26 『はじまり』

 翔太達がステラの屋敷を出発したのと同じ頃――



 ベルベナ王国近衛隊隊長テオ・ハンクシュタインは自室の扉を乱暴にノックする音にたたき起こされた。

 

 ――こんな朝早くから一体どうした?


 テオは寝台から起き上がると、なり続ける扉の音に顔をしかめた。


 テオは国王と王都ナリスの防衛にあたる近衛隊の最高責任者であるが、この日は久しぶりの非番だった。

 自分の代わりには副隊長を置いてきたため、隊内で何か問題が発生しても大抵の事はそちらに行くはずだ。

 つまり、非番のテオをたたき起こすが発生したと考えていいだろう。


 ――くそ、せっかくの休日が台無しだ


 過酷な任務に就くテオにとって、本当に久しぶりの休日だった。

 いつもよりゆっくりと起床し、ナリス城の外に住まうため中々構ってやれない妻と娘と触れ合う貴重なチャンス。


 だが、どうやらそれは絵にかいた餅で終わるようだった。


 ――すまん、次に長期休暇を取ったらゆっくり一緒に過ごそう


 テオは心の中で妻と愛娘に謝罪すると、ノックの主に入室を許可した。


 「入ってくれ」

 「失礼します!」


 勢いよく扉が開け放たれ、近衛隊所属の若い兵士が転がるように入ってきた。

 栗色の髪に、ギラギラと光る鋭い碧眼。

 名前は確か――


 「ヤンか。こんな朝から一体どうした?」

 「はっ!」


 ヤンは直立不動で礼をした後、慌ただしい口調で話し始めた。


 「半句シュタイン隊長、非番の日にお邪魔して申し訳ございません! ですが、どうしても隊長のご判断を仰ぎたいことがございます」

 「俺の判断を? 副隊長がいるだろ」

 「はい、もちろんお伝えしました。ですが、副隊長も隊長の判断を仰いだ方が良いとおっしゃいました」

 「あいつがそう言ったのか」


 つまり、副隊長ですら判断に困る事態が発生したということだ。


 「わかった。話せ」

 「はい! ですがかなり奇妙な、かつ込み入った話ですので、順を追って説明させてください」


 慌てている割には妙に歯切れの悪いヤンの態度が若干気になるが、まずは話を聞いてからだ。

 テオが静かに頷くと、ヤンはことのあらましを話し始めた。


 「私は昨晩、王都周辺の見回りを担当していました」


 ベルベナ王国近衛隊の仕事は多岐にわたる。

 その中には、王都周辺の見回りと治安維持も含まれていた。


 「見回り中は特に変なことは起きなかったのですが、夜が明け、城に戻ろうとした際に奇妙なものを発見しました」

 「奇妙なもの?」

 「はい。畑の中に打ち捨てられた一台の荷馬車です」


 ナリスの周辺は、東の平原を除いて田園地帯が広がっている。

 ヤンが見つけた荷馬車は、ナリスの西方の壁近くで、半ば畑に埋まるようにして停止していた。


 「前日見回りをしたものからの引継ぎには無かった馬車です。不審に思った私は、中をあらために行きました」


 荷馬車のような大きなものが畑に転がっていれば見回りの兵が気が付くはずだ。

 それに、該当地点は比較的人通りも多い街道沿いのため、昼間に見過ごされるはずもない。

 つまり、その馬車はヤンが見回りをしていた夜の間に現れたことになる。


 「はじめは私も、盗賊かモンスターに襲われたのだと思っていました。ですが奇妙なことに、その馬車には全く襲われた形跡はありませんでした。」

 「襲われてなかっただと?」

 「はい。馬車には傷一つついていませんでしたし、荷台に積まれた荷物も無事でした。ただ一つ――」


 ヤンの目がは暫し言葉を探すように空中を泳ぐ。

 

 「御者台には、御者の死体が転がっていました」

 「……殺されたのか?」

 「いいえ、外傷はありませんでした」


 ヤンが首を振った。


 「ですが、その死体の状態は尋常じゃあありませんでした」

 「どうなっていたんだ?」

 

 ここにきてテオは、ヤンの顔が青ざめているのに気が付いた。

 それはまるで、今から話すことが恐ろしくてたまらないとでも言うようだった。


 ――外傷が無いのに、青ざめる程の恐ろしい死体だと?


 確かにそれはヤンの言う通り奇妙な状態だ。

 暫くして、ヤンは決心したように口を開いた。


 「詳しい所は実物を見て頂きたいのですが、まず御者台は樽一杯分にもなろうかという血であふれかえっていました。それから――」

 

 ごくり、と唾を飲む音が部屋に響く。


 「死体には、青黒いが大量についていたのです」

 

***


 ナリス城敷地内にある近衛隊の宿舎には、運動や鍛錬のための中庭が用意されている。

 今、その中庭の中央には一台の荷馬車が置かれていた。


 「テオ! 朝からすまないな!」


 自室からヤンに伴われてやってきたテオを見て、荷馬車の傍に立つ黒髪に浅黒い肌の男が手を振った。


 「ニコ! 全くだよ」


 テオはそんな憎まれ口をたたきながらも、ニコ――近衛隊副隊長に手を振り返した。


 隊長と副隊長。立場こそちがえど、二人は同じ期に入隊した同期である。

 こんな軽口も、お互いに信頼しあっているからこそとも言える。


 「で、それが例の馬車か」

 「ああ。ヤンが見つけた状態そのままにしてある」

 「中を見ても?」

 「もちろん」


 ニコが返答すると、テオはゆっくりと馬車に近づき、御者台を覗き込んだ。


 「……酷いな」


 御者台には、大量の血液がべったりと付着していた。既にほとんどの血は固まりかけひび割れているが、それでも嗅覚細胞に襲い掛かるむせかえるような鉄の臭いは健在だ。

 その中央で、一人の男がうつぶせで倒れていた。

 確かに、背中側には特にこの大量出血を引き起こした傷のようなものは見当たらない。


 「ニコ、表側は確認したのか?」

 「ああ。ヤン、すまないが奴さんを起こしてやってくれないか」

 「はい! 副隊長!」


 ヤンは大げさに頷くと、死体を裏返した。


 「うっ……」


 思わず、そんなうめき声がテオの口からこぼれた。


 確かに、表側にも目立った外傷は無かった。

 だがそれ以上に、苦悶の表情に歪んだ男の顔とそこに浮かんだ大量の青黒いあざが目についた。


 ――これが、ヤンの言っていた


 まるで何時間にもわたって折檻され続けたようなあざだ。

 だが、殴られたような傷は無い。


 「この血は口から吐いたものか」

 「ああ、私もそう思う」


 あざに気を取られがちだが、よく見ると死体の口元から胸に向かっては特にべっとりと血がついていた。

 その血は御者台の血よりも一段と乾いており、そこが血の出所であることを示している。


 「テオ、この状況を見てどう思う?」

 「外傷は無いが、状況証拠的には殺されたと考えていいだろうな。病気なら、そもそも馬車を動かせない」


 テオの言葉に、ニコは大きく頷いた。


 「私も同じ意見だ。で、殺害方法は何だと思う?」


 テオは腕を組んで考えを巡らせる。

 一晩の間にこうも外傷をつけず、体の内部から血液を吐き出させることが可能なのは――

 

 「呪いだろうな」


 こんなことが可能なのは、強力な呪いの類だ。


 「問題は、誰が殺したかだ」


 そもそもベルベナ王国においては、呪い自体の使用が禁止されている。

 そのため、呪いを練習するような魔術師はおらず、このような強力な呪いを使いこなす人物もいなかった。


 もし犯人の最終的な目的が国家にあだなすことならば、近衛隊としては何としてでも原因を特定し犯人を捕らえる必要がある。


 ここにきてようやく、ヤンがテオに相談しに来た理由がわかった。


 「これは本格的な捜査が必要だな。陛下にも私から伝えよう」

 「助かるよ、テオ」


 ニコに頷くと、テオは中庭に立ち並んだ近衛兵たちに向かって声を張り上げた。


 「皆、話は聞いていたな? 緊急事態だ! まずは今日非番の隊員たちを集めてくれ!」

 

 これが陽動である可能性も考えると、王都の警備は手を抜けない。そのため必然的に、本件の捜査は今日非番の隊員を集めて行う必要があった。


 「操作の指揮は俺がとるから、非番組にはここに集合するように伝えてくれ! それから王都各門の検問を強化しよう。しばらくは通行証を持たぬもの、少しでも怪しいものは入れるな! 荷馬車の荷物も徹底的に調べろ!」

 

 もし犯人がまだ街の外にいるなら、とにもかくにも入れないことが肝要だ。


 「必ず犯人を特定し、捕まえよう! 解散!」

 「「「「はい!」」」」


 隊員たちは力強い返答の後、蜘蛛の子を散らすように走り去っていった。

 その背中を眺めながら、テオは一つ確認し忘れていたことを思い出す。


 「ところでヤン、この荷馬車の荷物は何だったんだ?」

 「はい、ちょっと奇妙なんですが――」


***


 「ついたわね!」


 太陽が頭上にかかった頃、森を抜け出した翔太の横でサラが叫んだ。


 「ステラさんの教えてくれた道を使って正解でしたね」

 「一瞬だった」


 続いてエステルとサラが抜け出した。

 

 「そうだな。全く、生きの俺たちの苦労を返して欲しいぜ」


 帰り道は、驚くほど順調だった。

 流石伝説の吸血鬼のおすすめだけあり、モンスターは気配すら感じさせず、足元も土むき出しの歩きやすい道となっていた。

 その結果、翔太達はまっすぐに東の平原まで抜け出したのだった。


 「さあ、後はナリスに戻るだけ――あれ?」

 「どうした?」


 手を額に当てて遠くを見ていたサラが、首を傾げる。


 「いつもより、検問の列が長いわね」

 「……全然見えないんだが」


 森を抜けたとはいえ、ナリスの街は遥か彼方に豆粒ぐらいの大きさでしか存在しない。

 翔太の目には、検問の列などそもそも見えていなかった。


 「ほら! ちゃんと見て! ひぃふぅみぃ――二十台以上並んでるわ!」


 お前はマサイ族か。

 サラの視力は、どうやら無駄に高いようだった。


 「あっ! なんか門番さんがいつもと違う紙を持っているわ!」

 

 ちらっとエステルとルシーの方を見ると、二人とも静かに首を振った。

 良かった。異常なのはサラだけだ。


 「サラ、そんなこと言ってても仕方ないだろ、とにかくさっさと街に戻って行動開始するぞ」

 「それもそうね」


 サラは、意外にも素直に頷いた。



 そうだ。

 翔太達は急ぎ行動を開始しなくてはいけない。


 そのためにも、早く街に戻り宿屋を確保する必要がある。


 「じゃあみんな、早いとこナリスまで戻りましょ!」

 「そうだな」

 「はい!」

 「うん!」


 翔太達は、全員力強く返事をするとまっすぐナリスに向かって歩き出した。

 そして――




 「すみません、通行許可証が無い人は今街に入れないんですよ」

 「「「「えぇ!?」」」」


 あっさり門前払いを食らうことになったのだった。

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