもよろしいでしょうか」

「構わないよ」


 ケイレブさんは馬車の席に座り、小さなテーブルに書類らしきものを置いて、何かを書いているところだった。この距離だとずいぶんとキラキラしいイケメンだ。


「あ、君………」


 わたしを見て、彼はパッと顔を輝かせた。愛想笑いから心からの笑顔に切り替わったのだと、初対面なのにわかってしまう。


 久しぶりに会った風な反応されましても、わたしはこの人を知らない。たぶん。………たぶん。………あれ? いや、でも、このやけにキラキラしいのはどっかで………あ。


「思い出してくれた?」


 そうだ。この、ちょっと軽そうな雰囲気の男はわたしがこの世界に来て、初めて話をしたキラキラしい男だ。


「たぶん」

「じゃあ、君はこっちね。ドミニクは下がっていい」


 くい、とキラキラしい男、ケイレブさんに手首を掴まれ、馬車に引っ張りあげられた。と、手首に違和感を覚える。見れば、細い輪っかがはめられていた。


 これは一体、なんだろう? 銀色で、華奢というでもなく、ゴツいわけでもない。なんか、こう、『輪っか』って感じだ。

何本かまとめてつければ、そういうアクセサリーに見えないこともないだろう。


「久しぶりだね。無事でよかった。まずは座って」

「はぁ………」


 ドミニクさんと呼ばれたうさ耳さんは何か言いたそうな顔をしていたけれど、頭を下げてから扉を閉じていった。個室に二人きり、落ち着かない気持ちになった。


 久しぶり、だなんて言われましても。

 わたしの中で、あれはただのナンパか何かだったということになっている。

 もちろん、今回魔物の群れから助けていただいたらしいことについては感謝しているけれども。偶然ってすごいですね、という感想しかない。


「助けていただいて、ありがとうございます。それで、」


 ちょっと、ケイレブさんのよく分からない行動のせいで、考えていたことが頭の中からすっ飛んでいってしまったようだ。


 とりあえず雇用形態について聞くべきだろう。そのために、この馬車までわたしは連れてきてもらったんだから。


 わたしとしては、知り合いのいるキツムの街に戻りたい。そのためには一体、どうすればいいんだろう。雇ってもらうとして、時給や拘束時間、仕事内容はどうなるのだろう。 よくもまぁみんな、その辺りの説明無しに契約したものだと思う。


「その前に、その腕輪の説明をしておこうかな。君は、どうやらそれが何なのか、わかっていないらしいから」


 キラキラしい笑顔はとても楽しそうだ。ケイレブさんの人差し指が、わたしの腕にある輪っかをつん、とつついた。


 馬車が動き出す。いつの間にか契約を済ませた人たちは馬車に乗り込んだのだろうし、契約しない人たちはこれからどこかにあるっていう、村に一旦向かったのだろう。


「これはね、奴隷契約の中でも、拘束効果の高い腕輪なんだ」


 はい?


「他のみんなは拘束効果の少ない、従業員用の書面契約にしたけど、君はそれだときっと困るだろうからね」


 いやいやいやいや、他の人たちと同じ扱いでも困らないです。むしろ、特別扱いとかに対して困りますって。


「わたし、まだ契約もなにもしてない筈ですけど」


 ケイレブさんはキラキラしいお顔で、キラキラしい笑顔を浮かべて、わたしの手首にある腕輪をそっと撫でた。

 ここまで、逆の手で手首は掴まれたままである。非常にいたたまれないというか、ものすごくやめていただきたい。


 ………もしかして、あれか。ジネヴラ曰くの『とっても魅力的』が作動してしまったのだろうか。エルレウムさんみたいに、ケイレブさんにもストーキングされるのだろうか。


「これはね、誘拐婚用の腕輪なんだ」

「………………はい?」


 ちょっとなんだか、今までの人生のなかで聞いたことの無い単語を今、言われたような気がする。

 ケイレブさんは片手でわたしを掴んだままである。もう片方の手は、腕輪を撫でている。


 わたしは今、非常に激しくとってもものすごく混乱している。不穏だ。何か理解できないししたくもないけど何かがとっても不穏だ。


「これでもう、俺たち、離ればなれにならなくて済むね」


 妙に幸せそうな、やたらと純粋そうな、とにかくひたすらキラキラしている笑顔に、お願いだから意識よ飛んでくれ、とわたしはいるかもわからない神に祈った。神っていうか、『あいつ』にも祈った。『あいつ』しか今、わたしが頼れそうな先がある気がしない。それはそれで非常に、とっても、ものすごく不本意だ。













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