第9話 月明かりの下で
「ただいま」
「あっ、おかえりシシノ!」
出迎えてくれるシエラの姿を確認して、少し安心する。
あの男はしばらくこの辺を探すと言っていた。つまり、まだシエラを見つけていないということだ。見つかったらどうなってしまうのか、想像する。もし見つかってしまえば、すぐさま捕まって、連れていかれてしまうかもしれない。
「なあ、今日は、外に出るのはよさねえか?」
「? なんで? 今日は外に出るつもりはないけど」
外に出なければ、あの男に見つかることはない。シエラの言葉を聞いて、シシノの不安は少しだけ晴れた。
「おう、そうかそうか、ならいいんだ」
怪しまれたかもしれないが、なんとかごまかす。シシノは無理矢理に明るく振舞って、心に侵食する、残りの暗い気持ちを振り払おうとする。
「んじゃあ、今日は何をするつもりなんだ?」
「それはね〜。じゃあ〜ん」
シエラが指し示すテーブルの上には、肉やら野菜やら乳製品やら、テーブル面を覆いつくすほどの量の食材が並べられていた。
「うっわすげえ! どうするんだこれ!」
「今日はこれからみんなで、クッキングをするよ!」
「はい。シシノ様、シエラ様、レッツクッキングです」
三人がキッチンに集結する。
それぞれがエプロンをつけ、髪を結び、手を洗い、爪の長さを確認する。料理の準備は万端だ。
それにしてもこの食材の量は、どうみても三人分ではない。今日だけでこれを使い切るつもりなのだろうかとシシノは疑問に思ったが、今は口にしなかった。
「それで、何を作るんだ?」
「えーっと、カレーとハンバーグと
「ビュッフェかよ!」
なるほど、それだけ作るつもりならば、あの食材の量も、うなずける。だが、少し考えれば、三人でそれだけの料理を食べきれる訳がないと分かるだろうに。
「まあまあシシノ様。シエラ様が作りたいとおっしゃっているんです。いいじゃないですか。我が家の冷凍庫は大容量ですし、余った分は冷凍しましょう。お弁当にも使えるので、私は非常に助かりますよ」
「それはそう、ですけど」
言いながらシシノは、ネネさんが何を考えているのかに気がついた。シエラがそう遠くないうちにいなくなることを考えているのだろう。だから、シエラの作りたいと言ったものを、やりたいように作らせようというつもりなのだ。
シシノの心に、また冷たい影が
だが、今は楽しむべきときなのだ。影が嫌ならば、電気でもつけて無理矢理明るくするしかない。テンションを上げなければ。
「そうだな! 食べ放題なんてなかなか行かないしな! 今日はもう、暴飲暴食の限りをつくすとするか!」
「おっ! ノッてきたね、シシノ!」
「シエラ様、わからないことがあれば私がお教えしますので、ご安心して料理していただきたいです」
「おれも、ネネさん程じゃねえけど、料理には割と自信があるほうだし、頼ってくれていいぞ」
「うん! わたしは料理するの初めてなの! 頼りにするね、二人とも!」
そんなこんなで、三人のクッキングがスタートしたのだった。
~~~
テーブルの上には、所狭しと様々な料理が並んでいる。その壮観な様子は
「シシノ、ネネさん、ありがとう。わたし、とっても楽しかった!」
「ふふ。私こそ、とても楽しかったですよ。誰かと肩を並べてお料理するのも、そうそうないことですし。しかし、シエラ様の包丁捌きには驚かされました。」
そう、シエラの料理の腕は、まさに初心者というものだったが、その包丁捌きには、異質なものがあった。料理の知識は全くと言っていいほどないにも関わらず、まるで、食材の切るべきラインが見えているかのように、鮮やかに切り刻んでみせるのだ。それは、料理というよりは、達人の
「でもわたし、それ以外はてんでダメで、わたしの作った料理、変な形してるのあるし、美味しくなさそう……二人には迷惑かけちゃったね、ごめんなさい」
「んなことねえよ。初めてでこれだけいろいろ作れりゃ、大したもんだ。それに、料理は食わなきゃ美味いかわかんないだろ。……どれ、いただきます」
「では、私もいただきます」
言いながらシシノとネネさんは、三つあるハンバーグのうちで、一際不恰好なものを、箸で割って口に運んだ。
「あっ、それ、わたしが作ったハンバーグ……」
二人がもぐもぐとハンバーグを頬張る様子を、シエラは不安そうな表情で見つめる。
「ん、美味いぞ!」
「ええ、とっても美味しいですよ」
「ほ、ほんと? ……じゃあ、私もいただきます」
二人の言葉を聞いて、シエラの顔はパァッと明るくなった。そして、ハンバーグに箸を伸ばし、口へ運ぶ。
「……おいしいっ」
「おう、そうだろそうだろ。ハンバーグだけじゃねえ、ここにあるすべての料理が、みんなの力で作ったものなんだぜ。それをみんなで食べるんだから、なおさら美味いに決まってる」
「シエラ様の作ったコロッケ、とても可愛い形をしています。これぞ初めての料理の醍醐味というものですよ」
「二人ともぉー! 本当にありがとおー!」
今夜の夕食は、シシノが覚えている中で、最も楽しい食卓だった。三人は、お互いの作った料理を褒めあったり、形の変な餃子を笑ったり、焦げた部分を見つけて反省したりした。
それは、他愛のない、だけれども、とても幸せとも言える時間だった。
テーブルに並ぶ料理は、三人が力を合わせた証でもある。それはいずれ、腹の中に消えてしまうけれども、料理をしたひととき、他愛のない食卓、なんだかいつもより美味しく感じる味を、いずれ思い出すこともあるだろう。
初めてすることの感動は、そう簡単に、消えるものではないのだから。
三人の結託の証は、しばらくは冷凍庫の中に残り続けるのだった。
~~~
「ねえシシノ。学校ってどんなところ?」
今夜もシエラは、シシノの部屋を訪れていた。眠くなるまでのトークタイムだ。今夜は月がきれいに照っているので、部屋の明かりをつけずにいる。
「うーん、勉強するところ」
シエラは学校に通っていないのだろうか。そんな疑問が浮かんだが、向こうの星の常識がどういうものかもわからない。もしかしたら、学校に通えない理由でもあるのかもしれない。だからシシノは、ただ質問に答えた。
「そんなことは知ってるよ。そうじゃなくてこう……休み時間何してるとか、あの授業が好き〜とか、きら〜いとか」
「授業ねえ、大体好きじゃねえけど、……そうだな、体育は一番嫌だな」
「えぇー? どうして? 楽しそうなのに」
「体育ってさ、ペアを組んだり、チームを組んだりすることが多いんだよ。それでおれは毎回困るんだ」
「? 友達と組めばいいんじゃないの?」
痛いところを突かれた。シエラはシシノに友達がいないということを知らないのだ。それを知られたら、幻滅されるかもしれない。だが、ここはごまかすところでもないと、シシノは思った。
「……おれ、友達いねえんだ。……学校に、いや、どこにも、友達なんてもんはいない」
下を向いて、正直に告白した。
恐る恐るシエラの方を見ると、心配そうな顔で、こちらを覗き込んでいるのが見えた。
「……えっと、どうして? シシノはこんなに優しくて、素敵なのに、それはどうしてなの?」
「……なんだろう、今はこうしてお前と喋ってるけど、学校に行くとダメなんだ。……どうやって話しかければいいかわからない。……みんなも、おれに話しかけてきたりなんかしないしな」
「それは、顔が怖いからじゃない?」
「っておい! 気にしてることをさらっと言うなよな!」
「あ、ごめん。顔が怖いっていうのは少し間違い。……ちょっといい?」
シエラは、シシノの顔に手を伸ばした。ゆっくりと近づいてくる指は、シシノの前髪をかきあげた。
「うん、やっぱり、こっちの方が素敵。シシノも髪をあげたほうが、周りがよく見えるでしょ?」
優しく微笑みながらそう言うのだった。思わずドギマギしてしまう。
「いや、おれは、この目を隠すために髪を下ろしてるんだけど」
「ううん、ダメだよ。とっても素敵な目なのに。隠しちゃうから、かえって怖く見えちゃうんだよ。それにね、話せばきっと、わかってもらえると思う。シシノはとっても優しくて、とっても素敵だって」
「でも、……前髪をあげたところで、誰かが話しかけてくれるかなんて、わかんないだろ」
「話しかけてもらえないなら、話しかけに行けばいいじゃない。最初は自然な流れでさ、話すべき場面がきたら、ちょっと頑張って話してみるの。体育なんか、ぴったりの時間じゃない?」
「……でも、今まで黙ってたやつが、急にいろいろ喋りだしたら、変に思われないか?」
「思われるかもね、でも、おもしろいと思ってくれるかも」
「……気が合わないと思われないか?」
「思われるかもね、でも、気が合うと思われるかも」
「……おれと話してて、楽しくないと思われないか?」
「私は楽しい。シシノと話すと、とっても楽しいの。みんながそうかはわからないけど、だけど、きっと、シシノと話すと楽しいって言う人がいるよ。ううん、絶対にいる。だからさ、明日からゆっくり、やっていこうよ」
シエラの言葉には、根拠なんてものは一つもない。だが、その言葉に込められた想いが、純粋で真っ直ぐなものだと解るから、シシノの心を溶かしていくのだ。
「ありがとよ。明日から、ちょっと頑張ってみるよ」
「えへへ。大丈夫だよ、シシノなら」
「じゃあ次はこっちのターンな。なあ、今更だけどさ、この星にきてやりたいことってなんなのか、少しでいいから教えてくれよ」
「んー、いくつかはもうできたんだけどね。じゃあちょっと待って」
そう言うとシエラは、寝巻きのポケットを
それにしても、いくつかはできているとはどういうことなのか疑問に感じた。シシノは、特別なことをした覚えなどなかった。
「恥ずかしいけど、一枚だけ見せたげる」
紙を一枚、渡される。広げると、文字がびっしり書いてあった。日本語とはほんの少し違うようだが、問題なく読むことができるほど、差異はない。
この紙はどうやら、やりたいことのリストのようだった。
〈お出かけしたい。
隠れんぼがしたい。
買い物に行きたい。
鬼ごっこがしたい。
名前を呼び捨てで呼んでほしい。
お話がしたい。
料理がしたい。
虹を見たい。
ピクニックがしたい。
本を読みたい。
感想を言い合いたい。
トランプがしたい。
お料理がしたい。
ボウリングがしたい。
カラオケに行きたい。
サッカーがしたい。
お掃除がしたい。
服を選びたい。
お花見がしたい。
学校へ行きたい…………〉
他愛のない願いが、紙いっぱいに書かれていた。一番上には大きな文字で、〈誰かと〉と書かれている。一人ではなくて、誰かと一緒にやりたいことなのだろう。すでにし終わった事柄には、上から線を引いて消されている。
「これが、お前のやりたいこと?」
「うん。どれもわたしの、大切な願い。シシノとネネさんは、いろいろなことを叶えてくれたよ。……呼び捨てで呼んでくれたのは最初の日だけで、あとは全然呼んでくれないけどね」
幸せそうな笑みから、すぐさまイタズラな笑顔に変わる。そんな様子も、シシノにはもう、馴染みのあるものに変わっていた。
「なあ、これ一個、線引き忘れてるぞ」
左下に、小さく書かれている文字を、シシノはペンを取り出してなぞった。
〈友達をつくりたい〉
この文字列に、線が引かれた。
「いい願いだな。おれも願ってた」
「え、えっ、……本当に? わたしとシシノ、友達でいいの?」
シエラは驚いた様子を見せる。
「こんだけ喋って、あんだけ遊んで、一緒に料理まで作ってんだから、十分そう言えるだろ」
「本当に? 本当の本当に?」
「あぁ、おれと
はっきりと言った。すると、シエラの金色の瞳が、キラキラと輝いた。それは、月明かりに照らされた、涙だった。
「あぅ、ありがとう。わたし、この星にきて、よかったぁ」
すすり泣きながらそう言う。
礼を言うのなら、シシノだって同じだった。シエラがいるこの数日は、今までの日常とは、全く違っていた。それこそ、嵐のようで、キラキラと輝く、そんな日常だった。
落ち着いたあと、二人は眠くなってしまった。おしゃべりの時間は終わりを迎える。
シエラは六号室へと戻っていく。
「……おやすみ、シシノ」
「おう、おやすみ、シエラ」
今度は照れずに名前が言えた。
二人が、友達になれた夜だった。
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