第8話 当惑
ふたりは、改めて自己紹介をした。
瑠璃は十六歳。甘味屋には五年前から住み込みで働いているが、実は江戸生まれだという。春に囀る小鳥のようなきれいな声で、彼女は話してくれた。
総司よりも瑠璃の京暮らしは長いが、同郷ということが判り、瑠璃は俄仕立てだから実は恥ずかしい、と照れながら京ことばを使うのをやめた。
「ここのお守りを、渡したい人がいて」
身分違いの恋に苦しんでいる、甘味屋の常連客の願かけのために、瑠璃は清水寺までやってきたのだ、と。なんてやさしい心持ちなのだろうか。
「でも、そんなに親しいわけでもないし、さしでがましいことではないかと、水を汲みながら思案していました。総司さんに会って決心がついたの。普段は出歩くことも、そうそうできないし」
だから、大旦那さまには悪いけれど、実は水汲みがほんのついでってことで。そう言いながら、瑠璃はいたずらっぽく笑った。くるくると、表情がよく変わる娘だ。瑠璃を見ているだけで楽しいなんて、土方に知られたら、また嘲笑されるだろう。
総司も、自分の年齢と、役目で江戸から来ているのだと語った。隠していることはあるが、嘘は言ってない。
地主神社、と書かれた先の鳥居をくぐって段を上り、まずは参拝。場所的には清水寺の本堂、舞台の北側にあるのだが、総司ひとりで歩いていたときは気がつかなかった。境内には、女性の姿が多い。形ばかり、参拝しておく総司。ここでもやはり、信心は薄い。
「ここの神さまは、どんな神さまですか」
「まあ。総司さんは、知らないでお参りなさったの。地主神社さんは、恋愛成就の神さまを祀っているのですよ」
恋愛成就? しまった。
もっと強く、願うべきだった。お賽銭も奮発したのに、総司は軽く落ち込んだ。いや、一個の大丈夫な剣士たる己が、神頼みなどできやしないだろう、と思い直したり。
総司の煩悶も知らずに、瑠璃は目的のお守りを買い求めに行こうとする。
「あっ、わたしが出しますよ」
「そんな。悪いです」
「いえ、わたしに是非」
「困ります」
結構、瑠璃には頑固な一面もあるらしい。引かなかった。
「じゃあ、こうしましょう。あなたは気にかけているお客さんの分を買う。わたしは、あなたの分を買う。いかがですか」
「私の、分を……ですか」
瑠璃は不思議そうな顔をした。
「はい。意中の人、いるのでしょう。お瑠璃ちゃんの恋を、応援したい」
瑠璃は真っ赤になって黙ってしまった。素知らぬふりで誘導してみたのだが、間違いなくこれは、誰か想っている人がいる反応。総司は落胆した。
総司は三つ、お守りを買い求め、交換した。
「みっつも」
ひとつは、富田弥三郎に。ふたつめは、瑠璃に。もうひとつは、自分に。総司の手から、ためらいつつもお守りを受け取った瑠璃は、手のひらの中でそれをじっと見つめている。
「おおきに、総司さん。うれしゅおす。総司さんは、私の心の揺れを読んだんですね。さすが、お侍はん。鋭うてかなわん」
瑠璃は京ことばで照れを隠したが、話は自然と、瑠璃の『意中の人』のことになる。
「近ごろ、たまに来るお侍さんなのですが、名前も知らなくて。私の店は甘味屋なのに、甘いものはひとつも頼まないで、いつも同じ席に座って、じっとご自分の帳面になにかを書きつけているお侍さんなのです。黒づくめの着物で、表情は硬くても、姿勢がよくて、涼しい目がきれいな……やだ、こんな話。誰にもしたことがないのに。好きとか、そんな大層なものじゃなくて、なんとなく、見ていたいというか、そう、憧れってことばが近いと思います」
必死になって、瑠璃は弁解した。
甘いもの嫌い。
黒い着物。
硬い表情に、涼しい目。
それって、もしや土方のことかと、総司は目が泳いだ。特徴が一致しすぎている。
土方が、総司行きつけの甘味屋に来ているのか。あの人は、甘いものに用事などないはずだ。あるとしたら、別の目的。まさか、ほんとうになにか企んでいるのだろうか。まったく、無駄なことをする人だ、総司は肩を落とした。
どうかしましたか、という顔で瑠璃がわたしの様子を見ている。総司は気がつかないふりをして、瑠璃を促した。
「その人に、また会えるといいですね」
心にもない、適当な慰めのことばを並べて。
ご利益ってなんだ、存在しないものなのか。
一瞬でも、神頼みに縋った自分への罰か。
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