第3話 夕焼けのストレイドッグ
その瞳にしばらく目を奪われたあと、シシノはようやく口を開いた。
「……いい、名前だな」
シエラと名乗る少女は、そう言われてますます瞳を輝かせる。
「シシノ、あなたはいい人だねっ! 嗚呼、この星で初めて出会えた人がとてもいい人だなんて、わたしはすっっごく幸せ!」
なんだかよく分からないことを言っているが、どうやら名前を褒められて喜んでいるようだ。
「幸せなの。とっても! うふふふふ! えへへへへ!」
──落ちてくる勢いで、脳みそがシェイクでもされたのか、この子は。
少し心配になった。だが、楽しそうに笑う姿もとても可愛らしいと、思わず見惚れてしまう。
――歳はおれと同じくらいかな……学校にこんな子がいたら、学校中の男達が放っておかねえだろうな――。
まじまじとシエラの顔を見ながら、シシノがそんなことを考えていると――。
「あの、シシノ……」
「は、はいっ!?」
急に声をかけられて、見惚れていたのがバレてしまったのかとドギマギする。
どうやらひと通り喜んで、落ち着いたようだ。
「その……嫌じゃないんだけど、むしろ、とても嬉しかったんだけど」
なんのことを言っているのかはよく分からなかったが、今度は恥ずかしそうにモジモジとしている。
――この子、さっきから情緒不安定だなあ。
シシノがそんな風に呑気に考えていると、シエラは言いづらそうに言葉を続けた。
「あの……いつまでも抱きかかえられてると、その、少し照れちゃうっていうか……」
「うわっ、わわわ悪い!」
──よく考えたら、これ、お姫様だっこってやつじゃねえか! なんと大胆なことをしていたんだ!
すぐさま、だけれども丁寧に、彼女を腕から降ろす。
彼女は羽根のように軽く、地面に降り立った。
立ち姿を見ても、彼女の美しいという印象は覆ることなく、高貴な雰囲気を感じさせる佇まいは、より一層強まった。
ただ、立ち姿を見てようやく気がついたが、彼女はこの辺ではあまり見かけないような変わった服装をしていた。
全身が上品な赤色で統一されている。肩にかけられた
「うん。ありがとう。褒めてつかわすわ」
「褒めてつかわすって……まるでお姫様だな」
「えっ!? いやいや、お姫様なんかじゃないよ! ないよ全然! 違うんだから! なにを言ってるのカナー、全然わかんないナー!」
ほんの冗談のつもりで言ったのだが、とても困らせてしまったようだ。漫画だったら汗マークが辺りに飛び散っていそうなその狼狽ぶりは、尋常なものではない。
また何かまずいことを言ってしまったのだろうかと、少し後悔する。
「わ、悪い、そんな困らせるつもりはなかったんだ。……それで、その……シエラ、さん。どうして、空から落ちてきたんだ?」
「ちょっとぉ、「さん」なんてつけないでよ。わたしのことは親しみを込めて、「シエラ」と、そう呼んでって言ったでしょ」
シエラがムッとした顔で覗き込むと、シシノの顔はみるみる紅潮していく。
──近い近い近い……! おれの人見知りっぷりは、女の子に対してだとレベルアップしちまうんだぞ。その上こんな美少女なら振り切れちまうんだぞ。レベル上限カンストだぞ──!
心の中で叫びながら、シシノの心臓はバクバクと動いた。
「ん〜? 呼んでくれるまで、疑問には答えてあげられないよ?」
シシノの心境を知ってか知らずか、イタズラな笑顔で、シエラはさらに覗き込んでくる。
――うぐ……これは、心臓に悪い。
耐えきれそうもないので、ついにシシノは観念した。
「だぁぁ! もう、わかったよ! シ、シ、シエラ!……どうだ、これで満足か!」
名前一つ呼ぶだけでこの狼狽ぶりとは、自分が情けなくなる。そう思いながらも、女の子を呼び捨てにするなんて初めてのことだな、と今の自分の行動に驚いた。
いや、そもそも誰かを親しげに呼び捨てで呼ぶことなど、今まであっただろうか。
「えっへへ。嬉しいな嬉しいな〜。これで一つ目的達成だ。ありがとう!」
シエラは無邪気に喜んでいる。その姿は、シシノの貧弱なボキャブラリーでは、とても表せないが──天の庭で遊ぶ、天使のように見えた。
「でもさ、恥ずかしがりすぎじゃない? もっかい呼んでよ! もっかい!」
すると今度はまた、イタズラな笑みを浮かべてそう言ってくる。
──前言撤回、こいつは天使の皮を被った小悪魔だ。人の
「う、うるせー! そんなことより! そんなことよりもだ! ……どうして空から降ってくるなんて状況になったのか教えてくれよ。そしてなんで、おれとお前は無事なのか、そこんところもだ」
二度目の要求は突っぱねた。気になることをさっさと片付けてしまおうと腹をくくったのだ。事故か何かなら、警察やレスキューに連絡して、助けてもらった方がいいだろう。
「ちぇ。呼び捨てはまたいずれ、いつかしてもらうとして……。そうだね、説明しないと、何にも分からないもんね」
それは何か、引っかかるような口ぶりだ。
「いずれ」とはまるで、「私はしばらくここにいる」と言わんばかりの表現だ。
だが、シシノのそんな疑問は一瞬で吹き飛んだ。
「私、シシノから見ると宇宙人なの」
シエラの発言に、目が点になる。
──何を言ってるんだこいつは?
シシノはただ無言で、ポカンと口を開けることしかできなかった。
そんなお察しな態度を目の当たりにしても、シエラの口から出る言葉は止まらない。
「私が空から落ちてきたのは、もちろん宇宙から宇宙船に乗って、この地球にやってきたからなんだけど、その宇宙船、地球に突入するときに外側が燃え尽きちゃったの。それで、落ちてくる途中に船はもうボロボロになっちゃって……。船にたまたま積んであった、テクマノン製の装着式重力制御装置を使って、脱出したの。しばらく生身で空を落ちていったけど、風が気持ちいいぐらいにしか感じなかったんだよ。本当だよ? 怖くて目をつぶってたりなんかしてないんだからね? そしてここに落ちてきたの。そしたら、シシノにあんな……大胆なことされちゃったって訳!」
――最後の一文はなかったことにして、なんてこった。
シシノは絶句した。
彼女はこんな話を本気で言っているのだ。聞きなれない単語も多々あって、どう反応していいか分からない。
「その……よくわかんないけど、頑張れよな! お前は大丈夫だ!」
「ちょっと! なんなの、その哀れみの目は! 信じてないでしょ!」
適当に誤魔化したのがバレてしまったようで、シエラはプンプンと怒っているが、こんな突飛な話をにわかに信じることなどシシノにはできなかった。
「悪いけど、言ってることが全然分からない。宇宙人だというなら、なんだ、その、証とかを見せてもらえたら信じられると思う。宇宙のスーパーテクノロジーとか、見せてくれよ」
「ふむ。わからず屋だけど一理ある。じゃあこれなら」
そう言うとシエラは、懐から何かを取り出そうとした。
――マジに何かすごいものが見れるのか!
シシノは期待と、少しの恐怖を感じる。
「見て驚きなさい。この素晴らしき道具!」
「いったい何が起こるというんだ――!!」
シエラは取り出した『何か』の、紐を輪にした部分を指にくくりつけ、腕を振るう。「シューッ」という音を立てて、紐の先に繋がる、丸い形をした部分が回転していく。
地面についてしまう――そう思った瞬間、シエラは腕を引く。すると、その丸い形をした部分は、また風を切るような音を立てて、彼女の手の中に吸い込まれるように戻っていった。
続けて様々な妙技を披露する。地面に転がる『何か』が、その指先に繋がる様子は、まるで『犬の散歩』のようで……。
結論から言うと、どう見ても子供のおもちゃであるヨーヨーを、得意げに操っているだけだった。
「これが、宇宙だよ」
「宇宙スゲー!」
とりあえず驚いてみた。しかし、こんなおもちゃを得意げに見せられたところで、彼女の話を信じることになるほど、シシノの頭のネジは飛んでいるわけではない。
「って、ヨーヨーなんてこの星にもそこらへんにごろごろ転がってんぞ!」
実際転がっているわけではないが、そこは比喩である。ヨーヨーがありふれたものだと示さなければ。
「そうなんだ……。私はこれを初めてみたとき、とても感動したものなんだけど……」
シエラはなんだか残念そうである。それを見ると少し可哀想にもなった。
だが彼女が落ち込んだのはほんの一瞬で、すぐに顔を上げ得意げな表情を浮かべる。
「でもまあそれなら、これを見てもらえたら信じてくれるんじゃないかな」
言って、シエラは身につけていたベルトのようなものに軽く触れる。
そしてシシノは、その行動によって起きた現象に、目を疑った。
「な、な、な……?」
信じられないことに、彼女の身体は宙にゆっくりと浮かび上がっていったのだ。
シシノが絶句して言葉を出せないでいると、シエラはまた、あのイタズラな笑顔をシシノに向けた。
「さっきも使った重力制御装置。こんなのが、この星にもごろごろ転がってたりするの?」
どうやら彼女の話が本当だと、ほんの少しだけ、歩み寄って考えることが必要なようだった。
「ああ……わかった。とりあえず信じるよ」
「うん。それはよかった」
「それで、この後どうするつもりなんだ? 話を聞く限り、準備万端でやってきたわけじゃなさそうだし、事故とかだったら、仲間が迎えにきたりするんだろ?」
「準備万端ではなかったね。確かに。でも、事故ではないし、仲間は迎えに来ないの。来るとしたらそれは──」
最後の部分は聞き取れなかった。
なんと言ったのか少し気になったが、目を伏せるシエラの様子を見るに、尋ねない方がいいことなのかもしれない。
少し沈黙した後、シエラは顔を上げた。
「お願いがあるの。本当に、勝手なことだとは思うんだけど……今は何も訊かずに、聞いてほしい」
「なんだよ。おれにできることなら、協力してやりてえけど……」
シエラの話が本当ならば、たった一人で知らないところに来てしまったことになる。心細いに違いない。少しでも助けになるなら、なんとかしたかった。
「この星にしばらく……ううん、少しの間だけでいい。居させてください」
「……というと?」
「シシノのお家にお泊まりさせて!」
予想の斜め上をいくお願いだった。
空を見上げると、空の青は半分黄色くなっていて、そろそろ夕焼けになりそうだった。急がなければ夕飯に間に合わない。
「とりあえず、そろそろ降りてきた方がいいんじゃねえか?」
未だ空中にぷかぷか浮いていたシエラに声をかける。
夕食に遅れて、ネネさんに怒られるのは勘弁したいところだった。
~~~
「ただいま〜」
すっかり夕焼けになってしまった。
シシノが恐る恐る、ゆっくり五号室の扉を開けると、ネネさんはすぐさま出迎えてくれた。
「お帰りなさいシシノ様、夕飯はもうすぐですよ。今日は腕によりをかけたオムライスを──」
言いかけて、ネネさんの視線は凍りついたようにシシノの隣にいる人物に釘付けになった。
「あの……そちらの、とっても可愛らしいお方は、いったい誰なのでしょうか。どこで、どういう経緯でお連れになったのですか?」
「それはその──」
言葉に詰まる。なんと言えばいいのだろうと少し思考して、正直に答えようとする。
「山で拾った、みたいな?」
「捨て犬みたいな言い方だね。わんわん!」
わんわん。犬の鳴き真似をするシエラを、ネネさんは困惑の表情で、しかしどこか微笑ましそうに見つめていた。
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