第10話 談判

「土方さん、お節介はやめてください」


 これは八つ当たり、というのだろうか。祇園から帰った総司は、副長室に入るなり、叫んだ。

 しかし、土方は山積した書類に挟まれ、淡々と事務処理を続けている。


「どういった用件の話か、さっぱり分からねえ。女みたいにいちいちうるさい声を挙げるな。騒ぐな。不愉快だ」

「ですが土方さん」

「うるさい」


 土方は文机にかじりついたまま、書類に目を通しているまま、動かない。総司とは向き合おうともしない。だが、ここで怯むわけにはいかなかった。


「甘味屋のことです」

「甘味? ああ、祇園のか」

「そうです。勝手に出入りしたりして、詮索するのはやめてください。迷惑です」


「勝手に出入りって。あれはお前の店じゃないだろうが。俺が出入りして、なにが悪い」

「それは、そうですけど。甘いもの嫌いのあなたが、甘味屋でなにをしているんですか」


 ようやく土方は総司のほうを振り返った。眉を寄せて、いかにも鬱陶しいと言った様子でしかめ面をしている。


「莫迦だな。あの看板娘の調査に決まっているだろう。お前にふさわしいか。変な男はいないか。借金はないか。……いいか、名前は瑠璃。歳は十六。生まれは江戸。親戚のつてを頼って、上洛。許婚はいないが、多くの男どもが娘を目当てに訪れている。皆、あの娘を嫁にと熱望しているようだな。実際に、そういう話もいくつか来ているらしい」


 総司が知っている以上の情報を、土方は有していた。


「どこでどうやって、訊き出したのですか」

「そこは、お前には関係のない話だろう。今なら、店の旦那に金を積めば、ほかの求婚者を出し抜けるが、どうする。やるか。やるしかないよな」

「お金なんて。そんな汚い真似、絶対にしないでください」


「つくづく莫迦だな、総司は。世の中、金で動いているのさ。どんなに綺麗ごとを並べても、結局は金だ、金。女の心だって買える。あの看板娘だって、結局は金回りのいい家に入りたいはずさ。総司お前も、金の苦労ぐらいは知っているだろう」


 沖田家の嫡子に生まれた総司。本来ならば家を継ぐはずだが、父母が早世したため行き詰まった。姉は婿を取って家を保ったが、跡取りの総司は知己の近藤道場に内弟子という形で体よく追い出された。


 金がなかったからだ。


 姉を恨んではいない。あのときはああするしかなかった。おとなになった今では、総司も納得している。第一、家督を継いでいたら家に縛られてしまい、簡単には京に上れなかった。結果的にはこれでよかったと思う。


「でも、わたしは人をお金でどうこうしたくはありません」

「娘が欲しくないのか」

「下卑た言い方はやめてください。彼女が穢れる。それに、お瑠璃ちゃんには、好きな人がいるそうです」

「これだから、総司は。どんなに見目のいい女も、皮の下は普通の女さ。妙な幻想をいだくのはやめておけ。たとえ好きな男がいても、一緒になる男は、概して別人だ」

「そんなことはない。彼女は無垢で、愛らしい。目先の損得しか考えられない、冷たい男に惚れているかもしれないなんて、お瑠璃ちゃんが気の毒だ」


 土方の表情が一瞬だけ、ふっと緊張が途切れて揺らいだ。軽々しく瑠璃の気持ちを口に乗せてしまったことを、総司はひどく後悔した。


「惚れている、だと」


 自棄だ。言ってしまえ。


「そうですよ。今日、偶然お瑠璃ちゃんに会って、聞いたんです。最近、よく店に来る侍の特徴が、土方さんとほとんど一致するんです。彼女は、あなたを見ている」


 土方は意地悪く笑った。


「お、いいじゃねえか。それは使えるぜ。俺の名前で呼び出してやる。あとは、お前に任せればいいな。うまく言い含めて、女をものにしろ。甘味屋には俺が始末をつける。よし、そうと決まれば、早速本陣の近くに総司の家を用意だ」

「だから、勝手に話を進めないでください。騙すのですか、彼女が可哀想です」


「誰かに、横から掠め取られてもいいのか。いつまでこんな生活が続くかも分からないんだ。欲しいなら、いくらか無理をしても突っ走るしかねえぞ。少なくとも、俺はそうして生きてきた」

「あなたとわたしは違います」


「俺は、総司のためになにかしてやりたんだ。お前はよく働いている。むしろ、働きすぎだ。ここらで少しは休んでおけ。心が荒んでしまう前に」

「わたしは、隊のために働いているのではありません。近藤さんのために動いているだけです。それに、わたしに尾行の隊士をつけるのもやめてください」


「心配なだけだ、総司が」

「気遣いは無用です。あなたの言う心配は、ただの干渉だ。ほんとうにわたしのことを思うのなら、放っておいてください!」


 総司はそう高言すると、土方の顔も見ずに襖をぴしゃりと閉めた。


「疲れる。土方さんと話すのは、疲れる。あっちに都合のいい理屈ばかりだ」


 土方が追いかけてくる様子はないので、総司は自分の部屋に向かって歩き出したところ、廊下の奥から歩いてくる隊士に出会った。風呂に行く途中だという。


「そういえば、沖田先生。富田が先生のことを探していましたよ」


 弥三郎にはすぐ会えた。意外なことを言われた。


***


「わたしを?」


 驚いた。弥三郎が総司を、女の家に招待したいと誘ってきたのだ。


「手狭で、野暮ったい家ですが」

「うん。それでは、是非」


 総司は笑顔で快諾し、明日の夕に仏光寺の小家へお邪魔することになった。もう一度間近で見れば、土方が女にかけている嫌疑が誤りであると確信できるはずだ。


 弥三郎はあの女を愛している。少々お節介かもしれないが、ふたりが一緒になれるよう、話を進めてやろうと思った。今まで、隊士の私生活にあれこれ介入したことはなかった。その筋に疎い総司にしては、新しい試みだった。土方にお節介されたことが、頭にこびりついていたのかもしれない。


 総司の脳裏に、ほのかに想っている瑠璃の顔が、ちらついた。きっと、あの笑顔に恋をしているせいだろう。他人にも甘くなっている。


 そういえば、清水寺の帰りに逃走したあの日以来、甘味屋には無沙汰をしている。いや、仕事熱心な瑠璃は、総司のことなど、気に留めていないかもしれない。

 店を贔屓にしてくれる客となら、誰とでも並んで歩くかもしれない。真実、瑠璃が土方を想っているのなら、誰と一緒にいても同じだろう。想像するだけで、心が軋む。けれど、じわじわと、胸に不安が広がって、どうしようもなかった。



(残りあと3話です)

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