第3話 その日は朝から暑かった 2


 この水中のような空間を改めて見回してみた。男性の手から逃れられたことに、内心驚いている。だって、ものすごい安心感があった。全てを委ねてしまいたくなる。


 ここはやたらとだだっ広い。

 そして、どこもかしこもひたすら青い。

 ………以上。

 ここには、何もない。

 綺麗な空間だとは思う。でも、何もない。

 ここで、暮らす……?こんな、何もない空間で?


 無理。わたしには、無理。


「どこかの世界に行くとして、何のサポートがあるんでしたっけ?」


 知らない世界は怖い。けれど、ここにいてはいけない気がした。


 ………考えるんだ、わたし。

 わたしが知っている物語を頭に思い浮かべてみる。異世界ものの小説なら、通勤の片手間にいくつか読んだことがある。


 文字の読み書きはなんとかなっても、会話が駄目なもの、文字の読み書き、会話も全て通じなくて困るもの、逆になぜか順調に上手く出来るものなど、いろいろなパターンがあった。

 文字の読み書き及び、会話能力は絶対必要だろう。


 異世界に辿り着いたかなり早い段階で、『導き手』としか思えないような親切な人物に出会い、サポートを受けて異世界の生活を組み立てていくものが大多数だったような気がする。男性が転移した場合、高確率で美人でお胸の大きな可愛い女の子と出会う事が多く、女性の場合はキラキラ王子様か騎士様がそこ役を担うという偏見をわたしは持っている。


 ………わたしにもサポート要員は欲しい。イケメンである必要はない。サポート要員無しパターンはハードモードだ。わたしは楽をしたい。


 資金面にも保証が欲しい。できることならばモンスター的な怪物とは怖いから遭遇したくないし、女同士のどろどろとした陰謀渦巻く世界なんて、中学時代にもう通り過ぎたことにしておきたい。『悪役令嬢もの』なんて特に真っ平ごめんである。あれは読むもので、体験するものじゃない。


 そういえば、まるで電力かなにかのように使える便利能力『魔力』とやらが多いとか、何かしら不可思議な、超能力的な便利能力を授けられるもの、知識を活用してちやほやされるような話も見たような気がする。


 むしろ、そういう『何か』がなければ、上手くやっていける気がしない。


「これ以上のサポート、ですか……?」


 男性はまた、おとがいを綺麗な指でつまんだ。そう、『おとがい』だ。こんな美麗なグッドルッキングパーフェクトメンズには『あご』ではなく『おとがい』なのだ。


 彼は何もない場所から、わたしの手のひらよりも少し大きいくらいの巾着袋を取り出し、わたしに向かって差し出してくる。


「……では、これをさしあげましょう。これは、貴女の望むものが、望むだけ出てくる不思議な袋。貴女の手を離れることは決してなく、必ず貴女の元でしか能力を発揮しない魔法の《袋》です」


 ……昔ばなしの塩のやつ!


 昔むかし、どこかの村人がゲットしたという、なんとか出てこいって言いながら回すと、言った通りの品物が出てくる石臼を思い出させるようなアイテムだ。きっとこれはその類型に違いない。

 差し出された袋は、見た目は何の変哲も無いような、麻っぽい素材の巾着袋だ。


 受け取ったわたしは早速、《袋》に片手を入れてみる。中はかなり広いとわかった。


 手を抜けば、わたしの手にクッキーがあった。


 いや、だって……実は、小腹が空いておりまして。


「金でも宝石でも、ドレスでも、貴女が望めば望むだけの品物が手に入ります。これで安心でしょう」

「いやこれだけでっていうか、これ、すごいけどこれだけで終わりとかって無いよね?」


 男性は目をまたたく。くそう、顔がいいと何をしても顔がいいことが今また証明された。そしてクッキーはサクサクでとても美味しい。


「家とか!住むところとか!そこの場所の常識とか!会話とか!何にもなかったらわたし、どうする

 の!?」


 さすがに人間や建物が袋から出てくることはないだろう。それだけはやっちゃいけない。たぶん。


「会話と導き手についてはさっき」

「なかったらハードモードでしょ?ハードモード過ぎるよね?」

「それについては個人の感想によるとしか」

「いや無理だから!絶対無理だから!こんなの持ってるのに言葉が通じないとか、絶対どっかに捕まってわたしごと便利アイテム扱いされるか、殺されるに決まってるから!無理だから!」

「……では、貴女は一体、何を望むのですか?」


 わたしはいつの間に立ち上がっていたのだろう。男性に肩を押され、わたしはゆったりとした椅子……いや、ソファーに座らされる。さっきまで座っていたのは一人がけの椅子だと思っていたけれど、そこにあったのは二人がけのソファーで、ぴったりと男性は寄り添ってくる。体温が伝わってくる。くっ、いい匂いがするっ!


 わたしは一生懸命、考える。そろそろ飲み物が欲しいと思ったら、袋に重みを感じた。手を入れてみたら、袋の中からペットボトルが出てきた。わたしはペットボトルの一本をなんとなく、男性に渡す。

 男性は不思議そうな顔で受けとると、わたしの見よう見まねといった感じで、ペットボトル入りの烏龍茶を飲んでいた。


「まず、言葉。言葉が通じるようにしてください。 次に、文字の読み書き。 あとは、わたしを騙さず、助けてくれる保護者が必要ですって、絶対!……欲を言うなら魔力や超能力みたいな能力も欲しいし、美少女設定とかも美味しいけどそこはまぁさすがにわがままって思うし……」

「確かに、わがままですね」

「幸運属性っていうか、幸運値っていうか、運がいいのがいいです。あとは、そう、情報って大事ですよね。わからないことはネット検索できるみたいな、せめて電子辞書みたいに情報を得られる、そんな手段が欲しいし、あとは、えっと、痛いのも病気も嫌だから治癒能力みたいなもの……あとは……」

「ずいぶん、欲張りな願望ではありませんか?」


 まだ半分以上中身の残っているペットボトルを、手でもてあそぶようにしながら言われた静かな声に、わたしは抗議する。


「でもっ!貴方のミスでこうなったんですよね!? 誠意を見せてくださいよ!」

「……誠意」

「そう、誠意です!」


 ……誠意なら、わたしの手のひらに乗ったままの、何でも出てくるとっても便利な不思議袋がそうかも知れないけど、貰えるものは貰えるだけ貰っておこう。


 わたしは胸を張り、さぁ寄越せとばかりに男性をねめつけてみる。男性は余裕ありげなままで、とても落ち着いている。というか、なにやら楽しそうだ。


「誠意を見せなければ?」


 さて、わたしに何ができるだろう。

 腕力で敵う訳がない。大声で騒ぐ?効果あるの?


「……くすぐります」

「くすぐる」

「そう、くすぐります! こんな風に!」


 わたしは勢いよくその男性に飛びかかって、脇の下をくすぐろうとした。

 男性が大きく目を見開き、のけぞる。してやったりとわたしの中に満足感が広がっていく。


 くすぐってやる……っ!

 くすぐり倒して、泣いてごめんなさいっていうまでくすぐってやる!


 しかし残念ながら、それは一瞬の思考でしかなかった。

 わたしの両腕は見事、男性に捕らえられてしまったのだった。くうっ!くやしいっ!


「くすぐる、というものがどういったものかよくわかりませんが、貴女が熱烈であることはよく理解しました」


 途端、男性の微笑みがまるで蜂蜜かなにかみたいに甘く、甘くとろけた。いやとろけてないけど、とろけるように甘い微笑みになった。


「ぇ」


 なんだ。なんなんだ。一体何が


「ひょおっ!?」

「その様に望まれては、私とてお応えすることはやぶさかではありません」


 ひょい、とお姫様抱っこをされたわたしは混乱した。混乱したまま以下省略。わたしは罵詈雑言を並べ立てたい。

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