第6話 品定め②
「医者でした、とは何故過去形に」
弥三郎は、言い過ぎたかなという悔悟の顔を見せたが、今さら引っ込めることもできないようだ。
「あれの父親は、長州の侍を匿ったという噂だけで捕縛され、獄中で死にました。村にいづらくなった彼女の一家は、縁者を頼って離散したそうです」
「あの人だけが、京に」
「はい、私を頼って。私が京に出たのを、どこかで聞いたらしく」
弥三郎は、女に頼られたことがよほど嬉しかったのだろう。それを何度も繰り返して強調したが、総司の耳は、長州ということばに敏感になった。長州藩は、徳川の幕府に楯突く先鋒。新選組の、第一の標的。
「しかし。長州ですか、長州の侍」
「ですが、家の門前に行き倒れていた人を助けただけなのです。目の前の人を救う。医者ですよ、当然の行為でしょう」
「なるほど」
弥三郎は語気を荒くした。つられて、総司も軽く頷くが全面肯定はしていない。熱くなった弥三郎、続けて思いを語る。
「己の力を試したい。天下のためになにかを遂げたい、そう思ってひとつ身で新選組に入隊しましたが、やはり故郷はいいものです。女は郷の匂いがします。こんな女々しい憧憬、土方副長に知られたら、処分されそうです。どうか、内緒にしてください」
同郷の女に、懐かしいふるさとの記憶を重ねているらしい。柔らかく微笑んだ弥三郎。故郷を思い出すとき、人はこういう表情になるのだろうか。
日々、抗争に追われている今となっては、総司にとっても、江戸の道場での日々や多摩での穏やかな暮らしは、他人に踏みにじられたくない大切な思い出となっている。
「いや、あれで土方さんも、故郷のことは特別に思っていますから。新選組に盆暮れ正月はない、と感傷もなく言い切る副長でもね」
親戚縁者にはまめに文を送ったり、多摩の郷愁を趣味の俳句に詠み込んだりといった小話を打ち明けた。その俳句がまた至極下手で、と言いかけたがこれ以上話すと、自分の身が危うい。総司は口を噤んだ。
へえ、弥三郎は首を傾げて笑った。
「お前さま、これ」
件の女が酒を持ってきた。近くで見ればさらに背が高く感じる。小柄な弥三郎より
は確実に高いだろう。総司とならば釣り合うくらいか。腕も長そうだ。袂からいい香りがする。匂い袋でも忍ばせているらしい。
土方が危惧したような、男が女に化けて云々ということはなさそうだ。第一、男とは声が違う。喉仏も出ていない。
京の都がいくら荒れているとはいえ、しとやかな女性が人斬りなど。総司は土方の情報源を疑った。今回ばかりは、土方の炯眼もあてが外れたようで、総司はいくらか安堵した。
弥三郎が、女に総司を紹介する。
「こちら、私の上役。沖田先生」
「……では、新選組の」
刹那、女は目に鋭い緊張を走らせた。総司はそれを逃さなかった。
新選組に、あるいは総司そのものに恨みをいだいているのだろうか。この女に会った覚えはない。けれど、新選組の日々に身を置くようになってからは、どこで誰の恨みをどれだけ買っているのかなど、見当もつかない。数えてもきりがない。
総司は女の放った、殺気にも似た深い眼差しに、あえて気がつかないふりをして、凡庸を演じた。そのほうが、結局は彼女も助かるはずだ。弥三郎だけはうっとりと女を見つめているだけで、なにも気がついていない。けれど、それでいい。
女が立ち去ってから、総司は弥三郎に小声で言った。
「わたしが、仲を取りもとうか」
どこかで聞いた台詞だなと苦笑しつつ。当の弥三郎は、真っ赤になって黙り込んでしまった。
***
弥三郎の女。ああ、名前を聞きそびれた。まあいいか。
あの女には、なにかがある。でも、つかめなかった。
弥三郎と別れた帰り道。
剣士の直感が、びりびりと鳴り響いた。あれはどう見ても女だ。骨抜きな弥三郎の態度からしても、人相書に描かれている人物ではない。けれど、暗い闘志を隠し持っている。
この事実、弥三郎は知っているのだろうか。市中の巡察中にも、一番隊の連中とこそこそと女の話をする、弥三郎の他愛無さが総司の目には憐れに映った。女がいるという事実を羨んではいないが、総司はため息をついた。
だが、女の目線の件は、総司の杞憂らしかった。それとなく、弥三郎に聞いてみたら『あれは少し目が悪い』との答え。なるほど、怪訝な視線は視力のせいらしい。
それを殺気と感じた総司は、自分の早合点をやや恥じた。勘が鈍ったのだろうか。もっと稽古をつけなければ。
本来は、実質隊士を取りまとめている土方に逐一報告すべきところだが、さすがに己の配下の運命がかかっている。積極的に行動するのは、どうにも億劫だった。
ゆえに、土方には『富田弥三郎の女は、人相書の人物とは別人。手配書の人相に少しばかり似ているようだという噂だけで、すぐに人を疑うのはよくない。あれは、真実女性だった』と申告し、あとは自分の裁量でどうにかしよう、総司は簡単に結論づけ、鷹揚に構えた。
正直なところ、よく分からない。
気になるけれど、深入りしたくない。
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