23 『吸血鬼の秘密』

 「あぁああああああああ!!!」


 痛い痛い痛い痛い!

 首筋の焼けるような痛みに、目の裏がチカチカするような感覚を覚える。


 は、そのまま翔太の体を人間離れした力で勢いよく地面に押し倒した。


 ――くそっ、身動き一つとれない


 翔太も全身の筋繊維一本一本を奮い立たせてステラを振りほどこうとするが、まるで巨大な大木を押しているかのようにびくともしない。


 ぴちゃっ、ぴちゃっ。


 抵抗する間も、牙を差し込まれたままの首筋からは、絶えず湿ったような音がなり続けた。


 ――ああ、意識が……。俺はここで死ぬのか

 

 激痛は次第に鈍い痛みへと変わり、それもわずかに痺れたような感覚だけを残して薄れていった。

 痛みを感じなくなるということは、すなわち翔太の体が生命活動をあきらめたということだ。


 空気を抜かれた風船のように全身から力が抜けていく。


 「ショータ! しっかりして!」

 「むぅうむぅ!」

 「むぅう!」


 サラたちが必死に翔太の名前を呼ぶ声も、今やぼんやりと靄がかかったように遠くに感じられた。


 ぴちゃぴちゃ。ずぞぞぞぞ


 ――くそっ、遠慮がないな


 そんな味噌汁を啜るような音を立てて人の血を吸わないで欲しいものだ。

 この勢いからすると、翔太の全身の血を吸いつくす気かもしれない。


 ゲームの中で干からびた死体になると思うと、なんとも言えない気分だ。


 『念のため聞いておくが、吸血鬼に血を吸われたらどうなるんだ?』

 『死にますね』

 『その後、眷属にされて体が腐りきるまで人間を襲い続けることになります』


 くそっ、こういう時に限って思い出さなくてもいい記憶を思い出してしまう。

 自分が一人死ぬのは百歩――いや一万歩譲って受け入れるとしよう。

 その後自分を殺した奴の眷属になってサラたちを襲わされるのは耐えられない。


 「……くそっ、死にたくないな」


 そんな弱音が、思わずポロリとこぼれてしまった。

 今まさに全身の血を吸いつくされ干からびようとしているというのに、目からは涙が零れる。


 そんなことを言ったところで、涙をいくら流したところで、吸血鬼が見逃してくれるわけでも――



 「ああ美味しかった!」


 そんなタイミングで、ステラは翔太の首筋から牙を外すと楽しそうに言った。 


 「というか、殺しませんって! 人聞き悪いですよ!」


***


 「さて――」


 縄と猿轡を解かれ解放されたサラたちと、力が抜けたまま床に転がっている翔太を目の前にして、ステラは楽しそうに口を開いた。

 殺さないとは言ったがステラの正体が吸血鬼だと分かった今、サラたちは倒れた翔太の後ろに隠れながら座っている。


 こいつら、人を盾にしやがって。


 「皆さん色々と聞きたい事もあるでしょうが、まずは――」


 玉座に腰かけたステラは、口元に残った食べ残し――翔太の血をぬぐうと、胸を張って高らかに宣言した。


 「ひっ!」


 サラが小さく悲鳴を上げる。

 うん、絵面がグロすぎるし当然の反応だな。


 「ちょっと! そんなにビビらないで下さいよ! もう危害は加えませんから!」

 

 どうだか。


 「あー、こほん。まずは改めて自己紹介ですね」


 誤魔化すように一つ咳ばらいをして、ステラは両腕を大きく広げた。


 「ある時は小鬼ゴブリンの村から命からがら逃げだした村娘。またある時はクルクス村で薬屋を営む穏やかな村娘。そしてまたある時は、森の中で吸血鬼の屋敷を見つけてしまった不幸な村娘」


 全部村娘かよ。


 「しかしその正体は――」


 ステラは、最大限のドヤ顔で名乗りを上げた。


 「ドゥンケル大森林最奥に居を構える、伝説の吸血鬼。アステリア・マルシス・アウルマリア・オプスクリタスとは、私のことです!」

 「「「……」」」


 きっと今ステラの頭の中では、盛大な喝采が鳴り響いていることだろう。


 「ええ!? そうだったの!?」

 「サラさんだけ!? もっと驚いてくださいよ!」

 「いや、流石にさっきのあれで皆気づいたから」


 あんなバレバレなことして気付かないのはサラぐらいだぞ!


 「うぅ。この瞬間のためにずっと黙っていたのに……」

 「……なら俺を襲う前に正体を告げろよ」

 「はっ!」


 いや、その手があったかみたいな顔をしないで欲しい。

 正体を明かされた後で襲われたらなおの事怖いからな。


 「気を取り直して。皆さんを集めたのは、一つ私に協力してほしいことがあるからなんです」


 そう言ってほほ笑むステラは、一切の邪気の無い笑顔を振りまく。

 

 ――吸血鬼だと分かっても、話していると村娘の振りをしていた時の様子に引っ張られて気が抜けるな


 一応サラたちは解放されているが、それだけでステラを信用することはできない。

 伝説の吸血鬼アステリアその人ならば、翔太達のささやかな抵抗をものともせずに一ひねりだろう。

 

 ――羆とにらめっこしている気分だぜ


 まだまだ機嫌を損ねるわけにはいかないが、翔太にはどうしても確かめておかなければならないことがあった。


 「あー、ステ、アステリア?」

 「呼びにくかったら、前みたいにステラで良いですよ」

 「じゃあ、ステラ」


 一つ咳ばらいをする。


 翔太が確かめたい事、それは自分の運命だった。

 

 ステラがどんなに友好的に振りまこうが、翔太が吸血鬼に血を吸われた事実は揺るがない。

 首筋に残る、既に血が固まった牙の跡が何よりの証拠だ。

 そうである以上、覚悟を決める必要があるだろう。


 とにかく確認する必要がある。


 「話を始める前に教えてくれ。あとどれくらいで俺は死ぬんだ?」

 「え? 別に死なないですよ」


 え!? 死なないの!?


 「ど、どういうことだ! だってさっきあんなに俺の血を吸ったじゃないか!」

 「あんなにって言っても、せいぜいコップ一杯分ぐらいですよ」


 献血レベル!?


 「いいですか、ショータさん。 人間の体にどれだけ血液が流れていると思うんですか? 人が死ぬほど血を吸ったら、逆に私のお腹が破裂して死にますよ」

 「うっ」


 ぐぅの音も出ない正論だった。

 逆にフィクションの吸血鬼は体のどこに何リットルもの血をたくわえてるんだろう。


 「それは分かった。でも俺は血を吸われたんだよな? じゃあその内自我を失ってステラの眷属に――」

 「いや、ならないですよ。逆にショータさんは私の眷属になりたいんですか? それなら早く言ってくださ――」

 「いい! いい! 別にいい! 眷属になんてなってたまるか!」


 おかしい。 

 エステルから聞いた話だと、吸血鬼に血を吸われたら必ず眷属にされるんじゃなかったのか?

 翔太がちらりとエステルに目線をやると、彼女が首を捻るのが見えた。

 流石伝説の吸血鬼、常識が通用しない。


 「あのですね、そんな食事の度に際限なく眷属が出来たらウザいじゃないですか。そんなの作るか作らないか制御するに決まってるじゃないですか」

 「ぐはっ」


 正論で上から殴るのはもうやめてください!


 「で、でも私の知っている吸血鬼は、皆血を吸うと必ず眷属を作っていましたよ!」

 

 なおも食い下がるエステルだが、ステラはあっけらかんとしていた。


 「ああ、それは失敗作ですね」

 「失敗作……ですか?」


 それじゃあまるで、吸血鬼が誰かに造られた存在のように聞こえるじゃないか。


 「ああ、確かにまずそこから説明する必要がありますね」


 ステラは小さく肩を竦めた。

 

 「あなた達が『吸血鬼ヴァンパイア』と呼んでいるものは、全部私のようになろうとして失敗した人間の成れの果てです」

 「お前のようになろうとして、ってのはどういう意味だ」


 吸血鬼に積極的になりたい人間などいないと思うが。 


 「その質問の回答こそ、まさに私が話そうとしていたことです」


 ステラは、そこで一旦言葉を区切った。

 たっぷりと時間を取って翔太達の顔を順番に見回すと、再び重々しく口を開く。


 「私は、今から千年前に行われた『不老不死化計画』の最初にして唯一の成功例――生き残りなんです」

 

 室内に、重苦しい沈黙が流れる。

 

 最初は翔太の記憶喪失(嘘)を治す薬の素材集めとしての吸血鬼討伐だった。

 しかし不審なの死体に、十字架クルクス村に伝わる吸血鬼伝説が加わった。



 全ての答えの鍵は、今から千年前――吸血鬼誕生の秘密に隠されている。


 「初めに言っておきますけど、あの死体は吸血鬼の仕業じゃないですからね」


***


 薄暗い森の中で、は、悠然と歩を進めていた。


 前方に、彼と同じような白い服に身を包んだ一団を見つけると、彼は立ち止まって尋ねる。


 「どうですか?」


 ごく短い問いかけだったが、尋ねられた一団は皆その問いの意味を理解していた。

 は、邪悪な笑みを浮かべてこう答えた。


 「実験は成功です」


 彼は満足げに頷くと、足元に転がっているに近づいた。


 「気を付けてくださいよ?」

 「わかっています」


 彼らからの忠告に、彼は小さく頷いた。

 念のため、手袋を嵌めた手で口元をなぞる。


 しっかりと布が彼の口と鼻を覆っていることを確かめてから、彼はゆっくりとに手を伸ばした。


 「どれくらいで死にましたか?」

 「曝露してから、三日です」

 「十分ですね」


 彼の表情は、満足げだった。

 長い忍耐と苦労の末に、彼らの悲願に必要なが完成したのだ。


 「実験は、これで十分でしょう。後は王都への運搬ですが――」

 「既に取り掛かっています。検問をくぐるために少しずつ慎重に運んでいますが、一週間もあれば必要量は揃うでしょう」


 一週間。

 彼にとって今のこのはやる気持ちを抑えるには少し長い気もしたが、急いては事を仕損じる。

 


 彼らは千年間待ったのだ。

 今さら一週間の遅れなど些末なことだ。


 「わかりました、ありがとうございます。それでは決行は一週間後としましょう」

 「王都は大混乱になるでしょうね」

 「ええ。ばら撒く場所さえきちんと選べば、王都の人口の七割は削れるでしょう」


 ああ、今から王都の、そして国中の混乱が楽しみでたまらない。

 彼らの計画により、国は機能不全に陥るだろう。


 「我々の天下は近いですね!」

 「そうですね。では、それはしっかり処理してくださいね? この前みたいにうっかり王都に迷い込ませないで下さいよ?」

 「は、はい!」


 彼は、彼らが地面に穴を掘り始めたのを見届けると、に背を向けた。

 やや離れたところに掘られた別の穴の手前で、両手の手袋と口を覆っていた布を脱ぎ去る。


 それらを体を覆っていた白い布と共に穴に放り投げると、彼は臙脂色の外套をはためかせ、そのの死体から離れていった。

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