第12話 復讐

 二十五年ほど生きてきて、こんなに酔ったのははじめてのことだ。気分はそう悪くないが、朦朧とする。自分でも気がつかない間に、ふたりの仲をやっかんで酒を飲み続けたのだろうか。手土産が団子だけなんて、吝嗇だったか。明日あらためて、灘の上酒を贈ってやろう。


 ああ、また女の名前を聞き忘れた。


 月が雲に隠れていて、輪郭がはっきりしない。総司はぼんやりとした月明かりの下、歩いた。


 眠い。強い眠気が体を襲う。

 これは酔いだろうか。ひどく眠い。

 頭の中を、取りとめもない思考が錯誤する。

 弥三郎の顔。あの女の顔。

 瑠璃の顔。


 そうだ。

 いっそ、瑠璃に告白しようか。いや、せっかく話ができるまでの仲になったのに、壊すような真似が、できるだろうか。


 いや、できる。

 わたしは新選組の人斬り。世間で言われているほどには人を殺めていないが、手にかけた浪士は双の指の数では足りない。隊が浅い、弥三郎とは違う。


 瑠璃を攫い、拒否されたら逃げられないように、両足の腱を切ってしまえばどうだろう。瑠璃が憧れているらしい、土方の冷たい本性もぶちまけてやろう。酔いのせいか、残酷な想像も平気だった。


 総司は立ち止まった。

 彼女が欲しい。今、欲しい。すべてを打ち明けて、わたしのものになってもらう。

 総司は、本陣と反対方向の祇園に足を向けた。瑠璃がいる町へ、と思いを固めたとき。


「先生、お待ちください」


 総司は目をこすった。

 次の辻から、小家にいるはずの弥三郎と女が、もつれ合いながら飛び出してきた。


「どうしたのです」

「ひどく酔っておられましたから、やはり心配で。ささ、本陣はあちらです」

「酔い醒ましの夜歩きだ。気にするな」

「皆さん、心配なさいますよ。さあ、送ります」

「わたしだって、遊び歩きたいときもある。弥三郎まで、わたしを愚弄するのか」


 少し、甘やかし過ぎたかもしれない。大声でふたりを制して、総司は気取ったつもりになっていたが。


「そうはいかない。死ね、父の仇、沖田総司っ」


 突然、女が背後に隠し持っていた抜き身の刀を振り、躍り出た。なんのためらいもなく、的確に総司を狙っていた。手馴れた剣だ。相当、鍛えている。この筋では、人も斬っているはず。女は主に左手で刀を操っている。左利き、だろうか。総司は、酔いと眠気の狭間でぼんやりと思った。


 実戦の勘は役立つ。かなり酔っているとはいえ、本能が総司の体を突き動かす。頭で考える前に、体が動いている。女には数瞬、遅れをとったものの、総司も左手で抜刀して応戦。女の刀を巧みに潜り抜けて、愛刀を下から上へ振り下ろす。総司の刀が妖しく光ったのは、ほんの一瞬のこと。


「左だ、左っ。先生も、左利きだっ」


 弥三郎が叫んだときには、女は血を流して地に倒れていた。命の火を失った体から、どくどくと流れる赤い液体。総司はそれを無関心に、ただ見下ろした。女の双眼からは、徐々に光が失われてゆく。


 手ごたえがあった。総司は女を斬った。なんのためらいもなく人を斬ったのは、自分のほうだった。


「弥三郎、どうしてこんなことを」


 立ちつくしている弥三郎に、総司は刀を収めながら強い口調で尋問した。


「この女の父親は、確かに獄で死にましたが、長州との関係を問いただして父親を引っ立てたのは、新選組の……かつて、宇喜多秀彦さんが属していた隊だったのです」

「宇喜多さん。ああ、井上さんの隊の」


「はい。剣の心得が多少あった私は、彼女の仇討ちに助力するために、間者として新選組に入隊しました。男装して浪士に化けた女は、宇喜多さんを倒しましたが、そのあとも、女の復讐欲は絶えることなく、新たな標的へと注がれました。新選組の先鋒、矢面といえば、先生……沖田総司ですから。私は一番隊の情報を逐一、女に流しました。女はそれを長州や薩摩に売り」


 とめどなく弥三郎は語るのを、総司は遮った。


「もういい。聞くだけつらい。宇喜多さんも、女の父も、もう還ってはこない。女も」


 それでも、総司は弥三郎を断罪しなければならない。半年の間、目をかけて育ててきた弥三郎を、この手で。

 総司の酔いが、急速に醒めてゆく。頭が冴えすぎて、痛いほどに。


 迷っている場合ではない。裏切り者がここにいる。

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