24 強く抱き締める

 夏祭りが終わって、家に帰って来た。


「……何か、ホッとします」


「ん?」


「あ、秀次さんとの夏祭りデート、すごく楽しかったんですけど……やっぱり、このお家が一番落ち着くなって思って……」


「あはは、確かにね」


 俺は笑って言う。


「ひより、先にお風呂に入って良いよ」


「えっ?」


「汗、かいただろ?……あっ」


 自分で言っておいて、何か急に恥ずかしくなった。


「……と、とにかく、お先にどうぞ」


「秀次さん……」


 ひよりは何やら噛み締めるように俺の生を呼んで、胸の前でキュッと手を握った。


「……一緒に、入りたいです」


「ひより?」


 俺が目を向けると、彼女は切実な瞳で俺を見つめていた。


「わ、私……秀次さんと一緒に……お、お風呂に入りたいです」


「いや、でも、それは……」


「お、お願いします……」


 ひよりの言葉は弱々しい。


 けど、目はジッと、俺のことを見つめ続けている。


 そこには柔らかさの中にも芯の強さを感じた。


「……俺とひよりは恋人同士だもんな」


「は、はい」


「だから……それくらい……ふ、普通……だよな?」


「そ、そう……ですね」


「よし、入ろうか」


 俺が思い切って言うと、ひよりは顔を真っ赤に染めつつも、


「は、はい!」


 強く頷いた。




      ◇




 チャプン、と水滴の跳ねる音がした。


「す、すごい……おっきい」


「そ、そうかな?」


「はい、すごく大きいです。秀次さんの……背中」


 ひよりは言う。


 俺は無性に照れ臭くなった。


「ま、まあ、ガタイが良いだけが取り柄だからな」


「そ、そんなことないですよ」


「ていうか、本当に背中を洗ってもらって良いの?」


「も、もちろんです。これは前からずっと、私が秀次さんにしてあげたかったことなんです」


「じゃあ……お願いします」


「はい」


 ひよりは照れつつも弾んだ声で言って、俺の背中をスポンジで洗い始めた。


「い、痛くないですか?」


「大丈夫、ちゃんと気持ち良いよ」


「よ、良かったです」


 ひよりは細い腕で、懸命に俺の背中をゴシゴシと洗ってくれている。


 そう考えると、嫌らしい気持ちよりも、純粋に感謝の気持ちが勝っていた。


「よいしょ、よいしょ」


「あはは、ひより、可愛いな」


「そ、そうですか?」


「うん。一生懸命なひよりは、可愛いよ」


「はううぅ~……」


 それから、ひよりは最後まで一生懸命に俺の背中を洗ってくれた。


 そして……


「あ、じゃあ、俺は先に上がるから。ひよりはゆっくり浸かってくれ」


 俺はそう言って、そそくさと風呂場から出て行こうとする」


「ま、待って下さい」


「えっ?」


「い、一緒に……入りませんか?」


「でも、ひより……」


「お願いします……」


 ひよりが潤んだ瞳で俺のことを見つめて来る。


 理性の柱が、軽く揺らいだ。


「……じゃあ、ちょっとだけな」


「ほ、本当ですか?」


「ていうか、俺だって本当はそうしたかったし」


「う、嬉しいです」


 俺とひよりは、一緒に湯船に浸かった。


「……ど、どうした? そんな風に、俺のことを見つめて」


「秀次さん……胸板もたくましいです」


「そ、そうかな?」


「あの、えっと……さ、触っても良いですか?」


「えっ」


「ひ、秀次さんだって、私のむ、胸に触ったんだから……良いですよね?」


「そ、それを言われると、何とも言えないです」


 俺はあっさりと観念する。


「良いよ」


「じゃ、じゃあ……」


 ひよりはそーっと、俺の胸板に触れた。


「……あっ」


「ど、どうした?」


「す、すごい……固いです」


「あ、ありがとう?」


「わ、私は……このたくましい胸に、いつも抱いてもらっていたんですね」


 ひよりは少し、感慨かんがい深そうに言う。


「……秀次さん。抱いて下さい」


「ぶはっ! ひ、ひより?」


「あっ! そ、そういう意味ではなくて……ギュッとして欲しいなって……」


「そ、そうか……」


 俺は胸のドキドキが収まらない。


「秀次さん……」


「ひより……」


 俺は彼女を抱き締めた。


 バシャッ、と水面が波を打つ。


「……私、幸せすぎて、死んじゃいます」


「それは困る。じゃあ、離そうか?」


「もう少しだけ……」


「分かったよ……」


 しばらく、俺は無言のままでひよりを抱き締めていた。


 やがて、ふっとひよりと目が合う。


 また、キスをした。


「ひより、俺……」


「秀次さん……」


 あの時、もし浴衣がレンタル物じゃ無かったら。


 俺たちは、どこまで行っていたんだろうか?


 というか、今はほんの少し、俺が勇気を出せば――


「ひより……キス以上のこと、しても良いか?」


「へっ?」


 俺はそれ以上は何も言わず、黙ってひよりと見つめ合う。


「あっ……や、優しくして下さい……」


 出来ることなら、最初はちゃんと布団の上って思っていたけど……


 どうやら、もう止まりそうになかった。


 俺は少しだけ強く、彼女の肩に触れた。


 ピクン、と震える姿が、やはりいじらしい。


「ひより……」


「秀次さん……」


 見つめ合った俺たちは、またキスをする――



「……うきゅぅ~」



「えっ?」


 俺はひよりの抜けた声を聞いて、少し固まった。


「お、おい、ひより?」


 気が付くと、ひよりは顔が真っ赤になって、ぐったりしていた。




      ◇




 薄暗い部屋の中で、布団に横たわるひよりの手を握っていた。


「苦しくないか、ひより?」


 俺が問いかけると、


「……ご、ごめんなさい。のぼせてしまって」


「いや、仕方ないよ。ていうか、俺のせいだし」


 俺が言うと、ひよりは首を横に振った。


「せっかく、秀次さんと……はううぅ~……」


「気にするなって。また、いつでも……いや、何でもない」


 ヤバい、俺までのぼせそうだ。


 深呼吸をして気持ちを押さえる。


 そして、うちわでひよりの火照った顔を優しく扇ぐ。


「……秀次さん」


「どうした? 水、飲むか?」


 俺が言うと、ひよりはまた首を横に振る。


「私……秀次さんの彼女になれて嬉しいです。自分にはもったいないくらい、幸せだって思っています」


「ありがとう」


「でも……本当は、それだけじゃ嫌なんです」


「えっ?」


 ひよりはのぼせて目がぼやけているはずなのに、俺のことを真っ直ぐに見つめて来る。


「……お嫁さんになりたいんです」


 彼女は言う。


「私は秀次さんの……お嫁さんになりたいです」


 俺は黙って、彼女の言葉に耳をかたむける。


「私……家族が欲しいんです」


「ひより……?」


「あまり、家族の愛情に恵まれなかったから……」


 少し弱音を吐くような顔をした彼女の手を、俺は優しく握った。


「だから、秀次さんのお嫁さんになって、温かい家庭を……あっ」


 俺はひよりを抱き締めた。


「……俺も、ずっと思っていたよ」


「秀次さん……?」


「もし、この子が俺の嫁になってくれたら……って」


 そう言うと、ひよりの目から雫がこぼれた。


 俺は微笑む。


「結婚しよう、ひより」


 そして、とうとう、ひよりの涙の防波堤は壊れた。


 とめどなく、涙が溢れ出す。


「ご、ごめんなさい、私……」


「謝らなくても良いよ」


 俺は抱き締めた彼女の耳元に囁く。


「もちろん、今すぐって訳には行かないけど……俺はもう、お前以外の女のことなんて考えられない。お前の……ひよりのいない人生なんて……あり得ないよ」


「秀次さん……」


 俺はティッシュを取ると、ひよりの涙を拭いてあげた。


「……泣いたおかげかもしれないです」


「ん?」


「少し、楽になりました」


「そうか」


「だから、秀次さん……」


 ひよりは体を起こして、俺を見つめる。


「さっきの続き……最後まで」


「えっ」


 俺は思わず、動揺した声を漏らしてしまう。


 彼女の体のことを思えば、ここは無理をするべきではない。


 けど……その心を、無視することなんて出来ない。


 何より、俺の気持ちが……


「……本当に良いのか? 初めて……なんだよな?」


「はい……大切な初めてを……あなたに捧げます」


 ひよりは涙に濡れた目で俺を見つめてそう言った。


「俺も、初めてだよ」


「ほ、本当ですか? 秀次さんはカッコ良くてモテるだろうから、きっと経験済みなのかと……」


「今まで、そんなモテたことなんてないよ。俺のことをこんなに好きって言ってくれるの、お前だけだ……ひより」


「秀次さん……」


 俺は再び、ひよりを布団に寝かせた。


「あっ……」


「……ひより、優しくする。けど……俺も男だから。好きな女を前にして、どこまで理性が持つか……」


 俺が情けなくも不安げに言うと、ひよりはくすりと笑う。


「秀次さん、良いですよ」


「え?」


「私を……ひよりを……メチャクチャにして下さい」


 一体、どこでそんな言葉を覚えたのか。


 けど、それで俺の理性は半壊した。


 だから、いつもよりも強く、彼女を抱き締めた。




      ◇




 気付けば、朝の小鳥の鳴き声が聞こえていた。


「んっ……」


 身じろぎすると、となりでまだ寝息を立てている彼女がいた。


 その寝顔が可愛くて、しばらく見つめていた。


 すると、彼女がゆっくりと目を開く。


「……秀次さん?」


「おはよう、ひより」


「おはようございます……」


 ひよりは少し寝ぼけていたけど、


「……あっ」


 昨晩のことを思い出したのか、急に顔が赤く染まった。


「あ、あの、私……」


「ひより」


 俺が呼ぶ。


「可愛かったよ、すごく」


 ひよりは目を丸くして、


「ひゃ~……」


 赤面する顔を両手で覆った。


「ひより」


「は、はい……」


「大好きだよ」


 そう言うと、ひよりはゆっくりと手をどかす。


「……私もです」


 そして、ひよりは俺に抱きつく。


 どこまでも可愛い彼女を、俺はずっと抱き締めていた。







 第1章 完










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