第2話 ナイス・トゥー・ミート・ユー

 木々をかき分けて山を登る。アパートから歩いて二十分程の山である。

 整備もされていない荒れた木々、草むらをかき分けて頂上へ登っていくと、よく日の当たる草原が広がっていた。

 ここは、シシノだけが知っている特別な場所なのだ。


 「ふうっ」と息を吐いて寝転んだ。日差しがちょうど雲に隠れ、そよ風が吹く。木々の葉の揺れる音が心地いい。

 よく晴れた日や、考え事をしたいときには、シシノはここを訪れていた。お気に入りの場所というわけだ。

 この場所のいいところといえば、日当たりの良さはもちろん、走り回れるぐらいの広さがあり、運動もできるところだ。そしてなにより、人が来ないという点である。一人になるのには、もってこいの場所だった。

 今までだって、誰一人、シシノ以外にここを訪れた者はいない。ここにいるとシシノは完全に一人になれる気がしていた。


「……バレーボール、か」


 憂鬱な気分になる。人付き合いが苦手なシシノにとって、チーム球技は大きな壁だった。

 体育の授業は、火曜日、水曜日、金曜日の週三回行われる。

 バレーボールが始まったのは先週の水曜日、四月十九日のことだった。そして今は四月二十五日、火曜日である。

 シシノは、初回のバレーボール以降、今日を含み、すでに二回、体育の授業をサボタージュしてしまっていた。そして、この二回の欠席を、シシノはとても重く捉えていたのだ。

 もうクラスのみんなに合わせる顔がないだとか、今更普通に参加したところで受け入れてもらえるはずがないだとか、本気で悩んでいるのだった。


「今頃はもう、チームとか出来上がってんだろうな……」


 シシノが出席したバレーボール初回の授業は、ペアを組んでトスをしたり、他のペアと合流してボールを回す練習だった。このときでさえ、シシノは苦労したものだ。

 思い出して、「ぬううぅぅん」と奇声とも取れる声をあげ、草原の上で悶えた。


「あぁぁ〜、もっと上手くできたよなぁぁ、もっと自然に混ざれたよなぁぁ、ぐぬぬぬ」


 言いながら、草原の上を寝転んだ姿勢のまま、グルグルと回り出す。

 別段狂ってしまった訳ではない。恥ずかしさと後悔で身悶えてしまっているだけのことである。思春期ならば一人になったとき、このような行動をとることもあるだろう。

 草むらを散々荒らし回ったところで、独り言がこぼれる。


「……あのー、先週休んでたんですけど、チームに混ぜてもらえませんか?」


 ──いや、違うな、こうじゃないな、もっとフランクに。


「よっす、おれも混ぜてくれよ!」


 ──これじゃ軽すぎるか。


 なんて考えてるうちに、自分がひどく虚しいことをしている気がしてきて、たまらなくなった。


 どうして自分はこうなのだろうかと、軽く自己嫌悪する。


 チームプレイを除けば、シシノは運動神経には少しばかり自信がある。その昔、ネネさんから、ひと通りのスポーツを習っていたことがあるからだ。その容赦のない指導にシシノの身体は文字通りズタボロになったが、そのおかげであらかたのスポーツはこなせるようになったのだ。


 だがしかし、そんなときでも、シシノの横にいるのはネネさんだけだった。たった二人では、チームプレイを学ぶことなどできなかった。

 それが今、シシノを不安にさせているのかもしれない。


「はぁ、明日、どうしよっかなぁ」


 現実逃避するように空を見て呟いた。

 その時のことだ。

 空が一瞬、光って見えた。雲の隙間から太陽が覗いたのかと思ったが、どうやら違うようだ。何かが、空の上から降ってきているように見えた。

 立ち上がって凝視する。隕石でも落ちてくるのだろうかと考えて、少し高揚感を覚える。しかし、目を凝らしていくうちに、降ってくる何かが物ではないことに気がついた。


「あれ、人じゃねえか……⁉︎」


 ──だとしたら、マズイだろ。事故か何かか? どうする。どうする。どうする。


 考えているうちにも、こちらを目掛けて、どんどん近づいてきているのが分かる。

 あのスピードでは地面に落下した瞬間、熟れたトマトのように潰れてしまうだろう。仮にシシノが受け止めたとしても、その衝撃は凄まじいものになるに違いない。普通の人間ならば確実に死んでしまう。


 しかし何を思ったのか、シシノは落ちてくる人物を受け止める姿勢に入った。脚に力を入れ、両腕を肩の高さに上げ、手のひらを上に向けて、抱きとめる準備をしたのだ。


 それは、あまりに無謀な行動だった。それでもシシノはその体制のまま、落ちてくる人物をしっかりと見上げて、自身の位置を調整した。

 身体は勝手に動く。

 あの人を助けたいという純粋な気持ちが、彼を動かしていた。

 

 空気を切るような音が響いて間も無く、落ちてくる誰かがこの腕に飛び込んでくるという瞬間、空気が「ぐわん」と歪んだのを感じた。

 そして彼女のーーそう、落ちてきた人物が女の子だと確認できるほどにーー落下する速度は、ゆっくりと、ふわふわと、羽が落ちるような速さになった。


その姿を見て、思わず息を飲む。


 ──すげえ綺麗だ。


 ボキャブラリーもへったくれもなく、シシノは純粋にそう思った。

 肩にかかるくらいの髪の色は、白銀と言えばいいのだろうか。よく見ると毛先は深い黒で、そよ風が吹くように揺れている。柔らかそうな美しい髪だった。

 目を閉じている彼女の顔は、雪のように白く、美しい。

 見惚れてしまって、シシノの身体は動けなくなる。そしてそのまま、彼女はふわふわと、シシノの腕の中に落ちてきた。


 抱きとめた彼女が、ゆっくりと目を開く。

 眠たそうにも見えるその目がシシノの姿を捉えると、彼女は驚いた顔で口を開く。


「ありがとう。貴方は誰?」


 その声も、透き通るように美しい。

 だからシシノは、この異常な出会いに驚くよりも前に――。


「ヒノミヤ・シシノ」


 そう思わず即答してしまった。

 すると彼女は満足そうに笑った。


「はじめまして、シシノ。私はシエラ・ラッカフルリル・パス・トゥリ・ラ・ミネーシア――親しみを込めて、シエラと呼んでね」


 まっすぐとシシノを見つめるその瞳は、キラキラと金色こんじきに輝いていた。

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