34 『動き出す』
「って、なにやってるんだよ!」
「え、エステル!?」
縛られて麻袋に閉じ込められていたと思っていた自分の体――リリーがなぜか自由の身になってエステルと半裸でいちゃついてるのだ。
サラも目を丸くして驚いていた。
「あ」
当のエステルは翔太とサラの姿を見て、まるでいたずらが見つかった子供のようなバツの悪い表情をした。
「か、帰ってきたんですね」
「エステル、随分と楽しそうなことしてるわね」
「うっ……」
エステルが言葉に詰まる。
その横で、先ほどから翔太達の姿を見たまま固まっていたリリーが驚きの声を上げた。
「わ、私とヘラ? エステルさん、どういうことですか!?」
リリーはそそくさとエステルから離れると、そのまま座っていたソファーの後ろに隠れた。
「ど、ドッペルゲンガー!? イヤ、殺さないでください!」
「殺さないから!」
すっかり怯えた様子でソファー裏から顔だけ出して翔太達を指さすリリーに翔太はなるべく穏やかな口調で語りかける。
「えーっと、リリーだよな?」
「ど、どうして私の名前を!?」
「それは、まあおいおい話すよ。俺たちはドッペルゲンガーじゃなて君たちの体をちょっと借りただけで――」
「へ、変態さんなんですね!」
心外だ。
というか自分に変態呼ばわりされるのはなかなか来るものがあるな……。
「変態じゃない! とにかく話を――」
翔太が慌てて弁解を使用とした瞬間、寝室の扉が開きルシーが出てきた。
「ほーら、よしよし」
「ばぶばぶ」
……指をくわえたサラ――中身はヘラをお姫様抱っこしながら。
「る、ルシー!? 私の体に何させてるの!?」
「あっサラ、おかえり。 はいおしめを替えようね」
「ばぶば――って、私!?」
「ほら、暴れないで」
「いや、ほらあそこ! 私が――ちょ、下ろして! って、すごい力!」
うん、地獄絵図だ。
翔太がエステルの方に目線をやると、エステルは慌てて目をそらして口笛を吹き始めた。
こいつ、何かやったな。
「エステル」
「な、なんですか? ヒューヒュー」
「お前この二人に何て言ったんだ?」
「も、元に戻してほしければ言うことを聞けなんて言ってませんよ」
「おい」
言ったんだな。
「今すぐ誤解を解くんだ」
「……はい」
***
「――で、姿を変えたのは自分だから、元に戻りたければ言うことを聞けと言ったんだな?」
「……はい」
翔太とサラの前ですべてを洗いざらい白状したエステルは、それはそれは綺麗な土下座を決めていた。
「エステル、お前……」
「ち、違うんです! どうせ記憶消すしいいかな?って」
「ひぃっ!」
「うわぁ……」
リリーはソファーの裏に隠れたまま小さく悲鳴を上げた。その斜め前では、ソファに座ったヘラが心底軽蔑したような眼を向けている。
「ご、誤解ですよ! 最初はリリーに魔法を見せてもらおうと思ったんです! ショータくんの体に入っているから何か使えるのかなって――」
「エース―テール?」
「ご、ごほん。何でもないですショータくん」
これでエステルが暴挙に出た理由がなんとなく分かった。
エステルは根っからの魔術師だ。最初から翔太の使う魔法――という名の世界操作――を習いたがっていたのだ。
普段は翔太に断られ続けていたが、翔太がいなくなっている間ならワンチャンあるんじゃないかと行動に出た。
「で、期待していた成果は無かったんだな?」
「は、はい。でもリリーが『ひっ、ごめんなさい! 他に何でもしますからどうか元に戻してください!』って言うので……」
「調子に乗ったと」
「はい」
その結果がなぜ半裸でいちゃつくことになったのかは怖くて聞かない方がいいだろうな。
「で、ルシーは何してたんだ?」
「エステルが、この人何でも言うこと聞くから好きに遊んでおいでって」
「「……」」
「ご、ごめんなさい!」
再び深々と頭を下げるエステルに、翔太達の冷たい視線が注がれた。
「ねえルシー、どうして
「ルシー、妹が欲しくて」
「……そう」
ここ最近あまりにもしっかりしないサラと一緒にいるうちに姉力を高めに高めたルシーは、どうやら姉になりたい欲が強くなりすぎたようだった。
「ヘラ、だったよな」
「……ええ」
翔太はソファのサラ――の姿をしたヘラに呼びかける。
「なんか、ごめんな」
「ううん、なんだかんだ私も楽しかったわよ」
そう言って肩を竦めるヘラ。
外見はサラなのに、中身が大人なだけで随分と振る舞いが上品に見えるものだ。
「それからリリーも」
「は、はい!」
「うちのエステルが迷惑をかけてごめんな」
「い、いえ! そんなに気にしてはいませんから!」
相変わらずびくびくしているリリーだが、大分落ち着いたようでもあった。
それから翔太は、エステルの耳元にこっそり耳打ちする。
「エステル、俺は二人の記憶を消す必要は無いと思う」
「ショータくん、本気ですか!? 誘拐した私とステラが捕まっちゃいます!」
「お前は一回蝋の中で頭を冷やした方がいいと思うが――」
「酷い!?」
「この二人は例の
翔太の言葉に、エステルが目を見開いた。
「な、何か分かったんですか!?」
「ああ。この二人が調べてくれた情報が鍵だった。だから、出来ることなら協力を仰ぎたいんだ」
「……まあ、ショータくんがそう言うなら。でも信用できますか?」
「十中八九大丈夫だと思う。念のためエステル、お前が常に同行してくれ」
「わかりました」
エステルがそう呟いた時、不安そうな顔でこっちを見ていたリリーが声を掛けてきた。
「あのー……」
「なんだ?」
「その、体を元通りにしたら私とヘラの記憶を消すんですよね?」
「いや、それは――」
「お願いします! 絶対に言いふらしませんから、記憶をそのままにしてくれませんか?」
リリーはそれまで隠れていたソファーの背から上半身を出すと、深々と頭を下げた。
「せ、せっかくエステルさん達と仲良くなったんです。この思い出を忘れたくないなって……」
……いい子や。
サラやエステルに爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
「私からもお願いするわ。なんだかんだこの子たちと遊ぶのは楽しかったわ」
ヘラも、浅く頭を下げた。
――全く、ステラもエステルもいい子を誘拐してきたな
翔太は肩を竦めると、にっこり笑ってこう言った。
「勿論だ。むしろこっちから協力して欲しいくらいだ」
「協力? 私とリリーが?」
「ああ」
そう言いながらサラの方を見ると、サラも大きく頷いた。
「まずは情報交換から始めようか。俺たちは――」
***
ベルベナ王国首都ナリス中心部の小高い丘の上に立つナリス城は、美しさだけでなく強固な守りでも諸国にその名を轟かせていた。
ナリス全体を高々と囲う城壁を含めて実に三重の壁に二重の堀がその城を囲い、要所要所には跳ね橋や頑丈な鉄製の門等が侵入者の行く手を阻む。
その城を、大陸一の精鋭と名高い近衛隊が命懸けで守護している。
それらの物理的防御に加え、大陸一進んだ魔法研究を誇るベルベナ王国の粋を集めた強力な魔法結解がその守護を絶対のものとしていた。
その城の最上階、どんな侵入者も到達しえない絶対領域ともいえる玉座に深々と座る男――彼こそが、ベルベナ王国一千万人を統べる君主。
国王ライノルドⅢ世である。
「ふむ……、厄介なことになったようじゃな」
齢六十を数え、今やすっかり白くなったそのあごひげを撫で付けながら、ライノルドはそう独り言ちた。
年齢を重ねてしわが目立つ顔だが、その碧眼の鋭さはいまだ若いころから何一つ変わっていない。
ライノルドの目の前では、上申を行った近衛隊員がひれ伏している。
だが、ライノルドの言葉は彼に向けられたものではない。こうして一人呟くことこそがライノルドの思考整理法なのだ。
だから、それをよくわかっている隊員は頭を下げたまま微動だにしない。
「まったく、厄介なことがおきたものよ」
王都近郊で発見された
ライノルドにとって死因が呪いかどうかはさして重要ではない。
それはあくまでも対策の手段にしか影響しないからだ。
君主として一番重要なのは決断を下すこと。
そのため今回注目すべきは死体の状態やその原因ではない。
「これで五回目じゃな」
ライノルドは国王独自の情報網により、これまで街中やその近郊で既に五件同様の事件が発生している事実を握っている。
こうも時期や場所を変えて繰り返されるということは、犯人は何か
「実験。何のために?」
決まっている。呪いなのか何なのかは分からないが、犯人はその牙を研いでいるのだ。
となれば必然的にその向かう先は――
「おい」
「はい、陛下」
近衛隊員が顔を上げた。
「今、ナリスの警備状況はどうなっている?」
「はっ! 街への人の出入りは全て封鎖しております!」
「ふむ……、足りないな」
「足りない、ですか?」
近衛隊員が驚きの顔を見せた。
既に街は完全封鎖したのだ。これで外敵が入る隙などどこにも――
「それでは既に敵が街中に入ってきた場合に対処できない。主要な道全てに検問を敷くんじゃ」
「は、畏まりました」
「それから、荷物の出入りもしばらくは中止じゃ。呪いが何かの物に仕込まれていたら敵わんからな」
「お、お言葉ですが陛下!」
近衛隊員は慌てた様子で続ける。
「街には非常用の備蓄があまりございません。今荷物を止めるとナリスの民が食べるものが無くなってしまいます!」
「……確かに民に犠牲を強いるのは本望じゃないな。わかった、一日だけ猶予をやろう」
「い、一日ですか?」
「そうだ。それ以上は危険だ。備蓄が必要なら今日明日中に街に入れろ。但し荷物は慎重に検めるんじゃぞ」
「……はっ!」
「よしっ! かかるんじゃ!」
近衛隊員は深々と頭を下げなおすと、素早く玉座の間を出ていった。
「ふぅ……」
一人きりになったライノルドが大きなため息をついた。
恐らくあの近衛隊員は理不尽な国王だと思ったことだろう。
だが――
「国を預かる身として、万が一のことがあってはいけないんじゃよ」
人の上に立つ人間特有の苦悩を孕んだライノルドの言葉は、がらんどうの玉座の間に反響し消えていった。
「儂も随分と臆病になったものじゃ」
若干の自虐を込めたその言葉は、先ほど同様誰にも聞き留められずに流れるはずだった。
だが――
「あら、国王陛下ってどんな方かと思ったら随分と殊勝なんですね」
誰もいなくなったはずの玉座正面には、いつの間にか金髪の少女が立っていた。
彼女は、右手に抱えた塊――玉座の間の入口を警備していた近衛隊員――をゴミのように放ると、その金色の眼を怪しく光らせながら楽しそうに笑った。
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