第8話 通学路の邂逅
シエラの身体能力は、明らかに異常だった。
ジャングルジムへの大跳躍もそうだが、走るスピードも、人のそれとはまるで違っていた。シシノが捕まえようとする度に、まるでテレポートしたかのように、気づいたときにはすでに、遠くの方へ逃げ去っているのだ。
また、なんというか、思い切りの良さがずば抜けている。壁際に追い詰めたと思っても、壁を
──上下移動に展開する鬼ごっこなんて、聞いたこともねえよ。
「ぜはっ、ぜはっ、ぜはっ、もっ、……もう無理だ。は、走れねえ」
体力は限界だった。膝もガクガクと、大爆笑している。
「えー、もうおしまい? まだまだ走れるでしょ?」
座り込むシシノに、シエラが駆け寄ってきた。疲れている様子は微塵も感じさせない。
「無茶、はあっ、言うなっ、鬼か、お前は」
「……鬼はシシノでしょ?」
「いや、鬼ごっこの鬼じゃなくて……。はあ、ここまで実力差あると、ある意味、逃げるやつが鬼みたいなとこあるよなぁ。こんないじめみたいな鬼ごっこ、初めてだぜ」
「ごめん……シシノ、楽しくなかった?」
「んなことはねえよ、ほら」
手を差し出す。立ち上がらせて欲しいのかと、そう解釈したシエラは、シシノの手を握った。
「はい引っかかった! タッチ! 鬼交代!」
握った瞬間、シシノは立ち上がり、脱兎の勢いで走り出す。
「う、嘘でしょ!? なんて卑怯な!」
「うるせー! 頭脳プレイだと言ってくれ! 普通にやって追いつけないなら、こうするしかねえだろ! ははははは!」
「……まったく、しょうがないなあ! すぐ捕まえるんだから!」
シエラは、シシノの笑い声を聞いて、どこか安堵した様子だ。
ーーあぁ、ちゃんと楽しいんだ。わたしと、こんな子供みたいな遊びをするんだとしても、彼は楽しんでくれるんだ。
シエラは、思わず頰が緩んでいるのに気がつくと、シシノを追いかけ始める。二人のその表情は、無邪気に遊ぶ子供のようだった。
まあ、シシノが捕まるのに十秒とかからなかったのだが。
~~~
運動した後のご飯は美味しい。その法則は、宇宙からやってきたシエラにも例外ではなく、実に美味しそうにハンバーグを頬張るのだった。
「「「ごちそうさまでした」」」
三人分の声が響く。あとは寝るまで時間を潰すのみである。
シシノとシエラは、この五号室に帰ってきてすぐ、ネネさんの「おやおや、そんなに泥だらけになるまで遊んで、お元気なことです。お風呂はすでに沸いていますので、すぐお入りください。あ、シエラ様は六号室ですよ。ええ、ええ、私の目が黒いうちはラッキースケベなど、そう簡単には起こさせませんとも」という言葉に従い、夕食前にお風呂を済ませていた。
その後の、シエラの「ラッキースケベってなに? わたしの星には存在しない言葉だよ、教えてシシノ」という質問には困ったものだった。瞳をキラキラ輝かせていうのだから、なおさら困った。
「シシノ、シシノ。今日も寝るまでお話ししよっ」
「あ、ああ、ちょっとまってくれ」
シシノはシエラの提案を受け入れたかったが、それどころではなかった。
筋肉痛である。筋肉を引っ張られるような痛みが、全身を襲い続けていた。
「おやおや、シシノ様、筋肉痛ですか?」
苦しむ様子を見て、ネネさんは勘付く。そして続けて、指をわきわきと動かしながら提案する。
「お苦しみならば、
「いや、いいよネネさん……」
「えっ、なぜですか。私のマッサージは天下一品ですよ」
わきわきと指を動かしながら、ネネさんは近づいてくる。
気持ちはありがたいのだが、シエラもいる手前、恥ずかしさもある。ここは痛みにさいなまされることになっても、断りたいところだった。が、しかし。
「マッサージ、わたしもします。シシノが筋肉痛のままだと、明日も遊んでもらえなくなっちゃう……」
シエラも両手の指をわきわきと動かしながら、こちらへじりじりと近づいてくるのだった。
後ずさりをする。しかし、ネネさんはプロフェッショナルだった。気づかないうちに、ダイニングキッチンとシシノの寝室を繋ぐ扉が開いていて、シシノが後ずさりする先は、自然とベッドの方へ誘導されていたのだ。
「お覚悟!」
そのまま押し倒されたと思ったら、一瞬のうちにうつ伏せの体制にされる。
「や、やめてくれ、お願いしますお願いします」
「ふふふ、大丈夫ですよシシノ様、優しくします……」
「そうそう、わたしたちに身を任せればいいんだよ……」
二人のわきわきと動く指が、シシノに近づいてくる。
「や、やめてくれえええええええ!!!」
その日、夜の闇の中、アパートからそんな叫び声が聞こえたと、ご近所の間で噂になったという。
~~~
気づくと朝になっていた。筋肉痛は嘘のように引いていて、前よりも身体は軽いくらいだった。
「マッサージの間に寝ちまったのか、おれ……」
実際のところ、二人のマッサージはプロ顔負けと言えるほどに、極上のものだった。最初は気恥ずかしさから、ただただ抵抗するのみだったが、それも長くは続かなかった。身体は癒しを受け入れ、そのまま身を任せる形になったのだ。
「私とシエラ様がマッサージ屋さんを始めたら、大繁盛しませんかね。オプションとかいろいろつけて、例えばこう、コスプレマッサージ、プラス五千円とか」
「なんだかいかがわしいんですけど……」
朝食を食べながら、ネネさんはそんなことを無表情で言うのだった。本気なんだか冗談なんだか、判断に困る。
「さて、と」
シエラとネネさんに送り出され、学校へ向かう。緩い坂を登って、川沿いに突き当たると、その川に沿って歩く。道なりに植えられた桜の木は、もう花が散ってしまって、緑色になっていた。しばらく行くと、学校が見えてくる。この通学路を、シシノは割と気に入っていた。
今日は体育もないとあって、特に何事もなく、学校の時間は終わった。相変わらず、シシノは学校が終わるまで、ショウタ君に挨拶をされる以外に、誰に声をかけられることもなかった。
その帰り道、また、あの怪しい男を見た。今度はキョロキョロと何かを探す様子もなく、川沿いに備えられているベンチに座っていた。相変わらずの黒コートで、長めの黒髪を真ん中から分けている様子は、見ていて暑そうだった。
危なそうな人には近づかないのが吉である。無視して進もうと、前を通り過ぎようとする。
「あのォ、すみません、ちょっと尋ねたいことがあるんですがァ」
急に声をかけられ、肩がビクッと動いてしまった。男は、そのモデル風の顔からは想像のつかない、流暢なジャッポン語を発した。ただ、語尾が少しだけ伸びる、特徴的な喋り方をしている。
「は、はい、なんでしょうか」
恐る恐る返事をする。道にでも迷っているのだろうか。
「いやァ、なに、ちょっと探していましてねェ」
「はぁ、なにをでしょうか?」
「人、ですねェ。女の子です。特徴は銀髪、金色の眼、それに真っ赤な珍しい服を着ていますゥ。見かけませんでしたァ? 一目見れば、記憶に残る子だと思うんですがねェ」
鼓動が早くなるのを感じた。この男が探しているのは、どう考えてもシエラだ。
つまりは、この男も宇宙人なのだろう。
探してどうするつもりなのか。思考する。正直に答えたら、どうなってしまうのか。
きっとシエラの意思とは関係なく、連れ戻されるに違いない。
いずれは戻るとシエラは言っていた。だが、今はそのときではないとシシノは勝手に思った。まだ、彼女はしばらくこの星にいるのだと、こんなに早いわけがないと。
鼓動を抑えて、平静を装い、男の言葉に答える。
「いや、すみません、見かけてないです」
そしてそのまま、家路に戻ろうとする。
「そうですかァ、見かけたら教えてくださァい。ボクはしばらくこの辺を探しているのでェ」
男は、後ろからまだ声をかけてくる。なんだか
「通報されないように、気をつけてください、お兄さん怪しすぎますんで!」
そう言い捨てて、シシノは念のため、いつもより遠回りをして、家へ向かった。
帰り道、シエラがいなくなるということを考えて、胸に痛みを覚えた。
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