第40話「贈り物」

「おはよー。アケミさん、もう起きてるー?」


 テンション高めな声でそう言いながら、ソラさんがガレージに入ってきた。時刻はまだ七時前だった。昨夜はずっと手紙を書いていて、その後もなかなか寝付けずに、明後日のきくゑさんとの打ち合わせの事を考え続けていた。ソラさんには悪いが、今はまだ起きる気にはならない。


「なんだか、眠そうだね……。昨晩はなにかしてたの?」

「ああ、夜遅くまで手紙を書いてた。きくゑさんとは何とか会えたよ」

「そうか、良かったね」

「うん。悪いが、もう少し寝てて良いかい?」

「構わないよ。でもボクも、こうして早起きして来たのには訳があるんだ。ちょっと、ここの工作機械を使わせてもらうよ」

「全然かまわないよ。人の声は気になるけど、機械の音は別にどうでもいい」


 僕がそう答えると、ソラさんは早速、機械を操作し始めた。


「時にあの車、少しくたびれてないかい? 良かったら、ボクが簡単な整備をしとくけど」

「ずっと車庫に置きっぱなしだったから、そうかもしれない。オイルとか見といてもらえると助かる」

「鍵は?」

「机の上。整備手帳メンテナンスノートはグローブボックスの中に入ってる」


 僕はそう返事すると、再びストンと眠りに落ちた。


「アケミさーん。流石にもうそろそろ起きてよー。ちょっと見せたいものもあるからさ」

「今、何時?」

「もうすぐ、十時。お客さんはまだ来てないけど、少し話したいことがある」


 もう三時間も経ったのか……。流石にそろそろ、人として起きなきゃいけない時間だ。


「わかった。僕もちょっと話したいことがある。まずは顔を洗ってくるから、その間、この手紙に目を通しておいてくれ」

「これは何?」

「きくゑさんに、次に会う時に渡す手紙。会うには会えたけど、昨日は殆ど話は出来なかったんだ」

「そうなんだ」

「僕の事は、角栄に満州で雇われた部下っていう設定にしてある。明日の夜、この手紙と一緒に角栄から預かった品を、きくゑさんに渡すことになってる。まずは手紙を読んでみてくれ」


 僕はソラさんに、昨日したためたばかりの手紙を渡した。


「わかった。とりあえず、読んでみるよ」



 僕は事務所に行き、顔を洗った。歯ブラシや洗面用具は、昨日のうちに用意しておいた。風呂に入りたいなと思ったが、流石にここじゃ、それは無理だろう。どこか近くに、銭湯か温泉でもあればいいんだけど……。



「とても良く出来てるね」


 ガレージに戻ってきた僕に、ソラさんはそういった。


「ありがとう。結構、苦労したんだ」

「でも、これ全部デタラメなんでしょ? 本当に大丈夫?」

「いや、全部がデタラメって訳でもないよ。満州の地下資源の話なんかは本当だし」

「そうなんだ。じゃあ悪いけど、その話はボクの父さんには黙っててね」

「どうして?」

「それを聞いたら、『満州に石油堀りにいくぞ!』とか言いだしかねないから。そもそも、この長岡に営業所があるのも、父さんが石油や天然ガスを自分で掘り当てようとしたからなんだよ」

「そうなの?」

「うん。うちの父さん、ちょっと山師みたいなところがあるんだよね。行動力だけは本当に凄いんだけどさ」


 ソラさんは、少し呆れた声でそう言った。


「ボクが何とかそれを諫めて、『まずは、それを掘り出す人間相手の商売をしようよ』って説得して、それで計量器がようやく当たったんだよ」

「なるほどなぁ……」


「ソラさんも親には苦労してるなぁ……」と、僕は思った。まあ、僕が好きになる人は、だいたい皆、そんな感じだ。


「どこか他に気になる部分はあるかい?」

「やっぱり、箱のことかな? あの箱はアケミさんにとって大事なものなんでしょ。きくゑさんに上げちゃっていいのかい?」


 当然の疑問だ。僕は昨日のきくゑさんとのやり取りの概要を、ソラさんに全部話した。


「なるほど……。元々、あの箱はきくゑさんの家に伝わっていたもので、それをお守り代わりに、角栄って人に託してたってことだね」

「そういう事だ。ソラさんは、僕が箱を渡すことには反対かい?」

「現時点では、情報が少なすぎて何とも言えないな。きくゑさんが本当の事を言ってるとも限らないし……」

「どうしてそう思うの?」

「だって、もし、きくゑさんが本当のことを言ってるんだったら、君の手元にあの箱がある訳がないじゃないか。君は、角栄に会った事すらないんだろう?」

「うん……」

「君か彼女か、どっちかが嘘をついてるんじゃなければ、今この事務所に、あの箱があることが説明できない」


 ソラさんにどう説明したらいいものか、僕は言葉に迷った。多分、きくゑさんはウソをついていない。僕の箱と、きくゑさんの箱が同じものかは分からないが、きくゑさんが、継之助の遺品と伝えられる箱を持ち、それを角栄に渡したことは事実だろう。


 彼女はせめて、その箱だけでも取り戻したいと思ってる。じゃなきゃ、いくら角栄の部下を名乗ったとは言え、突然訪問してきた僕に対して時間を取り、真っ先に箱の話題を切り出してくるはずがない。


「きくゑさんは嘘は言ってないと思う。そしてそれは、僕も同じだ」


 とりあえず、僕は言葉を継いだ。


「アケミさんの事は最初から疑ってないよ。問題はきくゑさんだ」


 ソラさんが真面目な顔でそう答えた。


「君は昨日、あの箱を狙ってる人間がいるといって、ボクに箱を託した。もし、きくゑさんが嘘を言っているとしたら、君は自ら泥棒に金を渡しに行くようなものだ」

「それは、確かにそうだね」

「もし、きくゑさんのいう事が事実だとしても、彼女の箱が、君の持っている箱と同じものだという確信が持てない限り、箱を渡すべきじゃないとボクは思う」


 完全に筋が通ってる。ユキさんより厄介な相手だなと僕は思った。


「箱が世界線を新たに生み出す場合、必ず元の世界線からコンマ何%かの乖離を生じるように設計されている」


 ユキさんは僕にそう言った。彼女の言っていることが正しいなら、まったく同じ箱がこの世界に二つ存在したところで、何もパラドクスは起こらない。『世界線が異なる以上、これからこの世界で起こることと、元の世界で既に起こってしまった事は、基本的に無関係』だからだ。


 もし何らかの問題が生じるとしても、同じ場所に箱が二つ揃わない限り、何も問題はないはずだ。深読みすれば、あの箱を持つ僕がこの世界に現れたからこそ、もう一つの箱を持つ角栄が行方不明となった可能性すらある。


 つまり、歴史の因果律が、僕の代わりに彼をこの世界線から消したのだ。


 僕の仮定が確かならば、この世界線を元の世界に寄せるためには、一刻も早く、きくゑさんにあの箱を渡さなきゃいけないはずだ。33本もの議員立法を通せる人間など、彼以外には考えられないからだ。


 だけどその事を、僕が未来から来たことを知らせずに、ソラさんに納得させるのは不可能に近かった。ソラさんの助けなしに、僕がこの世界で成功することも、ほとんどあり得ない話だ。


「いっそ、全部話してしまおうか?」と思った瞬間、ソラさんは僕の目の前でケラケラと笑い出した。


「ウソだよ、ウソ。ボクは君が、きくゑさんに箱を渡すことに反対なんかしない。せっかく早く来たのに、全然相手をしてくれないから、ちょっと意地悪をしてみただけさ」

「??」


 何が何だかさっぱりわからなかった。コンロの時もそうだけど、ソラさんは突然、言う事をコロっと変える。だけどこの子は、僕の相方以上に聡い子のはずだ。彼女の変心には、きっと何か理由があるのだろう。


「ボクが何を言ってるか、ちっとも分からないって顔をしているね。じゃあ、はっきりと言おう。君は未来から来た人間だ」

「えっ!!」

「君は少なくとも、七十年は先の未来から来た。根拠もちゃんとあるよ」


 ソラさんはそう言って、僕の方を向いて不敵に笑った。


(続く)

 

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