10 『夢』

 「んー、風が気持ちいいわね!」


 薄暗い森の中にぽっかりと浮かぶ陽だまりの中でサラが風を受けようと両腕を精一杯広げる。

 木々の間を通り抜けてきた冷たい風がその髪を柔らかく揺らしていた。


 「ほら、あんなところにかわいい小鳥がいるわよ!」


 目の前に聳える木のてっぺんを指したサラは、楽しそうにほほ笑みながら翔太の方を振り返った。


 ――全く、昨日の今日であそこまでケロッとしていられるのは流石だな


 王都であざだらけの死体を見て取り乱したのがつい昨日のこと。驚きの回復力だ。

 ……まあ、サラが単純なだけだろうが。


 翔太とサラは今、ナリス東部に広がる巨大なドゥンケル大森林――この世界にやってきたとき翔太の背後にあった森――に足を踏み入れていた。


 「小鳥さん小鳥さん、チチチチチ……、ああ! 逃げちゃった!」


 翔太からするとただの木にしか見えないが、サラにはそこにいる鳥が見えたのだろう。

 サラの残念そうな声に続いてぱたぱたとした小さな羽音が聞こえてきた。


 「ショータも今の小鳥さん見た? 羽がカクカクしていて可愛かったわ!」

 「お、おう」


 羽がカクカクって、どんな鳥だ。

 まあ、翔太もまだこの世界のことをよく知らないのだ。蝙蝠みたいな羽をもった鳥がいてもいいのだろう。


 「ショータどうしたの? さっきから元気ないじゃない」

 

 翔太の反応が薄いことにようやく気が付いて、サラが顔を覗き込んできた。

 相変わらず、近くで見ると吸い込まれそうな美貌だ。


 「ほら、こんなにいい天気だし、せっかく森に来たんだから楽しみましょ!」


 そう言ってサラは、その場でくるりと一回転する。

 陽だまりの中金髪がふわりと宙を舞う様子は、どこか神々しくて。

 まるで一枚の絵画のよう――


 「って、遊んでる場合じゃない!」


 はっ、と翔太は思わず声を上げた。


 「ど、どうしたの?」


 翔太の声に驚いて固まったままの姿勢で、サラがおそるおそる聞いてくる。

 どうやらまだ心当たりが見つかっていないようだったので、翔太は大きくため息をつくとサラに思い出させてあげることにした。


 「あのな、この森に来た俺たちの目的は何だ?」

 「決まってるじゃない! 薬草採取よ!」


 どや顔で胸を張るサラ。

 少なくともそこは覚えていて安心した。


 「うん、その通りだ。で、お前は今何をしていた?」

 「かわいい小鳥さんを追いかけて……あっ」


 自らの失言に気付き、サラは慌てて口をつぐんだ。ついでに両手で口を押える。

 いや、そんなことしても一度した発言は取り消せないぞ。


 翔太のじとっとした視線にようやく気付いたサラは、バツの悪そうに弁明した。


 「わ、忘れていたわけじゃないわ! ただ、森の中をお散歩するのが楽しすぎて……」


 後半は言葉を濁してごにょごにょと。 ついでにてへっと舌を出して。

 

 ――よし、記憶喪失を直す薬ができたらまずはサラに飲ませてやる


 翔太はこぶしを握り締めながら固く決心するのだった。


 「で、だ」


 閑話休題。

 ようやくサラが目的を思い出してくれたようなので、翔太は本題に入る。


 「ここは、どこだ?」


 たっぷり十秒の沈黙のあと、サラはあっけらかんと言った。


 「さあ?」

 「『さあ?』じゃない! 思いっきり道に迷ってるじゃねぇか!」

 「迷っちゃったわね」

 

 サラはなんてことも無いように言ってのけた。

 

 ――いや、このままナリスに帰れなかったら俺たち森のモンスターたちのディナーになるんだが


 サラはそんな楽観的でいられるのは――まあ、何も考えてないからなんだろうな……。


 「大体、サラが『私はこの森を通り抜けてナリスまで来たのよ? もはや庭よ!』とか自信たっぷりに言うから道案内を頼んだのに!」

 「だ、だってあの時は一本道をまっすぐ進んできただけなのよ!」

 「じゃあどうして、今回はその一本道を外れてこんなところまで来ちゃったんだ?」


 何ならサラは森に入る時から道を外れて翔太の背丈ほどもあろうかという藪の中に突入していた。

 こいつさては野生児かな?とか心の中でツッコんだものだ。


 「仕方ないじゃない!」


 ほう、開き直りますか。

 

 「よし、何が仕方ないか聞いてやろうじゃないか」


 さあ、お得意のトンデモ言い訳を言うがいい。

 サラのせいでこんな目に合うのは二度目だから、今日という今日は徹底論破して――


 「この前の隕石で道が消えちゃったのよ!」

 「すみませんでした!」


 はい、俺のせいでした!

 翔太は華麗なスライディング土下座を決めた。


 ――確かに、森に入る前に巨大なクレーターを避けたね!


 「どうして翔太が謝るの?」

 「いや、気にするな。謝りたい気分なんだよ」

 

 訝し気なサラの視線を背中に感じながらも、翔太は暫く頭を地面にこすり続けた。


 ――サラに協力すると約束したばかりなのに……。冒険者として最初の依頼からこう躓くとは、な


 小さくため息をついて、翔太は昨日のサラとの会話を思い出した。


***

 

 「あのあざだらけの死体は、私の夢の中で沢山出て来たわ」

 「……どういうことだ?」

 

 一呼吸、二呼吸置いてから、サラはぽつりぽつりと語りだした。

 

 「前にもチラッと言ったと思うけど、私は一年ぐらい前から変な夢を見るようになったのよ」

 「変な夢?」

 「ええ。夢よ」


 とは穏やかじゃない。

 それに、その言葉は今の翔太には聞き逃せないものだった。


 ――もしかして、サラには未来が見えるのか?


 『プラネッタ』に従えば、この世界は百年後に滅ぶ運命にある。もしかしたらサラの夢はその未来を見せている可能性があるのだ。

 魔法がある世界だ。予知夢くらい、あってもおかしくない。


 「サラ、その夢を詳しく教えてくれないか?」

 

 もしサラの夢が未来の出来事を示しているのなら、世界が滅んだ理由がわかるかもしれない。

 上手く行けば、そこから破滅フラグを回避するような一手が見つかる可能性だってある。


 しかし、サラは申し訳なさそうに首を横に振った。


 「ごめんなさい。私もよく覚えてないわ」

 「覚えていない?」


 そんなに何度も見ている夢をか?


 「ええ。夢の中で世界が滅んでいることだけははっきり覚えているのだけれど、それ以外は全部起きた時にはきれいさっぱり忘れてしまうのよ」

 「マジか。奇妙だな」


 起きたら忘れる予知夢なんて、何の役にも立たないぞ。


 「少しだけでも思い出せるシーンはないのか」

 「うーん……」


 翔太に聞かれて、サラは頭を捻る。そのまましばらく考え込んだ後、絞り出すようにこう言った。


 「空が真っ赤で、それを覆いつくすばかりの黒い影が……」

 「影!? 影ってなんだ!?」


 翔太は何かめちゃくちゃ重要なことを言ったサラの肩を慌てて掴んでゆすった。


 「ちょ、ショータ! 私もぼんやり頭に浮かんだイメージを言っただけよ! 詳しいことは分からないわ!」

 「そうか……」


 翔太は力なくサラの肩から手を離した。

 流石にそれだけの情報では手は打てない。


 ――だが、ダメ元だろうがサラの夢は調べる価値があるな


 サラの夢は唯の夢の可能性が高いが、それでも翔太にとっては今のところ唯一の手掛かりだ。

 それに、サラは翔太がこの世界に来て最初に出会った人間だ。何か運命的なものがあってもいいじゃないか。


 「サラ、俺はその夢が気になる。夢の秘密を探るのに、手伝えることはないか?」


 (本当は必要ないが)サラは翔太の記憶を取り戻す手助けをしてくれているのだ。この件に関してはこっちが協力する番だろうと、翔太は持ち掛けた。

 しかし、その言葉を聞いたサラの反応は、意外なモノだった。


 泣いていたのだ。


 「ショータ、私の夢のこと信じてくれるの?」

 「お、おう! もちろんだとも」


 急に泣き出したサラに、しどろもどろになる翔太。

 その言葉を聞いたサラの顔に、満開の笑顔が咲いた。


 「ありがとう、ショータ! 私の夢の話を真面目に聞いてくれたのはあなたがはじめてよ!」


 あー、なるほど。


 「以前にも周りに話したのか?」

 「……ええ。でも、誰も取り合ってくれなかったわ」


 サラの話だけを聞くと、確かに信じる要素は何処にもないだろう。

 世界の秘密を知っている翔太だけが、その夢の重要性に気が付ける。


 「それは、辛かったな。でも、俺はお前を信じる。一緒に夢の秘密を解き明かそうぜ」

 「……本当?」

 「ああ」


 翔太が力ずよく頷くのと、サラが飛び込んできたのはほぼ同時だった。


 「ショータ!」

 「ふぇ!?」


 ベッドからロケットのように飛び上がったサラは熱烈な勢いで翔太に抱き着くと、そのまま反対側にある翔太のベッドの上に押し倒す。


 「ショータ、ありがとう! 大好きよ!」

 「む、むぐぅ」


 く、苦しい! 

 あの細い体のどこにこんな力があるのか分からないが、ゴブリンぐらいなら一瞬で絞め殺せそうな力である。

 

 「さ、サラさん! 苦しい! 死んじゃうって!」

 「あ、ごめんなさい!」

 「ぷはぁ!」


 全力タップをした末ようやく解放された翔太は、大きく息を吸って足りなくなった酸素を補給した。


 「サラ、次は手加減してくれよ」

 「本当にごめんなさい! ショータの言葉が嬉しすぎて……」


 そう言ってサラは殊勝にぺこりと頭を下げた。


 「もういいよ。それよりも夢の件について話そう。夢の秘密を解き明かしにナリスに来たって言ってたけど、何か当てはあるのか?」

 「ええ! 任せてちょうだい!」


 すっかり調子を取り戻したサラは、久しぶりの満開スマイルでこう言い放った。

 

 「まずはこの国で、冒険者として偉業を成し遂げましょう!」

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