第16話「日銀特融」
「片隅」の第一部と第二部を脱稿した後、僕は小雪のちらつきだした仙台に戻ってきた。赤瀬川さんに原稿を見せるためだ。お金はまだ十分に残っていたが、とりあえず一区切りついた気がしたし、もし続きを書くならば、次は沖縄にでも行きたいと考えていた。
「案外早く帰ってきたな」
久しぶりに事務所に顔を出した僕を見て、赤瀬川さんが笑った。猫の全力さんはソファーで居眠りをしていたが、冬毛になったせいか手足が一層短く見え、猫と言う概念がゲシュタルト崩壊していた。
「この歳じゃ、寒さも身に応えるんでね。全力さん、大分肥えたんじゃないですか?」
「遊び相手がいないからな。うちの若いのに世話をさせてるが、お前じゃなきゃ、どうも張り合いがないらしい。食っちゃ寝ばかりしているよ」
「そうでしょうね」
全力さんは、超が付くほどのメンヘラだ。遊ぶ時も、同じ目線に降りて本気で遊ばないと途端に拗ねる。それに僕は、普段から全力さんと呼んでいるから、将門さんと呼んでもほとんど反応はしないはずだ。
「で、どうした? また、相場を張る気にでもなったか?」
「いや、そういう訳でもないんですけど、ちょっと一区切りついたんで、今度は沖縄にでも飛ぼうかと思って」
「そうか。それもいいかもしれないな」
「車を運ぶのにも金がかかりますし、もうほとぼりも冷めたでしょうから、次はどこかに安宿を借りるかもしれません。まあそれはそれとして、ちょっとこれを読んで貰えませんか?」
僕は、師匠の若かりし頃を描いた『片隅に生きる人々』の第一部の原稿を、赤瀬川さんに差し出した。
「日銀特融の
「特融か、懐かしいな……。あの頃から、
「赤瀬川さんもでしょ?」
「そうだな。まあ、あの頃の俺は下っ端も下っ端で、歳の近かった俺を、兄貴が憐れんでくれただけだがね」
日銀特融の際のひと勝負は、師匠と角栄が初めてタッグを組んだ相場だ。彼が初めて、
「もう五十五年も前の話か……」
「はい」
昭和四十年五月二十八日は、戦後の経済史に燦然と輝く重要な一日だ。師匠にとっては、相場師として名を上げた大事な一日でもある。
その日の朝、四大証券の一角である山一證券で、取り付け騒ぎがおこった。この日は割引金融債の償還日で、おまけに月末の金曜日だった。当時の日本は、オリンピック翌年の証券不況の真っただ中だ。顧客が不安に思うのも無理はない。前々から山一の経営不安を報じていたマスコミは、ここぞとばかりに、「昭和恐慌の再来だ!」と煽り立てた。実際、あの時の山一證券は倒産寸前だったのだ。
その日の夕方、対策を協議するために、大蔵省、日本銀行、都銀三行のトップが勢ぞろいした。場所は、赤坂の日銀・氷川寮。日本の金融政策についての重要な会合が、過去に何度も開かれてきた場所だ。
「あの日、俺はずっと氷川寮の傍に詰めてた。会合があることは、
「はい。その事も書いてあります」
「当時は土曜日も、半日立ち合いがあった。もし決裂なら、その半日が持ち株を逃がす最後のチャンスだ。公式発表の前に、山一を救済するか否かの情報を掴む。それが俺の役目だった。失敗したらエンコ詰めじゃすまない、恐ろしい仕事さ」
当時、相場師として名を売りつつあった師匠は、値下がりを続ける株を徹底的に買い向かっていた。だが師匠が、赤瀬川さんの属する
赤瀬川さんは下っ端と謙遜していたが、当時の彼はその北誠会の中堅幹部だった。師匠と盃を交わした赤瀬川さんは、組の金を相場につぎ込むことを主張し、その運用者として師匠を推した。師匠も赤瀬川さんも、この勝負に命まで賭けていたのである。
「兄貴はこの勝負に勝つために、うちの
「でも、その児玉ですら当て馬に過ぎなかった」
「そう。兄貴が本当に
師匠はその場で、山一を救うための起死回生のアイデアを児玉に吹き込んだ。国士を自称する児玉は、師匠の思惑通り、そのアイデアを角栄に伝えることになる。当時の彼は、現役の大蔵大臣であったからだ。
「日本の中央銀行である日銀が、民間の証券会社に過ぎない山一に対して、無担保・無制限に融資する。それが師匠のアイデアでした。僕ら以外には誰も知らない、歴史の秘話です」
日銀はいくらだって札を刷れる。だから、師匠のアイデアが実現すれば、取り付け騒ぎは当然収まるはずだった。だがそんな前例は、過去に一度だって存在しない。日銀は日本の金融政策を決める、【銀行の銀行】であり、民間企業は基本的に相手にしないからだ。
一方の角栄は、山一の倒産だけは絶対に避けねばならぬと考えていた。『法人の山一』が倒れれば、証券業界のみならず、日本経済そのものに深刻な悪影響を与える。戦前から田中土建を切り回し、朝鮮特需とその後の不況を乗り切り、現役の長岡電鉄の経営者でもあった彼は、その手の景気判断には敏感だった。だから角栄は、その日砂防会館に師匠を呼びつけ、真剣に話を聞いたのだ。
全ては師匠の思惑通りだった。高度経済成長の腰折れは、大蔵大臣である彼の政治的失脚にも繋がる。師匠は自分のアイデアが角栄の耳に届けば、彼がこの博打に乗ってくることに自信を持っていたのだ。
師匠はその場で、この融資を正当化する一つの条文が存在することを角栄に説いた。旧日銀法の第二十五条がそれだ。
第二十五条
内閣総理大臣及び大蔵大臣は、【信用秩序の維持に重大な支障が生じるおそれがある】と認めるとき、その他の信用秩序の維持のため特に必要があると認めるときは、日本銀行に対し、当該協議に係る金融機関への資金の貸付けその他の信用秩序の維持のために必要と認められる業務を行うことを要請することができる。
2 日本銀行は、前項の規定による内閣総理大臣及び大蔵大臣の要請があったときは、当該要請に応じて【特別の条件による資金の貸付けその他の信用秩序の維持のために必要と認められる業務】を行うことができる。
角栄は単なる党人政治家ではなく、法律の専門家だった。でなければ、議員立法で三十三本もの法案を通せない。彼は自身の権力を使って法律を作り、何度も大金をせしめたが、大義名分の立たない事は一度だってしなかった。錦の御旗が立たない所には、人も金も集まらないことを知り抜いていたからである。
「兄貴は理を説くだけじゃなく、利も保証した。角栄が自分のアイデアに乗ってくれるなら、自身の得る利益の全てを献金することをその場で約束したんだ。彼が宰相の器であることを見込んだ兄貴は、俺たち全員の命を角栄に【張った】のさ」
赤瀬川さんは、懐かしそうにそう言った。
師匠のアイデアに【大義】があると見抜いた角栄は、その類まれなる記憶力で旧・日銀法二十五条と、関連する条文の全てを暗記した後、会談に向かった。
彼は氷川寮での会合には、少し遅れて登場した。現在ではその遅刻は、自身の力で会合の空気を変えようとした意図的なものとされている。だがその本当の理由は、彼が師匠のアイデアを我がものにしようと、ギリギリまで努力していたからだった。
角栄は最初、黙って彼らの話を聞いていたが、「取引所閉鎖もやむなし」という消極的な案にまとまりかけた時、こう叫んだそうだ。
「そんなことをして、手遅れになったらどうする! お前らそれでも銀行の頭取か!」
この角栄の一喝が会合の空気を変えた。角栄は日銀法第二十五条に基づいて日銀が特融を行うことを主張し、全員がそれに同意したのだ。
「日本の中央銀行が、民間の証券会社にたいして、無担保・無制限に融資する」という前代未聞のアイデアを、角栄は自らの責任で政治決断したのだ。証券不況に苦しんでいた、日本経済を救うために……。
角栄のこの決断は『日銀特融』と呼ばれるようになり、彼の偉大な業績の一つとして、後の世に語られるようになる。もしあの時、角栄が師匠のアイデアに乗らなかったり、並み居る頭取たちの説得に失敗していたら、師匠は間違いなく海の底に沈んでいただろう。
「兄貴から、会談が目論見通りに終わったことを聞いた俺は、すぐさま村岡さんに報告しに行ったよ。だがそれは、結局、俺の金星にはならなかった。その日のうちに、角栄が記者会見を始めてしまったからね」
「はい。だけど、師匠と村岡さんは、勝負には完全に勝ちました」
「そうだな。おかげで俺も兄貴も、命を落とさずに済んだ」
若き日の剣乃さんを村岡会長に引き合わせ、組の金を突っ込むことを説得したのは赤瀬川さんだ。そして、村岡が児玉に繋げなければ、そもそも、師匠のアイデアは角栄に届いてなかった。そういう意味では、今僕の目の前にいる初老の男が、この国を救ったともいえる。
その日の夜。そう、取り付け騒ぎが起こった【その日の夜】だ。深夜、二十三時三十分、田中蔵相と日銀の宇佐美 洵が、特融に関する記者会見を行った。会見の中で、田中は何度も、『無担保・無制限』である事を強調した。対面上、日銀が都銀に融資したうえで,山一に再融資するという形にはなったが、この融資が、『中央銀行による私企業の救済』であることは誰の目にも明らかだった。
この発表により、週末のわずか二日間で取り付け騒ぎは完全に沈静化した。特融も結局、山一と大井証券の二社だけで済んだ。
後に角栄は、この日銀特融(過去に前例のない、日銀法25条の発動)が、自分の政治史上で一番印象に残った出来事だと回想している。日銀特融とは単なる民間救済策ではなく、『証券業界全体の信用秩序の維持』を目的としたものだったからだ。
この田中の政治決断をきっかけに、千円割れ寸前だった平均株価は反転し、昭和四十五年七月まで五十七か月続く、「いざなぎ景気」がスタートする。赤瀬川さんは金星を取りそこなったが、師匠と村岡はその後の戻り相場で大金を得た。そして師匠の取り分は、そのまますべて角栄に流れたのである。二人の関係はここから始まり、角栄が言葉を失ってなお、二人の友情は変わることはなかった。
もし、角栄が権力の座から引きずり降ろされてなかったら、平成の失われた三十年はなかっただろう。彼はきっと、特融という切り札を再び切り、二度にわたって日本経済を救った英雄として、人々の口の端に上っていたはずだ。
(続く)
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