第23話 ラン・イン・ザ・商店街
こなした試練の数は、とうに十を超えていた。その試練のどれもが、商店街内の店の食べ物の買い食いであったり、食材や日用品の購入だった。
「なあシエラ……これ試練でもなんでもねえっていうか、ただおれらに金使わせてるだけじゃねえか?」
二つ目の試練から薄々は気付いていたものの、あえて言わなかったことだ。だがここまで来ると、言わずにはいられない。すでに十を超える店で、お金を使ってしまっているのだ。
「シシノ、『ただ』、じゃないよ。わたしは今、非常に幸せだもの。幸せなお金の使い方をしているもの」
そういうシエラの顔は、確かに満足げだ。何か買い食いするたびに、「おいし〜い」と頬張る様は、見ているとこちらまで幸せな気持ちになる。いや、なっていた。
過去形だ。
育ち盛りの男子高校生であるシシノは、序盤こそ、それはそれは美味しく買い食いをしていたのだが、そろそろいい加減、お腹がいっぱいになってきていたのだ。途中から、食べ物を買うときは、自分の分は買わないようになっていた。もはやシエラの食べる様子を見るだけでも、胸焼けがする。
「幸せなのはいいんだけどよ……、そんなに食って大丈夫なのか? 晩飯食えなくなっちゃうぞ」
「大丈夫大丈夫。わたしはその気になれば、自由におなか減らせるから。いくらでも食べられるよ」
「なんだその特技……」
というか、シエラのお腹どうこうよりも、シシノのお財布の中身がピンチだった。貧乏であるという訳ではないのだが、シシノは、毎月の機関からの振込額から、その月の生活に使う分を、あらかじめ決めておいているのだ。
なぜそんなことをしているのかといえば、自分を捨てた機関からの施しは、なるべくなら受け取りたくないという気持ちからだった。だったのだが、現在では、長く続けたこの限られた生活の中で、どれだけ金を消費せずに過ごすことができるか、という謎の試みをすることに、
機関に頼りたくないというのならば、アルバイトをすればいいではないかという疑問もあるだろうが、シシノは機関から、アルバイトをすることは禁じられている。その理由については、後々述べることになるだろう。
「なあ、おじいさん、この試練いつまで続くんだ? いや、食べ物は美味いし、日用品も食材も安いし使うから、そんなに苦じゃねえんだけど、そろそろお財布はピンチだぜ」
そう、実際に、この商店街の商品は、どれも安く、良質なものが多かった。今まで、商店街に来ても、野菜ばかり買っていたシシノからすれば、これは新たな発見だった。シャッターが降りていない商店街を歩くというのは、初めてのことだったのだ。
しかし、このままでは搾り取られてしまう。終わりが見えなければ、いい加減、諦めて帰った方がいいかもしれない。
「うむう、今、十四の試練をクリアしたところじゃからなあ、……お、あと一個で終わりじゃよ」
試練の老人は、その手に持つ、厚めの紙を見ながらそう答える。その紙に、試練が書き記されているのだろうか。
「「あと一個か……」」
シシノとシエラは口を揃えて言う。だが、二人の言葉のニュアンスには、大きな違いがあった。シシノはあと一個で終わることにガッツポーズをしながら安堵し、シエラはこれ以上買い食いできないことに、肩を落とし落胆していた。
「おし、おじいさん、最後の試練を教えてくれ!」
「うむ、最後の試練は……」
と、老人が言いかけたとき、商店街のスピーカーから、再び放送が流れ出した。
「ザザッ……コードY! コードY! 大変です! コード……ザザザッ」
ノイズ混じりの放送は、先ほどのものよりも、切羽詰まっているように聞こえた。それは、この場にいる全員に、ただ事ではないという危機感を与えた。
「な、何事なんじゃ一体……」
と、老人が狼狽えた矢先、商店街の入り口の方から、地面を震わせるような重低音と、耳をつんざくような激しい音が聞こえてきた。
「うぉ、これは……バイクのエンジン音か……?」
あまりのうるささに、シシノは耳を塞ぎながら推測する。
「シシノ、行ってみよう」
シエラの意見に頷き、二人はその音のする方へと走った。
音の原因に辿り着くと、なるほど、これは一大事だと理解する。
そこにいたのは、バイクに
「オッラァァ〜ン! 今までよぉくも不快な思いをさせてくれやがったなあ〜、ハァァーん⁉︎」
「おうおうおう、今日は今までの恨み、晴らさせてもらうかんなオラァ!」
「マジ略奪すっかんなァおいおい!」
「ハァァーン! オラオラ、オッラァァ〜ン!」
四人組は理性なき獣のような雄叫びをあげている。その様子に、商店街の人々は怯え、一斉にシャッターを閉じていった。
「あああ〜、それだよ、それ、それがむかつくんだよォ!」
言って、四人組はバイクを飛び降り、その手に持つバットで、閉じたシャッターに殴りかかる。殴られたシャッターはみるみる凹んでいくものの、頑丈にできているようで、壊れるまではいかない。
それに憤った、赤いさらしをつけた不良が、シャッターを殴るのをやめ、辺りを見渡す。殴る標的を別のものに変えようというのだろうか。そして、シャッターの外に置かれた、ソフトクリームの製造機を発見すると、バットを担ぎ、ずんずんと近づいていった。
だが、その途中で足を止める。
「あぁ〜ン? なんだテメエ、邪魔すんじゃねえよ」
その赤さらしの不良の前に、シシノが立ち塞がったのだ。
「どかねえよ。そのバットで、あれ、ぶん殴るつもりなんだろ?」
シシノは後ろ手にソフトクリームの製造機を指差すと、目の前の不良を睨みつける。
「あぁ? だったらなんだよ、テメエに関係あんのかぁ?」
だが、シシノに睨まれたところで、赤さらしは怯むことなく、破壊の意思を露わにしている。
その言葉に、シシノの睨みは、さらに険しいものとなる。
「あるよ。関係ある。さっき食ったんだけどよ、ここのソフトクリーム、美味いんだ、壊されたら困る」
「アアァン? 知らねえなァ。どかねえってんなら、テメエをぶん殴ってから、壊させてもらうぜェ〜?」
「……やれるもんならやってみろよ」
それを聞くと、赤さらしは、威嚇するようにバットを振りかぶる。
シシノは身構えた。バットで殴られたところで、骨が砕けたところで、修復するのだから、後は一発かまして、赤さらしを行動不能にすればいい。そう安直に考えた。
だが、そこで、ある問題に気がついた。周りを見ると、シャッターの隙間や、二階の窓のカーテンの隙間から、商店街の人々は皆こちらに注目している。ここで、シシノの身体の修復を目撃されては、大変なことになってしまう。
気がついてから、さっきの剣幕が嘘のように、シシノは慌てふためく。
「あ、ちょっとタンマ! 一回落ち着けよ、ほら、バットなんかで殴っちゃったら、逮捕されちゃうかもよ?」
「アアァ〜ン? なぁに今更ビビってんだオラァ!」
赤さらしは聞く耳持たず、バットを、シシノ目掛けて振り下ろす。シシノは間一髪で、両手をあげ、後ろへ飛んで、「おわぁ!」と情けない声、情けないポーズでそれを
──こいつ、本気だ。こんなので殴られたら、頭が割れて、血が出ることは確実だ。
怪我をするわけにはいかない。ゆらりとバットを再び振りかぶる不良を見て、シシノはこの次どうすればいいのか思考した。
だが、そんな思考をしているうちに、硬いもので殴ったような鈍い音とともに、目の前の赤さらしは吹っ飛んでいった。
シシノは理解する。シエラの方を見ると、その手に勢いよくヨーヨーが戻って行くのが見えた。やはり赤さらしは、シエラの放ったヨーヨーによってノックアウトされたのだ。
「レッドおおおお! そこの強面ェ、よくもやりやがったなァ〜⁉︎」
緑のさらしの不良がそう叫ぶと、それを皮切りに、残りの不良達が、シシノの方へ駆け出してきた。
赤さらしの身体に隠れよく見えなかったのか、シシノが赤さらしをノックアウトしたのだと、勘違いしているようである。
「うわ、こりゃまずい……」
シシノはたまらず逃げ出す。商店街の出口へと、追いかけっこのようなものが始まってしまった。
駆ける。駆ける。駆ける。後ろからは不良達の怒声が聞こえる。
「おらおらぁ! 待てやコラあぁぁ!」
「んなろォゴラァ! ただで済むと思うなよハァァーン!?」
「そうだそうだオラァぐええええ!」
と、最後の苦悶の声に驚き、振り向くと、一番後ろにいた不良が、地にひれ伏していた。
「な、なんだぐえっ!」と、喋る間も無く、二番の不良も倒れこむ。残るは緑のさらし、ただ一人である。
不良達のさらに後ろから、シエラが追いかけていたのだ。その手から放たれるヨーヨーによって、不良達は後ろから襲撃され、ノックアウトされていた。
「おいおい、嘘だろ……」
シシノの驚きは、シエラに対するものではない。その更に後ろから、地面を震わすような激しい音を伴って、黒い塊が近づいて来ているのが見えた。
目を覚ました赤さらしが、バイクに
「シエラ、危ねえ‼︎」
最後の一人をノックアウトしたシエラの後ろから、バイクが近づく。赤さらしは、完全に理性を失っている。もはや人を轢けばどうなってしまうかなど、考えられなくなっているのだ。
「シエラーーーーーッ‼︎」
足を止め、シエラへ駆け出す。蹴り飛ばしてでも、シエラがバイクに轢かれるのを阻止しなければ。
だが、シシノの焦りは杞憂に終わった。
シエラはノーモーションで跳躍し、バイクの頭上を回転するように、後ろへ飛んだのだ。
シエラがバイクを避けられたことに安堵する。だが──。
──あ、やべえ。
気づいた時には、バイクはシシノの目の前だった。目を閉じ、覚悟する。唸りをあげるバイクにぶつかれば、身体は無事では済まないだろう。
だが、数秒目を閉じていても、痛みはやってこない。身体が吹っ飛ぶこともなかった。それに気がついて目を開けると、バイクは未だエンジンの音を響かせているものの、シシノの目の前で、前輪が浮き上がり、止まっていた。
「なんだこりゃあ、どうなってんだおいィ!」
バイクは、ギリギリと、後ろへ引っ張られている。
シエラが、あの跳躍とともに、その車体にヨーヨーを巻きつけ、引っ張っていたのだ。
「シシノ、早くっ!」
バイクを引っ張り続けるシエラは、顔を赤くし、足をしっかりと踏みしめ、少し苦しそうな表情で叫ぶ。
「お、おう! おらあああ!」
シエラのその力に驚く暇もなく、シシノは、バイクに跨る目の前の赤さらしを、殴り飛ばした。そうしてバイクは、ようやく唸りをあげるのをやめた。
「あ、ありがとよシエラ。危ないところだったぜ……」
「本当だよシシノ。無茶なんかして、……でも、かっこよかったよ」
ヨーヨーを回収するシエラは、優しい笑顔をシシノに向ける。だが、その手のひらから、血が流れ出ていることに、シシノは気がついた。ワイヤーのような紐を引っ張ったことで、皮膚が傷ついたのだろう。
「シエラ、ちょっと待ってろ!」
慌てて近くの薬局へ駆け出す。
「おばちゃん、急いで水とガーゼとテープをくれ!」
その剣幕に、薬局のおばさんは驚いたものの、すぐさまその三つを用意する。
「釣りはいらねえ!」そう言いながら、ばん、と金を置き、すぐにシエラの元へ駆け戻った。
「待たせたな、傷、見せてくれ」
「え? あぁ、こんなの、全然大したことないのに」
「いいから!」
「……うん」と、頷きながら、シエラは手のひらを差し出す。シシノはその手のひらに、応急処置を施す。傷を水で洗い、拭き、ガーゼを被せて、テーピングをするのだった。
真剣な眼差しのシシノに、シエラは不思議な気持ちがするのに気がついた。だが、その気持ちの正体が、わからなかった。
「えへへ。ありがとう、シシノ」
応急処置が終わると、シエラはその手のひらをシシノに向ける。
「応急処置だからな、家に帰ったら、またちゃんと診てもらわねえと」
「うんっ、ありがとうシシノ。えへへへへ」
「な、なんで嬉しそうなんだよ」
そんなやりとりをしていると、商店街の人々が、表へ出て、こちらへ駆け寄って来ていることに気がついた。
「君たち、ありがとう」「君たちが居なければどうなっていたか」「本当だよ、ありがとう」「見直したわぁ」「二人とも、凄かったわよ」
皆、口々に二人に感謝の言葉を言いながら、周りを取り囲む。まるで二人はスターのような扱いだ。
シシノとシエラは顔を見合わせる。
なんだか、少し照れてしまうのだった。
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