第15話「再会」

「キクヱちゃん。良かったら、僕の車に乗っていかないか? 僕もこれから情報館の方に行くんだ」


 翌朝、朝食を早めに済ませた僕は、キクヱちゃんにそう声を掛けた。夕方、戻ってきた彼女は、挨拶もそこそこに宿の仕事の手伝いに出てしまい、昨日は殆ど話せなかったからだ。


 妹のハナヱの方は、大して手伝いもしてなかった。自分の小説を僕に読ませようとしたり、かと思えば、東京に居た頃の話をまくしたてたりして、僕の部屋で遅くまで、機関銃のように話を続けていたのだ。


 でもそれは、別に不愉快な時間ではなかった。僕は人の話をマトモに聞かない性質たちなんだけど、思い出補正を別にしても彼女の話は面白く、真面目に小説家を目指しているという話は、ウソではない気がした。


「少し離れた場所で降ろしてもらえるなら……。職場の人たちの目もありますので」


 キクヱちゃんは、そう答えた。了解した僕は手早く荷物をまとめると、チェックアウトを済ませ、車の中でキクヱちゃんを待った。直ぐに、キクヱちゃんも宿から出てきた。


「情報館は九時からだよね。何時までにつけばいいの?」

「八時半です。十日町車庫のバス停辺りで降ろしていただければ、助かります」

「わかった」

 

 時刻はまだ、八時を回ったばかりだった。のんびり走りながら、昔話をするくらいの時間はあるだろう。


「司書の試験に現役で受かったんだってね。凄いじゃないか」

「地元に戻りたかったですし、私には勉強しか取り柄がありませんから」

「それでも凄いよ」


 キクヱちゃんは、現役でお茶の水女子大学に進んだのだと、昨日僕はハナヱから聞いた。ちなみにハナヱは同じ時期に、東〇学院映画専門学校に入学したが、半年で中退して、直ぐにこっちに帰ってきたそうだ。


 なんでも、あ〇〇〇〇〇るの講義を聞いて、「こんなものを聞くのに、時間とお金を使うのは人生の無駄だ」と感じたらしい。まあ、入る前に気づけよって感じではあるが。


「どうして、急にいらっしゃったんですか? 十年以上もいらっしゃらなかったのに」と、キクヱちゃんが僕に尋ねる。


「僕の師匠の剣乃さんや、田中角栄について調べなきゃいけない事情が出来たんだ。あと、幕末の頃の河合継之助についても少し調べたいと思ってる。力を貸してもらえないかな?」

「資料探しならお手伝いできますけど、在住者にしか、資料の貸し出しは出来ませんよ」

「大丈夫。今回は、結構長くいるつもりなんだ。どうしても、貸し出してもらいたいときは、ハナヱちゃんに頼むさ」

「聞かなかったことにしておきます」といって、キクヱちゃんは少し笑った。


「ハナヱちゃんは、小説家を目指してるんだってね。逆なら分かるけど、最初に聞いた時はびっくりしたよ」

「長岡に居る親戚の真似事ですよ。私たち、高校時代は長岡に居たんです」

「長岡に?」

「ええ、母が私たちを長岡高校に進ませたがったので、二人ともその親戚の所に三年ほど下宿していたんです」


 長岡高等学校は、一八七二年創立の長岡洋學校を起源とする名門校だ。県立で学費も安いし、学力に問題がないのであれば、女将さんがそちらに進学させたい気持ちは分かる気がする。


「その家に男の子が一人いて、その頃から小説家を目指していました。結局ものにならなくて、大学卒業と共に筆を折って、今は教師をしているようですけど……」

「ふうん」


 僕はその男の子を知らないが、水落旅館は元々長岡にあったのだと師匠からは聞いている。角栄のおひざ元で、仕手筋や筋者がたむろしているのは、いささか具合が悪いので、長岡から車で一時間ほどの距離の十日町に、角栄が新館を建てさせたのだ。


 そもそも、水落家自体が角栄の遠縁なのだから、長岡に親戚が居たって何も不思議はない。ちなみに二人は、女将がこちらに移ってから出来た子供である。十日町には、周囲に観光資源や温泉が沢山あるから、そういう意味でも都合が良かったのだろう。


「じゃあ、また後で」


 僕はバス停で彼女を降ろし、周辺を散歩して三十分ほど時間を潰した後、素知らぬ顔で情報館に向かった。館内ではお互いに他人のふりをしていた。そしてこの日から、僕の新しい生活が始まったのだ。


 昼は情報館、夜はファミレスに籠りながら、僕は師匠との過去の思い出を次々とノートに書き写していった。眠ってる記憶を呼び起こしたり、頭の中を整理するためには、自分の手で書きだしてみるのが一番いいからだ。


 閉館時間になったら、水落旅館に向かい風呂に入る。あんまり長居をするとハナヱに捕まるから、身を清めたら直ぐにファミレスへと向かっていた。それから午前零時てっぺんくらいまでは、延々と執筆である。


 店を出た後は、最寄りの道の駅に向かい、そのまま車の中で眠った。夜明けと共に目覚め、朝食を摂ったり、ストレッチをしたりして時間を潰しながら、開館と共に図書館に飛び込む。そんな毎日を、僕は三か月近くも繰り返した。


 アイデアを書き止めた創作ノートは、山のように溜まっていった。その段階になって初めて、僕はパソコンを購入し、ノートの中の思い出の欠片を眺めながら、誰に見せる当てもない師匠の物語を綴り始めたのだ。


 その創作ノートは、今でも僕の手元にある。師匠の物語だけではなく、あの町で過ごした日々の中で思い浮かんだ全ての妄想が、そのノートの中に全部詰まっている。もし僕がもう一度人生をやり直せたら、一体何をすべきで、何をすべきでないのか、まるで預言書のように書いてあるのだ。


 自分の人生に迷った時、僕は必ずそのノートを読み返し、軌道修正を図る。あの頃の僕が今の僕を見たら、「堕落しやがって」と、きっと背中を蹴り飛ばすだろうが、それでも僕は出来る限り、当時の僕のように生きたいと願うのだ。


 今これを読んでいる君たちには、僕のこの行動は、きっと馬鹿げたことのように思えるだろう。だが、僕があの町で過ごした数か月間は、【ウソばかりのこの物語の中ではっきりと言うけれども】、僕の人生の中で最も充実した、幸せな時間だった。何の見返りも求めず、自分にとって一番大切な人のために使った、純粋な時間だったからだ。


 僕は、あの頃の自分を尊敬している。創作というものは、本来そう言うものであるべきだと、心の底から信じているからだ。


 若かりし頃の師匠と、角栄との出会いを描いた第一部と、僕が箱を購入した顛末を書いた第二部を脱稿した時、季節はもう、車中泊には辛い季節になっていた。ましてこの土地は、真夏でも夜はエアコンが要らないほどの冷涼な土地である。山の上の方では、既に白いものが積りだしていた。


 第一部は、剣乃さんから聞いた話をほとんどそのまま書いた。この物語を「真実」だと信じてくれる人が、どれだけいるかは分からないが、限られた時間の中で、今の僕が出来ることはすべてやり尽くしたと思った。第二部も同じだ。


 箱の力が本物なら、この作品がきっと、僕の人生を少しだけ前に進めてくれるだろう。たとえ信じてもらう事は叶わなくとも、この作品を読めば、僕がどんなものを美しいと思い、どんなことを表現したいと思って生きているかだけは、ちゃんと伝わるはずだ。


 僕は、書きあがったばかりのその小説のタイトルを、僕の人生を狂わせた、あの作品と同じ名前にしようと決めた。


『片隅に生きる人々』


 それが、その物語の名前だ。


(続く)

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