第5話 退院

頭上には強烈な太陽からの光線を遮ってくれる庇があるというのに、まるで頭上から逐一降り注がれている様に感じる程のけたたましい蝉時雨の中、”私たち合計六名は”立ちながら雑談に花を咲かせていた。

今日は八月に入っての第一週、平日の午前だ。場所は…ふふ、変に隠して見せたがバレバレだろう。そう、ここはお父さんの病院の正面玄関前だった。

そこに私と、後は紫、藤花、律、麻里の学園組と、それに加えて絵里の計六名が立ち話をしていた所だ。

絵里と麻里はこの時が初対面だったのもあり、お互いに自己紹介をした後で、

「いつも絵里さんの話を、琴音ちゃんや裕美から聞いています。私達の通う学園の卒業生の方だとか、そんな話とかも」

と麻里が振ると、

「あはは、私も琴音ちゃんや裕美ちゃんから聞いているよ?」

と絵里も同じトーンで返していたが、ここで途端に意地悪げな笑みを浮かべると続けて言った。

「…ふふ、これは主に裕美ちゃんからだけど、あなたが新聞部に所属していて、”深窓の令嬢”ってあだ名の名付け親だとか…ね?」

と最後に私の方へウィンクをして来ながら言ったので、「…何が『ね?』なのよ?」と私は瞬時に突っ込んだのだが、それには絵里はただ明るく笑い飛ばすのみで、それに釣られてか麻里、そして他の皆も一緒になって笑顔になり、そのまま雑談に花を咲かせ始めた…という経緯だった。

…ふふ、さて、あまりにも勿体ぶり過ぎだと自分でも思うが、それも然もありなんと納得して頂きたい。

何せ今日は…そう、先にネタバレをしてしまうと、待ちに待った裕美の退院日なのだから。

今は裕美と裕美のお母さんが、退院の手続きをしているはずで、今私たちがいる正面玄関が落ち合う予定の場所となっていた。

荷物や諸々を整理して出てくるのを、今か今かと雑談しながら待っている段階なのだが…ふふ、まだ暫くかかりそうなので、この時間を利用して、今日までの経緯を話しておこうと思う。


前回にも言ったように、裕美は出場するはずだった大会のその日に、低侵襲手術を受ける事となった。

と、その前に…うん、この場を借りて、またしても私の小さな罪を告白しなくてはいけない。というのは、裕美から手術を受けるという話を聞いた翌日に、ピアノの練習という日々のルーティンを済ませた私は、午後は涼しい室内で読書をする予定だったのに、昨日の事が脳裏から離れなかった為に、夕方五時になるのを見計って、自室の机の中から名刺入れを取り出すと、そこに書かれていた電話番号に電話をかけてしまった。

もちろん相手は、裕美の主治医である整形外科部長だ。恐らく見知らぬ番号からだったからだろう、中々電話に出てくれなかったが、しかし何処か訝しげな応対に私が名前を名乗ると、途端に声を明るくさせて電話を歓迎してくれた。

今大丈夫かと聞くと、診療が終わったところだから大丈夫と言ってくれたので、さっそくだが…うん、裕美の手術に関して、具体的な質問をしてしまった。それが気になって仕方がなかったのだ。

急に前置きもなくそんな質問をされたというのに、恐らく今まで名刺を渡していたというのに電話一つも無かった私から、急に電話が来た時点で察していたのだろう、それほど間を置かずに彼は素直に色々と質問に答えてくれた。

この間は十分ほどだろうが、素人の私にも分かりやすく噛み砕いて話してくれた事にお礼を言いつつ、一つだけ最後にお願いをしていた。

それはもちろん…って、私にとって勿論という意味だが、私がわざわざ電話してきたのを裕美やおばさんは当然として、院長であるお父さんにも内緒にしてくれというものだ。

こう頼んだ後もほんの少しばかり間が空いたが、これまた想定内だったらしく、受話器越しだというのに笑顔が見えるような声のトーンで快く了承してくれた。

んー…ふふ、これは私が言うべき台詞ではないが、実際に今日まで裕美や、それにお父さんにも話が伝わっていない点を見ると、彼は口が固い方らしく、律儀にも私の約束を守ってくれていたようだった。


…さて、そんな私の悪行で得た情報を、少しばかり開示する事を許していただきたい。

裕美が受ける事となった低侵襲手術というのは、要は筋肉を温存するのが目的で、それによって回復が早いだとか、筋肉を傷つけない為に出血量が少ないだとか、本来なら手術の流れで骨の付着部で筋肉を剥がす事によって痛みに繋がり、また残っている筋肉に負担がかかり過ぎるあまりに頑固な痛み、後輩部痛を起こす場合があるらしいのだが、それが少なくて済み、また薬物や理学療法がいらないだとか、その為に術後の翌日から立って歩けるようになるらしく、勿論激しい運動などは無理だとしても痛みが少ない為に、実際に裕美は翌日には歩けるようになっていた。

そんな便利になっているのかと、一応お父さんや裕美から聞いたのと重複する点は多々あったが、しかし輪をかけて詳しく聞けたので満足していると、ただこの手術は技術的に難しい為に、どこの病院でも出来るわけではないと彼が付け足したので、途端に不安になって大丈夫なのかと念を押した。すると、

「あはは。今言ったように低侵襲の手術は、腰に約一、二センチの切開を加えて、筋肉を温存したままネジを骨折部に一、二本入れて分離部の固定を行うんだ。とまぁ、確かに患者にとって、とても嬉しい手術法なんだけど、ただまぁ課題は医師の技術を要する事なんだ。傷が小さくなる程に手術は難しくなるんだけど、そこで確実に操作を行う為に顕微鏡を使用する。顕微鏡を使う手術は、医師の技術が平均以上じゃないと出来ないから、だから誰にでも出来る手術ではないんだ」

と一旦脅してきたのだが、しかし直後に受話器越しに笑みが漏れるのが聞こえたかと思うと、

「でもまぁ琴音ちゃん、安心していてよ。今度の手術は私が執刀するからね。もう何度もこの術法で治療してきたし、自分が気付かないような小さい失敗はもしかしたらあるのかも知れないけど、でも実際は皆完治して退院していってるし、大船に乗ったつもりで信頼してくれると…嬉しいな」

と彼は明るい調子で続けて言った。

「は、はい…」と私からは苦笑交じりに返したのだが、しかし結果を見ると、本人が言った通りに難しい手術にも関わらず腕は確からしく、一時間半ほどの手術が終わった翌日には、裕美はトイレなどに行く時に一人で歩けるようになっていた。

因みにというか、手術の当日には、もちろん心配で立ち合いたかったのは、私だけではなく紫達や絵里たちも山々だったのだが、その反面で何だか気を遣わせて負担になりたくはないと、その日はそれぞれが自宅なりで待機しており、手術の翌日に、流石に昨日の今日は邪魔かと思ったが、主治医に電話した時と同じで気が早るあまりに、だが流石に裕美自身に連絡を入れる真似だけはせずに、裕美のお母さんに手術日の夕方に連絡を入れた。

すると、手術は無事に成功した旨をまず知らせてくれた後で、快く返事をくれたので、是非では明日に伺わせて頂きますと返した。

その直後に、紫たちにも手術が成功した事をSNS内のグループで報告すると、皆がそれぞれの表現で歓喜の声を呟いていたが、その流れの中で明日に自分がお見舞いに行くことを伝えると、流石に急すぎたせいか結果的に全員の予定が合わずに、ただ宜しく言っておいてくれと伝言を承った次第だった。

その次にladies dayの所でも報告をすると、すぐに絵里、有希、百合子が反応を返してくれて、時差もあるだろうに美保子までもがお祝いの言葉を書き込んでくれた。

そしてやはり、明日お見舞いに行く件を伝えると、シカゴにいる美保子は言うまでもなく、有希も百合子も時間が合わないと断念する旨を書き入れていたが、それは学園組以上に想定内だったので、今度は自分から宜しく伝えとくと返事を返しておいた。

だが、ここで一つだけ意外な事があった。というのも、そんな中でも時期が時期だけに、特に忙しいだろうはずの絵里一人が、何とか明日都合をつけるからと、具体的な日時を聞いてきたからだった。

別に無理しなくてもと、裕美本人でもないのに偉そうに返してしまったが、それでも何度も行くと言って聞かなかったので、私としては字だけで何とか苦笑を表現しつつ了承し、実際にその翌日には私と絵里が一緒にお見舞いに行った。

自力で歩けるようになっている裕美の姿に、二人して驚きつつ経過を聞いたりしてから三日経つと、今後の通院や治療の道筋を打ち合わせた後で、退院という運びとなった。



退院日は予め聞いていたので、予定が合った私たち学園組六人と、日舞関係で忙しいというのに暇を作って来てくれた絵里と共に、繰り返しになるが病院の正面玄関に集まっているのが今の状況だ。

裕美と付き添いのおばさんが出てくるのを待つ為だ。

この日も雲が少ない良い天気で、八月に入っていたのもあり夏まっさりの天候なのだったが、しかし不思議とジッと立って待っていても汗ばむほどでは無かった。

要因としては、勿論大きくせり出した庇のおかげで直射日光は防がれ、また熱が篭りながらもカラッとした良い風が私たちの間を断続的に吹き抜けていたのもあったのだが、結構出入りが激しいのもあり、目の前の正面玄関の自動ドアがしょっちゅう開いたりして、中の冷気がこれまた断続的に流れてくるのが肌に心地良かったのも大きかったのだろう。

…などと、皆と雑談をしながら、何で暑がりの自分がジッと外で突っ立ってられるのかと、こんなクダラナイ推察をしていると、実際には十分も待っていなかったが手ぶらの裕美と、その半歩後ろから荷物を携えた裕美のお母さんが自動ドアから出て来た。

裕美の格好は、水泳クラブから直接来たときの服装とは違い、腰回りがゆったりとした、肘くらいまで布が来る半袖のロング丈Tシャツワンピース姿だった。如何にも腰回りが楽そうな服装だ。

「裕美ー!」

と姿が見えた瞬間に、私含む皆で駆け寄り、「退院おめでとー!」と続けて各々が声を一斉にかけた。

「あはは、ありがとー」と照れ臭そうに返す裕美に対して、絵里が少し遅れて私たちと同じ様な言葉を送る中、裕美達に遅れて”とある白衣姿の一群”が続けて正面玄関から出て来るのが見えた。

…ふふ、白衣姿の時点で”とある”もへったくれもないだろう。そう、彼らは裕美を担当していた医師と看護師達だった。まぁ一群とは言っても、実際は主治医の整形外科部長を入れて三名だった。

主治医は「退院おめでとう」とありがちな言葉をかけて、「お世話になりました」と裕美とおばさんも返していたのだが、ふとその時、何かに気付いたらしい白衣姿の三名が脇に退いた。

と同時に、目の前に現れた新たな人物の姿を見て、「…あ」と思わず声を漏らしてしまった。

その正体とは…ふふ、こんなに溜めることもないだろう、その人は私のお父さんだった。

お父さんが現れた瞬間、白衣姿が一斉に脇によって、揃って頭を軽くとはいえ下げる姿を見て、チラッと見た限りでは、少なくとも紫たち学園組は突然目の前で繰り広げられた光景に、唖然としている様子だった。


つまりは、急に現れた男が一体何者なのか分からないからという理由なのだろうが、まぁ分からなくもない。

まだ裕美以外にはお父さんの姿を見られた事がないし、その裕美ですらお互いに小学生の頃に家に遊びに来た時に、たまたま居合わせたお父さんとニアミスした程度で、片手で数えるくらいしか顔を合わせていなかったはずだった。

だが、他の学園組が男性…ふふ、つまりはお父さんに対して、不思議がりつつ視線を飛ばす理由は他にもあった事にも、私はすぐに気づいていた。

というのも、今のお父さんの格好に大きな原因があったのだ。

何度も触れている様に、裕美の主治医なり看護師なりは当然だが白衣などの医療服を身につけていたのだが、お父さんはというと、そんな周りと違ってスーツ姿だった。

以前にも話したが、他の医者、医療従事者がどうかは知らないが、少なくともお父さんは毎日家を出る時にビシッと毎回クリーニングをした、見た目からして高級そうなスーツを着て出院しており、今まさに今朝見た時のままの格好をしていたので、私には見慣れた格好だった。

因みに私は物心ついた頃から、お父さんの白衣姿を見た記憶がない。最近になって病院を訪れる頻度も増えたが、前にも触れた様に、それは社交の場に行く時の待ち合わせとして院長室を使っていたので、会に行く時の服装に着替えていたお父さんしか見てなかった。

…とまぁ、そういう訳で、そんな部外者にしか見えない男に主治医なり看護師が畏っているのを見て、紫たちが誰なのかと、何者なのかと不思議に思うのが普通だろう。


…あ、そういえば何時だったか 、ちょうど今日はこの後で何かの会合に出席する予定だと言ってたわね


と、スーツ姿のお父さんを見て不意に思い出していた私は、「…お父さん」と、お互いに目が合ったのに何も言わないのも何だと私から声を掛けた。

すると次の瞬間、実際に見てはいないが、学園組全員が一斉に勢いよく私の言葉に反応したのが気配で感じ取れた。

こちらに向かって好奇の視線を飛ばして来ているのがヒシヒシと感じる中、お父さんは何も言葉では返さなかったが、しかし薄らと口元を緩めて見せた。

その後でお父さんは、こちらから顔を逸らしたかと思うと、そのまま裕美たち親子へと顔を向けた。

「琴音のご友人の高遠裕美さん…だったね?」

とお父さんが威厳のありそうな低いトーンで声を掛けると、「は、はい」と空気に押されたのか裕美は少し慌てつつ返した。

「お、お久しぶりです」

と裕美はお辞儀をしかけたが、それをお父さんは慌てて制した。

「…ふふ、そんなに畏まらないでおくれ。腰への負担もかかるし」

「は、はい…」

と裕美は言われるがままに体勢をすぐに元に戻した。

それを見たお父さんは、さっき私に見せた様に口角の両端を気持ち上に持ち上げると、普段から薄目がちの義一とは違い、常時している何か血走るようなギラついた目付きをやんわりと緩めつつ、お父さんは口を開いた。

「小学生時代から私の娘と仲良くしてくれていて、そんな君が私の病院に入院する事になったというのに、中々挨拶も出来ずに、こんな退院の時になってやっと顔を見せてしまって悪かったね」

と途中から裕美だけではなく、隣に立つおばさんにまで顔を向けながら言ったせいか、高遠親子は一度お互いに顔を見合わせた後、「あ、い、いえいえ、そんなわざわざ…」と変に恐縮しながら返していた。


…うん、本人がどういうつもりかは別にして、お父さんは昔から初対面、初対面に近い人を緊張させてしまう癖…と言って良いだろう、そんな性質があった。

これは義一にもある意味で共通している。ただお父さんの場合は先程も触れたように、180センチ程もある長身から、そのギラギラとした目付きで真っ直ぐに見られると、相手としては睨まれるように感じる為だったが、それとは対照的に、義一の場合は基本薄目がちで全体の雰囲気としては柔らかいイメージを与えながらも、しかし一旦相手に興味を持ち始めると、お父さんとはまた別な爛々とした目付きでジッと容赦無く見つめて来るので、違う意味でのプレッシャーを相手に与える事がよくある様に見受けられた。

…ふふ、こんなところも、二人がお互いにどう思うかは別にして、こんな所で『やっぱり二人は兄弟なんだなぁ』という月並みな感想を覚えていた。


それを自覚してなのか、お父さんは急な話題転換を図り始めた。

「私の病院はどうだったかね?」

と目付きもさっきより益々緩めつつ聞くと、

「は、はい。先生とか看護師さんとかに、良くして貰いました」

と裕美も緊張が少しは解れた様子で答えた。

「何から何まで、ありがとうございました」

と裕美のお母さんが、出来ない裕美の代わりか腰を曲げつつ続けて言うと、

「いえいえ、そんな顔をあげて下さい」

とお父さんは手のひらを上にした片手を前に差し出した。

その言葉に従う様におばさんが顔を上げると、お父さんはますます表情を緩め…ふふ、娘の私だから分かるくらいの小さな変化だったが緩めつつ口を開いた。

「満足していただけた様で、幸いです」

とお父さんは返すと、不意に前触れも無く今度は私たち”お迎え組御一行”を見渡し始めた。

私はお父さんの姿を見て我知らずに一歩前に踏み出していたので、その背後の様子は実際には見れなかったのだが、しかしその気配から緊張が広がるのが分かった。

それを知ってか知らずか、やはり表情が少ないながらも本人からしたら表情を緩めつつ口を開いた。

「君たちは…そうか、琴音や高遠さんのご友人達だね?いつも娘がお世話になっています」

とお父さんが裕美たちに言ったセリフに少しアレンジを加えて軽く会釈をすると、「あ、い、いえ…こちらこそ、は、初めまして…」と紫を筆頭に、それぞれが挨拶を返すのが…ふふ、我ながら意地汚いと思うがどんな反応をするのか気になったので、今度は実際にきちんと自分の目で確認した。

そんな反応に対してまた一瞬顔を緩めたかと思うと、お父さんは私一点に視線を送り、表情はそのままに声をかけてきた。

「これから瑠美の所に行くのか?」

「え?」と急に話を振られたのでとっさには答えられなかったが、「えぇ、そのつもり」と返した。


…そう、この場には私のお母さんの姿が無いのに、お気付きになられていただろうか。まぁ別にというか、少し薄情な物言いをすれば、私の年代にしては長きに渡って付き合ってきた娘の友人が退院するからと言って、その母親が立ち合わなくてはいけないという事も無いのだろうが、結論から言うと、お母さん自身は立ち会いたがっていた。

それは退院日が決まった時点で、自分も伺いたいと口にしていたのだが、結果今を見て頂ければ分かる様に、実際は立ち会わずに終わっているのには理由があった。

それは昨日に遡る。昨夜も最近にしては珍しく親子三人で夕食を共にしたのだが、食事を終えて食後のインターバルを楽しんでいると、当然というか話題としては裕美の退院についてに終始した。

その中で、明日は何時ごろに伺えば良いのかと、いつも通りにお母さんが率先して話題を提供し始めた。午前中に退院する事は決まっていたし、また絵里と紫たちが一緒する事も決まっていたのもあり、紫たちが一緒に乗ってくる列車時刻に合わせて、絵里とは駅前で落ち合えば良いんじゃないかと、確認のために私が合いの手を入れたのだが、その時、お父さんが少しバツが悪そうな顔つきで口を挟んだ。

それで何を言うかというと、「すまないが瑠璃、明日は病院まで来るのは控えてくれないか?」といったものだった。

「え?」と当然私たち母娘は途端に、不思議に思うあまりに声を漏らしてしまった。何故なら、繰り返しになるが今初めて出た話では無く、初めて退院日が知らされた時点でこの予定は出来上がっていたからだった。それを直前に反故にされたというので、話が違うと当人であるお母さんだけではなく、私まで声を漏らしてしまった次第だ。

そんな反応を返した私たち母娘に対して、お父さんは顔つきはそのままに、しかし口調は静かに答えた。

まぁここでは簡単にというか、纏めて話すと、お父さんの病院で働いているスタッフ、この場合は整形外科の面々という意味だが、直接お父さんに言ったわけでは無いらしいが、どうやらお母さんが来ると不要に緊張してしまうと言うのだ。

…いや、緊張というのは私なりの言い方で、実際には気を遣ってしまうとお父さんは言っていた。元から口数が少ないせいで、実際に言ったのはこのくらいの事で、一々纏めなくても良かったのだろうが、ここで少し言葉が足りないお父さんの代わりに、ほんの少しだけ私の考えを入れておきたいと思う。

単純な事だが、本人が自覚があるかは別にして、その緊張というか気を遣わせる事になってしまうのは、何もお母さんだけの責任では無いだろうと、実の娘ながら自分なりに客観的に見てそう思う。

というのも、何度も触れている様に、お母さんは私が中学生になって少ししてから、以前からチラホラとは顔を出していたお父さん達の社交の場に、本格的に乗り出し始めたのだったが、一緒になってその社交の場に出る様になって、初めて公の場での両親の身の振る舞い方を見て、先に言った様な印象を私自身が受けたからだ。

お母さんは言うまでもなく、そういった場での身の振る舞い方を心得ているお父さんという二人の姿は、娘という贔屓目を無くしても、社交の場では実際にお父さんが主催側に回るのは一年のうちに一度くらいな頻度なのだが、それでもその華やかな見た目と立ち居振る舞いのせいで、毎度の様にその場の中心となってしまっており、まるで毎回ホストやホステスの様になっているのを見かけていた…ので、まぁ…ふふ、ついつい悪い癖で要らない事まで深く足を踏み入れて話してしまったが、昨夜もその光景を瞬時に思い出していた私は、病院のスタッフ達がそう思うのも仕方がないと自分なりに納得がいっていた。

社交の場に行くために、その待ち合わせ場所として病院の院長室を使っているとは触れた通りで、そこには私とお母さんとで訪れた事もしばしばあり、だったらその度に緊張、または気を遣わせてしまっているじゃないかと思われそうだが、物のついでと補足的に言えば、お父さんとお母さんが一緒になった時に私が言った効果を生み出すのであって、ただ私と一緒にいる時のお母さんからは、そんな周りに気を遣わせる様なオーラの様なものは出ていないのだろうと、付け加えさせて頂こう。

…さて、話を少し戻すと、直前である前日にそう頼まれてしまったお母さんだったのだが、一度くらい理由を尋ねるのかと思いきや、「なら仕方ありませんね。…ふふ、分かりました」と、先程までに見せていた、明るいどこか少女の様な雰囲気を持っていた普段の様子とは一変した、時折見せる穏やかながらも品位のある、芯の通ったハッキリとした顔つきの中に、含みの無い微笑を浮かべつつお母さんは返した。

過去にも直前での予定変更は何度もあったのだろう、そんなお母さんの変貌ぶりは何度も数え切れないくらいに見かけているはずなのに、娘でありながら今だに慣れないという感覚を覚えつつも、もう慣れっこなんだなという素朴な感想を持つのだった。

で、実際にどういった変更となったかと言うと、お父さんのお願いの通りにお母さんは病院には来なかったのだが、その代わりに、当初から予定していた裕美の退院祝いの打ち上げ会場へ既に入っている事になっていた。

今朝は母娘一緒に家を出て、駅前で絵里と落ち合い簡単な挨拶を交わすと、そこで会場となる予約していたレストランへと向かうお母さんと別れたのだった。


…とまぁ、毎度のように長い説明となってしまったが、そんな細かい話は口にせずに、この後で打ち上げに行くのかと聞かれて短く返事を返した次第だった。

因みにこの間はと言うと、私とお父さんが短い会話を交わしている間に、裕美と紫達はワイワイと和かにお喋りにこうじており、そんな事があった為に…って言うとお父さんには悪いが、少し出遅れた形となりながらも、お父さんに一言断ってから私もその輪の中へと入っていった。

皆に混じってお喋りを楽しんでいたのだが、ふとその時、これまた視界の隅に、ある光景が見えてしまったが為に、途中からは心底裕美を祝う心持ちでは無くなってしまった。

というのも…私たちが捌けてしまったのが大きな要因ではあるだろうが、いつの間にかお父さんと絵里が向かい合って立っていたからだ。

気づいた時には、もう何度か言葉を交わした後のようだったが、その途中から私が聞き取れたのは以下の通りだった。

「…あぁ、あなたが昔から娘と仲良く、親しくして頂いているという司書の方ですか」

「…はい」

と絵里は取って付けたような微笑みを顔一面に貼り付けて応えた。

…ふふ、これは勿論私の色眼鏡越しだからこの様に見えてしまったというのを自覚した上で言うが、それなりに長い付き合いだからこそ、それでもこれは自然体ではなく作った微笑だと言い張りたいと思う。

「娘だけではなく、今では妻である瑠美が通う日舞の教室で指導もされているそうで、親子共々お世話になっています。”初めまして”」

「…」

と言うお父さんのセリフに対して、絵里は笑みを絶やさずにニコニコしていたが、どこかその中に冷笑を織り混ぜている様に見えた。

どんな心境だったのか、ここでは敢えて私の推察は述べずに置こうと思うが、この通り少し間を置いたかと思うと、絵里は若干わざとらしく笑みを強めると目を細めつつ返していた。

「はい、”初めまして”」


…とまぁそんなやり取りをお父さんと交わした絵里は、タイミング的に仕方が無いながらも、遅ればせに裕美に駆け寄って、私たちが既に済ませたお祝いの言葉を裕美にかけていた。

それを受けた裕美はと言うと…ふふ、やはり”絵里大好きっ子”に相応しい反応を示していた。

どんな反応あったのかと言うと…「裕美ちゃん、退院おめでとう」と声をかけた次の瞬間、「うん、ありがと!」と急に前に足を踏み出したかと思うと、裕美はその勢いのまま絵里に抱きついていた。

その前置きのない急な裕美の行動に、私達だけではなく主治医の面々も仰天の様子を顔にありありと浮かべていたのだが、当人である絵里も同じ反応ながらも、「…ふふ」と思わずといった調子で苦笑を浮かべつつ、同じくらいの身長のせいで胸に顔を埋められなかった裕美の頭を撫でていた。

その光景を見た私たち学園組は、まだ呆気に取られたままでいながらも、お互いに顔を見合わせて暫くすると、誰からともなく微笑み合うのだった。


少しして冷静さを取り戻したらしい裕美は絵里から離れると、周囲を見渡して、私たちの反応を見た途端に顔をほんのりと赤らめつつ、ただ言い訳一つも言えないと苦笑を浮かべつつ照れて見せるので、その途端に紫達が一斉に明るく笑う中、私も一緒に笑いつつも、何となくさっきの裕美の行動が気になって、主治医の彼に何気なく近付くと、耳打ちする様に声をかけた。

「あのー…裕美ってば、急にあんな飛びつく様な真似をしていましたけれど、その…大丈夫なんですか?」

「え?んー…」

と私からの質問に対して、彼はすぐには答えてくれなかったが、しかしほんの数秒ほど、紫たちにアレコレと囃し立てられている裕美の姿を眺めていると、小さく笑みを零してから答えてくれた。

「…ふふ、うん。顔に一瞬でも苦痛からくる顰めっ面の気配が見えない所を見ると、さっきの行動によって腰に痛みが走った形跡が見れないから…うん、大丈夫だと思うよ。まぁ仮に問題があったとしても、今後も通院してもらう予定になってるから、その時に診てみるね?」


盛り上がりに一区切りがつくと、いつまでも自分たちの為に先生達を足止めしておくのも迷惑だと、空気を読んだ裕美とおばさんの親子が先に挨拶を改めて最後にした後、私も遅れて裕美の主治医である整形外科部長とお父さんに声をかけると、私たちは病院を後にした。

実は私のコンクールの打ち上げで顔を合わせてはいたのだが、今日が二度目だというので殆ど初対面に近いはずだというのに、娘が何度も話を聞かせてくれるというので、すっかり意気投合した様子の裕美のお母さんと絵里が先頭に、私たち一群はゾロゾロと歩いていた。

後ろを歩く私たちのフォーメーションはというと、裕美が復帰したというので、すっかり普段通りのままに列を組んでいた。一応触れれば前から紫と麻里、真ん中に私と裕美、そして最後尾に藤花と律という順だった。

既に皆には、私のお母さんが押さえた打ち上げ会場のお店の場所も、そこでお母さん自身が待っている事も話が通っていたので、誰も何の疑問を持たずに先導する絵里たちの後ろをついて行きつつ、私たち学園グループは和かに雑談を楽しんでいた。

内容としては、途中から例のことで気もそぞろだった私を除いて、すっかり腰に関する質疑応答は終わっていたらしく、今はそれとは別の話題で盛り上がっていた。

その中身はというと、今日の裕美のファッションが律と被っている点だった。細かくは当然違うのだが、ロングワンピースというカテゴリーでは同じだったので、道中はそんな他愛の無い話題ながらも話は尽きない様子だった。

…と思いきや、見た目、格好の話をしていた為か、誰からだっただろう…ふふ、そこまで詳細には覚えていないのだが、不意に…うん、私からすると不意に途中から話は、私のお父さんについてへと流れていった。

まぁ…ふふ、別に深い話は一つとして無かった。簡単に言えば、まぁ…うん、お父さんの見た目や雰囲気に関する事ばかりだった。

それなりに皆して色んな感想を述べていたが、その中でも際立って興奮していたのは麻里だったのは、言うまでもないだろう。

以前にも、そして先程もチラッと触れたように、裕美は何度か私の家に遊びに来た時にお父さんを見かけていたので、他の皆とはテンションの高さが何段階か低めだったが、そんな裕美ほどでは無いにしても、紫も他の三人ほどにはテンションが高くなかった。

いちいち聞いていないし、本人も口にしないので想像でしかないが、過去に何回か写真だけでも見せた事があったからだと思っている。

これは大分前に触れた話になってしまうが、中学一年生の頃の夏休みの一時期は、紫と二人でよく会って遊んでいた…というよりも、如何にも女子校生が行きそうな都内のスポットへ私を連れ回してくれた流れの中で、恐らく何処か休憩にお店に入った時だろう、その時に何きっかけか忘れたが、スマホの中に入っていたお父さんの写真を一度だけ見せた事があり、そこで既に今他の皆がしてくれているような感想は頂いていた。


だが…ふふ、初めのうちはそうだったのだが、次第に周りのテンションに釣られてというのか、一緒になって悪ノリし始めた紫がニヤけ顔で私に声をかけてきた。

「あはは、私も昔写真だけで見せてもらった事があったけど、今日生で初めて見ても…ふふ、やっぱ印象は変わんないね」

「…ふふ、生って」

と私が力無く苦笑交じりに返すと、

「みんなが言うように、この姫と同じでイケメンなのはそうだけど…ふふ、何かすっごいオーラって言うか、威厳があったよねー」と、ますます図に乗り始めた紫は続けて言った。

すると、「そうそう、特にあの声がねー」と藤花が話に加わった。

「あの重低音というか、あのバリトンかバスみたいな声質がまた特にねー」

と、いかにも藤花らしい感想をくれた為に、これには思わず私も笑みを零してしまった。

そんな会話をしながらも、前方を歩く絵里がこちらへチラチラと視線を流してきているのに気付いていたのだが、何故そんな風な行動を取っているのか察しつつも、気づかないフリをしながら勝手な感想ばかり言ってくる皆に対して一つ一つ丁寧にツッコミを入れていると、いつの間にか打ち上げ予定のお店前へと到着した。


そこは何店舗もチェーン展開している焼肉食い放題のお店だった。事前に私と裕美の母親同士で打ち合わせをしていたらしく、おばさんが退院の日に何が食べたいと聞くと、裕美が迷いなく「焼肉!」と言ったそうで、その希望を反映した形になったそうだ。

この内容もきちんと把握していた学園組なり絵里なりも、なんの疑問を持つ事なく店内へと足を踏み入れた。

入るとすぐに、私たちの入店に気付いた店員に声を掛けられたので、予約していた旨を絵里が伝えると、途端に察した店員に案内されるままにお店の奥の個室へと通された。


中に入るとすぐに「あら、いらっしゃーい」と明るい調子で声を掛けられた。その声の主は言うまでもないだろう、お母さんだった。お母さんは個室に入って一番奥側に座っていた。いわゆる上座だ。

「あはは、お邪魔しまー…って、あれ?」と先頭を歩いていた裕美のお母さんは、足を踏み入れ掛けたその時、言葉を区切るとともに足も止めてしまった。

「あら」と不思議そうな声を漏らすのを聞いて、まだ中の様子が見えなかった私は、何だろうと前に立つおばさんと絵里の隙間から中を覗くと、「…あ」と私も同様な意味合いの声を漏らしてしまった。

というのも、中にいたのはお母さんだけではなく、裕美のコーチとヒロのお母さんが既に着席していたからだ。

…ふふ、でもまぁ誤解がない様に慌てて補足すれば、この二人が出席する事も予定通り”では”あった。

あったのだが、何故この様に裕美のお母さんと一緒に私も意外だと思ったのかと言うと、簡単な事で、少し遅れてくるという話を聞いていたからだという、ただそれだけの事だった。

なので、「あら、早かったのねー」と裕美のお母さんが直ぐに事態を飲み込んで笑顔で入室すると、

「まぁねー」

とヒロのお母さんが戯けて返し、「はい」と何故か照れ臭そうに裕美のコーチが笑顔で返していた。

そのまま裕美のお母さんが、コーチの後ろを通って一番奥に座るお母さんの向かいに腰を下ろすのを、列の先頭となった私と絵里とで何となしに眺めていると、「ほらほら」と、そんなボーッと突っ立ったままの私たちに向けて、お母さんは意地悪げに笑いつつ声を掛けてきた。

「さぁさぁ、入って入って」と手招きしつつ招き入れるお母さんの言葉に促されるままに、

「うん」

「はい」

と私と絵里が先に入り、その後から「お邪魔しまーす」と各々が口にしながら中へと入って行った。

通された…というより、お母さんが予約したこの個室は、最大で二十人ほどが寛げて座れる程度に大きな長テーブルの置かれたタイプの部屋で、順番的には一番奥に座るお母さんの向かいに裕美のお母さんが座り、お母さんの隣にはヒロのお母さん、その向かいにコーチが座るというのが”大人チーム”のフォーメーションだった。

…ふふ、本来なら絵里も大人チームなのだろうが、子供チームはと言うと、ヒロのお母さんの隣に座る私と絵里が向かい合い、その絵里が座る側には順に裕美、紫、麻里が座り、私側には藤花、律の順に座った。


さて、私たちが席について、「外、暑かったでしょう?」というお母さんからの労いの言葉を受けて、皆で返事を返すと、「後ででも良いんだろうけれど」と一旦前置きを置いてから、「裕美ちゃん、退院おめでとう」とお母さんが続けて言葉をかけた。

「ごめんね?病院まで行けなくて」

と、わざとらしくシュンとして見せながらお母さんが言うと、既にその習性を理解していた裕美は、これがただのノリだというのを直ぐに察知したらしく、「いえいえ」と朗らかに笑いながら裕美は返していた。

それからは、ヒロのお母さんから退院祝いの言葉を受けて笑顔でお礼を返したり、退院おめでとうと言う言葉と共に、その直後に本当に腰の調子は大丈夫なのかと心配してくるコーチに対して、「はい、大丈夫です」と、照れ笑いと苦笑いを同居させてる様な複雑そうな笑みで返すという、そんな百面相を見せる裕美の様子を、微笑ましげに皆で眺めていると、店員さんが飲み物を注文しに来たので、既に注文を終えているらしいお母さんを除く皆で一斉にメニューに目を落とす中、少し時間が余っているのを利用して、簡単に今いるこのお店について触れておこう。


何故わざわざこのお店について触れようかと思ったのかというと、今まで長々と話してきた私の物語にとって、それなりに関係している場所だったからだ。

これまでは自宅や自室と同じで、中々取り上げる機会が無かったので、この場を借りて紹介してみよう。

ここは私がコンクールで勝ち上がる度に打ち上げ会場に使っていたお店だった。

予選を勝ち抜いた後で、「引退して久しいし、派手な格好をしたわけでも無かったのに、身バレするとは思わなかったわ…。しかも、あんなに取り囲まれるなんて…。次は目立たない様にしなきゃなぁ…」と言う師匠の愚痴を聞いたり、本選を無事通過した時も、観戦に来てくれた裕美と裕美のお母さんを加えた五人で決起集会をしたり、決勝が終わったその週に、今度はそのメンツに絵里、ヒロ、そしてヒロのお母さんまで加わるという大所帯で打ち上げをしたのもここだった。

なので、何となく『打ち上げ』と聞くと、お母さんの中では地元では”ここ”だと自然に考えたらしく、それで今回も同じ流れで相成ったわけなのだが、一つだけ前回までとは違い点があった。

というのも、大体ここをこの様な打ち上げで利用する際は、掘りごたつを予約することが多かったのだが、そこに入るには靴を一旦脱がなくてはいかず、それでは一々腰を曲げなくてはいけないから、裕美への負担が大きいだろうと、口には出さないがお母さんがその様な配慮をして、私たちにしてはテーブル席という珍しいパターンとなった。


…さて、ちょうど紹介も終わったところで、注文していた飲み物が店員によって運ばれてきたので本編に戻ろう。

藤花と麻里だけはオレンジジュースだったが、それ以外は裕美のお母さんや絵里などの大人チームも含めて無難に烏龍茶を頼んでいた。

「焼肉にオレンジジュースって、どうなのよ?」と、先ほどの注文時にも突っ込んでいたが、また再度紫がツッコミを入れると、

「何よー、良いじゃないのー?ねぇー?」

「ねぇー?」

と、斜め向かい同士で座る麻里と藤花は、お互いに悪戯っぽく笑い合うと、ジュースの入ったグラスを手に持ち向け合った。

と、その時、「あ、ちょっと待っててねー?」とそんな二人を見たお母さんが声を掛けた。

「さてと…ふふ、みんなに飲み物が行き届いたというので、じゃあ皆でそろそろ乾杯…」

とまだ言いかけだったが、「あ、瑠美さん、ちょっと良いかな?」と裕美のお母さんが口を挟んだ。

「んー…ふふ、少しだけ私に発言させて貰える?」

と若干照れて見せつつ言うのを受けて、「えぇ、勿論」とお母さんは瞬時に了承した。

それに対し一言お礼を言うと、おばさんは一度一同を見渡して見せてから口を開いた。

「…ふふ、今日は、娘の裕美のために、その退院祝いというので、こんな席を用意してくれてありがとう。琴音ちゃんだけじゃなく他のみんなも、遠くに住んでるというのに、わざわざ裕美のために来てくれてありがとうね?」

「あ、い、いえ…」

と、この様な場には慣れていないらしい紫たちは、おばさんの言葉に妙に恐縮していた。ちなみに絵里もだ。

そんな反応には、少し笑みを強める以外の大きなリアクションも返さずに、おばさんは続け…ようとしたのだが、その時、「…うん」と今度はおばさんの言葉に口を挟む者がいた。私含む皆で顔を向けると、それは裕美だった。

自発的に声を発したというのに、急に視線が集まったというので居心地が悪そうな笑みを浮かべていた裕美だったが、顔をおばさん一点に向けると口を開いた。

「…ふふ、母さん。私からも良いかな?」

と裕美が声をかけると、直ぐに何の事か察したらしいおばさんは「うん、良いよ」と柔和な笑顔で答えた。

「ありがとう」とお礼を返した裕美は、自分の母親と同様に一度一同を見渡した後で、照れたときの癖である首筋をポリポリと指先で掻きながらゆっくりと話し始めた。

「んー…こんな風に注目されると話し辛いんだけど…ふふ、私からはただ一言、もう何度も皆には言ってきたけど、でもこれも良い機会だからまた繰り返し言えば、その…今回は私の甘さから出来ちゃった怪我のせいで、色んな迷惑と…」

と裕美は自分の母親とコーチに顔を向けた。

そして徐々に顔をまた一同に流しながら先を続ける。

「…うん、勿論あと心配も沢山かけちゃったのは…ごめん」

と裕美はその場で軽く頭を下げた。

その頭を私たちはただ黙って眺めていたが、思ったよりも直ぐに顔を上げた裕美は、そのすまなさげな表情を一転させると、柔和な笑みを浮かべつつ言った。

「それで、その…うん、色々と”ありがとう”ね?」

「…ふふ」

と、裕美の言葉を受けて、私はすぐに病室での一場面を思い出していたのだが、それはどうやら自分だけでは無かった様で、裕美が普段から私や律に対して文句を言ってるくせに、その自分がこの様な”恥ずい”セリフを口にしたというのに、誰もこれに関してからかう者は居ず、他の皆も途端に思い出し笑いに近い微笑みをただ溢しているのみだった。

そんな和やかな空気が辺りに充満し始めたその時、「…さてと」とここで仕切り直しと柏手を一発鳴らしたお母さんが、空気を入れ替える様に口調も明るく言い放った。

「お二人から挨拶を貰ったところで、そろそろ乾杯をしましょうか?」


「かんぱーい」とホステスであるお母さんの号令の元、「かんぱーい」と自分の分のグラスをテーブル中央へと差し出しつつ他の皆で後に続いた。

あまりこの様な場には出た事がない紫たちだったが、それでも普段している例の習慣のおかげで、乾杯の後は誰に言われるでもなく一口ずつ飲み終えると、誰からともなく一気に雑談がアチコチで始まった。

だがまぁ…ふふ、この中では当たり前だが麻里は新顔だったので、絵里を含む大人勢に向けて簡単な自己紹介をする事から始まった。

一応病院の正面玄関前で簡単な自己紹介は済ましていたのだが、改めてという事で、これに関しては紫たちも同じ様なものだった。何故なら、当然ながら私と裕美の母親には何度か会っているので必要なかったのだが、コーチにしろヒロのお母さんにしろ初対面だったからだ。

「いつも裕美から話を聞いているよ」と口火を切ってから、裕美のコーチが笑顔でアレコレと話をするのに対して、さっきの絵里と同様に裕美も照れ臭そうに苦笑を浮かべていたので、私は一人クスッと小さく微笑んだりしていた。

とまぁそんな儀礼を済ませると、ようやく本格的に雑談が始まる…かと思いきや、恐らくこれが絶妙なタイミングというものなのだろう、店員さんが早速注文の品々を運び入れ始めたので、すっかり皆の意識はそっちに持っていかれてしまうのだった。


既に自己紹介をし合っていた頃に、テーブル中央部に開けられた穴に炭火がセットされており、後はただ焼くだけだと、「どうぞお召し上がり下さい」と言い残して店員が部屋を出て行きドアを閉めるのを見て、では早速と、またお母さんの号令の元で焼き始めようとしたその時、不意に部屋の外で”聴き慣れすぎて聞き飽きた”声が聞こえてきた。

「ここっすか?」

という声を最後に、ガラガラと引き戸を開けて姿を現したのは…ふふ、こやつのために紹介を引き伸ばす事もないだろう、その正体はヒロだった。

ヒロは無地のTシャツに七部丈の幅広なジーンズというラフな格好をしていた。


…さて、何故コヤツがこの場に現れたのかを説明しなくてはいけないだろう。…ふふ、遅れて来たせいで別に説明しなくてはいけないのが面倒なのだが、仕方がない。

そう、ヒロもこの打ち上げの席に来る事は以前から決まっていた事だった。まぁ…ヒロのお母さんが出席している時点で、大方予想は出来ていただろう。

そもそもというか、今回の打ち上げの席を作る段階での打ち合わせは、私のいる前でお母さんと裕美のお母さんとの間で成された。

場所が決まった後で誰を呼ぶかという段階になった時に、私は当然学園のみんなを呼びたいと提案して直ぐに承諾されたのだが、ついでに…うん、本当についでにヒロの事も推薦しておいていた。

というのも、まぁ…ヒロは勿論裕美が怪我した当日も入院する段階になるまで、最後まで付き添っていたし、お見舞いにも何度か顔を出していたのもあって、一人だけ除け者にするのは、いくらヒロ相手とはいえ可哀想だと、そんな私の殿様の了見での判断だった。

…というのは建前で、本音で言えば…ふふ、ヒロを呼んだ方が、誰を呼ぶよりも本人が喜ぶだろうと計算が働いたのは…内緒だ。


ヒロは午前中は野球部ではなく、地元のクラブの方での練習があったというので、初めからは出られらなかったが、こうしてというか練習が終わるとすぐに家に帰って、シャワーなり着替えたりすると、そのまま真っ直ぐに会場へと来る予定と予め聞いていたので、こうして遅れて登場するのは想定内…というよりも、むしろ食事を始める前に現れたのは想定外だった。

「…あ」

とこの場にいた私たち全員は、ヒロの姿を見ると思わずといった調子で声を漏らしたのだが、その直後には私が続けて声をかけた。

「あら、随分と早めの到着なのね?」

と私が手首の腕時計に目を落としつつ聞くと、「ん?あ、あぁー…」とヒロはおもむろにスマホを取り出すと、画面を眺めつつ答えた。

「まぁなー。練習が終わってから、ダッシュで家に帰って着替えて来たからよ」

「そうなの…」

と自分から聞いたくせに、途端に興味が失せた風な態度を取ると、今度は私はニタッと笑いながら口を開いた。

「…ふふ、もう少し遅れてくれれば、私たちが先に食事を頂いていたのに…残念」

と最後に溜息交じりに吐き捨てる様に言うと、「おいおい…」とヒロは苦笑いを浮かべながら、すっかり坊主頭から卒業して、裕美曰くショートウルフヘアーになった頭をポリポリ掻きながら呟く様に言うと、裕美含む子供チームが一斉に笑い声を上げた。

大人チームも笑みを浮かべていたのだが、そんな私とヒロを交互に眺めながら、お母さんがニヤケ顔で声をかけた。

「ふふふ。…って、琴音、いつまでもヒロ君を立たせてないで、早く座ってもらったら?」

「あ、うん。じゃあ、えぇっと…」

と、お母さんの言葉に素直に従った私は周囲を見渡し始めた。元々、座り位置までは考えていなかったので、今も自然と成り行きというか、適当に皆には座って貰っていたのだが、我ながら直前にしては良い案が浮かんだので、それを実行に移すことにした。

「…ふふ、藤花と律さ?悪いんだけど…一つずつ向こうにズレてくれない?」

と、隣に座る藤花と、その向こうに座る律に声をかけた。

「え?」

と私の言葉にキョトン顔で二人して反応をして見せていたが、「ほら、だって…ね?」と私が顔は固定したまま、視線を横に流しつつ、意味深な笑みと口調で続けて言うと、「え?…」と藤花と律は揃って私の視線の先に顔を向けた。

そこには、今何が起きているのかまだ理解が出来ていない裕美の惚けた顔がそこにあった。

この時は藤花と律だけではなく、他の皆も私たちに注目していたらしく、結果として皆の視線が裕美に集まり出した。

「な、何よー?」

と作り笑いを浮かべつつ裕美が返してくる中、「…ね?」と今度は視線を、入り口付近で突っ立ったままのヒロに流しつつ、最後のダメ押しと続けて言うと、藤花と律もヒロに顔を向けて、裕美と交互に眺め始めたが、ここに来て徐々に私の意図とするところが伝わってきたらしく、藤花だけではなく律までもが意味ありげな微笑を顔に少しずつ滲ませ始めた。

「…あ、あぁー」

と藤花は間延び気味な声を漏らしながら、裕美は敢えて避けつつ、紫や麻里に一度顔を向けると、自分の座り位置と裕美を見比べ始めた。そして途中からはヒロもその流れに加え始めたのだが、「…あー」とようやく紫と麻里も意図を理解し始めたらしく、藤花と同じ様に意味ありげな微笑と声を漏らした。

「な、何…?」

と私たちから一斉にニヤケ面を向けられた裕美は狼狽えて見せていたが、それは放置したままに、「ね?どうかしら?」と私は改めて藤花と律に提案した。

すると、「しょーがないなぁー」と不機嫌ぶって見せていたが、思いっきり口元をニヤケさせつつ藤花は返すと、「じゃあ律、一つ分ズレてくれる?」と律に声をかけた。

「うん…ふふ」

と律は微笑みながら素直に一つ横にズレると、「ヨイショっと」という掛け声と共に一つズレた。

「ありがとう」と二人にお礼を言った私は、顔を入り口に突っ立ったままの野郎に向けると、ニヤけつつ手招きした。

「…ふふ、ほら、いつまでもそんな所で突っ立ってないで、早くここに座りなさいよ」

ポンポン

と、藤花が座っていた椅子のクッションを手で何度か叩きつつ言うと、「何だよぉ…立たせたまま待たせてたのは、お前じゃねぇか、ったく…」とブツブツ文句を垂れていたが、「おう」とすぐにガキ大将スマイルを浮かべたヒロは、それなりに素直に私の言う事を聞いて、空いた席へと歩き始めた。

席に着くと、「久しぶりだねー」と早速紫たちから声を掛けられたヒロは「おう、久しぶりー」と返していた。

「久しぶりだねー」

と隣の藤花に声を掛けられたヒロは、「おう。…あ、そうそう、イブの時は来れなかったんだもんなぁ」と直ぐに思い出したらしく、それからイブについての会話のラリーを何回か繰り返し始め、それに律も時折口を挟む形で加わっていた。

そう、去年のクリスマスイブに、クリスマスパーティという事で、学園の文化祭に来てくれた皆を招待して、都合が合った人と一緒に盛り上がったのだが、イブはクリスチャン一家の藤花と律は教会に行くというので、仕方がなく一緒には過ごせなかったのだった。


…あ、そうそう。ついで…と言っては当人達に悪いが、そのクリスマスパーティーに参加していたというのに、地元民にして裕美と縁があるにも関わらず、今この場にいないメンツがいるのにお気付きだろう。

そう、朋子、翔悟、そして千華の三名だ。

シャクだがヒロがキッカケを作ってくれたので、これを利用して少し彼らについて軽く触れておこうと思う。

裕美が腰を怪我して入院したという話は、当然のことながらこの三人の耳にも届いていた。

朋子には私が、翔悟と千華にはヒロが何となしに伝えた…とヒロ自身から聞いた。

そしてこれは触れはしなかった…というか、その時に”一部に関しては”、知らなかったから触れられなかったのだが、実はヒロが裕美のお見舞いに行くという時に、一緒に朋子や翔悟、それに千華も同行したらしい。

その話は朋子からは行く直前に、お見舞いの日の夜に就寝時間前ギリギリに裕美から連絡を貰った。

…ふふ、そう、一部に関してというのは、朋子がお見舞いに行くのは知っていたのだが、翔悟と千華までもが行くとは知らなかったので、それに関しては少し驚いてしまった。

というのも、んー…うん、これこそ誤解が起きそうだが、しかし恐れずに言うと、この二人が裕美のお見舞いに行く程に近しい印象は持っていなかったからだ。

まぁ…千華に関しては、”色んな意味で”裕美とは近いとは思うのだが、いくら縁があるとは言っても、何だか二人の間でお見舞いに行く様な雰囲気は普段の様子から感じられなかったために、しつこく繰り返す様だが、それだけ意外だったので驚きも一入だった。

…さて、ヒロがお見舞いに行った日は、私のお母さんもお見舞いに行った日だというので、小学校一年生から今まで友人関係が続く朋子は言うまでもないが、千華と翔悟はこの時が初対面というので、「俺もいきなりお前のお袋が現れたから驚いたけどさ…ふふ、それよりも翔悟たちの方が驚きやがったから、それを見てたら思ったよりも驚かなかったわ」とヒロは後で感想を吐いていた。

と、そんなわけで、お母さんや裕美のお母さんの二人は、当然お見舞いに来てくれたというので、今いる個室は最大で二十名まで入れるというのもあり、私達だけではなく朋子達も誘おうと計画していたらしく、これは私やヒロが声を掛けてみると、私が声を掛けた朋子に関して言えば、本心から本当に顔を出したかったとのことだが…

「ごめーん、琴音ちゃん。私たちって、中高一貫の琴音ちゃん達の学校と違って、中学三年生だというので高校受験の準備をしなくちゃいけないんだよぉ…。その日は夏季講習ってやつでさぁ…塾に行かなくちゃいけないってんで、せっかく誘ってくれて何だけど…ごめん!行けないわ」

…と電話口で謝られる様に断りの連絡を受け取っていた。

それを聞いた私は、朋子が言った様にというか、中高一貫校だったために、他の一般的な中学三年生がどう過ごすのか頭に無かったが為に、「あー、なるほど」と感心した風な相槌を打ってしまったのだが、「ふふ、なら仕方ないわね」と、しかしすぐに何となく中学受験をした時の自分の様子を思い出しながら何の疑問も持たずに返した。

「ごめーん。後で私も裕美に連絡を入れるけど、また近いうちに何かしら同じ様な意味合いで誘うからって、伝えておいてくれるかな?」

と頼んできたので、私は快く了承した…という経緯があった。

因みにヒロから聞いた限りだと、あやつの話を丸々信用するなら、千華にしても翔悟にしても同じような理由のようだった。

そう、ヒロは今日は中学の野球部ではなくクラブの方の練習に出ていたと、先ほどチラッと触れたが、つまりはもう中学三年生だというので、全く無いという事はなくとも、基本的に三年生は練習に出る機会が減っているというので、それで最近では主にクラブの方ばかりに比重が偏っている…のだと、興味もないのにヒロ自身と、それに裕美からも聞かされていた。

…っと、何が言いたかったのかというと、ヒロがそんな二人から伝言を受けて話してくれたわけだったが、すぐに違和感を覚えた私は、その原因も途端に気付き「何で朋子達と同じ状況にあるはずのあなたは、呑気に時間が作れるのよ?」と、口調だけではなく中身にもトゲを沢山練り込みながらツッコミを入れたのは勿論だ。

それに対してヒロは、「何だよぉー…」と初めのうちは私からの毒っ気満載なツッコミに対して苦虫を噛み潰した表情を見せていたが、「イタタタタ…そんなお袋みたいな事を言うなよぉ」と見るからに大袈裟なマイムをして見せてきたので、それを見た私は思わず自然と明るい笑顔を浮かべてしまうのだった。

…って、いつの間にか私とヒロのやり取りなんかまで話してしまった。こんなどうでも良い話は置いといて、本編に戻るとしよう。


藤花と律との簡単な会話が終わると、ヒロは今度は紫に麻里を紹介されていた。

子どもグループ内では初対面が麻里だけだというので、促されるままに二人で自己紹介をしあっていたが、それが終わる頃合いを見計らってか、ヒロのお母さんが声を掛けた。

「きちんと家の鍵を閉めてきた?」

「ん?…おう、勿論よ」

と、馬鹿正直というか、わざわざポケットから取り出すと、ヒロは顔の高さで鍵をプラプラして見せながら返した。

そんな親子の普通な会話が終わると、「ヒロ君、練習終わりに来てくれてありがとうね」と裕美のお母さんが続き、「いやいや」と頭を掻きつつ返すヒロに「久しぶりだねー」と絵里が声を掛けた。

「久しぶりっす」とヒロはペコっと小学生の頃と変わらない人懐っこい笑顔を浮かべつつ返した後は、裕美のコーチと視線が合うや否や、今度は自分から声を掛けていた。

コーチが来てくれたお礼の言葉を返し終えたその時、「…さてと」と、この場のホステスであるお母さんは、さっきと同じように柏手を一つ打つと、ざわついていた辺りはシンと静かになった。

皆の注目が自分に集まったのを確認したお母さんは、ニコッと初めは微笑んだのだが、途端に悪戯っぽく笑ったかと思うと、その笑みのままヒロに声を掛けた。

「ヒロ君、実はね?さっき君が来る前に、一度乾杯というかしてるんだけれど、来てくれて勿論ありがたいのは当然として…ふふ、悪いんだけれど、遅れて来た者の宿命というか、改めて一言挨拶をして貰えるかしら?」

「へ?」

とヒロは呆気に取られた声を漏らすと、そんなヒロの事を私や裕美を含む皆で一斉に視線を飛ばした。

…ふふ、何をまた突然にとんだ無茶振りをしたものだと、そう思われた方もおられる事だろう。何も事情を知らなければ、そう思うのが当然だと思う。

だがまぁ…うん、説明をしたところで無茶振りな事実は消えないのだが、それでもこの突発的なお母さんのフリについて、弁護というか娘の私が補足を入れると、実はこんな流れは私たちの間では珍しく無かった。

…ふふ、”私たち”というのは勿論、私たち望月家とヒロ達の森田家がこうして一緒の場で食事したり集まったりという意味でだ。

何度も触れて来たように、小学生の頃からお調子者キャラだったヒロに対して、それに付け入る形でお母さんがよくこうして無茶振りをする事があった。

別にお母さんも悪魔じゃないから、もしそれで本人が拒否すれば無理強いはせずに流れるのだが、しかしそこがヒロのヒロたる所以というか、持ち前のお調子者具合を毎回発揮して、その無茶振りに自ら乗っかり、しかも…ふふ、それなりに上手くこなすのを側で見てきていた。


なので、呆気に取られた声を漏らしてはいたが、しかし心の底では別に意外でも何でも無かっただろうと、隣に座るヒロの横顔を眺めていたのだが、この時なんとなく視線を横に逸らすと、同じようにヒロに顔を向けている裕美の姿が目に入った。

そしてそのまま自然と顔ごと向けると、それに気付いた裕美の方でも顔をこちらに向けてきたので、ほんの数瞬の間だけ見つめ合ったのだが、恐らく…いや勿論同じ感想を覚えていたのだろう、どちらからともなく『やれやれ、また始まった』と私達は共に苦笑を浮かべ合っていた。

と、そんな風に苦笑いを私たち二人が交換し合っていたその時、「はぁー…仕方ないっすねぇ」と心底呆れてる風な態度を取りつつも、口元はニヤけてしまったままヒロは腰を上げた。その手にはコーラの入ったグラスが握られている。

これは藤花と律の二人と再会の喜びを簡単に分かち合っている時に、恐らくお母さん達の誰かだろう、呼び出した店員に注文した品で、コーチと言葉を交わしている頃に運ばれてきたものだった。

「…まーたアナタはコーラを注文したのね?毎回毎回どんな時でもコーラばっかり…ふふ、よく飽きないわね?」

と、これも二人の間では恒例行事と化してしまっていたが、運ばれて店員が下がったのを見計らってツッコミを入れると、「うるせぇなぁ…ほっとけ」とヒロは拗ねて見せつつ返してきた。

「お前だって…いつも、どんな時でもお茶じゃねーか」と反撃のつもりなのかお返しとニヤケながら反抗してきたので、「うるさいわねぇ…ほっといてよ」と、どっかの誰かさんの真似をして、そっぽを向いて拗ねて見せた。

「お前が言うのか?それを…ったく」

と呆れ笑い交じりにヒロが返した次の瞬間、大人子ども関係なく皆して一斉に明るい笑みが溢れた。

それに遅れて私とヒロも同じように笑顔になった…のだが、この時、裕美と、それに加えて絵里の二人が浮かべていた笑顔が、他の皆とどこか違うように私には見えた事を正直に述べておこうと思う。

…うん、だから何かを言いたいわけでもないのだが、それだけ印象的だったので、一応念のためというだけだ。


…さて、立ち上がったヒロはと言うと、グラスを手に持ったまま一旦一同を見渡していたが、最後に向かいに座る裕美に顔を止めると、「ん、んー…」と唸りながら、ヒロは空いた手で頬をポリポリと掻き始めた。

何を話そうか考えあぐねている様子だ。

まぁ…ふふ、流石のヒロ相手とはいえ同情の余地はあるだろう。何せ、何度もしつこく言っている様に、何の前触れもなくこんな無茶振りをさせられているのだから。

結果として、この間は十秒くらいだったと思うが、ヒロと裕美はしばらく見つめ合う形となったのだが、徐々に裕美の顔に紅が差してきている様に、二人の様子を交互に眺めていた私の目にはそう映っていた。

それはどうやら気のせいでも無かったらしく、証拠に裕美は少しずつ、立つ相手に合わせて頭を少し上げていたのを下げ始めていたのだが、下がり切る前にヒロはゆっくりと話し始めた。

「まぁ、そのー…なんだ、ん、んー…って、あはは、何か上手いこと言おうと思ったが、何も思いつかなかったんだがよ」

「えぇー、だらしない…」

と私がボソッと要らない口を挟むと、「うるせぇな…」と呆れられつつヒロにツッコミ返されてしまったが、「ふふ、そうだよ」と今度は裕美にまで言われてしまった。

「あはは、空気読んでー」と紫が裕美の後に続くと、また一瞬だが場の雰囲気が和やかになった。

「ふふ、ごめんごめん」

と、裕美個人にだけ向けた謝罪をニヤケつつ私が返す中、これは別に意図したわけでは無かったのだが、しかし自分一点に注目が集まらなくなったのが功を奏したらしく、ヒロはまだ照れ臭そうにはしつつも、しかしさっきよりも自然な表情で口を開いた。

「…ふふ、まぁ他のみんなからも言われただろうけど、俺からもただ一言だけ言わせて貰うぜ。裕美…まだ完全じゃなくても、手術も成功して、怪我が治って良かったな…?嬉しいぜ」

と目を細めつつ呟く様にヒロが言うと、「う、うん…」と裕美は、さっきとは違い今回は瞬時に頭を下に下げた。

そんなあからさまに照れた様子を見せたので、ヒロを除いた私たち子どもグループは、示し合わせずともお互いに顔を見合わせて、意味深に微笑み合っていた。

そんな私たちの態度に対して、不思議そうにヒロは眺めていたが、そんな私達の様子に気付いた裕美は顔を上げるなり、まずこちらに向けてジト目を流してきた。

だが、それには一切あからさまに歯牙にもかけないで、私含む皆がニヤケ面で対抗してきたせいか、戦意を消失したらしい裕美は力無く笑みを溢すと、その笑顔のままヒロの方に顔を向けた。

そしてまた数瞬ほど二人は見つめ合っていたのだが、フッと力を抜く様に一瞬笑みを強めたかと思うと、

「うん…ヒロ君、ありがとう」

と、裕美はその直後には柔らかな微笑を浮かべつつ返した。

「お、おう…」

と、そんな裕美の反応…だけではないか、他の私たちの反応を見た影響もあったのだろうか、ヒロは初めはこの通り若干狼狽えた様子で返していたのだが、しかしすぐに元の調子に戻ると、「本当に良かったな!」と無邪気に続けて言った。

「うん!」と裕美もテンションに釣られてか、これまた普段通りに明るく元気に返したその時、「…よし、雰囲気も何だか良い感じだし…」とお母さんが口を挟んだ。

「ヒロ君、せっかく立ってくれたんだし、そのまま乾杯をお願いしても良い?」

とお母さんが聞くと、「あ、はい、良いっすよ」と、すっかり調子者モードに入ったヒロが逡巡する事なくスパッと了承すると、一同を見渡した。

「では…ゴホン、皆さん、御手を拝借…」

「…っぷ、何が『御手を拝借』よ?手はグラスで塞がってるのに」

と、悔しいながらヒロの天然か人工か見分けがつかない言葉に思わず吹き出してから、すかさず呆れ顔を満面に浮かべつつ突っ込んだ。

「乾杯でしょうが」

「あははは」

と”今度は”心から笑う裕美を筆頭に、他の皆からも笑顔が溢れる中、「あ、あー…そっかそっか」とヒロは頭を掻きつつ言った。

「では…あはは、かんぱーい!」

「かんぱーい!」


ヒロによる、何とも独特な間によって成された音頭の直後、私たちはまた側にいた人とグラスをぶつけ合い、それぞれが一口ずつ中身を飲んだ。

「…はぁ」

と、一口飲み終えた私は、早速隣に腰を下ろしたヒロに溜息交じりに突っ込んだ。

「まったく…ふふ、毎回思うけれど、もう少しその間はどうにかならないの?ズッコケそうになるわ」

と不満げだが、相手を試すかの様な視線を飛ばしつつ口元も緩めながら言うと、「うるせぇなぁ…」とヒロは口元にグラスを当てながら、顔は正面の裕美に向けつつ目線だけこちらに流してきた。

「そんなに言うならよぉ…お前がやれよなぁ」

とヒロが言ってきたので、

「やらないわよぉ。私は別に、自分が出来ないのを自覚しているから、頼まれても断るもの」

と私はツンと澄まして見せると、もう一口飲んでからグラスを置きつつ返した。

と、そんな私とヒロのやり取りをボーッと眺めていたらしい裕美たちはクスクスと笑い始めた。

「あはは、琴音が自分からそんなのするのなんて、想像出来ないわ」

と言う裕美に始まり、「そうそう。普段学園でだって…」と紫と藤花、そして麻里が後から加わる形で、いかに私が普段の学園生活で目立たない様に気を付けているのかを、本人が目の前にいるにも関わらずペチャクチャと好き勝手に、”無いこと、無いこと”をツラツラと、ヒロに教える体で喋りあっていた。

学園組からのそんな話を聞いていて、先ほども話が出ていたが久しぶりに会うと言うので、普段は裕美から話を聞いていたヒロだったが、今回は他の学園当事者たちから話を聞くと言うので、直接は聞いてはいなくても、その相槌なり笑顔なりを見ると、とても面白げに興味津々と皆からの話を楽しんでいる様子だった。

「まったく…今日は裕美が主役でしょ?何で私の話なんかで盛り上がっているのよ…?」

と、これは逆効果なのはハナから承知ながらも一人不機嫌そうに拗ねて見せると、やはり案の定と言うか、裕美含む皆のテンションはますます上がるのだった。


とまぁ、そんな話をしながら、もう既に品々が出されていたのを誰かが思い出すと、それからは雑談は続けつつも、それぞれの前にある炭火でお肉を焼き始めた。

…ふふ、どうでも良い情報だが、こういった場では急に仕切りたがるヒロが率先して、腰をわざわざ上げて立ち上がりながら網の上に肉を敷いて”くれた”。

…うん、他の皆がどうかは知らないが、焼肉自体は好きでも焼くことそれ自体に楽しみを見出せない、面倒臭がりな私としては、焼肉に限らないが客が自分でしなくてはいけないタイプのお店に行くと、こんなヒロでも役に立つのだと…ふふ、随分な言い草だが改めて実感していた。

「…っと、ほらよ、焼けたから食えよ裕美」

と、わざわざ腕を伸ばして向かいのお皿に肉を何枚か”焼肉奉行”が置くと、「ありがとー」と裕美はお礼を返した。

そして「では…いただきまーす」と、私のお母さんとヒロのお母さんに挨拶し、「召し上がれー」とお母さん達が笑顔で返すと、食べ始めた裕美をきっかけに各々が自分の分のお肉が焼ける度に挨拶をし、それに返すというやりとりが少しの間続いた。

細かい話が続くが、これでお分かりの様に今回のこの打ち上げの経費は、私のお母さんとヒロのお母さんで折半なのだった。


それからは当然と言えば当然だが、暫くは裕美の手術後の入院生活がどんなだったのかに終始した。

毎度の様に皆が質問をぶつけて、それに対して裕美が答えるという形式でだ。

私や絵里、ヒロなんかは手術後に一度お見舞いに行っていたので既に話を聞いていたのだが、紫たち学園組はあれ以来行けていなかったので、勿論スマホでのやり取りで粗方は知っていたとは言っても、前にも言った様にやはり実際に直接顔を合わせて話を聞く方が実感が湧くと、そのやり取りと中身は同じだというのに新鮮な様子で裕美からの説明に聞き入っていた。


まぁついでだしと、ここで簡単に要略してみよう。人生初の全身麻酔での手術の感想や、いつの間にか眠りについていて起きたら病室にいた事、左手は点滴がつながれ、右手は患者の容態を知らせる機械のセンサーにつながれ、両足には血管の中に血の固まりができるのを防ぐためにポンプで圧縮空気が送られるパッドがつけられ、腰からは血溜まりを抜くためのドレーン、つまりは管とガチガチに固定され全く身動きがとれない状態だった事、この圧縮空気を送るポンプの音がやたらとうるさく中々寝付けなかった事、”麻酔あるある”らしいが暫くは吐き気があった事、午前中に手術があったのだがその日は何も食べずただ点滴からの栄養のみだった事、そのまた翌日…つまりは私と絵里がお見舞いに行った時だったが、私たちが来る前に腰のドレーンが外れて漸く動きやすくなった事、オーダーメイドのコルセットを着けて歩くリハビリをした話…などなどと、ついつい軽く紹介するつもりが長々と触れてしまう私の悪い癖が出てしまったが、まぁこんな感じの内容を、裕美独特のユーモアを交えつつ話すのを皆で聞いていた。


そんな質疑応答が終わると、今度は一転して普段通りの雑談へと話はなだれ込んで行った。

「そういえばさぁ…」

と不意に裕美が個室の壁一点に視線を固定しつつ口を開いた。

「そろそろだねー…花火大会」

「え?」

とこの時の私は、呑気に肉に食らいついていた時だったので、顔を下に向けていたあまりに気づかなかったが、顔を上げて裕美の視線の先を見ると、「あぁー、そうね」とすぐに合いの手を入れた。

その壁には大きなポスターが貼られており、デカデカと大輪を咲かせる花火をバックに、地元の名称が頭に付いた花火大会の告知が出ていた。

「そうだなー」

と、私と同じ様に肉を頬張っていたヒロもポスターを眺めると後に続いた。

「あー、これがあなた達がよく言ってる花火大会なのね?」

と私たちの会話に紫も混じる。

気づくと、私達だけではなく子供グループ全員と、それと同時に大人達も一緒になってポスターを眺めていた。

「花火かぁー」

と藤花が間延び気味な声を漏らしつつ…ふふ、行儀が良くないが箸を咥えながら言った。

「私たちの地元は拓けた場所がないから、こんな大々的な花火大会無いもんねー?」

「うん…そうだね」

と、話しかけられた律は静かに同調した。

「私のとこもだよー」

と麻里が今度は続く。

「だから、大きな花火大会って考えてみたら、あまり見たことが無いかも」

とボソッと何気ない調子で麻里が言うと、

「私もー」

「うん…」

と藤花と律の二人が今度は纏めて同調した。

「私は、自分が住んでるマンションが背が高いおかげで、隅田川でやってる花火大会は家から見えるから、見てるっちゃあ見てるけど…」

と、ヒロが仕切るのとは別の炭火で”焼肉奉行”をしていた紫が、網の上で焼かれていく肉をひっくり返しながらも視線はポスターに流しつつ言った。

「あれは別に、花火大会に参加してるとは言えないもんなぁ…私の場合、別に部屋着でボーッと眺めているだけだもん。…はい」

と、紫は藤花、律、麻里、そして自分の順にお皿に焼けたお肉を置くと、トングをお皿に戻しながら続ける。

「…ふふ、前に琴音や裕美が見せてくれた様に、絵里さんの所で花火を観たって写真を見せてもらったけど、あんな風に皆して浴衣を着れば話は別だけどさぁ」

「…あ」

と私は思わず紫の言葉に声を漏らしてしまったが、それは私だけではなく裕美、そして隣に座る絵里からも聞こえた。

と、次の瞬間「あはは」と不意にテーブルの一番端っこから笑い声が聞こえた。

その主は私のお母さんだった。

お母さんは品良くグラスから烏龍茶を飲んだ後の様で、ゆっくりと優雅な振る舞いでグラスを置くと、顔を横に向けた。その顔には悪戯っぽい笑みが広がっていた。

と、絵里と二人で顔をほんの少しばかり合わせていたかと思うと、お母さんはペコっと頭を下げつつ言った。

「その節は、私の娘がお世話になりました」

「え?あ、いや、や、やめてくださいよぉ…」

と頭を下げられた絵里は途端に周章狼狽してしまっていたが、追い討ちをかける様に裕美とヒロのお母さんも頭を下げながら同様な言葉を口にした。

「そ、そんなお二方まで…って、皆さん、頭をあげて下さいよぉ」

と心底参った様子で絵里が声をかけると、母親達はほぼ同時に頭を上げたが、その顔には細かくは言うまでもなく違ってはいても、どれもニヤケ顔なのには変わりなかった。

そんな大人達のやり取りを何となしに眺めていた子供達は、意味が分からないまでも、空気に乗ってというか合わせてとでも言うのか、どの顔にも笑みが浮かんでいた。

…ふふ、いや、確かに笑顔は笑顔ではいたのだが、その中でも私、裕美、そしてヒロという当時の当事者同士は、顔を合わせると、苦笑いを浮かべ合うのだった。


…っと、ここで不意に湧いてきたこの話に、恐らくと言うか当然として違和感と共に引っ掛かった人があろうかと思うので、先回りして説明しておこう。

そう、結論から言ってしまえば、聞いての通り私たち三人が中学一年生の頃に一緒に花火大会に参加する”てい”で絵里のマンションを訪れていた事が、この時点でお母さんにバレてしまっていた。

キッカケは…うん、結構大きな話のはずなのにこれといって覚えていないのだが、それだけ印象に残る様な大事にはならなかったのだ。

絵里とお母さんが初めて顔を合わせたと言うか知り合ったのは、私がコンクールの全国大会に臨む直前の頃だったわけだが、それ以前から”私が足繁く通う区立図書館で勤める仲の良い司書”として絵里の存在を知っていたお母さんは、別に後になってそんな事実を知らされたといっても、これといって…うん、あくまで表面上、表向きから見るに何か引っ掛かっている様な、そんな様子ではなかった。

ある日の晩に、「そういえば、裕美ちゃんと行ったって言う花火大会って、絵里さんのマンションから見てたんですってね?」と不意に何気なく話しかけられてしまったので、その瞬間は思わず口に入れた食べ物を吹きこぼしそうになる程に動揺したのだったが、慌てて瞬時に頭をフル回転させて言い訳を思いつこうと必死だった私を他所に、

「まったくこの子は…」と初めに呆れ笑いと共に愚痴っぽくお母さんは漏らしていたが、

「確かにどこで見るのかまでは聞かなかったし、その後でも詳しくは聞かなかったけれど、でも別に絵里さんの所から見ていたのなら、そう話してくれても良かったのに」と、すぐに愉快げな笑みを浮かべつつ続けて言ったので、拍子抜けしてしまいながらも、「あ、う、うん…ごめんなさい」と何となく場の雰囲気に合わせて笑み交じりに平謝りをして、この時は無事に通過となったのだった。

後で絵里とこの話をしたのだが、その時には義一の”ぎ”の字も出なかったというので、恐らくその場に義一がいた事までは知られずに済んでいる様だと、安心するように言ってくれたのを覚えている。


とまぁ、こんな経緯から別にお母さんがその件を口にしたからって意外では無かったのだが、それでもやはり、んー…うん、私個人としては全く悪いことをしている気はサラサラないので、後ろめたい気持ちになる事など一切必要がないはず…なのだが、いくらそう頭では思っていても、認めたくは無いが恐らくそんな淵源からなのだろう、良心の呵責に近い鈍い痛みを胸の奥に覚えてしまったが故での苦笑いなのだった。

そんな私たち…いや、私個人でいいか、そんな心境でいるのを知る由がない他の皆はと言うと、そんな私を置いてけぼりに、すっかり花火大会の話で盛り上がっていた。

「花火大会って人が多いからあまり行く気がしなかったけど」

と紫が言うと、「まぁねー」と藤花がすぐに合いの手を入れた。

「東京にだって、別に色々と花火大会があるから、今までだって行こうと思えば幾つか行けたけど…うん、なーんか直接観に行く気にはならなかったんだよねぇー?」

「…ふふ、そうだね」

と律が微笑みつつ相槌を打った。

「私個人で言えば…人多いの苦手だし」

と律がボソッと続けて言うと、「私もなんかそんな感じだよー」と麻里も続く。

「琴音ちゃん達みたいに、すぐ地元で花火大会があるなら、まぁ混んでいてもすぐに帰れるし我慢が出来るんだけど…えへへ、何回か友達と行った事があるんだけどさ?向かう途中とか、花火見ている最中は夢中だから気にならないんだけど、んー…花火が終わってからゾロゾロと一斉に全員が帰るからさぁ…もうね、帰りの駅とか電車が混み混みで、本当に懲りちゃったんだよなぁ」

と一気に最後まで言い終えると、内容だけではなく長台詞を吐いたからなのか、麻里は大きく溜息を吐いた。

そんなオーバーな様子が面白く、思わずクスッと笑みを零して聞いていた私たちだったが、ここでふと、ある事を思い出した私は「…あ」と声を漏らしてしまった。

「ん?どうかした?」

「どうかしたか?」

と直後に、この様に一斉に声をかけられてしまったために、それ程注目されるとは思っていなかった私は言い淀んでしまったのだが、「え?あ、え、えぇっと…さ?」とすぐさま体勢を整えると、思い出した件をそのまま口に出した。

「あー…うん、いやね?皆がそんな風に話していた後では切り出しにくいんだけれど…ふふ、みんなさえ良ければ、今度私たちの地元で開催される花火大会に、皆で参加しない?」

とここまで言うと、皆の反応を待つ前に駄目押しと、間隔を開ける事なく途端にニヤケながら続けて言った。

「ほら…ふふ、今度改めて、私たちの地元を案内するって言ったじゃない?そのついでにさ?」

「…あ」

と誰かが声を漏らしかけたがその時、「あー、良いねー」と明るく言い放った、一人の声にかき消されてしまった。

その声の主とは裕美だった。

裕美は明るい満面の笑みを浮かべつつ私の後に続いた。

「花火が終わっても、私たちの内の誰かの家に泊まれば良いんだし。…母さん」

と裕美は一旦間を開けると、不意にテンションを落として、顔を同じサイドの奥に座る自分の母親に、上体だけ気持ち前に傾けつつ声をかけた。

「ダメ…かな?」

「…」

と話しかけれた裕美のお母さんはすぐには答えずに、その場で腕を組んで考えるポーズをして見せたが、しかしこれは長くは続かず、腕は解かずにそのままだったが、途端に裕美と同じ類の笑みを浮かべると答えた。

「…あはは、勿論、私としては何の反対もないよ」

「ふふふ、私もよ」

とここで不意に私のお母さんが口を挟んだ。

裕美と同じで、自分の母親が同じサイドにいた為に、やはり同じ様に上体を屈めてテーブルの奥を見ると、ちょうど皆を見渡していたところだったお母さんと視線がぶつかった。

何だか目が合った後は少し見つめ合ってしまったが、しかし気を取り直して「…本当?」と短く私から確認のために聞き返した。

すると、「えぇ、勿論よ」とお母さんは少女の様に屈託なく笑いながら答えた。

「裕美ちゃんとかも、小学校の頃はよくウチに泊まりに来てくれたけれど、中学に上がってからはめっきり減っちゃったからねぇ。…ふふ、だからという事も無いけれど、私の所としても全く構わないわよ」

「…ふふ、ありがとうございます」

と裕美が何だか申し訳なさげに照れ笑いを浮かべつつ言うと、それに続いて紫たちも笑顔で、私たち二人の母親相手にお礼を述べた。

と、その直後、これは…ふふ、私の話下手なせいもあって、この場では影が薄めだったヒロのお母さんが口を挟んだ。その顔は思いっきりニヤけている。

「本来だったら私の所だって構わないんだけど…あはは、流石にウチはアレかなー?」

と、ヒロのお母さんはグルッと一同を見渡しながら言った。

「大勢のこんな可愛いどころを、ウチの子みたいなムサイ男子の部屋に泊まってもらうのは、色々と…ふふ、マズイわよね」

と一人一人の顔をじっくりと舐める様に眺めながら言うおばさんの言葉に、

「…ッブ、な、何言ってんだよ、お袋ぉ…」

と吹き出したヒロは、口元をおしぼりで抑えながら不満げを露わに、私を挟んで向こうに座る自分の母親にジト目を向けたが、慣れっこのおばさんは何処吹く風で澄まし顔をしていた。

と、そんなやり取りを眺めていた、これまた私の話し方のせいですっかり影が薄い絵里が小さく吹き出して笑うと、それに釣られる様に大人チームは朗らかに笑い始めた。

そんな風に若輩を揶揄うのに喜び楽しむ大人達に対して、私たち子供チームはと言うと、個人的にはヒロが参った様子を見せたので、それに関しては満足の結果だったのだが、しかしやはり他の皆と同じ様に、やれやれといった調子で苦笑いを浮かべ合うのだった。


それからはと言うと、「あはは、でもそっかぁ…ふふ、それだったら、後は花火を見るのに何の障害も無いね」と誰かが…うん、恐らく紫か藤花、それか麻里の誰かだろう、そう口火を切ると、そのまま花火大会に関しての打ち合わせというか話を深めつつ、裕美の退院祝いの打ち上げを楽しむのだった。

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