2 涙がこぼれる

 大学での男同士の会話は……


「あの子、可愛いよな~」


「俺、連絡先ゲットしたぜ?」


「えっ、マジで? 俺にも教えろよ」


「百万円な」


「ぶっ殺すぞ」


 本当に下らない。


 そんな風に言い合う友人たちを見ていたら、


「ていうか、秀次は最近、可愛いなって思う子はいるか?」


「えっ? そうだなぁ」


 俺はうーん、と考え。


「一緒にバイトを始めた安藤さんとか、すごく良い子だと思う」


「安藤って……安藤ひよりのこと?」


「うん、そう」


「まあ、確かに、素材は結構良いかもしれないけど……ちょっとやせっぽちだからな」


「何か、貧乏みたいだしなぁ。そういう女は、ちょっと」


 友人たちはケラケラ笑って言う。


「おい、お前ら。そんなこと言うなよ」


 俺はつい、声にりきが入ってしまった。


「な、何だよ、秀次。マジになるなって」


「そ、そうだよ」


「あ、すまん……」


 俺は素直に詫びた。


 二人が冗談交じりに言ったことは分かっていた。


 でも……あの時、彼女がこぼした涙を思い出すと、つい感情的になってしまったんだ。


「あっ、噂をすれば。安藤さんだよ」


 友人が言うので目を向ける。


「おい、何かあの子、フラフラしていないか?」


「貧乏だから、ロクにメシを食えてないんじゃないか?」


「ていうか、秀次んとこのコンビニバイトで、弁当とか恵んでもらえないの?」


「ひと昔まえはそうだったかもしれないけど。今は色々とうるさいから、食中毒の問題とかで。廃棄をもらうことはないよ、少なくとも俺が働いている店では」


「何だよ、ケチくせえな」


 部外者なのに文句を並べ立てる友人を無視して、俺はじっと安藤さんを見ていた。


 そういえば、昨日のバイト終わりの時も……


『あれ、また痩せた?』


『あはは、ごめんなさい。この前、松尾さんに助けてもらったのに』


『いや、そんな謝ることじゃないよ。また俺ん家に来るか?』


『そ、そんな、良いですよ』


 謙虚で遠慮しぃな彼女は、そう言って断った。


 でもあの時、無理やりでも俺の所に連れて来るべきだった。


「あっ」


 誰がともなく声を発した。


 安藤さんの細い体が、ふらっと揺らぐ。


 そして、床に倒れた。


「きゃー!」


 講義室内はにわかに騒がしくなる。


「おい、やべえじゃん!」


「マジかよ!」


 そんな友人たちの声を捨て置いて、俺は駆け出した。


 倒れる安藤さんのそばに寄る。


「安藤さん、大丈夫か?」


 俺は必死に呼びかける。


「……うっ……松尾さん?」


「待っていろ、今すぐ保健センターに連れて行くから」


 俺は倒れる彼女の体を持ち上げる。


 それは驚くほど、軽かった。


 周りに注目など無視して、俺は猛スピードで講義室を飛び出した。




      ◇




「栄養失調ね」


 大学内に併設されている保健センター。


 そこの看護師さんが言った。


「大丈夫、休めばよくなるわ」


「ありがとうございます」


「じゃあ、何かあったら声をかけてね」


 看護師さんは笑顔を浮かべて去って行った。


 俺はベッドの上で静かに眠る安藤さんを見つめた。


 その頬は痩せていた。


 俺は胸が締め付けられる。


「……ごめんなさい」


 ふいに、安藤さんが声を発した。


「安藤さん、起きたのか?」


「……ごめんなさい」


 違った。


 安藤さんはまだ眠っていて、うなされている。


「……私なんて……邪魔だよね……ごめんなさい」


「安藤さん」


 俺はその手を握り締めた。


 すると、彼女の目がふっと開く。


「あっ……松尾さん」


「大丈夫か、安藤さん?」


「は、はい……すみません。も、もしかして、わざわざここまで運んで下さったんですか?」


「大したことじゃないよ」


「そんな……ごめんなさい」


 今にも泣きそうな顔で言う彼女を見て俺は……


「……えっ?」


 彼女を抱き締めていた。


「……もう、謝らないで。君は何も悪くないから」


「……ま、松尾さん」


 それからしばらく、彼女は涙をこぼしていた。


 俺は彼女が落ち着くまで、ゆっくりと待つ。


「……ありがとうございます、少し落ち着きました」


「そっか」


 俺は彼女から離れる。


「あ、ごめんね。いきなり抱き締めたりして、嫌だったかな?」


「そ、そんなことありません。松尾さんの体は大きくて、立派で……すごく温かかったです」


「あはは。安藤さんは小柄で華奢だから、傷付けないか心配だったよ」


「うふふ」


 ようやく、安藤さんは笑ってくれる。


「ねえ、安藤さん。良かったら、俺に君の事情を話してくれないかな?」


「えっ?」


「だって、こんな風に倒れるなんて、普通じゃないからさ」


「あ、そうですよね……ごめんなさ……あっ」


 安藤さんは口をつぐむ。


 俺は辛抱強く、彼女が自分から言葉を発するのを待った。


「……私、家族がいないんです」


「えっ?」


「あ、戸籍上、ちゃんと家族はいるんですけど……もう、家族関係は断たれていると言いますか……」


「安藤さん……」


 それから、俺が彼女から聞いた話は、決して気持ちの良いものではなかった。


 彼女は幼い頃、両親が離婚した。


 そして、父親に引き取られる。


 その後、父親が再婚したのだけど、その継母とは上手く行かず。


 継母が『あたしとこの子、どっちを選ぶの!?』と迫った結果。


 父親は、安藤さんを捨てることにした。


 その後、安藤さんは親戚の家に引き取られた。


 けれども、そこに居場所はなく。


 親戚の人も、身内である安藤さんが施設に駆け込むなどするのが、世間体によろしくないという理由だけで引き取っていた。


 だから、彼女に微塵も愛情は注がれなかった。


「私、本当は大学に進学せず、高校を卒業してすぐ働くつもりだったんです」


「そうなの?」


「はい。でも、学校の先生が私の成績を見て進学を勧めてくれて、おじさん……私の父の弟さんなんですけど……も、大学に行けって言ったんです」


「それも、もしかして、世間体?」


「はい。例え、実の子ではなかったとしても、今のご時世に大学に入れてあげられないと周りから言われるのを嫌ったんでしょうね。


でも、おじさんには自分の子供が二人いたので、そこまで経済的に余裕があるわけではありませんでした。


 だから、入学金と授業料だけ払ってもらって。あとの生活費等は、私が奨学金を借りてまかなっているんです」


「じゃあ、仕送りとかは……」


「一切ありません」


「それは辛いね……辛すぎるよ。お金の問題とかじゃなくて……誰も、君のことを……」


 俺は話していて、つい目元が熱くなってしまう。


「あ、ごめん。俺の方が泣くなんて……当人でもないくせに」


「いえ、そんな……松尾さんには色々と助けてもらって、本当に感謝しています」


 その時、安藤さんが浮かべた淡い微笑みを見て、俺はまた胸の奥底が締め付けられる。


 同時に、決意の拳を握り締めた。


「安藤さん、俺の所に来い」


「……えっ?」


「本当に余計なお節介かもしれないけど……それでも、俺は……君をこのまま放っておけない。君みたいな良い子が、こんなに苦しい想いをしているなんて……世の中は本当に間違っている」


「松尾さん……」


「男の俺の部屋なんて、嫌かもしれないけど……それでも、俺の所に来てくれないか?」


「そんな、松尾さんにご迷惑が……」


「かけろ、いっぱい。今まで、散々、遠慮して来たんだろ?」


「……はい。でも、だからって、松尾さんに甘えるのは……」


「俺、もう見たくないんだよ」


 真っ直ぐ、彼女を目を見て伝える。


「君が苦しんでいる姿を、俺は見たくない。もっと明るく、楽しく、キャンパスライフを送って欲しいんだ」


 安藤さんの目に、またジワリと涙が浮かぶ。


「うっ……ひっく……」


 そして、涙をポロポロとこぼす彼女の背中を撫でてあげる。


「大丈夫だ。俺は君の家族じゃなくて、所詮は他人だけど。それでも、君の力になりたいんだ」


「ま、松尾さん……ありがとうございます」


 それからしばらく、彼女は積年の想いが込められた涙を流していた。







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