ある日、運命が降ってきた
第1話 ヒノミヤ・シシノのサボタージュ
――キーンコーンカーンコーン。
こんなにも分かりやすいチャイムが鳴り響いたというのに、国語の教師はまだ授業をやめなかった。
生徒たちは痺れを切らして、文句を言いながらガチャガチャと筆箱を片付け始める。しかしそんなことは構わない様子で教師は喋り続けていた。
それは、おとぎ話だった。みんなが子供の頃から聴かされるおとぎ話。タイトルは『ほしのおわり、はじまり』。
──昔々、この星は滅びのときを迎えていました。
理由は分かりません。
なにも分かりません。
ただ一つ分かることがあるならば、このままだとみんな死んでしまうということでした。
だけどみんな、死にたくありません。
だからみんなで、どうしようかと考えました。
考えに考えた結果、名案が浮かびあがりました。
人々は一度空の上へ逃げて、星の終わりを見届けました。そして見届けた後、ほかの星へ移り住む者たちと、この星へ戻り、星をもう一度つくりなおそうという者たちに分かれました。
この星へ戻った人々はとっても頑張って、星を生き返らせました。
そうしてこの星にもう一度、暮らせるようになりました。
彼らは私たちの遠い遠い祖先です。 私たちはこうして、この星で再び暮らすことができるようになったのでした──。
高校二年生になっても未だに授業内で熱心に聴かされるこのおとぎ話は、いまや耳にしすぎて暗記できるようになってしまった。
……もしも、このおとぎ話が本当なら、とヒノミヤ・シシノはボンヤリと、窓の外を見ながら考えていた。
──もしも、ほかの星で暮らす人々がいるのなら、いつか空からおれたちの住むこの星に、降ってくるんじゃねえのかな――。
想像してみたら、なんだか笑えた。
続けて考えてみる。言葉は通じるのだろうか。見た目は自分たちと同じなのだろうか。友達に、なれるのだろうか──。
想像がノッてきたところで、教師の声が響いた。
「今日の授業はここまで! 明日は漢字のテストをやるから、サボるんじゃないぞ!!」
教室内はざわざわとしたが、すぐに収まった。皆テストのことは一度置いておいて昼休みを満喫しようという腹づもりなのだろう。
──漢字か……どうして日本語というものは、文字の種類が何個もあるってんだ。英語みたいに統一しろっての。
頭の中で愚痴を言いながら、時間割を見ると、午後の授業は体育らしい。確か今日はバレーボールをやるはずだった。
それを考えて、シシノはより一層憂鬱になる。
窓の外には、気持ちのいい青空が広がっていて、春の匂いがした。
~~~
ヒノミヤ・シシノはこの春、高校二年生になった。
外見は身長百七十八センチメートル、体重七十四キロと、鍛えているのかがっしりした印象である。だが暗い表情と、人を殺しそうな目つきの悪さ、それを隠すための前髪も相まって、周囲の人間を警戒させていた。
ただ緩い坂道を下っているだけの今でさえ、すれ違う人々は大げさにシシノを避けていく。そんな様子が、彼の表情をより一層暗くさせるのだった。
「……ただいま」
シシノが帰る家は古き良きアパートだ。鉄筋コンクリート製の、ワンフロア四部屋二階建て、合計八部屋という極々普通のアパートである。その二階、五号室の扉を開ける。
「ただいまって、まだこの時間は体育の授業があるはずではないですか。もしや、またおサボりになられたのですか? シシノ様」
玄関でシシノを迎えたのはアオギ・ネネという女性である。
年齢は二十代前半、その目はややツリ目で厳しそうな印象を与えるが、黒く長めの髪を結んだ様子とその声色は落ち着いた雰囲気を感じさせる。
しかし今日ばかりは割と怒っているようだった。
「ネネさん、おれの時間割もう把握してるんですか」
話をそらす。だが、そうは簡単にいかない。
「お父様からあなたの身のお世話を預かる身なのですから、当然のことです。話をそらそうとしても無駄ですよ」
その落ち着いた様子が、かえってシシノを追い詰める。
「シシノ様……体育だから、サボったんですか? もう新学期が始まって三週間です。新しいクラスには、その……馴染めませんか?」
痛いところを突かれた。確かに普通は三週間という時間があれば、新しいクラスにも徐々に気の合う友達を見つけ、学校生活を円滑に進める準備が整うはずである。
だがシシノは、その『普通』ができていなかったのだ。
「おれは一年のときも馴染んでなかったし、ていうかどこにいても馴染んだことなんてないですよ……。分かってるでしょう」
「そんなことは……」
言いかけて、ネネさんは少し俯く。
知らないはずはないのだ。彼女はシシノのことならなんでも知っている。だから言葉に詰まったのだが……少しの沈黙のあと、彼女は口を開いた。
「でも、それでも、まだわからないじゃないですか。気の合うお友達、きっとできますよ。遠ざけてばかりいないでこちらから歩み寄ってみましょう? シシノ様」
そう言うと彼女はシシノの手を握る。昔からシシノが落ち込んだとき、励まそうとするときは、決まってこうするのだった。
しかしそれはシシノ自身もよく分かっていることだ。
歩み寄れば、声をかけられれば、うまくコミュニケーションが取れれば――友達だってできるだろう。
「けどネネさん。おれにはまだできそうにねえよ……ごめんなさい」
シシノの言葉に、ネネさんは少し哀しそうな顔をする。
「そう、ですか……。でも、ゆっくりでいいんです。ゆっくりでいいので、人のぬくもりを知ろうとしてください。そう遠くないうちにきっと出会えるはずですーー素敵なお友達に」
それはまるで、祈るような言い方だった。
「ごめんなさい、ネネさん。そうだよな……いつまでもこんなんじゃ、ダメだよな」
シシノ自身、誰かと仲良くなりたいと心の奥では思っているのだ。
ただ、うまいやり方がわからない。
シシノの過去には、彼をそうさせるだけの何かがあった。
シシノはネネさんの手を優しくふりほどくと、通学バッグを置いて再びドアに手をかけた。
「シシノ様、どちらへ?」
「少し出かけてきます。今日は天気もいいし……体を動かしたくて」
「そうですか……お気をつけて。夕飯の時間には帰ってきてくださいね」
「わかってますよ……行ってきます」
シシノが扉を開こうとしたとき、ネネさんは彼の背中に念を込めるように忠告した。
「くれぐれも、お怪我には気をつけて。特に人前でのお怪我です。交通事故などにでも会えば……一目で気づかれてしまいますよーーあなたの、体の異変に」
強い眼差しでシシノを見つめる。
共に暮らすようになってからもう何年も経つというのに、彼女はいつだってシシノの心配ばかりしているのだ。
「わかってますよ。心配してくれてありがとう、ネネさん」
その優しさに、シシノの顔はほころんだ。
だが、本当に気をつけなくてはならない。他人に怪我をしたところを見られるわけにはいかない。特に、大きな怪我なら尚更だ。
じっと手を見る。この体が、シシノを悩ませる大きな要因だった。
不安そうな顔で、ネネさんはシシノを見つめる。
シシノも顔を上げ、彼女に心配をさせないよう真っ直ぐと見つめた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
扉を開けて、外に出る。太陽はまだ照っていて、相変わらずの青い空が広がっていた。
──とりあえず、いつもの場所へ行こう。
こんな晴れた日には、とっておきの場所があるのだ。
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