第3話 思案
数日後。
本陣の廊下で土方に出くわした総司は、副長室に連れて行かされた。
多忙につき、最近ではゆっくり時間を取って話す暇もない。偶然だが遭遇してしまったことを恨むしかない、黙って総司は土方に従った。
なのに、地元から届いた手紙の話題からはじまって昔話に発展し、いっこうに本題には入ろうとしなかった。総司が厭きてきたころ、ようやく話がはじまった。
「富田の件だ。女がいるらしい」
「女……ですか」
「監察方の報告によると、殺しをやらかして出回っている手配書の人相に、よく似ているらしい。あいつが化けているのかもしれない」
「まさか。弥三郎はまだ若いですよ。それに、化けているって、どういうことですか」
「あのな、自分の尺度を、他人に当てはめるのはやめろ。万事に疎い総司のものさしは、世間様からは相当外れているんだ。俺が弥三郎の歳のころには、とっくにあちこちにいろいろ……いや、一番隊の隊士だ、お前が調べろ。手配書のこいつには、先月うちの隊士も斬られている。井上さんの隊に所属していた、宇喜多秀彦(うきたひでひこ)だ。覚えているだろう」
土方に呼び出された総司は、黙って頷いた。
新選組副長として土方は、近藤から隊の実務を任されている。江戸にいたころは、まあまあ小綺麗な豪農の倅、暇を持て余して道場の剣術を習うといった程度だったが、今では副長が号令すれば百人の隊士が一斉に手となり足となり動く。雑多な浪人集団を、整然とした組織に変えた手腕はたいしたものだ。
宇喜多の件なら、記憶に新しい。
いつもは本陣警固の役が多い、六番隊長の井上源三郎もかわいがっていた若者。剣の腕前はそれほどでもなかったが、実家が和菓子屋だとかで、寒い日に鍋いっぱいのお汁粉を作って皆に振る舞ってくれた。甘いものに目がない総司は、ひどく感激した。
だが、ある日の出動で斬られ、泉下の人になっている。
「あいつが化けているのか匿っているのか、分からねえ。だが、弥三郎に、姉妹はいなかったはずだ」
「分かりました、よく気をつけてみます。しかし、犯人が女ってのには、合点いきませんね。それなりの腕がある隊士もやられるなんて」
「痩躯の優男風だという話だが、剣は使えるらしい。そいつと、ほんとうに深い仲なのかもしれん。女に見えるようで、やっぱり男なのかもしれねえ。色恋は、いつそうなるか分からないもんだ」
総司は土方の厭味に、ほとほと付き合いきれなくなった。顔立ちは悔しいほどいいくせに、どうしてこんなにしつこい性質なのか。江戸からの、十年以上続く仲ながら、総司は承服しかねた。
「土方さんは、隊士のことならばよくご存知で。しかし、またですか。隊内のいざこざはうんざりですよ。隊士同士で斬り合うなど、無意味です」
「鉄壁集団に育て上げるには、必要だ。不要な枝葉は、早急に削ぎ落とす。これ肝要なり」
「その完璧主義、いつか墓穴を掘りますよ」
「うるせえ。お前は黙って働けばいいんだ。これぐらいしなきゃ、主人も思想もない新選組は束ねられねえよ。そうそう、お前の弱味も握らせてもらっているぜ。言ってやろうか、祇園の甘味屋。どうだ、肝が縮み上がったか。ざまあ見ろ」
総司はさっと顔色を変えた。土方は意地悪そうに薄く笑っている。折り目正しい黒縮緬の羽織には、皺ひとつ、乱れひとつもない。
「それが、どうかしましたか。わたしの甘いもの好きは、幼いころからです。そんなの、とっくの昔からご存知でしょう。なんですか、今さら笑止な」
「白ばっくれてもだめだ。えらく愛らしい看板娘がいるらしいな。おおかた、それが目当てだろうに。俺が行って、話をつけてやろうか。京の都を震撼させる、新選組の剣の使い手沖田総司も、祇園の看板娘には負けるか」
「やめてください、そんな真似」
「いつまでこの暮らしが続くか分からないんだ。さっさと押し倒して、家でも持て。よし、今度見に行ってやる。まずは富田の件、頼んだぜ。お前はこの仕事、絶対に断れない。看板娘のことを、近藤さんが知ったらどうするだろうなぁ」
総司の痛いところを、土方は的確に突いてきた。
「あの近藤さんのことだ、総司のためだと言って余計なおせっかいをしてくるか、それとも釣り合わねえから諦めさせようと躍起になるか。面倒なことになるに違いない。それに、昨日の豚鍋、無断で逃げただろう。俺が苦心して、近藤さんには言い繕っておいたんだぜ、まったく」
この、土方歳三の不遜な態度には毎度むかむかする。反論せずにはいられない。
「だって、豚なんて」
「豚ぐらいで、ぐだぐだ言うな」
よく言う口だ。自分も食べないくせに。
「じゃあ、わたしは休息所のおこうさんが苦手です」
咄嗟に、総司は近藤の愛妾の名を出したが、やれやれといった表情で土方は頬杖をついた。こんなぞんざいな人を莫迦にした態度、他の隊士の前では絶対にしない。
「俺だって、あんな取り澄ました高慢ちき遊女上がりの女、どこがいいのかと趣味を疑うぜ。顔だって、目も鼻も小さくて華やかさには程遠いし、たいしたことない。京には、もっと美しい女がいるだろうに。だが、近藤さんが気に入って落籍せたんだ。最低限のことはしているし、なにより口は固い。男女の仲をとやかく言うな。総や俺に、あの女の代わりはできないだろうが」
「でも、江戸には奥さんのつねさんと、娘さんが」
勢いが止まらなくなった総司は、これででもかと言い返した。
「近藤さんが女っ気なしでいられると思うか。神経をすり減らしながら、隊のために毎日、幕府のお偉いさん方と慣れない交渉しているんだ。もう、三流剣法の道場主じゃない。息抜きしねえと。それにだな、あの人は遊びが下手だ。気に入った女は、勲章のように、とことん手に入れたいのさ。かわいい看板娘を遠くから見ているだけでいいなんて、どこかの青臭い一番隊組長じゃあるまいし」
土方はなんでもお見通しだった。悔しい。総司は歯噛みした。
池田屋直後あたりまでは土方も盛んに遊んでいたのに、最近は『隊の経営のほうがおもしろい』とかで、色恋はさっぱり。絶対になにか隠しているはずだが、尻尾が掴めない。いつかネタを手にして、笑ってやる。総司は拳を握り締めて誓った。
話を終えると、土方は文机に向き直った。これは、去れ、の合図。
総司は嘆息した。土方に隠しごとはできない。全隊士を隈なく管轄している副長が断言するのだから、富田弥三郎はあやしいのかもしれない。宇喜多の仇は取りたいが、そうなれば弥三郎を失うことにつながりかねない。
最近、一番隊の出撃は空振りばかり。浪士の会合がある、という情報を入手した旅籠や茶屋に急行しても、まったくのもぬけの殻、ということが続けて数度あった。どこかで情報が漏れているとも思える節もある。それは早急に防がねばならない。
考えるということがどうにも苦手な頭をかかえて、総司はのろのろと廊下を歩いた。
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