09 『死者の声』

 「人間、ね」


 サラが小声でそう呟く。

 翔太は無言で頷くのが精いっぱいだった。


 ――やばいやばい。これは絶対関わらない方がいいやつだ


 布の塊から突き出た腕は、まるで作り物のマネキンのようで、微動だにしなかった。

 だからこそ、翔太は本能の奥の方から発せられる警告を感じ取る。


 鳥肌が立つ背中を冷たい汗がゆっくりと流れる感触を覚えながら、翔太は大きく深呼吸した。

 見てしまった以上、確かめねばなるまい。

 翔太だけなら無視して歩き去る選択肢もあるだろうが、正義感の強いサラが見逃してはくれないだろう。


 よしっ。


 決意を固めた翔太はサラから預かったままの剣を腰から外すと、鞘で慎重にを覆い隠す布をめくった。


 「ひっ!」

 「……っ!」


 布の下から現れたを見て、サラが小さく悲鳴を上げた。

 翔太も、思わず息を呑む。

 

 は、死体だった。

 地面の上に無造作に広がる長い金髪が、辛うじて女であることを伝えているが、それだけだ。


 白蝋のように青白く頬がこけた顔は苦悶の表情に歪んでおり、もはや元の人相は判別できない。

 衣服を身に着けていない体は肋骨がくっきりと浮き出るほどやせ細り、ほとんど骨と皮だけだった。

 そして何より、その全身を覆う大小様々な青黒いが、死体の凄惨さをより一層際立たせていた。

 まるで何度も何度も手ひどい折檻を受けたようなあざは、顔を含めて全身にまんべんなく広がっている。


 「これは、駄目そうね」

 「……ああ。残念だけどもう亡くなってるな」


 壮絶な死体を見たことでショックを受けたのだろう、サラの声は絞り出したかのようにか細かった。

 翔太だって人間の死体なんて生まれて初めて見たのだ。動揺している。


 「せめて、ちゃんとお墓に埋葬してあげなきゃ――」

 「駄目だ! 触るな!」


 死体に触れようと近づくサラを、翔太は反射的に呼び止めた。

 翔太の大声に、サラがびくりと肩を震わせる。


 「すまない、驚かすつもりじゃなかったんだ。見知らぬ死体に俺たち素人がむやみに触らない方がいいだろ?」


 どんな感染症をもっているか分からないからな、とは流石に細菌やウィルスの概念を持っていないサラに説明しても分からないだろう。


 「……そう、わかったわ」


 以外にも、サラは素直に頷くと死体から距離を取った。

 珍しく殊勝じゃないか。よっぽど死体が精神に堪えたんだな。


 「とはいえ、見つけた以上ここに放置するわけにもいかないな。普通こういう場合はどうすればいいんだ?」

 「うーん、まずは教会に連絡ね」


***


 「これは、酷いですね」


 死体の報告を聞き、教会から現場まで駆け付けたオットマー・ヴェルナーはそう言って顔をしかめた。


 「残念ながら、既に亡くなっています。私どもにできることは、せいぜいきちんと埋葬してあげることぐらいですね」

 「そう……。彼女の身元は調べられそう? きっと家族が心配しているわ」


 サラの言葉に、オットマーは申し訳なさそうに首を横に振った。

 

 「何も身に着けていませんし、人相がわかりませんので難しいでしょうね。それに――」

 「なんだ?」


 言い淀んだオットーに続きを促すと、オットーは声を落としてこう続けた。


 「この方は、状況を見る限り家族から酷い扱いを受けていた可能性もあります。名乗り出て来るとは思えません」

 「虐待されていた、ということね」

 

 サラの言葉に、オットマーは小さく頷いた。

 確かに、これだけ全身あざだらけなのだ。長年虐待されていた可能性は高いのだろう。


 「オットマー、死因は分かるか?」

 「はっきりとはわかりませんが、痩せ方を見るにおそらく栄養失調あたりでしょうか」

 「栄養失調、か」


 改めて死体を見ると、確かに直接の死因になりそうな目立った外傷はどこにもなかった。

 虐待の末の衰弱死、と言ったところだろうか。


 「まだ死体が比較的綺麗なので、死後そこまで時間がたっているわけではないでしょう。もう少し早く見つけられればと思うと、悔しいです」

 

 オットマーはそう言って、下唇を噛み締めた。

 優しいやつだ。


 「私がもう少し早く買い物を中断していたら助けられたかもしれないのね」

 「サラのせいじゃないさ」


 肩を落とすサラの頭に手を置いて、翔太は優しい言葉をかけた。


 「どちらにしろ、ここまでやせ細るほどの栄養失調だ。一時間二時間早く発見していても手遅れだったさ」


 サラは小さく頷くと、目を閉じて翔太の手を受け入れた。


 「それで、この死体はどうするんだ?」

 「はい、教会の方で引き取って埋葬しようと思います。そろそろ応援が来る頃です」


 オットマーはそこで言葉を切ると、路地の入口に目をやった。


 「いいタイミングですね、来ましたよ」


 オットマーがそう言って指さした方を見ると、三人の男が歩いて来ていた。

 内二人はオットマーと同じような恰好をしており、おそらく教会所属の魔術師なのだろう。

 その二人を従え、威風堂々歩いてくる真ん中の背の高い男だけが、雰囲気を異にしている。

 ゆったりとした白い服の上に臙脂色のマントを羽織るその姿には近寄りがたい神々しさがあった。


 「ラインマイヤー様!」


 近づいてくる三人の顔ぶれを見て、オットマーが驚きの声を上げた。

 間違いない、真ん中の男がラインマイヤーという名なのだろう。


 「わざわざこんな所までいらしていただけるとは!」

 「オットマー」


 翔太達の目前で立ち止まったラインマイヤーが、口を開いた。

 深く、心を震わせるような声だ。


 「私は創成協会ナリス教区の司教として、教区内に迷える魂があれば分け隔てなく神の御許に帰れるよう祈りますよ。さあ、見せてください」

 「は、はい。こちらです」


 暖かいほほえみを浮かべたラインマイヤーの言葉に、オットマーは恐縮して死体を指し示した。


 「おや、これは……」


 ラインマイヤーは死体のそばに跪くと、その温かい掌で恐怖にゆがんだ瞼をなぞって閉じた。

 そのおかげか、死体の表情から恐ろしさが和らぐ。


 「さあ、あなたが安らかな眠りにつけますよう、お祈りいたしましょう」


 そう言うと、ラインマイヤーは跪いたまま手を合わせた。

 翔太達も慌ててそれに倣う。


 ――流石司教様、死体の状況を見ても全く動揺しないのな


 啓太はラインマイヤーの背中を眺めながら、心の中で尊敬の念を抱いた。


 「さて――」


 暫くして、ラインマイヤーは立ち上がった。


 「彼女については、私どもの方で埋葬しましょう。お二人とも、ご連絡ありがとうございました」

 「いえ、こちらこそありがとうございます。司教様にお祈りいただき、彼女も安らかに眠れるでしょう」

 

 翔太が恭しくそう言うと、ラインマイヤーはにっこりと頷いた。


 「さあ、皆さん。彼女をここから運び出しましょう」

 「「「はい!」」」


 ラインマイヤーの言葉に立ち上がった魔術師達は、死体を再び布で丁寧に包み、担ぎ上げた。


 「では、我々はこれで失礼いたします」


 最後にそう挨拶すると、ラインマイヤーたちはあっという間に路地から消えていった。


 「ふぅ……」


 ひと段落着いたことで、翔太は大きく息を吐いた。

 

 ――ああ、めっちゃ緊張した!


 死体を見たことが無かったのは勿論、葬式にすら出たことが無かったため、先ほどの堅苦しい場はなかなかに肩が凝った。

 それでも、なんとか死体を発見したという想定外のイベントは片付いた。

 後は荷物を宿に置いて、買い物に戻れば――


 「サラ?」


 翔太はそこで、サラが未だに無言のままであることに気が付いた。


 「……どうした? お腹でも痛いのか?」

 

 いつもは翔太の軽口にすぐ乗って来るはずなのに、サラは肩を震わせたまま首を小さく横に振る。

 

 ――本当にどうしたんだ? 全然いつものサラらしくない


 「一回宿に戻ろうか。な?」

 「……うん」


 サラは蚊の鳴くような声で、ようやく答えると、力なく翔太の肩に捕まった。


***


 「それで、何があったか話せそうか?」


 宿に戻りサラが椅子に腰かけるのを見届けると、改めて翔太は尋ねた。


 「ええ。ごめんなさい、動揺したわ」

 

 現場を離れるときに青白かったサラの顔色に、少し朱色が戻って来たように見える。


 「仕方ないさ。あの死体はなかなかにグロかったからな」

 「ううん、そういうわけじゃないの」


 サラはゆっくりと首を横に振った。


 「実はね、私がいたローラス王国でも似たような死体が何度か発見されているのよ」

 「マジか」

 「ええ。私も何回か直接見たのだけれど、いずれも同じようにあざだらけだったわ」


 あれだけ特徴的なあざのつき方だ。偶然同じ見た目の死体が転がっているとは考えづらいだろう。

 ……何か繋がっている?


 「……ということは、あれは家庭内のいざこざとかそういうわけじゃなさそうだな」

 「ええ。もっと大きな陰謀が裏にある可能性が高いわ」

 「陰謀、か」


 碌に食事を与えずに無理やり働かせ、抵抗したら折檻するような連中が暗躍している、ということか。

 それは確かに対処が必要だ。


 「なるほど、サラはその謎を追ってきたのか」

 「ううん、違うわよ」


 ……違うのかよ!

 めっちゃシリアスに話すから、てっきり夢の話はフェイクで、これが本命かと思ったじゃないか。


 「私がナリスに来たのは夢のお告げだって言ったじゃない! ショータって、もしかして馬鹿なの?」


 お前にだけは言われたくない。あと、そんな哀れんだような表情をするんじゃない。

 仮にも記憶喪失設定なんだからちょっとくらい忘れてもいいじゃないか。


 「……じゃあどうしてあんなに震えていたんだ? いくら陰謀の匂いがする死体を見つけたからと言って、今すぐにお前の身に何かが起きるわけじゃないだろ」

 「それは分かっているわ。でも、あの死体を見て、私思い出しちゃったのよ」


 サラの声は、まだ少し震えていた。


 「何を?」


 サラはゆっくりと顔を上げると、真剣な表情でこう言った。


 「あのあざだらけの死体は、私の夢の中で沢山出て来たわ」

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