07 『神様、はじめました』

 エステル・ブリジット・アメリー・ランジュレは、生まれながら魔法に愛された少女だった。


 下級貴族の父と魔術師である母の間に生まれたエステルは、三歳の時には既に簡単な生活魔法を使い始めた。

 母による献身的な修行によりめきめきと魔法の実力を伸ばすと、彼女は十歳までにおおよその一般的な魔法を使いこなせるようになっていた。


 やがて天才少女の噂が王都まで広がり、エステルは史上最年少で王立魔法学院への入学を認められた。

 魔法学院でもその天賦の才をいかんなく発揮したエステルは、首席で卒業するころには人類がたどり着ける最上位の、『クラスⅣ』魔法を習得、名実ともに大陸最強の魔術師となっていた。


 その実績と自信があったからこそ、嵐竜相手でもエステルには勝算があった。

 実際にエステルの攻撃は嵐竜の魔法防御をやすやすと貫き、嵐竜の単調な攻撃は全て見切れていた。

 お互いの魔法を二合内あった頃には、嵐竜は確かに強敵だが、このまま淡々とダメージを与えて削り切れば倒せると確信していた。


 しかし。


 ――油断しましたね


 二匹目の嵐竜の登場は、想定外だった。

 強大な力を持つがゆえに単独行動が専らのドラゴンが二匹つがいで行動しているなど誰が予想できようか。

 それ以上にエステルが迂闊だったのは、目の前の嵐竜とのギリギリの戦いに意識を集中しすぎたことで発見が遅れ、その攻撃をまともに食らってしまったことだった。


 ――あの程度の不意打ち、普段なら築けましたのに……。結構いい所まで行ったと思うんですけど、残念です


 いくら何でも、二匹のドラゴン相手に勝つのは準備不足である今のエステルには不可能だった。

 油断大敵。今さら悔やんでも仕方が無い。

 

 そうして後悔を抱えたまま墜落した谷の底で、エステルはを目撃した。

 突如沸き起こった濃雲に、そこから降り注ぐ何条もの雷。


 「すごい……」


 暴風にかき回され地に打ち付けられた満身創痍の体から、思わずそんな言葉が口をついて出た。

 豪雨のごとく降り注ぐ雷は、目が眩むほどの光を放ちながら二匹の嵐竜に何度も何度も襲い掛かった。打ち付ける轟音の合間には、かすかな嵐竜達の悲鳴。


 ――あんな魔法、見たことない


 それは、これまでエステルが見て、聞いて、学んできたどんな魔法をもはるかに超越したものだった。瞬き程の間に天候を変え、そこから雷を何度も何度も正確に目標物に対して降らせる。

 一体どれだけの魔力と修行の果てに、そこへたどり着けるのだろうか。


 これまで大陸最強の魔術師として築き上げてきた自信が、打ち砕かれた。

 しかしそれは、なんと気持ちの良い自信喪失だろうか。


 自分にも、まだまだ才を伸ばす余地はあったのだ。

 あの魔法の使い手に教えを請えば、自分も更なる魔法の高みにたどり着ける予感がする。

 

 ――誰があの魔法を使ったのかは、わかっています


 雷が降り注ぐ直前、かすかにだがエステルはその詠唱を聞いていた。


 「ショータ君」


***


 雷が止むと、嵐竜だった二つの残骸は翔太が横たわっている谷底に墜落した。

 一億ボルトもの攻撃を数えきれないほど受けたその体は黒く焦げ付き、風に乗って肉の焦げたようなにおいが漂ってくる。


 ――す、すっげぇえええ! なんだこの威力!


 天に腕を伸ばしたままの姿勢で固まりながら、翔太は心の中で叫んだ。


 ――『プラネッタ』をプレイしているときに俺が適当に落としていた雷って、こんなヤバいものだったのかよ!


 自分で使っておいてアレだが、ドラゴン相手にもオーバーキルだった。

 ほとんど消し炭になっているし、鱗なんかは確かめるまでもなく全部焦げていそうだ。 


 ――まあ、鱗は元々不必要な記憶回復薬のための物だから、別に取れなくてもいい。それよりも、ここが『プラネッタ』の中だということがはっきりしたな


 ゲーム中と同じ『ベルベナ王国』や『王都ナリス』という地名から、それはほぼ間違いないだろう。

 そしてどうやら、翔太はこの世界で『プラネッタ』プレイ時と同じように世界に介入できるようだった。


 ――こっちに来てから使ったのが『隕石衝突』に『天変地異』。この調子だと『地形変更』とかもできそうだな


 好きなタイミングで隕石を落とし、天候を変え、地図を操作できる。

 ……なんというチートでしょう。


 ここまでスキルが強いと、おちおち試してみることも出来なさそうだ。


 ――うーん、後疑問なのは、今がいつで俺がなぜこの世界に来てしまったのかだな


 翔太が覚えている最後の『プラネッタ』の記憶は、うっかり滅ぼした世界の時を百年戻したことだ。

 もしかすると、この世界は百年後に滅びる世界なのかもしれない。

 いや、このまま世界の破滅に巻き込まれるなんて冗談じゃないぞ。

 

 ――一刻も早く、元の世界に戻る方法を探さないとな


 翔太の背中に、一筋の冷たい汗が流れた。



 「ショータ君!」


 突如谷底に、エステルの声が響いた。


 「エステル! 無事だったのか!」


 尾根の向こうから、エステルが飛行魔法で飛んでくるのが見える。

 全身には細かい傷がいくつもあり、半分ちぎれかけたローブからは豊かな赤髪があらわになっているが、それ以外はいたって平気そうだった。

 エステルは翔太のすぐそばに着地すると、その左腕を見て目を見開いた。


 「ショータ君、腕が折れてますよ!」

 「……ああ。落ちた時に、な」


 戦闘と、その後の思考の興奮により忘れていた腕の痛みが少しずつ戻ってきた。


 「大丈夫、私が治します」

 「治す?」


 エステルは小さく頷くと、両手を翔太の左腕の上に掲げた。


 「『大回復ハイヒール』!」


 エステルの掌から放たれた眩い緑色の光が触れると、翔太の左腕から痛みが消えていった。

 明後日の方向に曲がっていた腕がまっすぐに戻っていく。


 「ん……、痛くない」


 左手はあっという間に骨折前の状態に戻ったようで、手を握ったり開いたりしても待ったく違和感が無かった。


 「ありがとう、エステル」

 「そんな、大したことないです」


 おや?

 エステルの性格なら、もっとどや顔で『こんなの私にしかできないですからね!』くらい言いそうなものだが――


 「ショータ君に比べたら、私なんてまだまだですよ!」

 「ん? 今なんて言ったんだ?」


 なんだか聞き捨てられないような台詞を言われたような気がしたが、果たしてエステルはにっこり笑うと、こう続けた。


 「先ほど嵐竜を一撃で倒したショータ君の魔法に比べたら、私のなんて児戯ですよ!」

 

 い、一発でバレたー!


 「どどど、どうして俺があれを引き起こしたなんて思うんだ? か、雷なんて自然現象じゃないか」

 「詠唱を聞きました。それと、魔力の流れを見れば一発です」


 あ、はい。

 苦し紛れに発せられた翔太の言葉は、完膚無きまでエステルに論破された。


 「ショータ君、あんなすごい魔法をどこで習得したんですか!?」

 「え、えーっと」

 「あれはどう見ても人の領域を超越していました! まさに、神の一撃です!」


 ぎくっ。

 翔太の使ったゲーム内のアクションは、ゲームの中から見れば神の所業に該当しそうなものだ。

 どうやら、エステルは魔法のことになると途端に鋭くなるようだった。


 「ショータ君、いえ、師匠! ちょっとだけ、先っちょだけでいいんです、あの魔法について教えてください!」

 「いや、魔法の先っちょってなんだよ」


 ごほん。気を取り直して。


 「エステル、実はさっきの魔法は俺も無意識に使ったんだよ。知っての通り、俺は記憶をなくしていて――」

 「さあ師匠、早く次の嵐竜を探しに行きましょう!」

 「ちょっ、待て、引っ張るな! あと師匠はやめてくれ」


 そのままずるずると翔太を引っ張りだしたエステルを慌てて止めると、懐から素材リストの書かれた羊皮紙を取り出した。。


 「嵐竜なんてそんなにほいほいいるものじゃないだろ? それに嵐竜以外にもややこしそうな素材が沢山あるんだ」

 「その紙を見せてください」


 エステルは翔太から羊皮紙を受け取ると、熱心に内容を確認し始めた。


 「一角獣に巨人、それにマンドレイクですか」

 「な、どれも一筋縄じゃ――」

 「余裕ですね」


 そうですか、余裕ですか。

 さすが自称最強の魔術師だ。


 「じゃあ急いでこれを全部集めてきますね! それが終わったら翔太君に薬を飲んで記憶を取り戻してもらって、先ほどの魔法を教えてもらいます!」

 「ま、まて。記憶が戻ったからと言って教えるとは一言も言っていないぞ」

 「後は嵐竜の鱗なんですよね……」


 翔太の話には答えず、エステルが頭を抱えてしまった。

 全く、人の話を聞かない奴だ。

 とはいえ、元々素材リスト中では嵐竜の鱗が最難関だった。そこが突破されない限りは、薬の材料がそろわない。


 大丈夫。そのうちエステルも忘れるさ。


 「ショータ! エステル!無事だったのね!」

 「サラ!」

 「サラさん!」


 ようやく目を覚ましたサラが、手を振りながら駆けてきた。

 服は所々ほつれているが、それ以外には目立った外傷がない。むしろ元気が有り余っているかのようにスキップしているのは流石だった。


 「ねえ、嵐竜はどこ行ったの? 起きたらいなくなってたんだけど」


 どうやら、肝心なところを全部見逃していたようだった。

 幸せな奴め。


 「あいつなら、突然雷に打たれて焦げたぞ」

 

 そう言って、翔太は谷底に落ちた嵐竜の残骸を指さした。

 

 「ほんとだ! ラッキーね!」

 

 明らかに二匹いるとか、こんな晴れた日にいきなり雷が降って来るとかツッコミどころが多い翔太の説明だったが、サラにとっては十分だったらしい。


 「そうなんですよ、サラさん! ショータ君が――むぐぅ」

 「エステル! こっちで少しお話しような!」


 翔太は慌ててエステルの口をふさぐと、サラから少し離れたところで耳打ちした。


 「頼む、あの雷を俺が使ったことは内緒にしてくれ!」

 「どうしてですか? あんな素晴らしい魔法が使えるなんて、隠すことないじゃないですか! そ教えてあげたら、エステルさんも喜びますよ!」


 だから嫌なんだよ!

 出身地の件ですら興味津々にしつこく聞いてきたサラのことだ。翔太がチート技を使えるなんて知った日にはどれだけ面倒くさくなることか。


 「サラに知られたら困るんだよ。話したら魔法について教える話は無しだぞ」

 「はい! 話しません!」


 うん、扱いやすくてよい。

 暫くは、この手でエステルの口を封じられるだろう。

 サラが力強く頷くのを見て、翔太は話を打ち切った。 


 「何を話してたの?」

 「え、えーっと、今後の素材集めについて、な?」

 「そ、そうです! ほら、今回の嵐竜は鱗が全部焦げちゃったじゃないですか。ショータ君の記憶を戻す薬を作るために、また嵐竜を探さなきゃですねって相談してたんですよ!」


 慌てて言い訳した翔太とエステルの言葉を聞いて、サラの眼が細くなった。

 これは怪しまれたか――


 「なーんだ、そういうことだったのね!」

 

 サラが破顔した。

 良かった、やっぱり上手く誤魔化せたようだ。翔太はほっと安堵のため息をついた。

 単純な奴でよかった。


 しかし、それに続くサラの言葉が、翔太の顔を引きつらせることになる。

 

 「それなら心配ないわ! さっき目覚めた時、鱗が一枚落ちていたから、拾っておいたわ」


 そう言って広げたサラの掌には、太陽の光を反射して緑色に輝く一枚の鱗が乗っていた。


 って。

 それ、俺が最初に見つけたやつぅうううううう!

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