02 『剣と魔法の世界』
「ぐわはっ!」
本日二度目の衝撃に、翔太は再び情けない声を出してしまった。
――いや、痛い痛い痛い痛い! 夢の中なのに痛すぎるっ!
翔太を後から羽交い絞めにしている人物は、先ほど作った全身のあざを的確に攻撃してくる。
間違いなくプロの犯行だ。
「わ、私が召喚術に成功するなんて、夢みたいだわ! まだ魔法の才能は枯れていなかったのね!」
後ろの人物は、興奮した声でそうまくしたてた。
それに応じてか、翔太を抱きしめる力が増していく。
「痛い! 離してくれ!」
「きゃあ!」
そう叫びながら、翔太は腕を振りほどくと背後を振り返った。
美しい少女だった。
雪のように白く整った顔にはわずかなあどけなさが残っており、その中心には海より深い群青色の瞳が輝いている。腰まで届かんとする長い髪の毛は、太陽を溶かし込んだような金色だった。
「っ!」
翔太の顔を見て、少女が目を見開いた。
「だ、大丈夫か?」
乱暴に振りほどきすぎたのかもしれないと、翔太は少し罪悪感を覚える。
少女はそれには答えずに、驚愕の表情を浮かべたまま口を開いた。
「に……」
「に?」
「人間!?」
突然の大声に、翔太はビクッとした。
「いや、お前も人間だろ?」
「そうだけど」
とりあえず、少女は見た目に反した存在ではなさそうだ。
「しょ、召喚魔法で人間を召喚できるなんて知らなかったわ! これはクラス三、いえ、クラス四の魔法ね!」
そんな訳の分からぬことをのたまいながら、少女は満面の笑みでガッツポーズした。
「私がこんなすごい魔法を使えなんて知ったら、皆驚くわ! わーい!」
「……ちょっといいか?」
喜びのあまりとうとうスキップを始めた少女を呼び止めて、翔太は肝心なところを尋ねた。
「さっきから、召喚魔法って言ってたよな?」
「ええ、言ったわよ。私があなたを召喚したのよ」
少女は、なぜそんなことを聞くのか分からないといった表情をしていた。
うん、この際魔法云々の存在については置いておこう。
「えーっと、誰が?」
少女はどや顔で自分自身を指す。
「誰を?」
少女の指が、翔太を指した。
「俺は別にお前に召喚なんかされてないぞ」
「そ、そんなはずはないわ! 私が召喚魔法を使った瞬間、あなたが空から落ちて来たんだもん!」
なんだその偶然は。
「いいわ! そんなに疑うんなら証拠を見せてあげるわ!」
そう言い放つと、少女は翔太を再び指さして、こう叫んだ。
「さあ、ジャンプしなさい!」
「……」
二人の間に、冷たい風が流れた。
翔太の足は、当然のごとく地面に張り付いている。
「こ、こら! ご主人様の命令よ! ジャンプしなさい! 私に召喚されたんだから、私の命令には逆らえないはずよ!」
「……」
しばしの沈黙。
二人の間に吹く風は、先ほどよりも幾ばくか冷たさを増したような気がした。
「ほらっ! こうよ!」
翔太が全く反応しないのを見て、少女はついに自分で跳び始めた。
いや、ジャンプ位お手本無しでもできるんだが。
「ほらっ! ほらっ!」
「……ぴょん」
顔を真っ赤にしながら必死に跳ぶよう命じてくる少女があまりにもかわいそうなので、口で効果音を出してあげた。
「……もしかして、本当に私に召喚されてないの?」
「ずっとそう言ってるけど」
「そんなぁ……」
少女は、そのまま頭を抱えてうずくまってしまった。
「うう、ヒック、せっかく上手く行ったと思ったのに。やっぱり私には才能なんてないんだわ……、グスッ」
少女はそのままぶつぶつとつぶやきながらすすり泣き始めた。
「まあなんだ、その、元気出せよ」
「慰めは良いわよ。もう、期待させておいて……」
段々と少女の声に恨めしそうなトーンが乗ってきたような気がする。
これは、話題を変えた方がよさそうだ。
「そもそも、どうして召喚魔法なんて使ったんだ?」
「それはもちろん―― あっ!」
少女は勢いよく立ち上がると、慌てて後ろを振り返った。
「どうした?」
翔太もつられて後ろを振り返る。
背後には、木々が鬱蒼と茂る森が佇んでいた。木々の密度が高く下草が伸び放題になっているためか森の中は薄暗く、こちらからでは中の様子が全く見えない。
「何にもないじゃないか――」
「しっ!」
少女は唇に指をあてて翔太の言葉を制すると、腰にさした剣を抜いた。
――何か来るのか?
耳を澄ませると、草が風になびくさらさらとした音に交じり、かすかに土を蹴り草を踏みしめる音が聞こえてきた。
「追ってきてるわね」
「何が?」
「
ゴブリン。伝説上の小さな鬼。
この世界には、そんなものまでいるのか。
――夢とはいえ、俺の想像力も捨てたもんじゃないな
夢にしては若干リアルすぎる気もするが、とにかくそう自分に言い聞かせることで心の平穏を保つ。
森の奥から聞こえてきた足音は、段々ハッキリとしてきた。
「私の魔法じゃあいつらを倒せないから、イチかバチかで召喚魔法を使ったのよ」
剣を構え意識を森の方に集中させたまま、少女はそう言った。
なるほど、それで魔法に失敗したから剣で戦おうとしているのか。
「剣の腕に自信はあるのか?」
「無いわよ! 人生で初めて抜いたわ!」
それは自信満々に言うことじゃない!
言われてみれば、少女の構えは素人間丸出しのちぐはぐしたものだった。
あんなへっぴり腰はなかなかお目にかかれない。
「ね、ねえあなた。私が召喚してないとはいえ、空から現れたのよね? すごい魔法を使えたりしないの?」
「いや、魔法なんて使ったことない」
「そ、それじゃあ剣の腕が伝説級だったり……」
「剣を振るったことなんてないし、そもそも今は丸腰だぞ」
「と、とにかくここは共闘しましょう! ここまで来たらどうせあなたもゴブリン共から逃げられないわ!」
き、汚ねぇえええええ!
この女、何だかんだ翔太を戦闘に巻き込むつもりだ。
「いや、遠慮しておこう。俺は戦いなんて野蛮なことはしたくないんだ。ゴブリン討伐の名誉はお前に譲ろう」
「何言ってるの? 一緒に歴史に名前を残しましょう?」
「いやだ!」
「いやじゃない! やるのよ! それしか助かる道はないわ!」
しまいには少女が剣を無理やり翔太に押し付けてきた。
翔太も必死にそれを押し返す。
二人が無言で剣の押し付け合いをしていると――
「へっへっへっ。いつの間にかニンゲンが二人に増えてるぜ」
「旨そうだなあ。ぐへへ」
森の中から、いくつもの小さな影が飛び出してきた。
子供のような身長に、苔が生えたような緑色の皮膚。ニタニタといやらしく笑う口元には、鋭い牙が覗いている。
間違いない。あれがゴブリンなのだろう。
――ひぃ、ふぅ、みぃ。全部で十体か
ゴブリンたちは皆使い込まれた金属製の剣と木製の盾を持ち、鼻息を荒くしている。
かたやこちらは魔法の才能がないという魔法使いの少女に、人生で初めて剣を握る現代人。
――うん。勝ち目ないな
「ほ、ほらあなた! 行くわよ!」
「行くわよって言われても、勝てる気がしないんだけど」
まだここが夢の中だという可能性に欠けてさっさと気絶した方がましかもしれない。
「いい? あいつらに捕まったら、生きたまま皮を剥がれて、目をくりぬかれるわよ!」
「マジか」
いや、それはいくら夢でも嫌だぞ。
「わかったら早く! 行くわよ!」
そう叫ぶと、少女は手をゴブリンたちに向けて突き出した。
「こいつ、魔法使いか!」
今にも突撃しようとしていたゴブリンたちは、少女の詠唱を聞いて踏みとどまった。
「『
「おお!」
少女の掌から、まばゆいばかりの紅い光が迸った。
光は次第に球形にまとまっていく。
「えい!」
少女は、掛け声とともにその赤い球を投げた。
掌から勢いよく放たれた火球はまっすぐにゴブリンたちの方に飛んでいくと――
ゴブリンの持っていた木製の盾に打ち消されて消滅した。
「き、効いてねぇええええ!」
「うるさい! 魔法は苦手だって言ったでしょ!」
顔を真っ赤にしながら、少女が叫ぶ。
「へへっ、魔法を使ったから慌てちまったが、こんな豆鉄砲だったとはな」
「ははははは!」
ゴブリンたちが、腹を抱えて笑い転げるのが見えた。
「ああ、もう! 逃げるわよ!」
自分の魔法ではかなわないことを確信し、少女は踵を返して走り出した。
「ちょ、待てよ!」
翔太も慌てて追いかける。
自分だけおいて涸れてゴブリンたちにもてあそばれるなんて御免だ。
「他に何か魔法は使えないのかよ!」
「使えるわよ! 髪の毛を濡らす程度の水を出す『
見事なまでに役立たずな魔法だった。
「ほら、しゃべってると舌を噛むわよ! とにかく走って! この草原を抜ければ、街に出るわ!」
「わ、わかった!」
少女はそれだけ言うと、わき目もふらずに走り出した。
翔太もその背中を必死に追う。
必死に、追う。
必死に――
――あいつ、逃げ足速すぎだろ!
あっという間に、少女の背中は小さくなっていった。
「こんな、はぁ、ことなら、ふぅ、もっと、はぁ、運動しておけば、ひぃ、良かった」
情けないことだが、運動不足の社会人が急にダッシュしたらこうなるのだ。
すぐに息が切れ切れになり、脇腹に鋭い痛みを感じる。
わずか数百メートル走ったところで、翔太は足をもつれさせて地面に倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「覚悟ができたみてぇだな」
一瞬のうちに追い付いてきたゴブリンたちが翔太の姿を見てにんまり笑った。
「あの女には逃げられちまったが、お前の方が食いでがありそうだ」
「く、食われてたまるか!」
既にがくがくと震えてしまっている膝をひっぱたき、翔太は何とか立ち上がった。
夢の中とは言え、逃げなきゃ殺される。痛い思いをする。
――これは本当に夢なのか?
心の片隅で、そんな声が聞こえた。
刺すように痛む脇腹、必死に酸素を送ろうと加速する心臓の鼓動には生々しいリアルさがあった。
ゆっくりとゴブリンたちが距離を詰めて来る。
それと同時に、彼らの、獣臭が風に乗って届いてきた。
彼らが握る剣の鈍い輝きが、盾に刻まれた傷跡が、これが夢ではないと主張しているように感じる。
――そうだ。これはリアルだ
現実だとしたらどうする?
身を隠すものが何もない草原で、武器を持った敵が十人。
こちらは元々役に立っていなかった魔法使いにすら逃げられ、本当に独りぼっちだ。
右手には彼女から押し付けられた剣が握られているが、振り方を知らなければただの棒である。
「俺には足を一本くれ」
「俺は手がいいな」
「お前らわかってないな。ニンゲンで一番味があるのは顔なんだよ」
だらりと手を下したまま固まる翔太を見て、ゴブリンは勝利を確信したのか分け前の話を始めた。
勘弁してほしい。
――ああ、俺はここで死ぬのか
ただゲームをプレイしていただけなのに。
こんな訳の分からない世界に連れてこられ、いきなり変な少女のトラブルに巻き込まれるなんて、理不尽この上ない。
――ゲーム、ゲームか
『プラネッタ』を遊んでいたのが遠い昔のように感じられた。
せっかく百年間時を戻したというのに、結局エンディングにたどり着けないのか。
――これが『プラネッタ』ならなぁ。適当に雷か隕石でも落としてあいつらを一掃してやるのに
無いものねだりなのはわかっていた。
現実には隕石がピンポイントでこの瞬間落ちて来ることなんてないし、空は気持ちのいい程晴れている。
翔太は、憎らし気に空を眺めた。
――ああ、隕石でも振ってこないかな
半ばやけくそ気味に空を見上げると――
「ん?」
青空に、ぽつんと白く光るものが見えた気がした。
「おい! あれは何だ!?」
ゴブリンたちも気付いたのか、空を見上げる。
小さな点だった光は、いつの間にか大きな光の塊になっていた。
――まさか
「おい、逃げろ! 何か落ちて来るぞ!」
ゴブリンたちは森へと全力で後退していく。
光が瞬き、塊がいくつにも分かれる。
ジェット機のエンジンのような轟音が耳元をかすめた。
そして――
世界は、白い光に包まれた。
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