第11話 登り、堕ちる

 シシノのお気に入りの山へ通じる道は、途中まで学校への通学路と同じである。川沿いを歩くまでは同じなのだが、山へ行くには、橋を渡り、そのまま真っ直ぐに進むことになる。

 だが、途中までの道が同じという理由だけで山へ向かっている訳ではない。根拠は薄いが、他にもある。


 一つは、山の頂上が人目につかないという点だ。

 シエラを迎えに来たというあの男も宇宙からやってきたのなら、シエラと同じように、宇宙船のようなものでやって来たと推測できる。それを少なくとも三日程、人目につくことなく停めておいていられる場所は、この辺りならばあの山の頂上が最適である。

 だがこの推測は、単純に隠す場所が違った場合と、もしシエラの星がより高度な技術を持っていて、どこかからテレポートすることが可能な場合、完全についえてしまう。


 もう一つは──これこそ、根拠、というよりも妄想に近いものだが──シエラと初めて出会った場所が、あの山の頂上だからである。それと結びつけてしまって、シエラ達宇宙人の、この星への入り口は、あそこなのではないかという気がしてならなかったのだ。


 推測が正解ならば、土地勘と山を登る早さを考慮すると、全速力で走れば、もしかしたら追いつけるかもしれない。

 今は希望的観測を鵜呑みにして、ただ走り続けるのみだった。


「はっ、はっ、はっ、ぐっ、クソっ!」


 バテている場合ではないというのに、シシノの脇腹は、足は、悲鳴をあげている。山までは走ってあと五分くらいだろうか。今はこの五分が酷く長く感じた。

 悲鳴をあげる身体を無視して走り続けていると、見知った顔を見つけた。


「あれ、シシノ君、どうしたんだい?」


 ショウタ君だった。話しかけてくれるのは嬉しいが、今はそれどころではない。

 一声挨拶をして通り過ぎようとしたが、シエラ達について、彼に訊いてみればいいことに気がついた。


「っはぁ、すまん、ショウタ君、今急ぎで訊きたいことがあるんだ、はぁっ、髪が白い女の子と、黒いコートの怪しい男、山の方に歩いてるの見なかったか?」


「う、うん見たよ。僕んち山の方なんだ。家から出て少し歩いたところで、あまりに怪しかったから覚えてる」


「そ、それは何分くらい前だ!?」


 なんと、目撃情報があるならば、シシノの推測は正解に近い。


「五分くらい前かなぁ、走ったら追いつくんじゃない?」


「あ、ありがとう、恩にきる!」


 駆け出しからトップスピードで走り抜ける。推測がほぼ確信に変わり、アドレナリンがシシノの疲れを吹き飛ばした。

 後ろから「なんか頑張れシシノ君!」と、ショウタ君の声援が聞こえる。不思議とその声も、シシノの走る力になった。


 ~~~


 山へ着く。入り口と言える場所は、この道の少し横、フェンスで封鎖されている場所しかない。シシノは躊躇なくフェンスを飛び越えた。

 木々を掻き分ける。地面を見ると、確かに人が歩いた形跡があった。シエラと男は、この先にいる。顔に当たる葉も、木々も何もかもを無視してシシノは進んでいった。

 すると先の方で、声が聞こえた。小さくてよく聞こえないが、どうやら口論しているようである。


「ど……して、…校に連れて……なかったの!?」


「ですか…、会えば……かれが辛く……だけだと、なぜ…」


 ──近くにいる。近くにいる。近くにいる──!


 追いつけるという事実に、おかしなことに、感動のような気持ちを覚えていた。

 山を登るスピードが上がる。そろそろ草原に出るあたりだと気づくと、前を進む二人の姿を確認することができた。


「ま、待てっ! シエラ、待ってくれーー!」


 山の中に、シシノの絶叫が響く。声に気がついて、シエラと男は振り向いて、シシノの方を見据えた。


「し、シシノっ!? どうして!?」


「ちッ、……なんで来てしまうんですかねェ」


 パァッと輝くようなシエラの表情をよく見ると、涙の跡や、髪の乱れが確認できる。泣いてからどれだけ経ったかは分からないが、悲しくて泣いたのだということは分かった。

 一方で男は、バツの悪そうな顔をしていた。


「少年……なぜここが分かったんですか?」


 男は昨日の飄々ひょうひょうとした様子とは違って、静かながらも険しい表情で問いかけてくる。


「か、勘だよ、勘」


 随分と間抜けな答えになってしまったが、事実である。包み隠さずシシノは答えた。


「……そうですかァ。はァ……こんな山の中で話すのもなんですし、一回、草原まで上がりましょうかァ」


「え? あ、あぁ、そっちの方が、助か……助かります」


 意外にも柔らかな男の物腰に、シシノの逆立つ怒りにも似た感覚は腑抜けていった。相手が敬語を使ってくるので、こちらも思わず使ってしまう。


 少しの間だけ山を登る。その間も警戒を解くことはしなかった。


「シシノっ、シシノっ、また会えて嬉しい」


 シエラはシシノの横で歩く。その目には涙が浮かんでいるように見えた。


「おう、おれもだよ。別れも言わずに行っちまうなんて、おれは嫌だからな。でも、その別れもまだ言わないでくれ」


「え、それって……」


 会話のうちに、木々を抜けて、山頂の草原へ出た。少し先に男は立っている。その奥には、男が乗って来たと思われる、丸みを帯びた銀色の塊があった。


「単刀直入に言います。シエラを連れて行かないでください」


 真っ直ぐ、ハッキリと、混じりけなく、目の前の男に、シシノは自分の気持ちを述べた。


「し、シシノ……」


 横に立つシエラは、不安そうにシシノと男を見る。


「はァーー。ですよねェ、ですよねェ、分かりますよォその気持ち。痛ァい程分かります」


 大きなため息をついて、男は飄々ひょうひょうと答える。その様子からは、男が怒っているのか、困っているのか、感情を読み取ることができない。


「ど、どうなんですかっ。連れてくのをやめてくれるのか──」


「あァーーー、ちょォっと、落ち着いてくださいよォ、まずは自己紹介をしましょう。えーっと、あなたは……シシノ君、ですよねェ?」


 焦りを込めたシシノの言葉を遮って、男はそう言う。正直、この男の名前などどうでもいいと思ったが、相手に、思っていたより敵意がないことを見ると、一度クールダウンする必要があった。なにも喧嘩をしに来たわけでもないのだ。状況によってはどうなるか分からないが。

 ここは素直に、自己紹介に付き合うことにした。


「あぁ……いや、はい。おれはヒノミヤ・シシノです」


「うん、いい名前なのですかねェ? こちらの人名のつけ方はよく分かりませんけども、少なくとも音の響きは、とてもいいですねェ、シシノ君」


「は、はぁどうも。」


 名前を褒められ、思わず気が抜ける。つかみどころのない男だった。


「では、僕も自己紹介をさせてもらいましょォ。僕はデオドラ・ラッカフルリル・マック・ニック・メメン・トゥ。以後お見知り置きを──もう会うことはありませんが」


 もう会うことはない──その言葉に、シシノの神経は再び逆立った。


「だから、シエラを連れて行くのをやめてくれって言ってんです! あなたも泊まるとこがないならうちに来るといい! 部屋もまだ空いてるんだ、窮屈きゅうくつな思いをすることはさせませんから!」


 怒り混じりの要求で、言葉遣いもめちゃくちゃになってしまっているのを感じた。だがもう止められない。


「んン〜。それは魅力的なお誘いィ。ありがとうございます。ですがァ慎んでお断りさせていただきます」


「な、なんで、ですかっ」


「はァ、相当別れが辛いと見えますねェ。……だから、思い出なんて作る前に、あなたの元からさりげな〜く引き離そうとしたんですがァ、あの時点でもう遅かったんですかねェ……失敗したなァ」


「あのときって、……あっ」


 昨日の時点で、この男──デオドラは、シエラがシシノの元にいるという事実を掴んでいたのだ。昨日の質問はつまり、シシノに事実を吐かせ、そのまま円満に連れて帰ろうという魂胆だったのだろう。

 だが、思い出という鎖で、シシノはシエラと繋がっていた。いや、繋がっていた気がしていただけだが、結果、まだ離れたくないという意思が、シシノに嘘をつかせたのだ。

 それに、たとえ初めて出会った日の夜に迎えに来られていたとしても、あれだけ苦しそうなシエラの様子を見ては、そう簡単に元の家に帰す気にはならなかっただろう。


 そうだ。シエラの家は、シエラを苦しめている。

 その事実をシシノは知っていた。だから帰したくないという気持ちもある。


 だが、最も大きな理由はそれではない。


「あぁ、そうだよ。ただおれがシエラを帰したくないだけです。こいつといると楽しいから、初めてのものをたくさんくれるから」


「し、シシノ……照れちゃうよ」


 こんなときだというのに、シエラは横で顔を赤くしている。そんな様子がシシノを安心させた。

 だが、どうやらそんな気持ちだけでは、デオドラは納得しないようだった。


「心底……遅かったみたいですね。あなたと出会う前に追いつけなかったのがァ、すでに遅かったようです。いいですかァ、これは、あなたのためでもあるんですよォ」


「な、なにを言ってんです」


 ──シエラを家に帰すことが、おれのためになる? なにを言っている。おれはシエラといたいというのに、引き離すことの何がためになるというのだ。

 シシノの疑問は表情でデオドラに伝わったようである。


「あなたとシエラ様とじゃァ、住む世界が違いすぎるんですよォ、あなたがシエラ様のことをどれだけ知っているのかは知りませんが、知らないのなら教えてあげましょォ!」


「嫌っ! やめてデオドラ! 言わないで! シシノには知られたくない!」


 なんだというのだ。シエラの拒絶は、デオドラが何を言おうとしているのかを知っての行動だ。シエラとシシノでは、住む世界が違う。そんなことは生まれた星が違うのだから当然のことである。だが、シエラの拒絶からは、そんな簡単な話ではないことが見てとれた。


「いいですか、ラッカフルリルは──」


「嫌……やめて」


 拒絶するシエラを無視してデオドラは続ける。


「ラッカフルリルは、ナヴァロッカで最も由緒正しい──」


「嫌ーーーーーッ!」


「──殺人集団、なのですよ」


 ──ナヴァロッカ? 殺人集団? 何を馬鹿げたことを言っている。


 シシノは言われた言葉の意味を反復する。ナヴァロッカとは、シエラ達の住む星の名前だろう。だが、後のあまりにも突飛な言葉には、ただ、困惑することしかできなかった。


「な、なにを言ってるんですか? 訳が、分からねえ」


「理解が遅いなァ。ラッカフルリルは殺人集団。つまり、シエラ・ラッカフルリル・パス・トゥリ・ラ・ミネーシア……シエラ様も、殺人者なのですよ」


「嫌……聞かないで、聞かないでシシノ……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 シエラの様子は、この馬鹿げた話に信憑性を与えてしまっている。


 ──殺人者? なにが? 誰が? 今、この男は、なにを。なにを言っている。


 シシノの混濁した意識を凍りつかせるように、デオドラはトドメとも言えるダメ押しをする。


「シエラ様は、人殺しです。あなたは人殺しと、仲良くすることができますか?」


 風が吹く。こんなときだというのに、陽の光は、包み込むように、優しくシシノ達を照らしているのだった。

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