第20話 新しい朝。そして、ネヌ

 ……奇怪な、夢を見ていた。


 目の前は、赤色に塗りつぶされている。何かが燃えているのだろうか。そう思った矢先、その赤に、波紋が広がっていく。そうしてそれが、己の血液であることに気がついた。

 血の水溜りの中、横たわる自分に気がついて飛び上がる。だが、それでも、目の前は赤、赤、赤に染まっていた。その赤色を抜け出そうと走り出す。しかし、水の中を進むように、足が空回りしてしまうのだった。


 赤色の不快さに耐えられなくなって、その赤を手で掻き分けて進もうとする。血液の海を泳ぐように、上へ、上へと、息継ぎを求めて、光を求めて進んでいく。


 そして、水面に近づいていったと思ったら、何かが、その海に飛び込んでくるのが見えた。赤い水泡と共に、落ちるように沈んでいくその人影に、見覚えがあったような気がした。


 この飲み込まれるような赤の中でさえキラキラと輝く、白銀の髪。こちらを見つめる金色の瞳の持ち主はーーーー。


「シエラァーーーーーッ!!」


 ガバッと身体を起こすと、ベッドの上だった。シシノは自分の叫び声で目を覚ましたのだ。

 チュンチュンと鳴く鳥の声。そしてカーテンの隙間から覗き込む日の光は、気持ちのいい朝をお届けしてくれていた。


「なぁに? シシノ」


 声に気がついて横を見ると、シエラがニヤニヤとした顔で覗き込んでいた。


「うわぁぁぁ! なんでおれの部屋にいるんだ!!」


 とんでもない叫びを聞かれたと思って、シシノは余計に慌ててしまう。ベッドの上を後ずさり、いつかの朝のように、突き抜ける勢いで壁に激突した。


「なんでって、起こしに来たんだよ。ネネさんはもうそろそろ出かけちゃうし、朝ごはんできるし」


 確かに、お味噌汁のいい匂いがしていることにシシノは気がついた。


「それにしても……」


 呆けているシシノに、シエラはイタズラな笑顔を浮かべて見せる。


「わたしの名前を叫んで飛び起きるって……夢の中でもわたしに会ってたの? シシノ〜」


 やっぱり聞かれていた。からかわれて、顔がみるみる熱くなっていく。どうにか言い訳をしようと、適当な夢を考える。


「シエラがな……」


「わたしが〜〜?」


「ハンバーグの食べ過ぎで、爆発したんだ」


「えぇ……なにその夢、食べ過ぎには気をつけろってことかな」


 いささかショックだったのか、食べ過ぎを気にしていたのか、シエラは割と真剣に考えこむ。

 とにかくこれ以上シエラにからかわれることを阻止したシシノは、ベッドから降り、顔を洗いにいくのだった。


 ~~~


「では、私はいろいろやる事がございますので、行って来ます。遅くなるかもしれないので、御夕飯はシシノ様にお任せしますね」


 ネネさんは、朝食の後、そう言ってすぐに出かけていった。これから、シエラとデオドラに関する、様々な作業をしてくれるのだろう。


「さてェ、ではボクもちょっと出かけますかねェ」


 そう言うデオドラは、今日は黒いコートを着込んでいない。白いシャツに黒いチノパンと、シンプルな服装をしている。だが、その背丈からか、洋服屋の広告モデルのような出で立ちに見えた。


「デオドラさん、どこ行くんだ?」


 洗い物をしながら、シシノは靴を履くデオドラに問いかける。


「んン〜、ちょォッと証拠隠滅にィ。山頂の草原にいろいろ置いてますしねェ。もし後から追っ手が来ても、なにも悟られないようにしておかなくては」


 デオドラの言葉に、シエラが立ち上がる。シシノも洗い物をする手を止めた。


「それなら、わたしも手伝うよデオドラ」


「ああ、おれも手伝う」


 だがそんな二人に、デオドラは首を振って答える。


「んン〜、そのお気持ちありがたいィ。ですが、大丈夫です。これは一人で徹底的にやりたいのです」


 複数人でやれば、どこか辻褄の合わないボロが出てしまうのかもしれない。デオドラはきっぱりと断るのだった。

 そして、続けてシシノとシエラに提案をする。


「お二人は、町へ出かけてはどうですかねェ? シエラ様はあんまりいろいろなところを見れてはいないでしょう? シシノ君、案内してあげてくださいィ」


「え、いやでも、そんなに出歩いて大丈夫か?」


 シシノの心配はもっともだった。追っ手が来るかもしれないという状況の中、無闇に出歩けば、出くわしてしまう可能性もある。


「いやァ、まだ追っ手は来ていませんよォ。……とある周期があるんですよねェ」


「周期? なんだそりゃ」


「まあ、その辺はネネさんの方が詳しいでしょうから、後で聞いてください……では行って来ます。シシノ君、シエラ様をよろしくゥ」


 そう言って、デオドラはそのまま出かけていった。

 取り残された二人は、お互いの顔を見合わせる。


「……とりあえず、わたしは洗い物を手伝うよ」


「ああ、ありがとよ。……それじゃ、これ終わったら、出かけてみるか?」


 シシノの提案に、シエラは顔を輝かせる。


「いいのー!? やったやったー! じゃあ、ちゃちゃっと洗い物終わらせちゃお!」


 鼻歌混じりで、シエラは食器を洗いだす。そんな様子を見て、シシノはつい、頰が緩んでしまうのだった。

 だが、あることに気がついて、シシノの表情は険しくなった。


「シエラ、ちょっといいか」


「え、なにシシノ、いつになく真剣な表情で……」


「あぁ、実はな、食器には洗い方があってだな、これを気をつけねえと、洗剤の減り方、水の使用量が、だいぶ変わってくるんだ。シエラ、今から洗い方を教える。ついてこれるか?」


「な、なるほど……頑張るよ」


 長年の間つちかった、その節約術を、シシノは真剣な眼差しで語り、実践する。

 シシノの生活にかかるお金は、毎月のホムラノミヤ機関からの振込でまかなわれている。しかし、シシノはなるべく、そのお金には頼りたくなかったのだ。

 そのため、昔から、必要最低限の消費で生活をしていくうちに、節約が趣味のようになってきているところがあるのだった。


 シエラは、そんなシシノの食器洗いを、真剣な眼差しで見つめる。その無駄のない動き、水の使い方に、食器洗いにここまでの奥深さがあったのかと、自分のこれまでの見聞の狭さに恥じ入った。

 そして、一刻も早くこの極意を習得しようと心に決めるのだった。


 ~~~


「んじゃシエラ、なんか見てみたいものとかあるか?」


 アパートを出て、シシノはシエラに問いかける。

 シエラは手を顎に当て、身体を揺らして考え込む。その仕草に、春らしい薄手で長めのスカートが、ゆらゆらと波をうつように揺れた。


「商店街? ていう所に、行ってみたいなぁ」


「商店街、かぁ。ちょっと歩いたら、そういう感じの通りがあるけど、行ってみるか?」


「うん! コロッケとか買い食いしたい!」


「コロッケ買い食いって……シエラのそういう、古き良き庶民的イメージは、どこからきてるんだ」


「ん〜〜、ないしょ」


 シエラが暮らしていたナヴァロッカという星が、いったいどういう所だったのか、余計に気になってくる。

 シエラ、デオドラという名前の雰囲気から、あんまり商店街だとか鬼ごっこだとか隠れんぼだとか、そういう和風なワードは連想しにくいのだが。

 そういえば、シエラ達となぜ言葉が通じるのかという疑問も、なあなあになってしまっているのに気がついた。シシノは、またいずれ、その辺りについても聞こうと思うのだった。


「まあ、とりあえずじゃあ『シジョー商店街』行くか」


「うんっ、道は任せるよシシノ!」


『シジョー商店街』は、この町にある、古き良き雰囲気を持つ商店街だ。学校へ行く道と少しずれた通りにあるため、時折シシノは、その商店街へ寄り道していたりする。安くていい野菜を売っている店があったりするのだ。


 商店街を目指して、歩き出してしばらくすると、二人は、道端に毛むくじゃらの動物が座っているのに気がついた。


「おっ、野良だな」


「ええ〜、なになに、かわいい〜、……って、ええっ!? なにこの動物!?」


 その動物に近づいたシエラは、驚愕の声をあげた。


「なにって、見たことないのか? 『ネヌ』だぞ。野良ネヌ」


「ね、ネヌ!? 見たことも聞いたこともないよ! こんな……猫と犬の間みたいな……なにこの子、かわいい!」


 野良ネヌは舌を出し、激しく息をしている。高いとも低いとも言えない鼻をヒクヒクさせ、尻尾を嬉しそうに振っていた。


「うわぁ〜、よしよし、おいでおいで〜」


 野良ネヌの前にしゃがみ込み、シエラは手を差し出す。すると野良ネヌは、ゆっくりとシエラの手に近づき、その指先の匂いを嗅いだ。


「ビャオ〜ン」と声をあげ、シエラの手に頭を擦り付ける。どうやら、大分人に慣れている様子だ。


「あはははは、シシノ! ビャオ〜ンだって! なにこの鳴き声、おもしろ〜い!」


「ナヴァロッカにはいないのか、ネヌ。今や三大ペットと言えば、犬、猫、ネヌだってのに」


「いないよネヌなんて〜、おもしろいな〜野強羅やごうら。なにがあったらこんな面白かわいい動物が生まれちゃうんだろ。よしよし、びゃんびゃ〜ん」


 シエラは野良ネヌの眉間を指先でくすぐるように撫でる。すると野良ネヌは、ゴロゴロと気持ち良さそうな声をあげた。


「あはははは猫みた〜い」


 今度は、その辺に落ちていた木の枝を、野良ネヌの前へ差し出す。しばらく注目させると、それを遠くへ放った。すると野良ネヌは木の枝めがけて走り出し、それをくわえて戻ってくる。


「ビャオ〜ン!」


「あはははは、犬みた〜い」


「楽しそうだな……」


 こんなところで星の違いを感じることになろうとは、シエラも思っていなかったのだろうか。しばらくの間、楽しそうに野良ネヌと戯れるのだった。

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