第12話 落ちて、這い上がる
人はいずれ死ぬ。病気、事故、寿命、自殺──死の理由は様々だ。
そして「死」の根本、生命活動の停止は、生まれた瞬間から決まっていることだ。どんなに屈強な肉体を持っていても、どんなに健全な精神の持ち主でも、死という運命からは、誰も逃れることはできない。
だからその過程を大切にする人間が多い。理想的な死を、温かな死を、安らかな死を。死が必ずやってくるならば、せめて、幸せな死に方をしたいと願うのだ。
幸せな死。それがあるとするならば、逆に言えば不幸せな死があるはずだ。
例えば、病気、事故。ああ、なんとも不幸せな死である。誰も望んでこの死を選びはしないだろう。自分の意図せぬ死など、
例えば、自殺。確かに不幸せだ。自ら進んで死を選ぶとは、そうなるまでに一体どれほどの不幸があったというのだろう。想像だにしたくない。
自らを自らの手で殺す。それが自殺。殺すとは、生命活動を奪う行為である。
そして殺すという行為を他人に向ければ、それは立派な、いや、粗末な、粗悪な、悪辣な、殺人である。
不幸な死の最たる例は、誰かに殺されるということかもしれない。何のために殺されるのだろうか。恨みでも買われていたのだろうか。保険金でもかけられていたのだろうか。ただ不愉快だったからだろうか。そもそも、理由なんてないのだろうか。
自分の意思とは関係のないところで、誰かの意思によって明確に命を奪われる。それが不幸な死でなくて、何だというのだろうか。
どんな理由があるにしても、人間の死の尊厳を奪う殺人行為は、倫理溢れるこの現代社会で、最も犯してはならないタブーである。罪である。
──その殺人を、シエラが犯しているというのか。
「……シエラ? それは、本当なのか?」
「…………………………」
シエラは何も言わない。ただ、力なく座り込み、目を見開いて、じっと草むらを見つめるだけだった。
この状況での沈黙は、肯定に等しい。
──分からない。想像がつかない。あのシエラが、
そう、分からない。
「分からねえよ。おれは……」
──知らない。シエラを。シエラのことを。
「おれはまだ、シエラのことを何も知らないんだ。……あの数日間で、シエラのことを分かった気になっていた。……なってただけだ。おれは、訊かれるままにおれの話をするばっかりで、シエラのことをほとんど知ろうとしていなかった……」
独白は続く。シエラは虚ろな目でシシノを見つめていた。その心の内は、今どうなっているのだろう。後悔だろうか、悲哀だろうか、
「シエラが飛び出してきた星の名前さえ、今言われて知ったくらいだ。……おれは気を使ってるつもりだった。どうして逃げてきたのかとか、そっちの星はどんな様子なのかとか、訊いたらダメなのかもしれないって、シエラは傷つくかもしれないって……そう思ってた。……でも、違うよな。こんなのは、ただ知ろうとしてなかっただけだ。黒いところから目を背けて、シエラの、上辺だけを見ていたんだ」
力のない独白はまだ続く。デオドラも、ただ黙って聞いていた。
「明るい顔を、笑顔を、涙を、いろんな表情を見せてくれたから、勝手におれはシエラを知ったつもりになった。だから今、アンタの話を聞いてショックを受けた。おれの知ってるシエラが、そんなことをするはずがないと思ったからだ」
「ええ、ですがァ事実です。ボクの言葉に、嘘偽りはありません」
するはずがないという言葉を、デオドラは否定する。それでもまだ、シシノの口から言葉が止まることはなかった。
「殺人という行為が事実だとしても、それをシエラがどういう気持ちでやっているのかは、おれは知らない。ただ、シエラがやらされていると言っていた仕事ってのが、それなのだったら、シエラがそれを嫌がって逃げてきたんだってことは分かる」
「……ではあなたは、嫌々やっていたのだったら、人殺しをしていてもいいと言いたいのですか?」
眉をひそめるデオドラは、シシノを異常なものと認識する眼差しを向けた。
「それは少し違えよ。もちろん人を殺すってのは悪いことだ。罪だ。だけど、それを聞いただけじゃ、おれはシエラを嫌いにはならない」
「な──、何を言ってるンです?」
「だから、もっと話をしようって言ってるんだ。おれはシエラのことを、シエラの星を、もっと知りたい。まだおれが知らないシエラを知ってから、嫌いになるのか判断したい。アンタだって、シエラだって、おれのことをまだ知らないだろう。お互いをもっと、知る必要があると思うんだ」
「こんな話を聞いて、まァだそんな事を言うのですか? この星の倫理観は狂っているのですか?」
シシノの異常とも言える発言に、デオドラは逆にたじろいだ。
「アンタだって、おれにはそんなに悪い人間に見えない。現におれを攻撃していない。アンタのことだっておれは──」
「もういい、口を閉じなさい。言っても分からぬのなら、行動で示すしかありませんねェ」
シシノの言葉を遮った刹那、「タタタタン」という何かが弾むような音と共に、少し遠くにいたデオドラは姿を消した。否。消えたのではない。シシノの足元に、一瞬にして移動したのだ。
その手に持つものが何なのか、シシノが認識する前に、脚に、
緑が生い茂る草原の上に、「ボトッ」という音を二つ響かせて、赤色を吐き出す肉が転がった。
「あ、あーー?」
立っていられなくなる。シシノは後ろ向きに崩れるように倒れ込んだ。脚に力が入らない。
目を見開く。そして、自分がデオドラに何をされたのかに気がついた。
「シシノ──! で、デオドラッ! なんてことを、なんてことをッ!!」
シエラの絶叫が草原に響き渡る。だがその声を無視して、デオドラはシシノの胸のあたりを蹴飛ばした。当然、シシノは後ろに飛んでいく。だが、その先はーー。
「シシノーーーーーーーッ!!!」
その先は、登ってきた山の荒れた道だ。シシノは意識の追いつかないまま、木々の生い茂る急な坂を、木々に衝突しながら転がっていった。
「あ、あぁ……シシノっ、シシノっ……」
あの様子では、シシノは死んでしまったかもしれない。シエラは、シシノが死んだ可能性を考えて、そして、
そしてそれは、すぐさま怒りに変わる。
「デオっ、ドラぁぁ……今の所業、わたしが許すと、お思いか? 今、ここで、あなたの息の根を止めてやる」
ゆらりと立ち上がるシエラの表情は、
「お待ちくださいシエラ様ァ。僕はプロですよ。彼を殺さない程度に、這い上がってこれないよう、痛めつけただけです。運が良ければ誰かに助けてもらえるでしょう」
「死んでいなくてもッ! シシノを傷つけたことに変わりはないッ! あなたには今ここで、死んでもらうッ!」
「……ほォら、貴女は根っからの殺人者だ。ボクが気にくわない行動をとれば殺そうとする」
「なん……ですって……」
真理を見透かすようなデオドラの言葉で、シエラの動きは静止する。
「そうでしょう。今だって殺して解決しようとしましたよねェ。ボクを殺したところで、どうにもならないというのに。貴女は怒りに任せて、ボクを殺そうとしました。そんな根っからの殺人者が、この星に平和に暮らす人間と、仲良くできると思ったのですか?」
「それは……それは……」
できる──と言いたかった。だが、本当にそうだろうか。シエラが殺人者だという事実を目の当たりにしたシシノは、少なからずシエラを奇異の目で見ていたはずだ。
ただ、「もっとよく知りたい」という、シシノの言葉を思い出す。彼はこちらに歩み寄ろうとしていたのだろうか。人殺しという事実を受け入れようとしていたのだろうか。シエラには分からなかった。彼は、一体どういうつもりで言ったのだろう。
「殺人者の貴女が居られる場所はァ、たった一つだけです。さァ帰りましょう。ここに居続ければ、貴女の周りの人々は、軒並み苦しみます」
デオドラは、銀色の船に向かって歩き出す。
シエラもついに諦めて、その後に続こうとした。
だが、そのときだった。
「よぉシエラぁ、あんな感じで怒るんだな。やっぱりまだまだ知らないことだらけだ」
あり得るはずのない声がした。デオドラとシエラは、声の方向に振り向き、驚愕する。
ヒノミヤ・シシノが、そこに立っていた。
服はボロボロで、葉にまみれている。しかし、
「な、なんです。どういうことですか」
見れば、シシノのズボンの破れた跡からは、健康的な肌色が覗いている。
困惑するシエラとデオドラに、シシノは高らかに宣言する。
「ほらな、お前たちだって、おれのことを知らない。だから、もっと話をしよう」
「貴方は、一体……」
「住む世界が違うなんて、勝手に決めつけんなよ。こっちは、
異常。異様。不可思議なシシノの状態に、デオドラは恐怖に近い感情を抱き始めていた。
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