32 秀次の想い

 普段は賑やかな声に包まれる居酒屋だけど、今日は少し落ち着いた雰囲気だ。


「ここ、高そうだな。個室だし」


 俺が言うと、


「ああ、気にしないで。今日は俺がおごるから」


 光が言う。


「いや、そんな悪いって」


「気にするなよ。俺とお前の仲だろ?」


「光……」


「それに、秀次に可愛いお嫁さんが出来た祝いでもあるしな」


 光が言うと、俺のとなりに座っていたひよりが照れたように微笑む。


 そうこう話している内に、お酒が届いた。


 俺と光が生ビール、ひよりがカシオレだ。


「じゃあ、秀次とひよりちゃんの素晴らしき夫婦を祝って、カンパーイ!」


 カチン、とぶつけ合う。


「……ぷは~、美味いね~」


 光は言う。


「けど、光。ありがとな」


「ん?」


「今日、お前が来てくれなかったら、ちょっとヤバかったかも」


「あはは、感謝してくれ」


 光はニカっと笑う。


「ていうか、みんな秀次が俺とバッテリーを組んでいたって、知らなかったんだ。野球部の人たちもさ」


「まあ、言わないようにしていたからな。とりあえず、野球部ってことだけは言っておいて」


「何で? 言えば絶対にモテるじゃん」


「俺はもう、野球はやめたからさ」


 そう言うと、光は少しだけ笑みを引っ込めた。


「何で、秀次は……」


 言いかけた光が、ハッとしてひよりを見た。


「あはは、ごめんね。俺たち二人だけで話しちゃって」


「い、いえ、そんな」


「で、ひよりちゃんは、秀次のどんな所に惚れたの?」


「おい、いきなりかよ」


「良いじゃんか」


「え、えっと……優しくて、強くて、いつも私を守ってくれる……そんなカッコよさが大好きです」


「ひ、ひより……」


「ひゅ~」


「光、うるせえ」


 俺はグイ、とビールを飲む。


「お前こそ、どうなんだよ。相変わらず、モテモテだったし」


「う~ん……今は野球以外に興味がないかな」


「それ、昔からずっと言っているじゃないか」


「あはは。まあ、強いて言うなら……秀次のことが好きだよ」


「ぶはっ!」


「ひゃっ!」


「ご、ごめん、ひより……」


「い、いえ、大丈夫ですか、秀次さん?」


 むせた俺の背中をひよりがさすってくれる。


「いや~、本当に夫婦だね~」


 のんきにつまみを食いながら言う光がウザかった。


「でもまあ、割とマジな話よ? 俺はさ、プロでも秀次とバッテリーが組みたかった」


 光が少し真剣なトーンで言う。


「プロのスカウトだってお前を誘っていただろ? 何でやめたんだよ? あの時は、『俺はお前みたいなスターじゃないから』とか言っていたけどさ……」


 少し顔を歪めて言う光を見て俺は、


「……甲子園、最高だったよな」


「えっ?」


「最高の仲間たちと一緒に、暑い夏に熱く燃え上がって……あれが俺の野球人生における頂点だって、思ったんだ」


「それはまあ、高校野球、甲子園は特別だからな」


「ああ。だから、ここでやめておこうと思ったんだ」


「頂点でやめる……って考えは理解出来るよ。でもさ……秀次はもう、野球が好きじゃないのか?」


「そんなことはないよ。俺は今でも野球が好きだ」


「だったら……」


「けどさ……俺はもう、違う夢を持っていた……いや、今もそうなんだけどな」


「違う夢って?」


「温かい家庭を持つこと」


 俺が言った時、となりでひよりが息を詰めたように聞こえた。


「平凡だけどな」


「いや、それは立派なことだと思うけど……だったら、プロ野球選手になっても作れるだろ?」


「でもさ、俺たぶん、プロになったらそれこそ野球にのめり込んじゃうと思うんだよ」


 俺は言う。


「だって、野球が大好きだから」


「秀次……」


「でも、あの甲子園の楽しさは絶対、今後の人生で超えられない。だから、俺は野球をやめた。そして、次は平凡でも温かい家庭を持つこと……素敵なお嫁さんをもらってな」


 俺はひよりを見てそう言った。


「秀次さん……一緒だったんですね」


 見つめ合うと、俺はドキリとしてしまう。


「うん……そうだよ」


 けど、それでもひよりから目を離さない。


「え、もしかして、キスするの?」


 光が言うと、俺たちは赤面しながらハッと顔を向けた。


「まあ、ご自由にどうぞ」


「いやいや、お前……」


 俺は顔を火照らせたまま、


「悪い、ちょっとトイレ」


「こら、逃げるなよ~」


「うるせえよ」


 俺は光にからかわれながら、トイレに向かった。




      ◇




 二人きりになると、私は緊張してしまった。


 目の前に居るのは、有名なスターのプロ野球選手。


 あまり詳しくない私でも、顔と名前くらいは知っている凄い人だ。


「ねえ、ひよりちゃん」


「あ、はい」


「秀次とのなれそめ、聞かせてよ」


「えっ?」


「あいつが居ると、いちいち照れて面倒だからさ」


「わ、私も……照れちゃうんですけど……」


「良いよ、じっくり聞かせてもらうから」


 高杉さんはニコッと笑って言う。


「え、えっと……」


 それから私は、緊張しながらたどたどしくも、これまでの秀次さんとのことを話した。


「……そっか」


 高杉さんはあまり多くを語らず、ただ頷いて飲み込んでくれた。


「あいつらしいな」


「えっ?」


「実は俺も高校時代、あいつに救われたんだ。俺、最初の頃はチームメイトに嫌われていたから。性格も、今よりもずっと人当たりが悪かったし」


「そ、そうなんですか?」


「うん。けど、秀次が寄り添って、支えてくれたんだ。野球の世界では、ピッチャーとキャッチャーのことを夫婦に例えて、キャッチャーが女房役って言うんだけど」


「あっ」


「ん?」


「い、いえ、何でもないです」


 あの電話の会話は、そういうことだったのか……


「あいつは良い女房だったよ……なんてね。けど、今では立派な……君の旦那様なのかな?」


 そう言われて、私は思わず両手で口を押えてしまう。


「えっ? あ、ごめん。何か気に障ることを言っちゃったかな?」


「い、いえ、違うんです……嬉しくて。私、秀次さんのこと……彼氏以上に……旦那様にしたかったんです」


「あはは、もうべたぼれじゃん。嬉しいよ、かつての相棒として、俺も」


「はうううぅ~……」


 私が情けない声を漏らすと、高杉さんは笑う。


「じゃあ、俺から一つだけ、君にお願いしても良いかな?」


「え?」


「秀次は強い男だ。けど、あいつも一人の人間だからさ。これからは君が、秀次を支えてやって欲しい」


 高杉さんは優しい目でそう言った。


 だから、感じる。


 ああ、この人は本当に、秀次さんのことが好きで、感謝しているんだって。


 きっと、最高のバッテリーだったんだって。


「……はい。がんばります」


 だから、私は強く頷いた。


「うん、ありがとう」


 高杉さんはニコッと笑った。


 すると、個室のふすまが開く。


「ふぅ~……ごめん、遅くなった」


 秀次さんが戻って来た。


「おい、光。ひよりに変なこと話してないだろうな?」


「えっ? 変なことって……ああ、秀次のアレが野球部で一番立派だったって話とか?」


「ふざけんな、バカ」


 秀次さんが高杉さんの頭を叩く。


「あいたっ」


 秀次さんがチラッと私の方を見る。


 そして、私は、


「……た、確かに、すごいですもんね」


 つい、そんな風にこぼしてしまう。


「ひ、ひより?」


「ハッ!」


「へぇ~?」


 高杉さんがニヤッと笑って言う。


「勘弁してくれ……」


「秀次、ごちそうさん」


「……まあ、酒とメシ代はお前が出してくれるもんな」


「そういうこと」


 そんな風にやり取りする秀次さんたちを見て。


 私は何だか、微笑ましい気持ちになった。







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