第19話 円卓は闇の中に

 話し合いが終わると、ネネさんもデオドラも明日は早速様々な作業に取り掛かるようなので、早めに眠りにつくことになった。シエラとシシノも、今日はそれに合わせて眠るつもりだった。


「ボクはこの部屋で寝てもいいですかァ?」とソファへ寝そべるデオドラ。まるで実家のようなくつろぎっぷりである。

 よく見ると、意図的なことかは分からないが、ネネさんが先ほどまで座っていた部分に頭を乗せ、頰をスリスリと当てている。目ざとい。


「あ、はい」とネネさんはあっさりとした対応をとるが、その頬ずりを見て、何かに気がついたのか、掃除用具入れから除菌スプレーを取り出し、デオドラへ突きつける。


「少し大きめの菌がいます。除菌しときますね」


「んン〜、手厳しいィ」


 そんな二人のやりとりを見て、シエラは、うんうんと頷くような仕草をしながら感動していた。


「もうすっかり仲良しさんだね!」


「そ、そうか?」


 シシノにはそうは見えなかったのだが、まあこの場はこれでよしとしよう――そう思った。ネネさんはまだデオドラにチクチクとした態度をとっているが、それもいずれなくなるだろうと納得しておくことにした。


「では、シエラ様、お休みになりましょうか」


 ぶしゅぶしゅとデオドラに除菌スプレーをかけまくったネネさんは、シエラにそう促す。


「あ、うんっ、そうですね」


「はい、ではお先に、おやすみなさいシシノ様」


 言って、二人が七号室を後にしようと靴を履いたとき、シエラはシシノの方へ振り向いた。そして、しばらくもじもじと見つめた後、シシノが困惑を覚え始めたころ、ようやく口を開いた。


「シシノ……今日は、ううん、今日まで、そして今日からも、ありがとう。また明日、たくさんお話ししようね」


 シエラは頬を染め、上目遣いで照れるようにして、感謝の言葉を口にする。

 明日が来ることが、明日も話せることが、シシノにとっても、シエラにとっても、とても言葉で言い表せない程に嬉しいことだった。


「おう、もちろん。おやすみシエラ」


「うんっ、おやすみシシノ」


 二人は六号室へ入っていった。それを見届けて、カチカチと紐を引き、電気を消す。


「それじゃデオドラさん、ありがとう」


 シシノも自分の部屋へ向かおうとする。だが、そのとき、デオドラが立ち上がった。


「やっとォ……二人きりになれましたねェ」


「な、なんだデオドラさん?」


 ゆらりと近寄って来る。その異様な雰囲気に、シシノは恐怖を感じていた。ゆっくりと後ずさりすると、壁へと追い詰められる。警戒は最高潮へと達した。

 デオドラはしばらくシシノを見つめると、落ち着いた声で、言い聞かせるように話しだす。


「……そうです。その警戒を忘れないように……。君の覚悟は見せてもらいましたがァ、覚悟だけでは、ラッカフルリルの殺し屋たちは退けられない……。気を引き締めることですねェ」


「な、なんだよアドバイスか?」


「というよりも忠告ですよォ。ボクは先程は君に負けましたが、本気など微塵も出していないィ。あんなのはラッカフルリルにとってはァお遊びですゥ……それにィ、動きを封じられてしまったらどうするのかなァ? 君が動けないその間にシエラ様を強奪されてしまったらァ、元も子もないィ。敵は手段を選びません。何が起きるか、想像をしておくことですゥ……でないと」


 デオドラは、シシノの前髪をその手で搔き上げる。そのひたいには、なんの傷もついていない。ナイフの刺さったあとなど、綺麗さっぱりなくなっていた。


「でないと……君はいずれ壊れる。その不死身に、あまり頼りすぎないことです」


 部屋には、常夜灯だけが灯っていて、オレンジ色の光が、部屋をぼんやりと照らしていた。微かな光に浮かび上がるデオドラの、その真剣な眼差しは、刺すようにシシノに向けられていた。

 その言葉は、シシノの胸に深く刻まれる。


「──ありがとう、デオドラさん。ああ、分かってる」


 自分の身体がどれだけ壊れても治ることは、シシノには分かっている。だが、その心は、精神は、どれだけの傷に耐えられるのか、自分自身でも分からない。

 デオドラはあのシシノの戦い方に、危機感を覚えているのだろう。傷つくことをいとわずに向かって来る様を、無様に血反吐を吐く姿を、目の当たりにしていたからこそ、余計に心配しているのだ。


「んン、分かればよろしいィ。ではァおやすみなさい」


 その確認ができたデオドラは、今度こそソファへ潜り込み、眠りにつく準備をした。


「おやすみデオドラさん」


 シシノは七号室を後にする。廊下へ出ると、月が綺麗に光っていた。しばらく空を見つめ、今日の出来事を思い出してみる。


 本当に、いろいろなことがあった。学校へ行ったことも、シエラがいなくなったことも、衝撃の事実を突きつけられたのも、命懸けの証明をしたことも、長い話し合いも、全てが今日の出来事だと思うと、不思議な気分がした。

 そして、シエラが明日もここにいられるということを考えると、全身の毛穴が広がるような感覚がするほど、嬉しかった。


「あの空の向こうに、シエラの星があんのかな……」


 月の向こうを見ようと目を凝らす。だがそこには、ただ月輪が美しく夜の闇に浮かび上がるだけだった。


 シシノは自分の行動のロマンチックさを鼻で笑うと、ようやく自分の部屋へ入る。


 高揚感と達成感がシシノの身体の中で渦巻いていたが、ベッドに入るとその疲れからかすぐさま眠りについてしまった。


 怒涛の一日は、ようやく終わりを迎えたのだった。


 ~~~


 月の向こう。

 さらに向こう。


 延々と続きそうな闇を抜けると、赤みを帯びた星が見えてくる。その空をつき破り、雲をすり抜けると、街の明かりがまばらに光る中、巨大な城のような建物が、浮かび上がっているかのようにそびえ立っていた。


 西洋風と言えば良いのだろうか、巨大な門が硬く鎖で閉ざされたその城は、何者も軽々しく寄せ付けないような、おごそかで、重々しい雰囲気を漂わせている。


 その内部、暗い石造りの廊下のその先に、赤い絨毯が敷かれた広い部屋があった。部屋の中を、無数に並ぶ蝋燭ろうそくあかい灯りが照らし出す。


 そこには、円卓を取り囲む、十一人の殺し屋たちがいた。


四骸シガイ』、そして『煤払い』である。


「デオドラは……うまくやっているのかね?」


 重たげに口を開くその男は、黒いフードのついた外套を羽織っていて、顔がよく見えない。テーブルを取り囲む彼らは、この会議のしきたりなのだろうか、皆その黒い外套を羽織っている。


「どうなんだロネ。ずっと山の周りを探し回っていたようだケド」


 小柄なその人物はあまり興味もなさげに手遊びをしながら、呟くように言う。


「あのぅ……もし誰かの家にかくまわれでもしてたら、非常に……そのぉ、めんどくさくありませんか?」


 手を挙げたのは、控えめな物言いの女だ。


「この大切な任務に、めんどくさいもなにもあるものかっ! 口を慎みたまえ!」


 その意見に、隣に座っていた、若い雰囲気を持つ男が、真面目さの権化ごんげのような言い方で憤る。


「ひ、ひぃっ、すみませんすみませんっ、違うんですめんどくさいって、探すの大変ってことでぇ……任務自体のことを言ってるんじゃないんですぅ」


 謝りながら、女は近くにあった蝋燭を燭台しょくだいごと持ち上げ、憤る若者のマントに火をあて、燃やしにかかった。決して素早い動作ではなかったが、予測のつかない流れるような行動に、若者は、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくをただ見るだけだった。

 当然、若者のマントに火が上がる。


「あっっつ! ちょ、なにをしているっ! 早く消したまえよ!」


「すみませんすみません、でもムカついてしまったんで、もう燃やすしかないかなって思って……」


 この異常事態に、外野は別段慌てる様子もない。


「毎度毎度、アンタらよく飽きないねえ」


「ほんとほんと、僕らは飽き飽きだよ。」


 クスクスと笑う小柄な二人組。その手には、どこから用意したのか、水がなみなみと入ったバケツを持っていた。二人で燃え上がるマントに悶える若者の元へ歩いて行き、水を差し出す。


「あ、ありがとう。僕が感謝することを感謝したまえ」


 若者が、差し出されたバケツを受け取ろうとした瞬間、二人組は、その目の前で、ニヤニヤと笑いながらバケツをひっくり返す。水は若者のマントにかかることなく、ただ床と絨毯を濡らした。


「モォーーーー!! またやったなぁ! 悔い改めたまえよぉ!」


 と、若者はその濡れた床にダイヴし、ゴロゴロと転がる。その水分でマントの火を消そうと取り掛かったのだ。

 それを見て二人組はケラケラと笑っている。


「アハハハ「アハハハハ「アハハハハハ「アハハハハハハ」


 乾いた空気の中、狂気をはらんだような笑い声がこだまする。


 皆、それをただ黙って見ている。特に興味もなさそうに、異常であるとも感じずに。


 口を開く彼もただ、うるさいと感じたから止めるだけだ。


「静粛に。それでも『煤払い』なのか? 毎回毎回、こんなことでは、君達の出席は願い下げたいところだ。除名も考えるところである」


 その大柄な人物の声に、その場にいる誰もが静まりかえる。二人組の笑いもピタリとやんだ。「「ごめんなさい」」と声を揃えて謝罪し、元の椅子へ戻っていく。

 若者と控えめな女も、それぞれ席へついた。


「うむ、よろしい。では、議題に戻ろうか。シエラ様を、デオドラが捜索中である……だが、もしこのままデオドラが戻らないとなると……次の人間にその任務を託すしかない……」


 大柄な人物は、しわがれた声で、重々しく議題を提起する。


「『煤払い』のデオドラが失敗するとは考えにくいけどねえ。シエラ様が最も信頼しているのもデオドラだろうし。もし失敗するなら、次も『煤払い』を送った方がいいのかねえ」


「いやしかし、そこまで人員を割く必要は」「なにを言う、これは最重要任務だろう」「匿ってる奴がいるなら殺さなきゃなあ」「いや、私は別の案件を抱えていて」「もうボク帰っていいカナ?」「何を、口に気をつけたまえよ」


 姉貴肌な雰囲気を醸し出す女の言葉を皮切りに、様々な意見が飛び交い始めた。飛び交うばかりで意見はまとまらない。


 そのとき、部屋の扉が開かれた。


「何者だっ!!!!」


 この部屋には、『四骸シガイ』と『煤払い』しか入れないはずだ。あり得ないはずの訪問に、しわがれた声の持ち主が声を上げる。その場にいる全員の注目が、その扉へ集まった。


「失礼とは分かっているっスが! そのお役目、ぜひこのアタシに任せていただきたいっス!!」


 そう叫ぶのは、小柄な少女だった。殺し屋たちの間に、どよめきが起こる。


「いったい、どうやってここまでやってきた?」


「貴様、『二つ名持ち』か?」


 もはや誰がその質問を投げかけたのかは分からないが、その小柄な少女は、堂々と立ち、その場の全員に臆することなく、答える。


「ッス! アタシは『闇討ち』の二つ名を持ちます!」


「『二つ名持ち』ごときに、この重大な任務を任せられるか! 帰りたまえ!」


 若者は再び憤り、少女へ駆け寄ろうとする。だが、しわがれた声の持ち主が、その動きを制止した。


「な、なにを」


「いや、この『闇討ち』……使えるかもしれん」


「な、なんですと……『二つ名持ち』に、この重大な任務を……?」


「デオドラが失敗するなら、アプローチを変えなければ、失敗は繰り返されるだけだろうよ。まあ、考えを聞かせてくれ……『闇討ち』! この部屋へ辿り着けたそなたの腕を見込み、一つ案を考えようではないか!!」


「ッス。 ありがとうございますッス……」


 少女はその円卓に、歩みを進めて行く。

 そして殺し屋たちは語り合う。


 蝋燭は次々と燃え尽き、ゆっくりと、闇へ溶け込んでいく。


 ──殺し屋たちの策謀さくぼうは、その闇の中、じわじわと、シシノたちに、暗い影を這い寄らせようとしていた。

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