第21話 ネヌとの別れ! そして商店街へ!

「シシノぉ、あの子連れて帰ろうよ〜」


 結局数十分もの間、野良ネヌと戯れたのだった。野良ネヌが途中でどこかへ走り去っていなければ、きっと今も、「ここがいいのかびゃ〜ん? ここかびゃ〜ん?」と、野良ネヌの鳴き真似でもしながら、撫でくりまわしていたに違いない。

 だが、それからというもの、シエラは野良ネヌを忘れられないようで、この道中、常にシシノに懇願するのだった。


「あのなぁ……何度も言ってるけど、あいつはどっか行っちまったから仕方ねえだろ? 一期一会ってやつだよ」


 半ば呆れ気味に答える。確かに野良ネヌはかわいい。シシノだって、犬、猫、ネヌで派閥があるのならば、迷うことなくネヌ派だと名乗り出るほどには、ネヌが好きだったりするのだ。

 だが、逃げてしまったものは仕方がない。シシノは、野良ネヌとはドライな関係でいようと心に決めている。


「探そう。商店街行き終わったら、あの子探そうよ」


「な、なんだと……」


 シシノは、そう言い放つシエラの目を見て戦慄する。


 ーーこいつ、本気で言ってやがる。


 この町だってそう狭くはない。あんな小さなネヌ一匹、探し出すなんて到底無理な話だ。あまりに無謀な提案に、シシノは白目を剥きそうになりながら反論する。


「んなことしたら、日が暮れちまうよ。ネネさんが帰って来る頃には、飯を作り終わっておきたい」


「んあー、それはそうだよね。……ネネさん、わたしたちのために頑張ってくれてるんだから、せめてご飯は美味しく食べてほしいし……でもシシノぉ」


 それでも食い下がるシエラに、シシノは腹をくくった。もうネヌの事で頭がいっぱいのシエラを落ち着かせるためには、論理的な鎮静が必要である。言葉を選び、話し方に気をつけなければ。


「シエラよぉ、聞いてくれ。おれだってネヌ好きだよ。いつも想像するんだ。学校から帰って、家の扉を開けたら、ネヌが尻尾振って出迎えてくれるのをな。……考えただけでも悶絶もんだ」


 シシノのその発言に、「だったら……!」と明るい声をあげるシエラ。だが、シシノはその顔の前に、手のひらを突き出して、続きを言わせない。


「……けどな、こんなネヌ好きなおれが、今までネヌを飼ってこなかったということに、疑問をいだかないか?」


いだくよ。めっちゃいだく。なんでなの修行でもしてるの苦行なの?」


 畳み掛けるシエラに、シシノは悲しい眼差しを向ける。


「命ってな、重いんだ。それはシエラにもよくわかるだろ?」


「分かるよ……うん。今なら分かる。だからあの家から逃げ出したんだもの。だけど、それがネヌを飼うことと、どう関係があるの?」


「……ネヌを飼うってことは、そいつの命を預かるって事だ。責任持って、そいつが生きるのを世話しなきゃならない。途中で飽きたなんて言うのは、もちろん許されねえ」


「うん、分かってるよ。……責任を持って、ちゃんと世話するよ。絶対に投げ出したりなんかしない」


「だけど、その先にある悲しみに耐えられるか? ……ネヌの寿命は、おれたちよりもはるかに短いんだぞ」


 そのシシノの言葉に、シエラはハッとする。ネヌのいる生活を考えるばっかりで、その終わりのことなど、ネヌの死のことなど、想像していなかったのだ。

 拳を固く握り締め、目をきつくつむり苦悶している。きっと、脳内でネヌの死をシミュレーションしているのだろう。

 しばらくすると答えが出たようで、ゆっくりと目を開き、シシノへ向いた。


「……シシノ、わたしは、それでもあの子を飼いたい。あの子が幸せに生きられたって、満足して旅立って行けるように、お世話したい」


「シエラ……なんて覚悟なんだ。……けどな……」


 その真っ直ぐな眼差しは、シシノの心に深く突き刺さった。シエラはシミュレーションの中で、ネヌの死を乗り越えたのだ。


 ーーすげえ、すげえよシエラ。おれはネヌの死を考えただけで、涙が出そうになるってのに。


 と、シシノは、シエラの覚悟に感動と尊敬の念を抱く。だが、それでも反対しなければならない。非常に酷なことだが、こればかりはどうしようもない。

 決して覆らない、その理由とはーー。


「ネネさんが、動物苦手なんだ」

 

「えっ、そんな理由!?」


 できるのであれば言いたくなかったことだが、こうなっては仕方がない。シシノは、ネネさんの数多くの秘密のうちの、その一つを明かしてしまった。


「そんな、なんてもんじゃない……ネネさんの動物の苦手っぷりは尋常じゃねえ。……あれは、おれが十歳ぐらいだったときのことか……」


 ~~~


 その当時のシシノは、ネネさんが動物嫌いだということを知らなかった。

 なのでその日、たまたま道で出会った野良ネヌに、愛着が湧いてしまい、アパートに連れて帰ってしまったのだ。

 ネヌの可愛さを理解する心は、万人に共通するーー。その日までのシシノはそう信じて疑わなかった。


 ちょうどアパートの庭を箒で掃除していたネネさんに、シシノはちょっとした悪戯心が湧いてしまった。


「ネネさん、ちょっといいですか?」


 ネヌを後ろに抱き抱え、見えないようにしながら、ネネさんに声をかけた。


「シシノ様、お帰りなさい。なんでしょうか? 御夕飯のリクエストですか?」


 ネネさんは、自分より少し背の低いシシノに、目線を合わせるようにかがんだ。


「んっふっふ、違うんですよ。ほれ!」


 そうして後ろ手に隠していたネヌを、ネネさんの目の前に突き出す。


 ……シシノが想像していたリアクションは、それはそれは女の子らしい、「きゃー、可愛い! ぜひ飼いましょう飼いましょう!」といった感じのものだったのだが、現実は大きく違った。


 まず、目の前にネヌが現れた瞬間、時が止まったかのように、ネネさんはその動きを止めた。そうして、少しずつその目が見開かれていき、なんとも嫌な汗が、みるみると噴き出ていった。

 そして、ネヌが「びゃ〜ん」と一声あげて、ネネさんの鼻をぺろりと舐めた瞬間のことだった。


 白目を剥いて、ネネさんは硬直状態のまま、後ろにひっくり返ってしまったのだ。


 想像していた反応と全く違った結果に、シシノは慌てふためき、とりあえずネネさんを、どうにかしてベッドへ運んだ。


 ーーネネさんが目覚めたのは、翌日のことだった。


 勢いよく目覚め、辺りを警戒するそぶりを見せるネネさん。その身体は震えているようにも見えた。そんなネネさんに、シシノは声をかけた。


「ネネさん、ここにはネヌはいませんよ。ごめん、あんなに驚くとは思わなかった」


「はっ、いや、その、これは、違うんです。違うんですよシシノ様。私はネヌが苦手なのではなく、……いや、苦手なのです。ネヌだけでなく動物全般が……すみませんが、どうか、ネヌを私に近づけるのは、やめていただきたい」


 そう言うネネさんの目には、涙さえ浮かんでいるように見えた。握り締められた拳は、微かに震えていた。

 そんなネネさんを見るのは、シシノにとって、これが初めてのことだった。

 あまりの様子に、シシノも涙を飲んで、野良ネヌの飼い主を探し回ったのだった。


 それ以来、シシノはネヌを飼おうとは思わなくなったのだ。


 ~~~


「ということがあったんだ……」


「なんて悲しいお話……」


 語り合えて、シシノは妙なノスタルジーを感じていた。今思えば、あんなに弱ったネネさんを見るのは、あれ以来ないかもしれない。


「ごめんシシノ、そんな悲しい過去があったなんて、知らなかった。……これ以上は、もう言わないよ」


「シエラ、ごめんな。おれも、できることなら……」


 言いかけるシシノの手を、シエラはぎゅっと握り締める。


「ううん、もう忘れよう。わたしたちは、野良ネヌとたまに戯れるだけで、それで幸せになれるよ」


 二人はお互いをなだめあい、涙を流した。

 そして、ゆっくりと歩み出す。また野良ネヌに会えることを祈りながらーー。


 ~~~


「すっごーい! ここが商店街!?」


 シジョー商店街の入り口に立つや否や、先程までの悲しみが嘘だったかのように、シエラはぴょんぴょんと飛び跳ね、はしゃぎ回る。

 入り口から見るに、土曜日とあって、人はまばらに賑わっている様子だ。


「切り替え早いなシエラ……」


 実のところシシノは少し凹んでいた。その昔断ち切った思いを、シエラに思い出させられてしまったからだ。

 そんなシシノの様子を見て、シエラはシシノの背中に飛びついた。


「うわっ、何すんだやめろっ!」


 その急なボディタッチに、シシノは慌てふためいてしまう。背中に圧迫される柔らかな身体の感触は、いささか刺激が強すぎる。


「元気だそーよ! 野良ネヌにはまた会えるんだから。今は商店街を楽しも!」


「ん、そうだな、でも……」


「なに〜? まだ引きずるの〜?」


「いや、そうじゃなくてな……」


 ネヌのこととは別に、シシノの気分が晴れない理由があった。


「とりあえず歩こうよシシノ! この通り道が全部お店だなんて、すごいよ!」


「いや、おれはたまに来てるんだけどな……」


 シエラに手を引っ張られ、渋々しぶしぶ歩き出す。

 その時だった。商店街のスピーカーから、放送が流れ出す。


「ザザッ……コードY、コードYです。……ザザッ」


「はあ〜っ、やっぱりなぁ」


 ノイズ混じりの短い放送が終わると、シシノは大きなため息をついた。


「? なになに、何の放送なの?」


 と、シエラが疑問を口にしていると、勢いよく、「ガラガラガラガラ!」という大きな音が、あちらこちらから聞こえてきた。


「しゃ、シャッターが……! な、なんでどうして!?」


 その音は、商店街の店々が、シャッターを閉める音だった。まばらに賑わっていた客も、そそくさと退散していった。


「教えてやるよシエラ。……コード"Y"は、コード"ヤンキー"。ここは、日本一ヤンキーに厳しい商店街だ」


「? ヤンキーって、不良のことだよね? そんなの一体どこに……」


「おれだよおれ!……この風貌、この商店街の人たちは、おれをヤンキーだと思ってるんだ!」


 だから気分が晴れないのだ。なにをしたわけでもなく、拒絶される感じが、なかなかにシシノの心にダメージを与える。それでもたまにここへ訪れるのは、野菜が安いからなのだ! 背に腹は変えられないのだ!


「なるほど……シシノ、それはハッピーじゃないね」


 この状況に、シエラは顎に手を当て、何かを考えている様子だ。

 そして何かを思いついたのか、あのイタズラな笑顔を浮かべる。シシノはそれを見て、なんだか嫌な予感がした。


「シシノ、安心してよ。今から、シシノがヤンキーじゃないってことを、この商店街の人たちに思い知らせよう」


「な、なんじゃそりゃ!」


 その提案は、ある意味シエラらしい。

 だがしかし、いったいどうやってそんなことをするつもりなのかと、やはりシシノは不安になるのだった。

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