第14話「水落家の人々」

 僕が最初に目指したのは、新潟県十日町市にある水落みずおち旅館だった。ここは角栄の遠縁の親戚が経営している、昔ながらの温泉旅館である。赤瀬川さんがまだ現役だった頃は、館内をすべて借り切って忘年会や新年会をよくやったものだ。


 田中派の関係者や、組の人間が何か不始末を起こした時は、とりあえずこの旅館に潜らせるのが、剣乃さんの常套手段だった。僕も学生時代から、師匠の名代として何度も足を運んだ。女将やその娘たちとも、昔から顔なじみだったのである。


 前回、ガサを喰らった時も、僕はひと月ほどこの町に居た。だがその時は、僕は宿に顔を出すことすらしなかった。水落家の人々なら、たとえお上の手が伸びようと、本気で僕の事を守ってくれそうな気がしたからだ。

 

 師匠や角栄は既に亡くなり、赤瀬川さんや中野さんも堅気に戻っていた。現役の悪党で、しかも相場を張り続けているのは、僕一人だった。僕が駆け出しだった頃とは、時代も違う。


「堅気に迷惑をかける訳にはいかない」と当時の僕は思い、かつて世話になった人たちに頼りたい気持ちを必死に堪えていた。その選択は正しかったと、今でも僕は思っている。


 まあ結局、水落家には問い合わせの電話一本来なかったらしくて、「そんな事なら、ずっとここに潜んでりゃ良かったな」と、後から思った。剣乃さんや、彼を支援していた政治家のルートから洗えば、真っ先にここが狙われると思っていたのに、全部僕の一人合点だった訳だ。



 お上は既に、僕の財産を差し押さえ、相場の世界から追放することには成功している。自分で言うのもなんだが、今回嫌疑のかかった相場は、全盛期に比べれば別に大した相場でもない。剣乃さんのように、僕の背後に何者かがいると誤解し、ガチにりにきた前回でも捜査の手は及ばなかったのだ。こんなチンケなヤマで、ここに人が来る事はまず無いだろう。


 だから僕が、久しぶりに水落家に顔出そうと思ったのは、自分の身を隠すためではなかった。宿から車で数分の所に、「十日町情報館」という名の素晴らしい図書館があるからである。


 僕は今回、師匠だけではなく、過去の箱の所有者たちについても詳しく調べようと思っていた。勿論、あの箱の秘密を知るためだ。角栄や継之助の地元に近いこの場所なら、きっと資料も充実しているに違いない。


 十日町情報館は、『図書館戦争』のロケ地にもなったとても居心地の良い場所だ。当時の僕は、開館と同時にそこに飛び込み、一日中本を読んで暮らしていた。閉館後は近くにあるスパ銭に入って身を清め、そこも終わると、道の駅に車を停め、朝まで寝ていた。そんな生活を、もう一回やってみようかなと思ったのである。


 一言で言ってしまえば、再び創作の道を目指そうとしている今の僕にとって、ここは最も都合の良い場所だったのだ。十日町は夏でも比較的涼しいし、温泉だってそこら中にある。いざとなれば、水落家の人たちを頼ることも出来るだろう。


 僕は旅館近くの公衆電話の前に車を止め、電話を掛けた。時刻は既に十二時を回っている。宿泊客のチェックアウトの片付けも終わって、一息ついてる時間のはずだ。


「すみません。伊集院と申しますが、本日の宿泊は可能でしょうか?」

「伊集院って……? もしかして、アケミお兄ちゃん!」


 声を聞いてすぐに分かった。女将の娘のハナヱちゃんだ。双子の姉妹の妹の方である。


「ハナヱちゃんか。久しぶりだね」

「久しぶりどころの騒ぎじゃないよ! 前に来た時は、私まだ小学生だったもん!」

「もう、そんなに経つかなあ……。ハナヱちゃんは今、実家の仕事を手伝ってるの?」

「うん。お姉ちゃんは、情報館の司書をやってるけどね」

「そっか……。キクヱちゃんは、図書館が大好きだったもんな」 


 姉妹は双子で見た目もそっくりでありながら、それ以外は真逆の存在だった。姉は勉強が得意で、妹は運動が得意。姉は内向的な性格で、妹は社交的。歳は今、二十二~三歳のはずだ。二人とも一度は東京に出たと、何かの折に赤瀬川さんから聞いたが、今はどちらとも故郷に戻っているらしい。


「私もね、ただの家事手伝いじゃなくて、ネットで小説を書いてるんだよ! この前、賞も貰ったの。奨励賞だけど!」

「へー、凄いじゃん」

「賞金も出たんだよ。十万円!」


 才媛だったキクヱちゃんならともかく、ハナエちゃんの方が、物書きになってるとは、想像もしてなかった。是非一度、作品を拝見してみたいものだと僕は思った。


「ところで今日、部屋は開いてるかい? お母さんにも、久しぶりに挨拶しておきたいんだけど」

「うん、大丈夫。お兄ちゃんなら特別料金にしてくれると思うよ。何日ぐらい、こっちに居るの?」

「分からないけど、二か月くらいはこっちに居ると思う。色々と、調べなきゃいけないことがあってさ」

「湯治者用の長期滞在プランもあるよ。そんなに長くいるなら、そっちにしてみたら?」

「いや、とりあえずは、今日だけでいいよ。水落旅館に居ると、色々と甘えちゃいそうだからさ。僕もこれから、一人で少し、書き物をする積りなんだ」

「書き物?」

「ああ。師匠の剣乃さんや、田中角栄について少し書こうと思ってる」

「そうなんだ。じゃあ、ライバルだね! 資料探しなら、きっとお姉ちゃんが手伝ってくれると思うよ」

「そうだね。それくらいは甘えようかな」

「まあ何にせよ、そんなに長くこっちに居るなら、また遊ぼうね!」

「ああ、ハナエちゃんの作品も拝見させてもらうよ。じゃあ、今からそっちに向かうね」

「うん。じゃあ、直ぐにお部屋に入れるように準備しておくよ!」


 僕は電話を切って、十数年ぶりの水落旅館に向かった。道を覚えているか若干不安だったけど、何とか無事に辿り着けた。簡単に受付を済ませ、部屋に向かう途中に女将と会話を交わす。彼女は二人の母親だ。


「随分、大人っぽい顔になりましたね。随分、苦労もされたようで……」

「いや、僕なんかまだまだです。あの頃の師匠とさして変わらない歳になったというのに、自分の未熟さに恥ずかしくなります」

「剣乃さんや先生角栄さんと比べたら、誰だって未熟ですよ。恥ずかしがることはありません。ところで……」

「なんでしょう?」

「ふた月ほど、こちらに滞在すると聞きました。どちらにお泊りになられるんですか?」

「色々あって、車暮らしに慣れちゃいましてね。寝泊まりは車でしようと思っています」

「あの……宿泊費なら気にされなくて結構ですよ。部屋は沢山空いてますし、昔あれだけ、先生や剣乃さんには世話になったのですから……」

「いえ、お金の問題ではないのです。少し書き物に集中したいと思いまして、ここに居ると色々甘えてしまいそうなので……」

「そうですか」

「立ち寄りで、お風呂だけは使わせてください。他所に払うのは馬鹿らしいですから」

「わかりました。でも、何か困ったことがあれば、遠慮なく頼ってくださいね。先生は、剣乃さんの事を兄弟同然だと申しておられました。その方のお弟子さんを、苦労させる訳にはまいりません」

「ありがとうございます。もしもの時は、よろしくお願いします」


 本気で頼るつもりはないが、女将の気持ちを和ませるために、僕はそう答えた。


 この辺りは中選挙区時代の新潟四区にあたり、過疎や豪雪対策が政策課題となることが多い土地だ。それらの問題に本気で取り組んだ角栄は、この土地でも人気が高い。新潟の過疎地区で『先生』と言えば、それは殆ど田中角栄の事である。


 当然だが、新潟四区では伝統的に保守勢力が強く、自民党で全ての議席を独占したことすらあった。小選挙区制が導入されてからは、流石に勝ったり負けたりだが、今だに角栄の事を慕う人間は多い。


「夕方になれば、キクヱも帰ってきます。あれは今、情報館に勤めておりますから、きっとアケミさんのお役に立つでしょう。お疲れでしょうが、娘の話を聞いてやってくださいね」

「勿論です。僕の方こそ、楽しみにしてますよ」


 そう答えて、僕は自分の部屋に入った。


(続く)

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