第7話 外出

 気分転換に、というか、非番のいつもの行動だが、総司は祇園の甘味屋に出かけた。


 ただし、まっすぐ向かうのではない。誰かに見つかったりしたら、それこそ面倒なことになる。意識過剰かもしれないけれど、最近の土方は総司にまで、監視の隊士を使っていた。今日も総司の後ろをついて歩いている。

 他人が信用できない土方の性格は相変わらず。だが、ここまでされると気分が悪い。不快。


 西本願寺を出ると、わざとのんびりだらりと東へ進み、清水寺まで行ってみることにした。京にいながら、物見遊山したことはほとんどない総司。門前の土産物屋を冷やかしながら、ようやくてらてらと坂を上る。


 陽射しがあるうちは、そう寒くない。


 尾行の隊士は、五条坂を上りはじめたあたりで追跡を諦めたらしく、その気配は消えた。総司があまりにもぼんやりしているから無害と判断されたのか、ほかの隊務の連絡でも入ったのかもしれない。


 しかし、ともかく。尾行の件は近藤局長に談判しなければ。たまの外出に毎回こんなことをされては腹立たしいどころか、呆れてしまう。一体、土方はどこまで隊士を掌握したいのか。


 暖かい日なたをなるべく選んで歩いていたのと、この坂の勾配。日々鍛えているとはいえ、汗が吹き出る。清水の舞台が目に入ってくるころには、額に汗をびっしり浮かべていた。


 清水寺は広い。本堂といくつかのお堂を拝観したところで、総司は諦めた。とても全山などまわれない。ここへ参拝に来た人の多くは、せっかくだからと言って、すべてを見て回るのだろうか。途方のなさに総司は感服した。


 このまま近くの茶店に入ろうかとも考えたが、休憩は祇園の甘味屋と決めている。総司は『音羽の滝』と書かれた目印を見つけたので、そこで一杯の水を頂戴した。

 喉を潤し、滝のそばでひと息ついたら、少し余裕が出てきた。周りがよく見える……と、感じたのも束の間。


「るり……?」


 総司はひどく動揺した。これから行こうと思っている祇園の甘味屋の看板娘、瑠璃がそこにいたのだ。

 しかも、総司はすでに彼女の名を呼んでしまっていた。ためらいもなくそんな言動に出るとは、自分でも驚いた。

 彼女のほうも、総司に気がついた。互いの視線がからみ合ったまま、総司は二の句がつげない。


 先に口を開いたのは、瑠璃だった。


「お侍はん、うちのお店によく来はるお方」


 彼女は首を傾げながら、少し微笑んだ。口元に添えられた右手が白く、まぶしい。思わず見とれた。


「こんにちは。急に声をかけたりして、驚いたでしょう、すみません。ほんとうに」


 うまく舌がまわらない。十ほども歳下だろう相手に対し、総司は極度に緊張している。


「いややわ。うちのことを覚えてはるなんて、うれしゅおす」

「あなたのようなかわいい人のことを、忘れるわけありませんけど……ところで、今日はどうしたのですか」


 総司の横に、遠慮がちにそっと近づく瑠璃。この控えめな距離感がいとおしくも、もどかしい。


「へえ。お店の大旦那さまが、どうしてもここの水が飲みたいと言いはるさかい、水を汲みに。この水は、延命水とも呼ばれとります」


 瑠璃は左手で持っていた竹筒を指差した。

 甘味屋の大旦那はこの水で薬を飲むと、持病の腰痛が軽くなると信じているそうだ。地下水が豊富な京には、名水の湧く場所が多いが、大旦那は腰に効くのはここだけだと頑なに決め込んでいるらしい。


「それはご苦労さまですね。祇園からわざわざ」

「えーと、ついでの用事もあってな。地主(じしゅ)神社にも、寄るし」

「じしゅ、神社……?」


 総司は見過ごしていたが、その神社は清水寺の境内にあるそうだ。共に行っていいかを問うと、瑠璃は顔を赤らめて、けれど頷いて承諾した。


 それほど重くはないが、総司は瑠璃の水筒を持って、神社を目指す。少し控え目に総司の後ろを歩く彼女を振り返り振り返り、歩く。


「並んで歩かないと、話ができませんよ」


 語気は強めに、だが笑顔で告げた。


「はい、お侍はん。えっと、まだお名前をお伺いしとりません。教えておくれやす」

「新選……いえ。総司です」


 御用改めなどのときに名乗り上げるいつもの癖で、新選組沖田総司、と言いそうになってしまった。町における新選組の評判はいまいちだ。不逞浪士の捕縛、強引な御用改め、あるいは人斬り。


 もし、そんな野卑な武骨集団が江戸に乗り込んできたら、わたしだっておもしろくないだろう。だから、瑠璃に悪い印象を与えないように、総司は自身の立場を隠した。


「総司はん、か。変わった名字やね」


 幸い、瑠璃は総司の名前を『名字』と誤解してくれた。

 総司は胸を撫で下ろす。新選組とは知られたくない、当分は。いや、できれば瑠璃はずっと知らなくていいと思う。

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